面白い科学:お肌のシワは座屈解析でわかる!

科学論文を眺めるのが好きで、CiNiiやJ-STAGEなどの論文プラットフォームでデジタル化された論文を色々読み漁っている。

CiNii 国立情報学研究所

J-STAGE  総合学術電子ジャーナルサイト

科学というのはやはり本質的に面白いものだ。そんな中で、日常の現象と科学が結びついた論文を見ると、結構うれしくなる。

今回紹介するのは、東京大学の生産技術研究所の論文集『生産研究』に掲載されていた、お肌のシワの発生メカニズムを力学的モデルで解析した研究である。

(写真と論文は関係ありません)

参照する論文

(1)桑水流理,ジャリヤポーン サトウン,吉川暢宏 (2005).「肌のシワ発生メカニズムに関する基礎的力学的考察 」『生産研究』 57(5),p.93-96

本論文では、肌のシワの発生メカニズムを、材料力学の座屈現象として解析モデルをつくり、その結果を検証している。

座屈現象とは、物体に荷重をしだいにかけていった際に、ある瞬間に突然大きな変形になる不安定現象である。例えば、灯油缶の中を真空ポンプで引くと、突然グシャっと潰れる現象は、圧力による座屈だ。

普通は、荷重に比例して連続的に形が変わるが、座屈ではある閾値を超えると突然形状が変化するところに特徴がある。

構造物の建築でも、重いものを乗せる柱などでは、座屈が発生しないような設計指針がある。

この論文では、人間のお肌のシワの発生をこの座屈現象としてモデル化したものだ。

少し文献から引用する。

力学的観点から見れば、筋肉の収縮などによりシワを生じるのは、いわゆる座屈現象である。そして、シワが残留するのは塑性変形といえる。

—引用終わり

塑性変形とは材料力学用語で、変形には、加えた力を取り除くと元の形状に戻る変形を弾性変形といい、戻らない変形を塑性変形という。お肌のシワが戻らないのは、まさしく塑性変形なのだ。

論文では、皮膚構造を力学モデルとし、座屈方程式を導き、そのモード解析を行っている。そして、更に踏み込んでその結果から「老化の影響」について考察している。

その結果をまとめてみた。なお、私の理解でまとめているので、不正確な記述など誤りなどがあるかもしれないので、興味がある方は原論文にあたってください。

(1)紫外線などにより、真皮のエラスチン成分が増加する。それにより真皮層が老化に伴い厚くなる。真皮層の厚さが厚くなると、座屈の固有モードは大きくなる。つまり、老化でシワが大きくなる。

(2)老化により皮膚の角化機能が低下し、角質層の置き替わり周期が長くなると角質層は乾燥しやすくなる。角質層が乾燥すると、柔軟性がなくなり、これは力学的に言えばヤング率が高くなる。ヤング率が高くなると、座屈固有モードは大きくなるので、やはり、老化でシワが大きくなる。

(3)老化により真皮上部の乳頭層の水分保持機能が低下すると、真皮乳頭が扁平化し、表皮と真皮の界面が平たくなる。この場合も表皮層のヤング率が高くなるので、しつこいが老化でシワが大きくなる。

これでもか、と老化でシワが大きくなるシナリオが描かれた。では、シワを無くすには、どうすれば良いのか?の論文では言及されていないが、著者らの結論を逆に辿って解釈することにより、推定はできそうだ。

それは、紫外線を避け、皮膚の柔軟性を確保するために、保湿して水分補給をする。

…経験的に当たり前と言えば当たり前のことだが、経験に根拠を与えるのも科学の役割であって、こうしたモデルの高度化の先に、まだ我々の知らない知見が得られることを期待したい。

本記事で、言及した論文:

桑水流理,ジャリヤポーン サトウン,吉川暢宏 (2005).肌のシワ発生メカニズムに関する基礎的力学的考察 『生産研究』 57(5),p.93-96

生産技術研究所のwebサイトから、J-STAGE経由で検索することにより誰でも閲覧可能です。

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【ラーメン】八王子ソウルフード 竹の家ラーメン

八王子駅の放射線通りにあるラーメン屋「竹の家」のラーメン。創業60年を超える歴史があり、私も幼少の頃、母親に連れられて食べた記憶がある。そのときの記憶に残るラーメンの味は、今と変わってはいない。

