【書評】嵐山光三郎「漂流怪人・きだみのる」ー文明批評される側の論理


 嵐山光三郎『漂流怪人 きだみのる』を読んだ。

 きだみのる(山田吉彦)は、岩波文庫『ファーブル昆虫記』の翻訳で業績のあるフランス文学者である。在野で過ごし、戦後は文明批評で有名であった、というのが一般的な世評である。

 嵐山の著書では、きだみのるが文明批評で人気を博していた時代、若き嵐山が編集者として振り回される交流やその怪人振りエピソードを描いている。

 戦後きだみのるは、八王子の陣馬山近くの廃寺に住み着いた。そこで周辺住民を観察し、文明批評を行なった。

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 その文明批評は出版的に大ヒットし、映画化もされた。

 きだは売れっ子になる。

 きだの生き方も無頼そのもの。昔の文人の生き方で、定住することなく「ドブネズミ号」と名付けたボロい車(ブルーバード)で日本中を旅していた。そこでも各地で愛人を作り、子供を作り、と破天荒に生きていったらしい。その最後の子供のことも嵐山の著書に出てくるが、この話もまた色々な方向に膨らんでいくので、ここでは書かない。

 嵐山の著書に書かれた、きだみのるの旅人として宿泊を頼む際のノウハウが、放浪者が経験として身につけた処世術として興味深く読んだ。引用する。

新聞社に乗り込んで「わがはいはきだみのるである」と自慢する。新聞記者がかしこまると、「泊まる部屋はないかね」と切り出し、手頃な部屋を見つけて、「これはなかなかよろしい」と荷物を置く。手口はいつも同じだ。

押しかけ下宿人である

威張るのは、居候をするときの手法で、ペコペコ頭をさげる老人を泊める人はいない。威張るから、偉い人に見え、気迫に押されて泊めてしまう。そのへんの一瞬の気合いは名人芸で、それは放浪に放浪を重ねてきたきだみのるの本能的な呼吸になっていた。

嵐山. p.168

引用終わり

 これは、つげ義春『無能の人』所収の作品「蒸発」で描かれた、江戸時代の漂泊俳人柳の家(井上)井月の人生を呼び起こされる。井月もそうであったように、きだもまたその個性故に、次々と場所を追われていった。定着する場所を欲していたが、それを見つけることはできなかった。

 井月やきだの旅には、漂泊の要素を強く感じさせる。

 ところで、きだみのるについては、まだ書いておきたいこともあるが、ここでとりあえず止めることにした。

 正直、まだあまり客観的に記述できないのである。

 その理由は、きだみのるに、

  ①クレイジーの日本語4文字

  ②集落の意味の「ぶ」で始まる3文字

 ①+②という放送禁止のダブル役満のようなセンセーショナルな土地としてあだ名を付けられ、文明の側から一方的に批評され、メディアに利用された土地に、私がそのルーツを持つからだと思う。

 文明の側から、面白おかしく書かれた側は黙って見ているしかないのか。地元の有名人として有難がっておけばいいのか。私はそうは思わない。

 かつてジャーナリストの本多勝一が同様に民族学への視点として提起し、文明の衝突の問題として敷衍したこの問題に自分が直面するとは思わなかった。

 やはり、落とし前をつけてもらいたいと思う。

 具体的には今は意見表明しないが、いつの日か、きだみのるによって対比された側の立場について書きたいと思う。

参考。ダブル役満の映像。

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