相模川河口で釣りをしていた夏の日の出来事–海の水はつながっている


 最近、こんなニュースがあった。

 外部記事:
 「働いていないことばれた」平塚死体遺棄、容疑の夫が供述(毎日新聞)(リンク切れ)

 この記事自体もツッコミどころがあるが、ここで私が言いたいことは、平塚の相模川河口付近で死体が上がったという事実である。発見者は、さぞ驚いたことであろう。

 これは完全に人為的な行為(犯罪)だが、この相模川河口エリアでは実はよく水難事故が起こっている。茅ヶ崎側には水上バイクエリアやBBQ場もあり、また海岸側ではサーフィンなど、結構夏などに事故が起こっているのである。

 水難事故が発生すると、釣り人としては同じ「水」を対象にしており、少々微妙な気持ちになる。

 似たような例として、釣りマナーの問題もあるが、磯や沖堤防などでは、釣っている付近で、尾篭な話であるが、トイレをされてしまうと、やはり感覚として微妙なものがある。釣り船やボートの場合も同様だ。

 先ほどの件に戻ると、ある期間近くの海の中に発見されていない人間の死体があったこと、そして、タイミングによっては自分がその付近で釣りをしていた可能性もある、ということがちょっとナーバスになってしまう。

 スパッと割り切れる話のような、そうでないような、モヤモヤした気持ちを抱えているのである。

 私が過去に経験した最大のモヤモヤは、数年前の8月。相模川河口で釣りをしていた時のこと。チョイ投げで、ハゼやフッコを狙っていた。ひどく暑い日で、あまりアタリもなく、ぼーっとしていた。周りにもあまり釣り人もおらず、クーラーボックスを椅子代わりにして、一人静かに釣り糸を垂れている状態であった。

 そんな時に、上流付近に人の気配が。釣り人であろうか。あまり気にせず、釣りを続けていると、ガサガサした音が。

 ふと見ると、そこに居たのは夏なのにちょっとした正装の女性であった。釣り場にはふさわしくない服装である。

 その女性がガサガサと袋から取り出したのは、なんと「ワンカップの日本酒」であった。釣り場とワンカップという唐突な風景に、少し注意して見ていると、続いてそのワンカップの蓋をパカっと開ける女性。そして、その中身の日本酒を川に注ぎ始める。

 疑問符が生じている中、続いて女性は小さい花束を出し、またも川に投げこんだのである。花は下流にいる私の方に流れてきて、目の前を通過してゆく。そしておそらく注がれた日本酒も。

 そして女性はしゃがみこみ、河口に向かって手を合わせ頭を垂れて、何か真剣な表情で祈りを捧げている。

 流石に察した。・・・そう、ここで、何かあったのである。

 10mくらいしか離れていない中で、一種のセレモニーとレジャーが同居している状態。そして、それを繋ぐ海。同じ水の中には色々な思いが交錯する。

 女性は祈りが終わると去っていった。

 残された私は、今日ここで釣った魚を持ち帰ることが果たして適切なのかどうか悩み続けていた。

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