良く寝た。
早速温泉に入り、朝食を待っている。
”場所見知り”というのはやはりあって、初めて泊まるビジネスホテルでの安眠はできないことが多い。
その点ある程度自分にとって親和性のある場所だと、安心する。
言い方は悪いが、その場所が自分にとって、”マーキング(実際の意味とは違うので念のため)した場所”になると、安心感が倍増する。
もう限界である。
日々の苦しい状況からひと時でも逃亡したい。癒されたい。
仕事のストレス(というか仕事上の人間関係のストレス)で、このままではガス爆発を起こしそうである。
ということで、ゴールデンウィークを待たず、馴染みの湯河原温泉の旅館を予約、出発した。
(その前に町内会の回覧板を回すという作業があるのが非常に腹立たしい)
この旅館はボロいが、非常に居心地が良いので気に入っている。ある時には2泊3日で泊まってその間、旅館から一歩も出ずにダラダラしていたこともあった。引きこもりなのか、そうでないのか良くわからない。
仲居さんも絶妙の距離感を持ってくれているので、全く気を使うことがない。これはなかなかできないことだと思う。本日も到着するなり、いきなり日本酒4合瓶を発注して、既に飲み始めている状況である。
従って、この宿については本当の意味で誰にも教えたくないし、これからも他人に紹介するつもりもない。
その結果として潰れないことを祈るばかりだが、どうやら無事代替わりできたようで、一安心である。
おまけにWifiもつながった。やるじゃないか。
町内会、自治会のような付き合いはどうしても避けて通れない。
日本の高齢化は着実に進んでいるようで、持ち回りの役(班長とか祭りの係といった、雑用係)が、”主人が介護状態なので”とか”目が見えない”といった切実な理由でできなくなり、ただでさえ少ない現役世代に集中し、消耗する、といったことが私の身の回りでも起こっている。
本来は退職したばかりのシニア世代がこのあたりを引っ張って行くべきだと思うのだが、そうした人たちはもっと上の名誉職を志向するので、どうしても下働きが不在になる。
結果、多数の老人世代を支える少数の現役世代、そしてそれを見て”自治会?いいっすう”という新世代の登場で、この年金問題と同様の構図をもった町内会逆ピラミッドはまさに崩壊寸前だと思う。
私もかつて祭りの係にされ、祭りを仕切る老人軍団にまさにスパルタ式でこき使われた。祭りを仕切る老人軍団はこの道40年の猛者で、こちらは引っ越してきたばかりのペーペーで、勝てる訳がない。神輿の休憩所の場所取りで、軽トラで夜中に先に行って、設営、そのまま神輿が来るまで6時間着のみ着のままで野宿、神輿がいなくなったら今度は撤収作業と、何が悲しくてこんな思いをしなくてはいけないのかと情けなくなったのを覚えている。
しかし、祭りに関しては比較的人間関係のジメジメさはなく、祭り老人たちもサッパリしていたので実は思い出としては結構”大変だったけど、まあよかった”というものになっている。
問題は町内会である。ついに回ってきてしまったのである。上述の要介護コンボで班長の順番が2年前倒しでやってきてしまった。まあ、仕方ない。今年一年やるしかない。
回覧板を回す、町内会費を徴収する、3ヶ月に1回町内会館を掃除する、年2回広場の草むしりをするくらいのものだろう(結構あるじゃんか)。心を無にして、やり過ごすしかない。いざとなったら北斗神拳究極奥義「無想転生」がある(?)。
電話がきた。「あのさ、回覧板が今頃ついたんだけど。お知らせの日付が、もう過ぎてんだけど」・・・・キェーっ、クレームだ。
いや、回覧板は1週間前に回してあって、届くのが遅いのはあなたより順番が前の人のせいだと思うんですけどね。なんで、それを班長に言うの?どうしろって言うの?