醤油ベースでアッサリとしたスープ。縮れ麺。薄いチャーシュー(ぶ厚いのは苦手なのでこの方が良い)。そして、最近見られない、なかなかの発酵が進んだシナチク。

実は子供の頃は、このラーメン、かなり苦手だった。何でこんな変な苦味のあるスープ(今にして思うと煮干しの成分だと思う)を大人は食べさせるんだろう、と思った記憶がある。しかし、オッサンになるにつれ、不思議と美味く感じるようになってきた。今回の特盛ラーメンを食べ終わっても、まだいけそうなくらいだ。もしやこのラーメン、オッサンの味覚に最適化されているのか?

一方、学生時代の腹が減って仕方がない時によく食べた、八王子の九州ラーメン桜島(すごく紛らわしい名前だが)は、逆に今は胸が焼けるようになってきた。

その意味では子供の頃の夏休み、あれほど嫌だったソーメンは今は逆にウエルカムになっているし、何らかの味覚の変化があったのだろうと思う。

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【書評】東野治之『木簡が語る日本の古代』ー古代の乳製品”蘇”(そ)とは牛乳の湯葉ではないのではないか(追記あり)

 東野治之『木簡が語る日本の古代』(岩波新書)を読んでいて、日本の奈良時代に既に”牛乳及びその加工製品”があったことを知って、興味深く思った。

 牛乳自体は6世紀半ばに日本に渡来してきたようだ。

 その中で、蘇(そ)と呼ばれた加工品があり、朝廷へ地方からの納める租税品として収められたことが、木簡の荷札で明らかになっているらしい。

 著者は「乳製品を食べる古代人」という章で、文献にあった製法に基づいて蘇の再現を試みた記述がある。

 なお、蘇の製法は文献によってもまちまちで、この本では3種類がある。

 (1)牛乳を煮詰める方法 ー文献『延喜式』の記述

 (2)牛乳を弱火で煎じる。かき混ぜない。最後に乳皮を取り除くー文献『斉民要術』の記述

 (3)牛乳を桶に入れて半日搗き、分離したものを煎じて焦げた皮を除去するー文献『本草綱目』の記述

 再現実験では(1)(2)と(3)は出来上がりが異なったらしい。(1)(2)は今でいうコンデンスミルクであるが、(3)はクリームである。

 また、発酵したものは”酪”(らく)と呼び、蘇と区別されていたらしい。

 最近これを再現して商品化したものもあるらしい。

 例えば”古代チーズ”として商品化もされているようだ。
  例:http://www.asukamilk.com/so/

 蘇の製法として、基本的には牛乳を煮詰めて作ること自体は変わらないようだが、色々調べていくと、1点気になる点がある。

 それはwikipediaの”蘇”の記述であり、製法として

ーーー以下引用
ラムスデン現象によって牛乳に形成される膜を、箸や竹串などを使ってすくい取り、集めた物が蘇である(なお、同じ行程を豆乳で行った場合にできるのは湯葉[ゆば]である
ーーー引用終わり

とあり、要するに牛乳を加熱する際の皮膜が、蘇だと言い切っている。湯葉の牛乳バージョンが、蘇だというのである。

 しかし、上記の文献の製法(2)では、乳皮は取り除くとあり、実際に再現した際もそうした記述がある。

 つまり、真っ向から製法が違うのである。皮膜が蘇なのか、皮膜を除去したのが蘇なのか。どっちなのか。どちらかが正しくて、どちらかが間違っているとしか言いようがないが、wikipedia先生の断言も捨てがたい。

 私は牛乳が苦手で、すぐお腹を壊す。また、特にその加熱した際の皮膜が大嫌いで、子供の頃どうしても牛乳を温めることに抵抗があった。なので(しょうもないことだが)、その皮膜が蘇の本質なのかどうかは気になって仕方がない。

(2018年11月追記)

 その後Wikipediaも少し訂正が入っている。

 蘇はあくまで牛乳を煮詰めたもの、それとは別に牛乳の皮膜を集めたものとして発音が同じ”酥”というものがあり、これとの混乱があるのでは、という記述になっている。『延喜式』ではこの”蘇”と”酥”が区別されているようで、文献(細野明義、我国における牛乳と乳製品普及の系譜 中央酪農会議 )では、明確に違うものとして記載されている。

