【書評】ゲッツ板谷「そっちのゲッツじゃないって!」(ガイドワークス)における文体論

ゲッツ板谷「そっちのゲッツじゃないって!」(ガイドワークス)をamazonで先行注文し(どうでもいい情報)、先日到着して一気読みした。

相変わらず過剰なサービス精神で密度の濃いエピソード満載で、面白かった。

 

ゲッツ先生のコラム集はその素材、いわゆる常識から極端に逸脱した過剰なエピソードを元に、意外性に富み平易な文章技術によって言語化する独自の世界を持っている。末井昭氏の昔の推薦文にあったように、”中毒性がある”。

先ほど「意外性に富み平易な文章技術」と述べた。

この点について少し掘り下げて検討してみたい。

①「意外性」について

ゲッツ先生の文章における比喩表現は、新規性に富んでいる。

そしてその表現は、頭脳や知識で考えたというような種類のものではない。

言うなれば、男子学生たちがバカ話をする際に、掛け合いのように”相手より面白いことを言ってやろう”という、どこまでもエスカレートしていく上昇感と、最後にこの場で一番面白い奴がとどめの一言を刺し、その場に大爆笑のカタルシスをもたらすような絶頂感、到達感がある。まさに若者たちの尖ったギャグセンスの掛け合いの中で、その場を支配する”王”として君臨できる瞬発力があるように思える。

いくつか代表的な例を、過去の作品で特に比喩表現のバラエティに富んでいる初期作品集「バカの瞬発力」(二見書房)から引用する。

  • バレンタインのチョコを目の前で叩き割られた女のような目をして、小刻みに震えてみ。そしたら教えてやるよ(「バカの瞬発力」p.20)
  • それからだよ、オレが針すなおばりの行動派になったのは。(「バカの瞬発力」p.29)
  • そしたら、明け方ぐらいにチビッコにいじくり倒された昆虫のようにガンガン弱ってきちゃってさ。(「バカの瞬発力」p.53)
  • で、毎年ウチのジイさんとバアさんが一番上座に狂い雛のように並んで腰を下ろして、(略)(「バカの瞬発力」p.95)
  • メキシコの貧しい7人兄弟の末っ子だってそんなことしねえぞ(「バカの瞬発力」p.114)
  • アイツらのやってることは、ピストルを持ったジャンキーがウロウロしているニューヨークのハーレムのど真ん中で、鈴木蘭々のプロモーションビデオを収録してんのと大して変わらねえっつーの(「バカの瞬発力」p.123)

引用終わり

改めて見ると一つ一つの単語に取り立てて新規性はないが、絶妙な単語のチョイスと、多摩地方の不良の語り口と共に組み合わせて語られることによって「意外性」という新たな意味が付与されている。

②「平易な文章技術」について

ゲッツ先生の文体は簡単かつ単純のようで、実は結構難しい。

文章というものにはやはり素質のようなものがあると私は思っている。

下手に文章技術を学んだ方が、却って面白くなくなることもある。

これはフィジカルな例でも言えることで、ナチュラルに喧嘩に強い人がなまじ格闘技などの「形式」に染まることによって一時的に”弱く”なることがある(勿論、その後に技術を学んで強くなる道もある)。

それと同様に、ゲッツ先生の文体には、ある種の天性の素質と、下手にこれを技法により意識的に矯正していない点で優れていると思う。

素質の例としては、ゲッツ先生の弟の作文(p.56)があり、ゲッツ先生もツッコミは入れているが、これは実に上手い文章だと思う。本人が「ボクは本気になったらお兄ちゃんより全然面白い文が書けるよ」というのもあながち間違いではないような気がする。

単純な文体で人に物事を伝える行為は、非常に難しい。

いわば武道の達人が、その老境で無駄を削ぎ落とした境地に達するようなものだ。そこに向けて皆必死に努力するのだが、ゲッツ先生はあっさりショートカットして、易々と(失礼)そこに到達しているように思える。

この本で一番笑った文章を引用する。

(前略)そのモモエがすっかり元気をなくしているという情報が入ってきたので、オレは彼女を元気づけてやり、おまけに一発やらせてもらおうと決心した。(p.97)

この白樺派の文体を彷彿させるシンプルな文章でありながら、後半の清々しいまでの下世話さのミスマッチ。しみじみと唸る。更にこのコラムで、最終的には目的を達してしまう。

ちなみに、ゲッツ先生の著書はかなり初期から読んでおり、その証拠に私の本棚には愛読書として「パチンコ必笑ガイド」(1993年初版)がある。

これもものすごい過剰なエネルギーが詰まった本で、パチンコ、パチスロという当時一種アンダーグラウンドなギャンブルを題材に、徹底的に遊び尽くしているのである。勝手に作ったパチスロ台、マクドナルド只食いの攻略法まで掲載されている。

裏表紙もこの過剰感。左側の人物は若き日のゲッツ先生であろうか。

更にカバーを取るとこんな感じ。どこまでの過剰な行き場のないエネルギーが横溢している本である。

ちなみにこの本で時々出てくる「ドミニカ式ヌーガ」の意味が24年経った今でもわからない。Google先生ですら教えてくれない。

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