【書評】江戸川乱歩「D坂の殺人事件」(創元推理文庫)–「日常なるもの」「常識なるもの」に対する根源的な不信


 江戸川乱歩の短編集「D坂の殺人事件」(創元推理文庫)を読んだ。

 10編の短編が収められ、探偵小説だけでなく幻想的な小説なども収められているが、どれも”乱歩”テイストがすごい。

 具体的に言うと、既に知られているように、乱歩が持つ”趣味”が小説中に横溢している。サディズム、マゾヒズム、性倒錯、死体趣味、グロテスク、腐敗、などといった”特異な趣味”が小説の構成に1本の軸として貫かれている。

 明智小五郎の登場作である表題作「D坂の殺人事件」ですらも、探偵小説としての謎解き要素を持ちつつ、そうした趣味が重要なキーパーツとして登場している。

 今回編まれた短編集の意図としても、探偵小説、推理小説としての乱歩というよりも、そうした独特な文学性に注目した選定をしているようだ。謎解き、という構造だけでなく、奇妙な味テイストなもの(例えば「二廢人」「赤い部屋」「毒草」「白昼夢」「防空壕」)、幻想小説的なもの(例えば「火星の運河」)などが収録されており、純粋な探偵小説的な構造をしている作品の方が少ないことからもそれが伺える。

 乱歩が持つ特異な美意識が最も鮮明に描かれているのは、戦後に書かれた「防空壕」であろう。ここで乱歩は大胆にも、空襲によって虐殺される非戦闘民の風景を、ある種の”美しさ”として繰り返し主人公に発露させるのである。その執拗な”美しさ”の描写によって、本来倫理的な問題を一段上位の文学的な主題として成立させている。確かに読者も同様に、その乱歩が呈示する”美しさ”の前に否応なく立たされる結果となる。

 ワーッというわめき声に、ヒョイとふりむくと、大通りは一面火の海だった。八角筒の小型焼夷弾が、束になって落下して、地上に散乱していた。僕はあやうく、それに打たれるのをまぬがれたのだ。火の海に一人の中年婦人が倒れて、もがいていた。勇敢な警防団員が火の海を渡って、それを助けるために駆けつけて行った。
 僕は二度と同じ場所に落ちることはないだろうと思ったので、一応安心して、火の海に見とれていた。大通り一面が火に覆われている光景は、そんなさなかでも、やっぱり美しかった。驚くべき美観だった。

「D坂の殺人事件」(創元推理文庫)所収「防空壕」p.284

 乱歩の文学に通底するこの美意識とは、人間や人間が作り出す文明に対する根源的な不信感に基づいた、極めて冷徹な客観的視点によるものであると思われる。日常の常識な倫理すら、遥かかなたに置かれた状態での視点である。

 その点において、作風として全く異なる(性的なものを徹底排除した)星新一を乱歩が認めたという事実は非常に良く理解できる。両者は共に、ある種の「日常なるもの」「常識なるもの」に対して、根源的な不信感を持っている点に確かな共通項を有していたと思える。

 

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