 上記文献から引用すると、

平安時代の 927 年に藤原時平が、 賈思勰の「斉民要術」という本を翻訳し、「延喜式」という本を書いた。この延喜式をみると、当時の乳製品がどういうものだったかが分かる。この本は国立国会図書館で見ることができる。下の図を見てもらうと分かるが、全乳を温めると乳皮(にゅうひ)ができ、その皮膜だけを集めたものが酥(そ)で、酥を煮つめると醍醐となる。醍醐とは、これ以上美味しい物がないという意味であ る。ここで良く間違えるのは、酥と蘇である。 蘇は牛乳を沸騰させ、12 時間くらい煮つめて、 乳固形分が凝縮されたものであり、酥とは全く違うものである。延喜式にはこれらが区別して書いてある。

 引用終わり(強調部は引用者)

 ある意味明確であって、納得できた。

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人工知能はトロッコ問題でストレスを感じるか?

自動運転の議論が活発になってきた。

その中で、人工知能がある種のトレードオフ、ジレンマに直面するような課題も出てきつつある。

自動運転車が、究極的にトロッコ問題(wikipediaへのリンク)のような重大なトレードオフの判断をどのようにするのか。法律論も含めて今後大きな議論になると思われる。

人命を判断の与件にするような緊急避難的な重大判断に、アルゴリズム上の最適解があるのかどうかも含めて興味があるし、様々な話題がすでにある。

人間であっても、判断するためには大きなストレスを感じる問題である。

であれば、人工知能だって同じではないだろうか。

つまり、人工知能もこうした重みのある問題を、人間と同じようにストレスを感じるようになるのではないか?と思う。

人間がストレスを感じ、心身への不調として顕在化するように、人工知能もその回路の中で大きな「ストレス」を感じ、人間がそうであるような「不調」を顕在化すると仮定したら、それはどのような現象になるだろうかを考えてみた。

・錯乱する
→半導体素子の熱によるノイズにより、熱暴走し異常動作する

・反抗する
→突然自動運転が解除され「トロッコ問題が発生しました。あとはご自身で判断してください」となる。実際本気でそうなりそうな気もするが、そんな状態で判断を任されても困る。

・沈黙する
→ハングアップですな。いかにもありそう

・病院へ行く
→人間にカウンセリングを求める

まさに古典的名作アシモフ「われはロボット」の主題として描いた原理のダブルバインドとして現れてくることがまさに現実のものとなり、人工知能の高度化に伴い、もはやカウンセリングが必要になってくるのかもしれない。

追記(2022.07.24):2022年になってようやくわかりやすい記事が出てきた。
5人か1人か、どちらを救う? 自動運転車が直面する「トロッコ問題」【けいざい百景】

追記2(2022.09.18):こうした危機的ジレンマ状況は”エッジケース”というらしい。おまけに、上記で予想したように自動運転がダンマリしてしまうことが問題になる模様。

焦点:「エッジケース」で思考停止も、完全自動運転は結局無理か

ところが、落とし穴があった。人より安全に運転できるAVを製造するのは極めて困難なのだ。その理由は単純で、自動運転ソフトウエアには、人間のように迅速にリスクを評価する能力が欠如しているということだ。とりわけ「エッジケース」と呼ばれる想定外の出来事に遭遇した際に思考停止してしまう。
ゼネラル・モーターズ(GM)傘下の自動運転車開発・クルーズのカイル・フォークト最高経営責任者(CEO)は「必要とあればいつでも人が助けてくれると分かっていると、顧客は心の平安を得られる」とし、人間の遠隔管制官を廃止する「理由が分からない」と言い切った。
人間の遠隔管制官が長期的に必要になることをクルーズが認めたのは、初めてだ。

 

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メタ読書、ブッキッシュからビブリオマニアへ至る道

例えば水泳を趣味にしていると、泳ぐことそのものの楽しみに加え、次第に泳ぎ方について興味が湧いてくる。

これは水泳に限らず、趣味一般に言える、方向性なのではないかと思う。

翻って、読書についてはどうか。

面白い本を読むことから、読書それ自体について語ることについても興味が出てくる。いわゆる読書論というジャンルなどがそれに該当する。

ただ流石に、”どうやって読むか”自体は対象になっていない(遠くない過去には、音読から黙読への移行があったし、識字率の問題もあったので、そうしたものもあった。現代であれば、さしずめ速読法とかがそれに該当するのかもしれない)。

