夏祭りにおける経験知、あるいは、老人の教え–キュウリ塩漬けと赤飯おにぎりは夏祭りの疲れた体にジャストする


 今この時期だからこそ「赤飯おにぎり」の思い出について書いてみたい。季節外れではあるが。

 かつてある地域のお祭りの役員が回ってきて、1年間地域の祭りのお世話をしたことがある。町内会組織から、神社の氏子を分離した結果として「お祭り」だけに特化した役割ができたのだ(これは各地域で珍しいことではないはず)。

 そこでは、基本的に毎年同じ固定メンバーである「氏子総代」が10名いる。これはお祭りを仕切る立場で地域の有力者が多い。特に祭りの場合、町内の祭りの間での付き合いや、テキ屋対応、気性の荒い神輿担ぎのプロ対応などもあり、迫力のある老人が多かった(端的には土建屋チックな感じ)。

 町内会の順送りで決まった我々役員は彼らに仕えて、まさに兵士として雑用をこなすのである。1年交代で何も申し送りもない状態の一般庶民が、何もわからない中1年対応するのはなかなかきつかった。「総代」は毎年やっているので全てを知っている。

 しかも老人なので口頭で説明するのがほとんど。毎回やっているので、説明も端折りまくりで、なおかつ、導火線も短いので、すぐ怒るのである。その結果、総代たちのあまりの理不尽さにキレて何人かは辞める人も出るという、非常に苦しい役割なのである。

 作業も過酷で、祭りの準備では前日徹夜でそのまま翌日まで作業は当たり前、神輿巡回に随行して12時間炎天下を歩く、大晦日から泊まりでおみくじを売る、神主さんを呼んだ際の祭りの接待の準備、さらに予算管理や回覧板の書類作成もあり、非常に大変であった。当時は若さがあったからできたとも言えよう。

 我々の神社の祭りでは、神輿渡御の最後に神社へ帰還し、最後に担ぎをやめるタイミングが非常に騒然となる。神輿担ぎの人たちは疲れているがクライマックスなので最後の高揚感からエネルギーが出てくるようで、担ぎ続けようとする。そこをうまいタイミングで神輿をタッチダウンする仕切りは、まさに修羅場をくぐった老人の経験が必要と感じた。

 ただうちの神社の神輿では、毎回最後に殴り合いの喧嘩が発生するまでがお約束なのだが。

 そんな感じで小規模な神社ではあったが、なかなか賑やかであった。準備で普段は入れない神社の中に入り、ご神体(依代)としての鏡を見ることができたのは役員として良い経験であった。

 もう引っ越してしまったが、時々気になる。私が役員をした際にはもう氏子総代の平均年齢は75歳くらいのはずで、トップの氏子総代長も80歳になっているはずだ。そろそろ世代交代しないとまずいが、なかなかこうした経験のある人もおらず、大変であろう。

 そんな中覚えているのは、その氏子総代長が言っていた「夏祭りの神輿巡行の際に、休憩用に”キュウリの塩漬け”と”赤飯おにぎり”を用意しろ」という指示であった。

 この二つにどうしてもこだわるのである。

 こちらは”なんでそんなものに、そこまでこだわるのだろうか?”という疑問が常にあったが、理屈が通用するような相手ではなく、そもそも迫力があったので、当時は黙って従った。

 たんにキュウリの塩漬けと言うが、購入品ではなく、数日前にキュウリを100本単位で大量に購入し、ポリバケツ2つにキュウリと塩を入れて事前に我々が作り、当日は軽トラで運ぶという面倒な手作り作業なのである。それでも毎年このようにやっているのだから今年もやれ、とうるさいので(失礼)作った。

 赤飯おにぎりも、普通のおにぎりで良いと思うのだが、赤飯にもこだわりがあるようで、「赤飯おにぎりは何個注文したのか」をチェックしてくる。当時はあんなゴマシオでしか味のついていない、しかも、もち米だし、対して美味しくもないのに、と不満たらたらであった。

 そして祭りの当日にはポリポリ食べながら「今年のキュウリは塩が少ねえなあ」とかフィードバックの感想を述べてくるのである。

 そんなことを再び思い出したのは、昨年の引越し先の夏のお祭りで山車巡行の係になった時であった。

真夏の炎天下の中、13:00から22:00まで、ところどころ休憩所で接待で出される飲食をしつつ、休むものの長時間徒歩で町中を随行するのはカラダに堪える。

 そんな中、ある町内の休憩所で「キュウリの漬物」と「赤飯おにぎり」が出たのである。

食べやすいキュウリ。我々がかつて作ったのはキュウリ1本漬けであった。
赤飯おにぎりの映像は自粛します。

 食べてみると、まさにキュウリは水分と塩分補給、おにぎりも赤飯のもち米が直接エネルギーになる感じで、炎天下で疲れた体が良い応答、要するに”体が欲して”いたのである。

 あの氏子総代長の発言は長年の経験に裏付けられた最適解だったと理解した瞬間であった。

 当時は考えもしなかったが、老人の経験知は舐めてはいけないと痛感した次第である。

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