早くもくだらないウェットな人間関係を予感させて、もはや撃沈寸前である。
既に「金でこの班長を免除できるなら、いくらまで出せるかな」という妄想がよぎっている。おまけに、ここで下手に調整などをしてしまうことが、実は愚策だということはわかっているのである。
先日、新年度役員と新年度班長の第1回目の会合があった。老人7割、現役世代3割である。既に、新役員の目は虚ろである。
ここでうまく班長として立ち回った場合、何が起こるか。
来年度の役員昇格である。これがまたきつい。
懲役2年である。その先に衆議院議員でも約束されていれば、まだやる気も起こるが、町内会役員では、勲章だってもらえまい(適当)。
今年の新役員の虚ろな視線は、来年の犠牲者を物色する視線なのである。
私としては、その瞬間読み切った。
ここは、ちょっとした”この人おかしい”風を演じた方が良いと。それしかない。こんな人に任せたら町内がおかしくなる(といってもカルト宗教色、原理主義的スタンス、新左翼過激派思想などを出したら今度は別の意味でまずい)ように相手に思わせなくてはならない。
正直、町内会の会議のファシリテーションなんて、当たり前だが、ひどいものだ。
文字通りのぬるま湯である。
ぬるいもぬるい、追い炊きが必要なくらいだ。
意思決定のプロセスと権限を事前に定義しないまま、だらだらと老人の意味のない脱線を放置して、いたずらに時間が過ぎてゆく。もう、明らかに最初と違う話を始めた老人トークへのブレーキがない。ゆるゆるである。
牛乳入れすぎたフルーチェである。
ああ、ファシリしたい。でもしたらまずい。葛藤である。
ここで議論の主導権を握ったが最後、”あとよろ”になるのは自明の理である。
愚を演じるのはきつい。どこまで我慢できるかわからないが、日本政府がこの問題に真剣に対処してくれるまでは、この方策を継続するつもりである。
今週は(も)疲れた。
どこでどう間違ったのかわからない。
ラオウの剛拳を受け損ねたのか、柳龍光の毒手が掠めたのか、まるで記憶がない。
とにかく手負いの火だるま状態であった。
助けも来ない。
危うきに近寄らずなのか、私のチワワのようなSOS視線は、あっさり黙殺され、外野観客席からの遠い声援しか聞こえてこない。
気付いたら、マウンドに登板、振り返れば守備は……誰もいない。よく見るとベンチに引き上げて野次を飛ばしている。よく聞くと何か相手チームを応援、いや、ピッチャーを直接的に野次ってる気もする。
まあよろしい。こんなことは慣れている。全員アウェイ上等である。
稲尾和久ばりである。神様仏様稲尾様である。
なんでこんなことになったんだろう。
なんか、東京裁判の法廷みたい。きゃ〜めっちゃパール判事なんですけど〜 む、虚しい。
結果現実界では、私が何故か1人デスマーチになってしまっている事実があるだけだ。
集中力を必要とする結構な量のデータ解析と、打合せを設定して合意形成するファシリの仕事をほぼパラレルかつ時間刻みで進めることになってしまった。
データ解析は、潜水のようなもので、集中力を高め一気にゴールまでやらないとまずい。途中で中断がきかないのだ。下手するとやり直しである。
そんな中でファシリという、相手があって、交渉して、気を使ってという仕事を平行するなんて、無茶だと思う。
自分の中の人格が内向と外向で分裂してしまいそうになる。
しかし、やるはめになってしまったからにはやるしかない。オマケに私の仕事が皆んなのボトルネックになるような状況である。
やるしかない。でも、さらに、インタラプトされる。
こんな時に、用も無いけど義理がある方の訪問があったり、電話がきたりして非常に苦しかった。昼ごはんも食べれなかったのである。
しかし、ついに止まない雨はない訳で、終わりは訪れた。先ほどデータ解析が終了した。スポーツ後のような清々しさである。
しかも出た結果が、結構面白い結果なので、これを知っているのが今のところ私だけという優越感もある。
仕事は基本的につまらないが、時々こうしたご褒美を貰えることがある。
ということで、立ち飲み屋でひとり慰労会である。