私自身は、こうした「本について語る本」「読書について語る本」のジャンルがあまり好きではない。好きではない、というのは嘘なのだが、どうしても好きでない、と言いたくなってしまう。

本は所詮情報であって、と脳みそでは割り切って考えている。つまり、本というのは中身であって、本それ自体について語ることって実は少ないんじゃないのと言いたいのだが、ものすごく気になる。

英語の学習をしている際に、気分転換で”英語の学び方”とか”体験談”の方に夢中になって、本来やるべきことが全然できてない、みたいな後ろめたさがあるのかもしれない。

でも、こうしたジャンルの本については、時々どうしても読みたくなって何回も繰り返して読んでしまう。気持ちは嫌いなのだが、どうしても離れられない、やめられない、だめ、絶対という状態である。この状態は何か他にも例えられそうだが、不穏なので掘り下げるのはやめておく。

こうしたジャンルは小説のように筋があるわけでもなく、要するに単なるエッセイなのだが、時々反復して読みたくなってしまう誘惑に逃れられない。

本棚の手の届くエリアに置かれているものをざっと挙げると、こんな感じ。

・紀田順一郎『古書街を歩く』(新潮選書)
・紀田順一郎『書物との出会い』(玉川選書)
・紀田順一郎『現代読書の技術』(柏選書)
・荒俣宏『稀書自慢 紙の極楽』(中公文庫)
・呉智英『読書家の新技術』(朝日文庫)
・西牟田靖『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)
・井上ひさし『本の枕草紙』(文春文庫)

・・・要するに好きなんですな。

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甘さのダブル役満(チョコトースト)を食す

私は酒飲みでもあるが、甘いものも好きである。
その結果、ガンマGTPと尿酸値がリーチかかっており、あとは手牌を倒すだけだ(倒したらまずいだろ)。昨年は出張続きで、暴飲暴食を続け、その結果としてのイレギュラーな数値ということで妥協してもらっている(誰と?)。

実験でいうところで、「ちょっと理論の予想直線から外れている今回のデータなのですが、実験環境とかサンプルの条件が一時的に悪かったとみなして、そのデータをグラフ全体から取り除きました(威張りながら)」というダメな学生みたいな言い訳で、なんとかやり過ごしている(やはり、まずいだろ)。

今年はどうか。健康診断が近づいている。多分やばいのである。

私のP/Lは右肩下がりなのに、健康診断の諸数値は右肩上がりである。力強い成長曲線である。IR資料に載せたいくらいだ。なんのイノベーションもしていないのに。IoTとも無関係なのに。

ただストレスが溜まっていると、どうにもならないので、まずは一息。
チョコトーストに生クリームである。うまい。

 

花輪和一『刑務所の中』で、刑務所の懲役囚が、小倉あんとマーガリンのパンを懲罰覚悟で隠れ食いするシーンがあるが、まさにそんな感じ(まずいだろ)。

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フロントライン・シンドロームと兵站の問題

現場と中央、支社と本社、こうした精神的、物理的な距離を隔てた関係において、連携がうまく機能しないことはよくある。

特に自分が現場の立場であった過去を振り返ると、”どうしてもっと本社はサポートしてくれないんだ!”とか”どうして、現場の意思を無視した決定を押し付けるんだ!”など、不満が溜まり、嘆いたことを多々思い出せる。

製造装置の設置責任者として、顧客のフィールドへ行き、装置を所定の性能確認をしてくるような仕事の時には、思うように装置が立ち上がらず、本社からの支援も来ず、毎日顧客に状況を報告し、装置を動かし、時には不測の事態を引き起こして奔走したり、目まぐるしく忙しい中で、やはり孤独に苛まれていたことを思い出す。

やはり現場の最前線は、本質的に孤独になってしまうのである。

佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件 』(文春文庫)で、あさま山荘に人質をとって立てこもった新左翼の一派である連合赤軍と長期にわたって対峙した佐々も、現場責任者として中央への不満を嘆く。そして、それを振り返って、「フロントライン・シンドローム」に陥っていたとしている。

