【感想】DVD「講談師 神田松之丞」–空間支配力と開放的なフラがある芸人


 既に巷の評判になっている講談の若手 神田松之丞のDVD「講談師 神田松之丞」(QUEST)を見たので、その感想を記載したい。

「新世紀講談大全 講談師 神田松之丞」(QUEST)

 先日2018年12月28日のニュースで、なんと9人抜きで2020年の真打昇進が報道されたばかりの、低迷する講談界でついに現れた逸材である。

落語芸術協会は28日、同協会所属の講談師・神田松之丞(まつのじょう)さん(35)が2020年2月に真打ちに昇進することを発表した。

朝日新聞デジタル「注目の講談師・神田松之丞、先輩9人抜きで真打ち昇進へ」

 DVDには3本、「違袖の音吉」「天保水滸伝 鹿島の棒祭り」そして、新作「グレーゾーン」の講談が収められ、その合間に本人へのインタビュー(師匠交え)が収められている。

 舞台での神田松之丞を観ると、まずその熱量、迫力に圧倒される。本人もインタビューで述べているように高座中は汗だくである。これは師匠の神田松鯉が述べているように”芸人としての若さ”の部分であろう。今、この時点(2018年時点で35歳)で、若い男性が珍しくなった講談の世界では、ある意味こうした迫力で推していくことは当然の戦略であろう。

 ただそれを差し引いても、この高座での神田松之丞の持つ雰囲気、場を支配する力は群を抜いていると思う。

 そしてその一方で神田松鯉が正しく指摘しているように、講談が持つ本質的な「重さ」に対して、「軽さ」がある。この「軽さ」は決して悪い意味ではなく、得てして閉じる方向に向かって働く講談の力に抗して、講談以外の世界に開いていく自由さを持つ「軽さ」であると感じた。これは演芸における”フラがある”という独特の雰囲気にも通じる。インタビューで見る限り、外見的には固く、内向的で暗めな雰囲気があるが、高座に立つと何とも言えないおかしみが感じられるのである。

 新作講談「グレーゾーン」については、プロレスの八百長暴露騒動に対するプロレスファンの屈折、さらに大相撲の世界の八百長事件、そして演芸の世界に対する構図を一つの線でつなげ、八百長とガチンコ(真剣勝負)の対立を軸に最終結末には、ある種の感動すら感じさせる。

 その感動とは何か。八百長、ガチンコと言われる二項対立、そして演者(内部)と観客(外部)の二項対立を全て飲み込んだ後に、それらに翻弄される人々たちを”救済”する意思が見えるからではないか。

 どちらが正しい、正しくない、ということではなく、それらを超えたところに実は解答があり、そしてそれらは仮に真実が暴露されてしまった後の過去も否定しないのである。

 私も含め「プロレスは八百長であるか否か」を、かつてプロレスファンの立場から幼稚な形であれ守ってきた。そして、暴露本によってその当時の論理は、ほぼ完全否定されている。しかし、敗戦の焼け野原にあっても、まだかつての自分の思いの一部は焼け残っていないはずだ、と信じてきた部分を救済された気持ちになったのである。

 そしてラストでは、この物語を閉じずに、その後の主人公の物語を予告して”残念ながら時間となりましたので”と終わる。むしろ、その後の主人公の物語こそがメインのストーリーである期待感を持たせながら。

 まさしくこれは講談の特徴であり、落語との差別要素である”物語としての連続性”が効果を挙げている。

「グレーゾーン」はまさに正統な講談の傑作と言えよう。

 

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