鉱物が好きで、鉱物標本や鉱物図鑑を持っている。
自然が生み出した無機質でありながら複雑精緻な形状を見ていると、時間が止まったような静的イメージが想起され、なんとなくリラックスできる気がする(気のせいかもしれない)。
あるいは、自分の中にある人間嫌いなところとマッチするのかもしれない。
堀秀道『楽しい鉱物図鑑』(草思社)と鉱物標本(左:白雲母、右:水晶)
最近、何を思ったか、もう少し高価なものが欲しくなり専門店で60個入りの標本を手に入れた。
下の写真がそれである。
鉱物が地球の雄大な時間の流れでゆっくりと成長してきたように、ゆとりを持ち、ゆったりとした時間の流れを感じリラックスできる趣味として鉱物を観察していこうと思う。コーヒーでも飲みながら、憩いのひと時を・・・・・と思っていたが、ちょっと事情が大きく変わってしまった。たった今。
そんな悠長に眺めている場合ではなくなってしまった。
実は、上記の写真は「なんだかよくわからない」標本なのである。
撮影時に手元が狂い、箱が落下、その結果、名前を示す小箱と鉱物がバラバラになってしまったのである。それを良くわからないまま(泣きながら)戻して撮影したのが上記の写真である。
これが菱マンガン鉱ですね、ああ、これは蛍石ですね。なんて区別できるわけがない。むしろこれから学習しようと思ったのに。
いきなり、勉強前にその教材の解答が紛失、いきなり60問の鉱物クイズ(答えなし)になってしまった。
まあ、私もそれなりに馬齢を重ねており、こうした経験も一種のOJTというかスパルタ教育みたいなものだと思って、図鑑片手にコツコツと・・・と思ったが、やはり手に負えない。わからないって。
頑張るか、それとも、無かったことにしてタンスの中にしまい、時の流れに全てを任せるか。鉱物の持つ悠久の時間と私の学習時間のタイマン勝負である。とほほ。
1980年代後半の少女マンガ雑誌「りぼん」には恐ろしいエネルギーがあった(言っておくが、私は変態ではない)。
当時の連載陣で思い浮かぶのが
一条ゆかり『有閑倶楽部』
池野恋『ときめきトゥナイト』
といった安定した長期連載に加え、王道を行く本格派”もう毎号クライマックス”で有名な
柊あおい『星の瞳のシルエット』
そして変化球(ギャグ)である
さくらももこ『ちびまる子ちゃん』
岡田あーみん”少女マンガ界に咲くドクダミ”『お父さんは心配症』
このあたりは男性でも読むに耐えるものがあった。むしろ読者層でもない、男性を引き込む吸引力があったのだ。
特に忘れられないのが、やはりギャグの巨匠、岡田あーみん先生である。
『お父さんは心配症』『こいつら100%伝説』『ルナティック雑技団』と変態ギャグで一世を風靡し、執筆をやめて20年経つのに未だにコアなファンがおり、復刊ドットコムでもリクエスト1位になっている。
現時点でもまだ全ての作品(一部短編除く)が入手可能で、私の持っている『ルナティック雑技団』は2013年に第19刷が発行されている。
岡田あーみん先生が漫画を発表しなくなって20年。ネットの情報も極めて少ない。このサイトでも、何か新しい情報が得られることはないので、期待しないでいただきたい。
私の一押しは『こいつら100%伝説』で、変態ギャグがこれでもかと詰め込まれている。
主人公で一番おかしな奴の名前が”危脳丸”(あぶのうまる)。すごいネーミング。
ネタもかなりフリーダムで、
・麻をうっかり燃やして、その煙を吸ってラリるシーン
・毒キノコでラリるシーン
・霊媒医師が出てきて、その名前が”発禁スレスーレ”
・キリストのバロディで”ノー・キリスト”
(おまけに信者に対して”このアンポンタンども、オレが神の子の訳ねーだろ、バーカ”という暴言)
・墓石ダルマ落とし、から、墓石ドミノに発展。最後はナイアガラ花火でフィニッシュ
(それを仕掛けたのが、お寺の住職”ドミノマニアなんです、私”)
など、やりたい放題。
私もあれから20年の年を重ねたが、未だに読んで笑えるのがすごい。
だが、さすがに『星の瞳のシルエット』は……読めない、読めない(布団の中で、足をジタバタさせながら)。