たしかに私たち現地派遣幕僚団は、私も含め「フロントライン・シンドローム」(第一線症候群)に罹っていた。後方の安全なところから実情にあわない指示をしてくる警察庁に対するフラストレーションは、もう爆発寸前、ギリギリの限界に達していたのである。(佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件 』(文春文庫)p.234)

フロントライン・シンドロームとは、現場と中央の間の温度差や指揮系統の乱れ、さらには補給がうまくいかないことによる中央からの支援不足などの要因によって、現場が中央に対して不信感を持ち、現場の意識が本来あるべき状態より肥大し、最終的には独走に至るような現象だと私は解釈している。

「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起こっているんだ!」というものの、現場の判断がどんな局面でも全て正しいのかどうかについては、充分慎重に考えざるを得ないと思う。つまり、現場の意向に沿って、あらゆるリソースを投入することが正解とは限らず、やはり、中央での俯瞰した全体最適戦略の視点も必要なのではないかと思う。

勿論、私の実感として現場の判断はほとんどが正しいと思う。何故なら第一次情報、生の情報とリアルタイムに接しているのだから。加工され、伝言ゲームで仲介され、リアリティの薄れた賞味期限の切れたタイムラグのある情報で判断せざるを得ない中央の判断が誤っていることも多い。

しかし、その一方で、現場で意思決定をしてはいけないような場面もある。例えば、自己か他者かの瑕疵の範囲の判断など。フロントライン・シンドロームにかかっていると、そうした大きな判断を現場が下すことができるように錯覚してしまう。権力が肥大化していることに気づいていないのである。現地にいる自分の判断こそが、今ここでもっとも正当な判断であると思い込んでしまう。

また、現場責任者は時にそれを自らのために利用することもある。本社の悪口で現場の一体感を醸成したり、本社を第一の悪者にすることで、自分の決定を次善の策として現場の担当者に飲み込ませるなど、こうしたテクニックも確かにある。私もよく使った。ただ、やりすぎると、それらは単なる独走、暴走になってしまう。

福島第一原発事故の東電テレビ会議でも、現場にいる吉田所長が東京電力本店に対して苛立っている場面が多々ある。「そんなことで(現場を)disturbしないでくれ!」と。吉田所長の苦しみ(注1)が伝わってくる。

なぜこうした状況になるのだろうか。

本来中央と現場が連携できていればこうした状況にはならない。お互いがお互いの役割を果たすだけである。

こうした齟齬が発生するのは、現場と中央を結ぶ補給線、兵站(ロジスティクス)に原因があるのではないかと思う。

福島第一原発事故の現場では、十分な補給がなかった。補給線が断たれており、現場では本来やるべきでない作業が追加されていた。

補給が充分になされない中で、現場の緊張感が頂点に達すると一種の特攻のような状態にも追い込まれる。福島第一原発でも”決死隊”という言葉が吉田所長から吐き出されている。

つまり、作戦を成功に導くには、十分な補給線が必要である。

いくら優秀な指揮官でも、補給が不十分であればフロントライン・シンドロームに陥ってしまう。

製造装置メーカであれば、人、もの、金だけでなく、情報インフラや部品などのサプライチェーンも含めて整備することが必要で、これは会社組織だと、生産管理、調達、設計、開発、製造といった多部門を連携させるプロジェクトマネジメントが必要になるが、あまり、補給線あるいは兵站という形でその方法論が語られるのを不勉強だが見たことが少ない。

補給というのは一種の裏方作業であり、陽の当たる業務ではないからだろうか。あるいはプロジェクトマネージャーの裁量の一部とみなされて、それ自体独立して語りにくいからだろうか。

太平洋戦争における陸軍の転換点となったガダルカナル戦の攻略失敗においても、兵站の問題は指摘されている。

そもそも日本軍は伝統的に兵站を重視していなかった。

陸軍における兵站線への認識には、基本的に欠落するものがあった。すなわち補給は敵軍より奪取するかまたは現地調達をするというのが常識的ですらあった。戸部他『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社)p.89

 半藤一利他「昭和陸海軍の失敗 彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」(文春新書)における、陸軍の「陸大教育」に関する座談会では、このような兵站教育の軽視も語られる。

