【炭鉱労働】上野英信と山本作兵衛を読んでブラック労働を考える【書評】


   この記事は、過重労働問題、特に現在日本で直面している労働の課題について相対化する意図はないことを冒頭で記しておきたい。

・上野英信『追われゆく坑夫たち』(岩波新書)
・山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』(講談社+α文庫)

   を読んだ。

   肉体労働の極北とも言える「炭鉱労働」の実態を記録したもので、これが戦後、昭和の時代に日本で起こった現実であることに衝撃を受けた。

◆背景:

・近代化により、エネルギー源として石炭の需要が増加し、明治以降から日本の炭鉱産業の大規模化が始まった。九州や北海道などの800程度の炭鉱が存在し、そこに労働力が集まり始めた

・太平洋戦争後、朝鮮戦争(1950-1953)を背景に日本の炭鉱産業は最後のピークを迎える

・第3次エネルギー革命により石炭から石油への転換が起こった。これは日本では1960年代に当たる。ここから日本の石炭産業は衰退に向かう

参考記事:第三次エネルギー革命 wikipedia

   ここで描かれている”事実”(山本作兵衛は自身が8歳から炭坑労働をしている)は、わずか50年前の日本でありながら、ブラック労働に対する批判的視座のある現代から見ると信じられないようなものばかりである。

◆記載されている炭鉱労働の記録:

・炭鉱労働では労働者が生活全面を資本家に拘束される。前受金のように借金を抱えているケースが多く、経済的に支配されている。日用品なども炭鉱会社経営の店から、そこでしか使えない金券で購入するため、搾取が日常的に行われていた。また生産に必要な、ツルハシ、カンテラ、ダイナマイトなどの経費も全て労働者の負担だった。

・大手炭鉱から中小炭鉱まで階層的となっており、大手炭鉱より中小炭鉱の方が、労働環境も悪い。大手炭鉱では労働組合も(遅まきながら)組織されていたが、中小の炭鉱の組織化は遅れた。労働者は高齢になったり、病気になったり、自身の生産性が落ちていくと、より規模の小さく過酷な労働環境へ流れていく傾向にあった。

・炭鉱労働は、2人組で地中にある石炭の良質層をツルハシで崩し(前山)、それを地上まで運んでいく(後山)。1日1トン程度石炭を産出するノルマがある。狭く(腰を屈めなければダメな場所もある)、暑く(半裸で作業する)、危険な(落盤事故、ガス中毒、水没事故が起こる)労働環境だった。

・女性労働もあった(終戦後に女性の坑内労働は労働基準法の改正で禁止されたが)。夫婦や娘と父親で作業する場合もある。また女性はそれに加えて家庭の仕事もあった。

それにしても一番ひどかったのは、女坑夫であります。坑内に下がれば後山として、短い腰巻き一つになってスラ(掘った石炭を入れる台車;引用者注)を曳いたり、セナを担うたり、命がけの重労働です。まっくろになって家に帰れば、炊事、洗濯、乳飲み子の世話など主婦としての仕事が山ほど待ち構えています。男は昇坑するとすぐに汗と炭塵を洗いおとし、女房のいそがしさをよそに刺青をむきだして上がり酒。昔のヤマの人は誰もそれを当然のこととして怪しまず(略)山本. p.134

・炭鉱の休みは月 1日で、拘束時間は休憩なしで12時間以上になる。上記のノルマを達成するために早朝4時にダイナマイトを持って炭鉱に潜り、爆破している間に地上で食事をとり、再び潜って石炭掘りの作業を行うといった壮絶なエピソードがある(上野. p.118)。

・男性は刺青をしていることが多かったらしい。山本の著書でも多くそのような男性が描かれている。ただし、上野の著書では逆に大手の炭鉱では刺青をしていると採用不可だったらしく、それを隠すエピソードがある(上野.p.116)

・炭鉱労働者には、他の仕事ができないような物理的、心理的バイアスが存在する。上野の著書にも

おれたちのごと、何十年もアナのなかばっかりで働いてきたもんにゃ、地のうえの仕事はでけん。お天道さまがきつくてなあ。もぐらもちとおんなじで、やっぱり地の底がよか上野. p.33

   という聞き取りが収録されている。また、炭鉱労働者に対して、その他職業(農民)からの差別意識もあったようだ(上野. p.168)。

   まさに『カイジ』帝愛地下そのものである。

   こうした悲惨な労働環境にもかかわらず産業としての状況は好転せず、むしろ悪化の一途を辿る。石炭産業は最終的に崩壊し日本の炭鉱はほぼ全て閉山する。一つの産業が消滅に至る全面退潮の中で、彼ら炭鉱労働者は追われていく。

   確かに我々の親の世代、すなわち手の届く記憶の範囲に存在したはずのこれらの事実が、歴史の中で断絶と変転を繰り返した結果として、現実性そのものが希薄化されてしまっているようだ。何かフィクションのような感じすら受けてしまう。

   実際には、形を変えているものの本質として全く同様の労働問題として顕在化し、解決する視座を探しあぐねている混乱状態が、現時点の我々を取り巻く状況であるともいえる。

   これらの著書で大量に記録されている(上野の著書では、当時の岩波書店でもフィクションと思われたほどの)壮絶なエピソードを読んだ率直な第一印象は、”どうしてそんなに過酷な労働をやるのだろうか?他の仕事に変われば良いのに。逃げればいいのに”であった。

   しかし、それは肉体的・精神的全て、全生活そのものを頸木(くびき)に繋がれている労働者にとっては、その問いの意味自体に意味がないことが、次第に理解されてくる。

   単純に、逃げれば良いことはわかっているのである。

肉体的には限界がきている。生活も限界がきている。それでも逃げられないのである。むしろ逃げた結果が、このどん詰まりなのである。生存のどん詰まりで、もはや逃げることもできない、究極の境界がそこにある。我々はそうした状況を他者に対して作り出すことができ、今も作り出している。

   そうした息遣いまで理解できる生活感、リアリティが、これらの著書には詰まっている。

   この労働者の頸木(くびき)は、労働の形は変えても、炭鉱労働の頃から現代でも変わってはいないと思っている。上部構造の部分だからだ。その解放をいかにして達成すべきか、答えは出ていない。

   地の底からの視線はまだ我々を見つめ続けている。

関連記事:【炭鉱労働】あまりにも過酷な労働と記憶の遺産【書評】

参考:山本作兵衛 炭坑記録画 ユネスコ世界遺産登録

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