福島第一原発事故と安全弁


■大震災から6年がたった

大震災は関東で遭遇した。幸いと言おうか、自分の周りでは大きな被害はなく、仕事への影響も半年くらいで収束していった。

■福島第一原発事故の推移

当時、福島第一原発事故の進捗を結構気にしていたと思う。特に冷却水が注水できない状況など、かつて私自身も化学プラントなどの安全設計の経験がある中で、部分的に報道される原子炉のパラメータから状況の深刻度をなんとか理解しようとしていた。

結局、絶対的な情報不足もあって、起こっている事象を理解することができず、最後はただただ眺めているしかなく、いつしか日常の中に溶け込んでいってしまった。

最近になり、ようやく公開された東京電力のTV会議画像や文献を見たり読んだりする機会があり、実際にはより深刻な状況であり、現場ではまさしく死線のギリギリの中で復旧作業を行なっていたことがわかった。

■圧力上昇、容器破壊の危機

特に、放射線防護の観点から核燃料の閉込め機能を担保する構造体である原子炉圧力容器及び格納容器が、核燃料空焚き状態になった結果、その崩壊熱で内部蒸気の圧力上昇が発生し、その圧力が設計圧力を超えて、容器自体が破裂し広範囲に放射線被害が拡大する可能性が高まっていた時点が最も危険な状態であったと思う。

そこで、何が起こり、結果として容器自体の大規模破損は免れたことは事故調査報告書、文献、TV番組などで、ある程度明らかにされている(ただし、2号機の圧力低下の原因はよくわかっていないと思う)。

■圧力容器ベント(圧力解放)をめぐる理解できないこと

それらを通じて、未だに理解できないことがある。(これは単なる私の不勉強に起因する知識不足が主な原因であって、原子炉設計者にとっては自明のことであったり、私の誤認識に基づいていることもあるかもしれない。予めお詫びをしておく)

それは、圧力容器及び格納容器の「圧力容器構造」としての安全弁に対する設計指針である。通常、高圧ガスの容器などでは、法規により安全弁、破裂弁を具備する必要がある。

これは例えば液化ガスの貯槽が真空断熱機能の喪失や火事などにより急激な温度上昇を受け数百倍の体積に膨張した場合、圧力容器の破壊を防ぐための最終安全機能である。

圧力容器が破壊することによる外部へのリスク(例えば金属の飛散)を防止する非常手段であり、通常バネ式や破裂板など、機械的な機構が用いられている。

また、安全弁と容器をつなぐバルブ(安全弁元弁)も通常は存在させないか、交換などのメンテをする場合に備え間に安全弁元弁を設ける場合でも、常時開としておく。人が間違って操作する場合もあるので、ハンドルを撤去する、こうした手段を講じている(はずだ)。

また、内部のガスが特殊で大気環境に放出すること自体がリスクを伴う場合には、放出する2次側の配管ラインをスクラバーなどの廃棄処理ラインへと接続する(はずだ)。

このような手段により、万が一にも操作員が全員いなくなっても、バネという機械の力によって容器破損という最大のリスクを発生させないような手段を講じている。

ありえない例だが、人類がこの瞬間に突然絶滅しても、圧力容器は破裂しないで、時々安全弁が吹いて容器内の圧力を設計圧力以下に落としている光景が見られるはずだ。が、原発ではそうではなかった。

まず、機械的に圧力上昇を防ぐ破裂板と容器の間には、電動でのみ動くバルブ(注1)が存在していた(これは推測だが、ノーマルクローズ;電源喪失時閉動作と思われる)。

これが津波の電源喪失により駆動できなくなった結果、圧力容器及び格納容器の圧力破壊の状況に直面することになった。

現場では急遽、そのバルブを動作させるための動力源(バッテリーやコンプレッサ)を探索する状況に追い込まれ、対策の時間が失われていった。

設計規格における圧力容器の板厚は材料力学の破壊公式に対して3倍くらいの安全率は見込んでいると思われるが、長期運用において減肉が起こっているはずだし、また実際の製造工程におけるばらつきも含めると設計圧力以上で持ちこたえられるかどうかは厳しいと考えるのが自然だろう。

3/14頃の2号機のベントができない待った無しの状況下で、現場にいた技術者の心情を考えると、こちらも胸が苦しくなる。

■どうしてこのような設計思想になったのか

何故こうした状況に至ったのだろうか?

プラントとしてのリスク解析上、設計時にどのように評価されたのだろうか?

圧力容器及び格納容器には、核燃料の閉じ込めと圧力維持の機能の両立が求められていた。

これは相反する機能であって、それぞれのリスク(核燃料放出と圧力容器の破壊)を評価した上で、最終的な安全対策に至っているのだと思う。

ここで勝手に推定すると、圧力容器内圧上昇に対する破壊リスクに関して、ベントラインにノーマルクローズの電動弁を存在させて緊急時に人的介入を不可避としたことは、核燃料閉じ込め機能を、容器破壊よりも優先したという判断・評価がなされた結果(注2)なのではないかと思う。

その結果として容器破壊の際に、本来は破壊弁が破裂するべきタイミングでそれがなされないという、設計者にとって悪夢のような事態が現実となった。

安全弁、破裂弁(注3)を放射線防護(閉じ込め)機能の一環と解釈した場合、確かに閉じ込めを阻害する可能性要因と解釈されるが、一方で圧力破壊に対しては有効に働く。このトレードオフを、トータルの設備安全としてリスクを最小化する観点でどのように解消する議論がどのように結論づけられたのか、そうした議論が当時あったのかも含めて、私自身は今も疑問がある。今後も考えて行きたい。

注1:設置位置が放射線管理区域内にあって遠隔操作が前提でも、手動併用にすること、ノーマルオープンにすることはできたのではないか。

注2:電動弁をノーマルオープンとした上で、破裂弁2次側を何らかのフィルターに通すことも今となっては結果論で想像できるが、当時の考えでは、放射線を含んだ気体の大気放出系統を設計上作りえなかったのかもしれない。

注3:安全弁と破裂弁の機能は本来異なる(安全弁は可逆動作、破裂弁は不可逆動作)が、ここは安全弁として包括して議論した(実際に原発に搭載していたのは破裂弁である。安全弁ではなく、破裂弁が搭載された理由として、圧力降下に必要な流速確保に技術的な問題があったのかもしれない)

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