半藤 ちょっと細かな数字を出しますが、昭和六(一九三一)年以降に陸大を卒業した者は千二百七十二人いるんです。でも兵站を専門とする輜重科上がりの者は三十三人しかいない。どう考えても兵站を軽視していたとしか思えませんよね

黒野 そもそも兵站すなわち輜重科将校には陸大の受験資格がないんです。(中略)参謀本部にも輸送課はあっても兵站課は最後までありませんでした。

半藤 兵站参謀だった井門満明(46期)に会ったら「日清、日露のころからさんざん兵站で苦労したというのに、日本の陸軍は最後まで兵站や輜重を重視しなかった。代わりに現地調達。『輜重輸卒が兵隊ならば、トンボ、チョウチョも鳥のうち』なんて言われてましたからね」と、兵站部隊がいかに軽視されていたかを話してくれました(以下略)

半藤一利他「昭和陸海軍の失敗 彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」(文春新書)p.44-45

 元幕僚が書いた、松村劯『戦争学』(文春新書)においては、もっと遡ること秀吉の朝鮮出兵の頃から、日本は兵站を軽視し、その失敗を改善しなかったことが指摘される。

秀吉の失敗の原因は数多いが、日本が海軍と言えるような海軍を持たなかったことと外征作戦に備える統一的な兵站システムがなかったことが主因と言えよう。

徳川家康は、この敗戦から何も学ばなかった。大砲の近代化と海軍の育成を禁止し、軍の中央兵站システムを造らなかった。(前掲書. p.129)

日本にとっては伝統的に不得意な分野であり、今後研究していく必要があると思っている。

注1:ただし、『福島第一原発事故 7つの謎』(NHKスペシャル「メルトダウン」取材班)によれば、吉田のいる免震重要棟と現場の運転班のいる中央操作室との間でも同様のフロントライン・シンドロームがあったことが吉田所長自身の反省として言及されている。つまり、二重のフロントラインがあったことになる。

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京王閣に藤沢秀行の”伝説の金網”を探しに行ってきた②

wikipedia「藤沢秀行」から引用。

 京王閣競輪場で250万円の車券を1点買いしたが惜しくも外れ、観戦していた決勝線付近の金網を強く握りすぎて菱形にひしゃげてしまい、「秀行引き寄せの金網」として京王閣競輪場の名所になった

ー引用終わり

金網は名所になっているのだろうか?

・・・京王閣競輪場はかなり寂れていた。

佃煮にできそうなくらいの高齢者で占められている。

昔はある種の逆ディズニーランド的に、タバコの吸殻捨て放題、車券などのゴミ捨て放題というやりたい放題な雰囲気だったが、タバコも分煙になっていた。

でも、誰も守っていなかったが。

”決勝線”=ゴール前に向かう。

金網が・・・あるけど・・その前に何か手すりのようなものが・・・。

これがゴール前。何だ、この防御柵のようなものは?名物なので保存しているの?違う?

金網には手が届かないようになっているが、目をこらすと・・・

どれだかわかんない!・・・無理!だいたい全部「菱形にひしゃげている」ようなものだった。

早々に諦めるのも何なので、バンク側に移動し、金網に触れるところを探す。

レースは迫力ある。

力を入れてみるが、賭け金が藤沢秀行と比較してセコすぎたのか、金網微動だにせず。

勿論外れました。

京王閣の勝負師ならぬ、負師と異名を取った(どこで?)私のプライドにかけて苦闘したものの、正月の立川競輪以来の出陣で、完全敗北。とほほ。しばらくやらない。

(写真撮影は京王閣競輪場の許可を得て撮影しました)

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京王閣に藤沢秀行の”伝説の金網”を探しに行ってきた①

藤沢秀行という既に物故者となった囲碁棋士がいて、アル中にしてギャンブル中毒、外に女性を囲い子供を作り帰ってこない(書籍などでは3年も!)。それでいて囲碁は恐ろしく強いという、まさに無頼派の棋士だった。

藤沢秀行『勝負と芸 わが囲碁の道』(岩波新書)
藤沢モト『勝負師の妻 囲碁棋士・藤沢秀行との五十年』(角川oneテーマ21)

