MG5(マジでギックリ5秒前)–雨予報の中で、一か八かの夏祭り開催勝負に出た結果

 先日の3連休は、恒例のわが町内会の夏祭りであった。立場は前役員であるが、なんだかんだで3日間駆り出された。

 昨年と異なる条件は、天気であった。

 昨年は6月末に梅雨明けしており、暑さが大敵であった。今年はどうかというと、まだ関東は梅雨明けしておらず、3連休も完全に雨予報なのである。

 今度は祭りの開催そのものが危ぶまれる状況なのである。

 3連休の真ん中の日のため、1日は順延の余地がある。しかし、梅雨が相手なので、順延したとしても、翌日に確実に開催できる保証はどこにもない。

 事前に準備する焼きそばや焼き鳥などの食材の保存の問題や、保冷車の確保など予約が必要なものもある。また、接待する来客への連絡もあり、本来は順延など現実的に出来はしないのである。

 前日の準備では、完全に雨。レインコートなどの完全防備で集合。テント張り、花板組立、ヤグラ組立などの力仕事をしていく。

雨宿りのテントからヤグラを見る。水たまりも結構ある。

 問題は明日である。

 テントの中で雨宿りしつつ、皆で議論するが、当然答えは出ない。

 もともと、これまでこの町内会の祭りは日程的に天気には恵まれていたようで、かなりのベテランでも「延期した記憶がない」という状態。しまいには、皆で各自スマホを見て、明日の天気予報に一喜一憂するという膠着状態に至った。「こっちのサイトだと降水確率が低い」「降水確率より、降水量だ。降水量が小さければ問題ない」などと。

 結局は開催判断は当日の朝、町会長に一任となったが、延期した場合の様々な作業を想像したのか「心配で、このところ眠れなくて」と弱音を吐露していた。本音であろう。

 そして当日。

 朝起きると、外から聞こえる雨音。

 なかなかの雨である。しかし予報的には昼から夜まで曇り時々雨になっていた。翌日もほぼ同様で、良くなる感じはない。

 ふたたびレインコートを着て会場に集まる。

 昼からの曇り予報を信じて、町会長の決断により、本日決行となった。ただ、そのあと、同じ日に予定していた近くの町内会が順延を判断したという報が来て動揺が走った。しかし、まあ、予定通りやるしか無いのである。ただ、途中で中断となると、屋台の売上が赤字になり、自転車操業の町内会予算が破綻するかもしれないというギャンブルである。

 雨があることから、例年では行わないヤグラの屋根設置や、盆踊りエリアの水たまりを砂で埋める余計な作業も発生。電気工事の際に、地絡しないか焦ったが、その間は雨が降らずセーフ。

 そして今年はひたすら焼きそば屋台で売り子である。

 時々雨は来るものの、なんと!昼過ぎから夜9時まで天気は持ち堪えてくれたのである。

 そして焼きそばも完売。これで財政破綻は免れた。

 翌日。またしても小雨である。例年、肉体労働の疲れから、ガクッと参加者が減る撤収作業。これが今回の雨の結果、汚れた机、椅子を雑巾で拭き取る作業も発生し、少ない人数で苦しい状況であった。ただテントは乾かさないと仕舞えない(カビがはえる)ため、テント撤収作業は少なく済んだ。とはいえ、3日間フル回転で持病の腰痛は警報レベルであり、あと少しでヤバかった。

 順延した町会のことを話して「今晩、大雨降らねえかな(笑)」みたいな、他の町会への軽口も叩けるくらいにはなってきた頃。

 片付けをしている最中に、1人の背広を着た男性がやってきた。

 男性「あれ?祭り延期したんじゃないの?」とトボけたことを言ってくる。

 そして内ポケットから、熨斗袋を出して「祝い金を持ってきたのにさ」と。

 町会長が「申し訳ない、予定通り開催しました。ありがとうございます」と謝る必要もないのに、社交辞令を。

 なにしろ手には祝い金がある。

 町会長が祝い金を貰える前提で、返礼を渡す。その男性は片手で受け取り、その流れで祝い金を……内ポケットへ戻し、そのまま立ち去っていった。

 これはまさしく、政治家アネクドートである田中角栄と中曽根康弘と福田赳夫の見舞いの話そのものである。みんなバカ負けして雨の中、大笑いしたのであった。下記の、中尾栄一への見舞いエピソードである。

「派閥の親方の中曽根康弘先生のところで時々軍資金を頂戴したが、いつも『政治家はかくあるべし』という類のお説教つき。差し出された封筒を引っ張っても、中曽根先生はグッと押さえて離さない。腕が疲れるころにようやくお説教は終わる」

「田中角栄先生にもあいさつに行った。新聞紙に包んだものをグッと差し出して、『中尾君まあ頑張れ』と一言だけ。後で開いたら、中曽根先生から長いお説教つきで受け取ったものの10倍も入っていた」

「病気療養している時、福田赳夫さんも見舞いに来てくれた。世間話をした後、福田さんが私の枕元に風呂敷包みを置こうとした。すぐアレだと分かり、『昔はいろいろ苦労をしたこともありますが…』と言ったら、福田さんは『ほっほー、そうかい』と言って、包みを持って帰ってしまった」

経済記者がみたエピソード 政治家とカネ、派閥…(小島 明)2014年8月

 まさか実体験でお目にかかるとは思わなんだ。

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