【ぼっち飯こそ正義】食事は一人ですることが、人類にとっての正解である(断言)


昼食などは基本的に一人で食べることが多い。

その方が好きだ。

むしろ、食事は是非一人でしたいタイプで、複数で行くとその人数だけのテーブルがあるか気にしたり、周りが頼むものに気兼ねしたり、食事中の話題を考えたりと気を使って嫌なのだ。

普段から気を使うタイプなので(笑)、食事くらいは一人で静かに自分のペースで好きなものを食べたい。

しかし、タイミングによっては誰かと食べることになってしまう場合も多い。

最もありがた迷惑なのが、一人で食べている時に、向こうも一人でちょうどいいから一緒に食べませんか、で相席になるパターンである。

向こうも「そちらも一人で食べるのは嫌でしょう、ラッキーですね」みたいな態度なので(考えすぎか?)、更にタチが悪い。

私にとっては迷惑なのである。ただ、それを伝えるのは角が立つと思うので表現していないだけなのだ。

その上、私自身の悪い癖で、そうなると自分の食事をさておき、サービス精神が出てしまい、色々と場を盛り上げてしまうのだ。結果、食事の味もわからず、ストレスフルなまま食べ終わる羽目になる。

ひょっとすると、1人メシかわいそう、と思われているのかもしれない。

そんなことはない!とここで断言したい(演台を両手でバンバン叩きながら)。

食事なんて本来極めてプライベートな行為なのだから、1人が原則なのである。え?例えばランチミーティングってのがある?…それは自由にすれば良い。あくまで、メインはミーティングであって、その手段として食事があるだけだ。まあ、食事を手段に使うことも言いたいことがあるが、ここでは口を噤む。

私が問題にしているのは、本来食事というものは、プライベートなものなのだから、その前提は尊重して欲しいということだ(独裁者ばりに腕を振り回しながら)!

ヒトは昔文化が無い頃、厳しい自然と強力な敵の間でギリギリの生存競争を生き抜いてきたはずだ(そこまで遡る)。

その時の食事は、別のケモノが捕らえた死体を、その目を盗んで奪い取り、洞窟の中に隠れて腐った肉をせせり、骨髄をすすって生きてきた(参考)に違いない。

そこに、ランチミーティングなどという甘甘なものが入り込む余地なんかないのだ。

我々はDNA的にそうした祖先の後ろ暗い食事風景を抱えており、その原風景が1人メシを希求する気持ちの起源になっているはずだ(目ん玉がナルトのように渦巻きながら)。

やれ、ぼっち飯だのランチのグループだの、そんなもの…(軽蔑しきった眼差しで冷笑アンド冷笑)、ね。なんか、世の中でそんなことを悩むこと自体、バカバカしい。

個人的に、食事中に「Don’t Disturb」札を掲げたい。私は単騎行動が好きなのである。

久住昌之、谷口ジロー『孤独のグルメ』のゴローちゃんのようにあまりアレコレとは考えていないが、メシを食うときくらいはストレスを感じたくない、とは常に思う。

だからとにかく食事中の私に話掛けないでほしいのである。

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