を連続して読んで、改めてその生活の凄絶さに驚かされた。

特に妻のモトの著書では、金銭感覚もなく、女にだらしなく、本妻のことを顧みない(家に金を入れないので妻が生活費を内職で稼ぎ、最後は家を売られてしまう)悪い生活者としての藤沢秀行の姿が描かれる。

結局、外の女性たちは藤沢秀行の最期を面倒見ることができず、老境にして藤沢秀行は本妻の所に帰ってくるのだが、まさに生活者としては完全に”悪人”だ。

本妻の息子たちは、本気モードでこんな父親を嫌悪しているような記述があり、囲碁の強さ、またその面倒見の良さといった囲碁界への功績と、生活者としての罪悪は、果たして合計してトータルこれこれと清算できるものなのだろうか?という思いを持った。

藤沢秀行はギャンプルが好きで、特に競輪が好きだったらしい。

前掲の岩波新書にも、わざわざご丁寧に、立川競輪で博打を打っている写真が載っている。

だいたい、囲碁の本に何で競輪新聞を持って予想している写真が必要なのか謎である。

そのエピソードでこんなものがある。以下、wikipediaから引用する。

 京王閣競輪場で250万円の車券を1点買いしたが惜しくも外れ、観戦していた決勝線付近の金網を強く握りすぎて菱形にひしゃげてしまい、「秀行引き寄せの金網」として京王閣競輪場の名所になった

ー引用終わり

私もギャンプルはそこそこ好きで、競輪は人間がその対象なので競馬よりも好きだ(というか競馬は馬の感情がわからないので好きじゃない)。

京王閣競輪は比較的家から近く、何度も足を運んだことがあるが、「秀行引き寄せの金網」というのは初めて知った。wikipediaの引用では読売新聞の記事と将棋棋士芹澤博文(この人も無頼派)の著書があるが、これ以外に少しネットで調べて見ても、その写真などは見当たらない。今でもあるのだろうか?

本日から京王閣競輪がナイター開催しているので、「秀行引き寄せの金網」を探しに行ってみることにした。

次回に続きます。

続き「京王閣に藤沢秀行の”伝説の金網”を探しに行ってきた②」

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砂漠における人類の友:ナツメヤシ(デーツ)と駱駝

 ナツメヤシ(デーツ)にハマっている。

 このサイトに”サバイバル”と謳っているように、人間の極限状況にも興味がある。砂漠という極限の状況でも、ヒトは自然と共生して生存してきた。砂漠には当然水も少ないので、植物も育たない。しかし、そうした乾燥・高温でも生育できる植物もあり、砂漠の環境下で寄り添うようにヒトの食料となってきたものがある。

 ナツメヤシはまさにそうした砂漠において、ヒトの生存・繁栄に大きく影響を与えた栽培植物ではないかと思う。 高温・乾燥環境下でも成長し、果実を実らせる(一つの樹木で80kg)。また、その寿命も長い(200年に及ぶものもある)。まさに、人類がまだ自然環境に対して極めて従属的だった黎明期に、命を永らえる貴重な資源だったに違いない。

 砂漠の民ベドウィンは、ナツメヤシの果実(デーツ)と駱駝の乳(駱駝の餌もナツメヤシである)で、砂漠の旅を永く続けることができた(注)。ある意味、人類にとって”幸運な”植物であったといえるのでないかと思う。

 そんなデーツがドライフルーツでありながらも購入できたので、食べてみた。非常に甘い。日本の干し柿のかなり熟した状態に似た甘さで、これを煮詰めてジャムや砂糖を作ることができるというwikipediaの記述も納得。また果実から油も取れるらしく、無駄がない。まるで、人類の繁栄のためにちょうど良く与えてくれたかのような植物である。

 また糖分があるので、樹液を発酵させると酒もできる。いわゆる”ヤシ酒”と呼ばれるものである。

 ちなみに、食べ方の変化球で、無糖ヨーグルトに入れて1日おいて食べてみた。これも元々の果実の甘さが強いのでヨーグルトと適ってうまい(乳製品との相性が良い)。おすすめです。

注: D・P・コウル『遊牧の民 ベドウィン』(教養文庫)によれば、砂漠の遊牧民であるベドウィンの主要な食物は、ラクダの乳とナツメヤシだという。本多勝一『アラビア遊牧民』(講談社文庫)によれば、ラクダは砂漠の船と呼ばれている。

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