【書評】田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」(築地書店)–明治、大正生まれの女性たちが生きた過酷な炭坑労働の聞き書き

 最近、笑いを提供するはずの職業の人々に関して、見る人間の気持ちをかき乱すような情報を見たくなくても目にするようになり、いたたまれない気持ちになっている。

 そんな中、過酷な炭坑(炭鉱)労働に従事してきた女性の聞き書きを収録した田嶋雅巳「炭坑美人」(築地書店)を読んだ。

収録されているのは、明治、大正生まれの九州の女性46人。氏名を名乗ってポートレートとともに経験を話す人もいれば、匿名で話す人もいる。九州弁そのままの語り口で、今から見えれば”過酷な”労働を、時にユーモラスに語る。

 本の表紙も、こんな良い笑顔の写真であり、炭鉱労働のもつ危険かつ過酷な側面だけでなく、より広い意味で働き、生きていく意味とは何かということを考えさせてくれる。

 以前の記事(【炭鉱労働】あまりにも過酷な労働と記憶の遺産【書評】)で記載したように、公には昭和初期の時点で女性の炭鉱労働は禁止されていた。しかし、実際には第二次世界大戦期の労働力不足による規制自体の無効化や、戦後においても生きるために規制をかいくぐり過酷な地底の労働に従事してきた経験がいくつも掲載されている。

 先に述べたように、“過酷な労働に女性が従事した”という単純な側面だけでなく、口減らしとしての就労年齢以下からの児童労働という側面、家庭を持った後の配偶者との苦労談、安全性を無視した労働、戦中の朝鮮からの労働者への差別、といった多面的な事実がそこには含まれる。また、そんな過酷な労働でありながら炭鉱労働自体に堂々と愛着を持つ人もいる。

 興味深いエピソードは多々あるが、ここでは別の角度から一つ引用したい。

  炭鉱の中、地底の中の“馬”の話である。大手の炭鉱の坑内は生産量も多く、エレベータなどの機械化の手段を使って地底に降りていく。しかし、次第に先端に近づくにつれて空間的な制約などから機械化、自動化は進まず、人手の作業中心になっていく。

 そんな中で、坑内で荷を輸送するための労働力としての”馬”がいたというのである。この馬は、人間と異なり、交代して地上に上がることはない。基本、地中での生活である。

 明治40年(1907年)生まれの倉谷タマキさんの話として、以下のようなエピソードが語られている。

 その当時から三坑(福岡県田川市の三井炭鉱 伊田坑のこと;引用者注)には竪坑があってケージに乗って下がりよった。今で言うたらエレベーターたい。何十尺とかいいよったが・・・そんなにはかからんよ。二、三分やないかと?それからは人車に乗ってまた下がる。人車ちゃあ電車のこーまいげなもんたい。アンタ!地の底に電車が走っちょるんばい。たまがったぁ!そいで人車を降りたら今度はしばらく歩かなならん。そうすると今度は馬がおる!それを見たときはなおたまがったぁ!いつまで馬が坑内で炭を引きよったんやろうか?ウチが下がりたって、まだ二、三年はおったきねぇ。
 坑内に使わるる馬ちゃあ可哀想なもんたい。ずーっと地の底におって、お天道さんを拝むことは一切でけん。そいで使われんごとなって初めて上さへ上げられる。坑内の暗い中に何年もおって、弱ってから上げられたっちゃぁ目もなんもわからんごとなっちょるとたい。

田嶋雅巳「炭鉱美人」(築地書店) p.170

 著者のあとがき「おわりに」によれば、ここで描かれた人々は、すでにこの本が刊行されようとした2000年時点でも6割の人がこの世を去っている。現時点では、更に時間が経過している。著者が本書の結びで述べたように、過酷な人生の終盤に笑いとともに人生を振り返ることができた方々と同じように我々もまた、後に振り返ることができるのであろうか。 

Share