ビジネスで「ライフハック」を求めて彷徨う人々に、かけるアドバイスが無くて悩ましい


 最近、組織の若いメンバーからの相談内容が変化してきた気がする。

 何か仕事上の悩みがあったとして、

 ○○を実行したら、こんな困難があって、そこをうまく解決するにはどうしたらいいですか?

 ではなく、

  ○○をうまくやるために、貴方が実践しているやり方を教えてください

という担当直入な言い振りなのである。

 一方、「○○をどれくらい実行してみたの?」聞くと、まだ実行は(ほとんど)していないことが多い。

 つまり、経験時間は非常に少ないのだが、危機感だけはMAXなのである。 やる前、あるいは、それほど経験を積んでいない段階にしては唐突感を感じる質問である。

 それを受けての私のアドバイスとして、そこで「実践による訓練あるのみ」なんて回答を返すと、明らかに不満顔である。

 そう、彼らはそんなことを聞きたいのではないのである。

 ○○を実行するために、自分は遠回りしている

 ○○を実行している貴方は、近道を知っている

 だからその近道を教えてください

と言う三段論法を言っているのだ。

 極端な例えであるが、

 エベレストに無酸素で登る方法を教えてください

 と言っておいて、

 本人は高尾山にロープウェーでしか登ったことがない、登山道具も買い揃えていない

 といった状況なのである。

 せめて登る意思くらいは欲しいのだが、本人は大真面目である。登ってみて時間ががかかったら何時までも成果が出なくて、自分の評価が落ちる、だからやる前に最初から聞くのである、という感じである。

 こちらは「近道なんてなくて、少しでも速度を上げるように場数を踏むしかない、自分もそうやって訓練したんだよ」という回答を返しても「そんなはずはない」と思っているのである。

 つまり「実はエベレスト無酸素登頂にはね、ヘリコプターに乗るという裏技があってね」 というライフハックのような回答が存在し、それを大真面目に探索している節があるのである。エベレストの例でもわかるように、実際にはそんな裏技自体が存在しないにも関わらずである。

 結局、その質問の背後には

 裏技を自分だけで秘匿して既得権益化しないで、もったいぶらずに教えてください

 という感情が潜んでいるようだ。

  ・・・そんなに信頼がないのであろうか。

 わかっていれば最初から教えるのである。

 そこまでケチではないつもりだし、 そもそも知っているかどうかでスキル差があるようなところで勝負はしていない(つもりだ)。

 むしろ無駄な時間は他人のそれであっても気分が悪いので、 知っているか知っていないかで何とかなるものは惜しみなく放出しているつもりなのである。 しかるに、この仕打ち。全く信用されていない。

 何なのであろうか。

  思い当たる節があるとすれば、このところの労働を巡る環境の変化であろうか。

 仕事の教育のやり方がシステマチックになり、「文書化できる体系化されたもの」のみが明示的な教育の範疇になりやすく、そうではない依然として暗黙的な非体系化された「スキル」が埋もれて伝承できなくなった結果、ある段階で個人の能力差として顕在化してしまっているのではないだろうか。

 取りこぼされた「スキル」を生得的に持っている”天然モノ”と、これからそれを意識的に獲得する必要のある”養殖モノ”との間には当然差ができる。そして”養殖モノ”としては、それを教えてもらっていないのだ。教えてもらっていないので、当然苦労する。でも周囲では、できている人もいる。不思議だ。何か裏技、テクニックがあるに違いない、というロジックである。

 いわば、装備すれば誰でもパラメータアップができる伝説の財宝があって、そのダンジョン攻略に注力しているようなものである。ダンジョン攻略という目的を計画に組み込めば、その期間は「何かをしている」訳で、計画上は立派に仕事をしているように見える。ただ、当然のことながら、そこに財宝は無いので、こちらからすると無駄な時間を費やして実行に移す時間を伸ばし、貴重な経験が積めるはずの正味の仕事をする時間の方を消費しているだけにしか見えないのだ。

 こうした「スキル」不足に起因する質問が、最近になって出てきた理由は何だろうか。

 前述した教育体系の明示化に伴う、そこから取りこぼされた「スキル」伝承の断絶があると思われる。

 20年くらい前までは、 言葉は悪いが、徒弟制度的なマインドで「背中を見て覚えろ」のような、アナクロニズムな世界がホワイトカラーの世界でも普通に存在した。

 労務管理の徹底や、そもそも徒弟制度が持つパワハラ的側面のクローズアップにより、それが次第になくなっていった結果、本来伝承すべきスキルが取りこぼされている、という構図ではなかろうか。

 では、暗黙的な「スキル」が、完全にオモテ化、明示化され、教育体系が完成しているのかというと、そうではないようだ。 こうした「スキル」に関連するであろうワードを思いつくままに挙げてみる。

 例えば

  • 交渉力
  • ファシリテーション力
  • 傾聴力
  • 質問力
  • ロジカル・シンキング
  • ナレッジ・マネジメント

 など、これらは既に体系化、講座化までされている。 しかし、それでもなお、取りこぼされている何かがありそうだ、というのが私の実感である。

 加えて、多くの企業で導入されている成果主義における「成果」とは、インプット(リソース)とアウトプット(結果の質と量)の関係から決まる。端的にはリソースである「時間」を少なくすることが、成果の評価にとって有効なのは間違いない。よって、できる限り「時間」を小さくすることが望ましい。学習する時間も、できる限り少なくする対象になるはずである。

 その結果として、ライフハックやTipsのような効率化を求めがちになり、それが業務遂行の全てであると理解してしまうのであろう。

 労務管理は徹底すべきであるし、徒弟制度が良いとは決して思わない。 意味のない無駄な”学習”時間に縛られる必要はないと心から思う。

 しかしながら、その結果として生まれてきたであろう、 こうしたライフハックを求めて彷徨う人々に、今更、かけるアドバイスがないのである。

 私自身すでに「黙って俺についてこい」「背中を見て覚えろ」というような発言は、この先誰にもしない覚悟を決めている。

 残念ながら、そんなことを言えない社会・時代になっているし、その意味を正しく理解できる後進もいないであろうから。

 「少子高齢化」「労働力人口の減少」を背景とした、「スマート社会」「匠のデジタル化」といった響きの良い言葉とは無関係に、製造現場ではこうした小さなディスコミニケーションが生まれつつある。

 色々な意味でまことに不幸なことである。

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