新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言から、終末、じゃなかった週末を迎えた現時点までで起こった私的出来事とその感想:安全確保と最低限の事業継続との相反、そしてポスト・コロナで起こる業務トリアージの予感


 2020年4月7日に発せられた新型コロナ感染拡大に対する「緊急事態宣言」から約1週間。ようやく週末を迎えられた。終末を迎えられなくて良かった。

 この期間、主に仕事関係で非常にバタバタした。はっきり言ってヘトヘトである。終末を迎え、また間違えた、週末を迎えた今少し思うところを書いておきたい。

 会社の勤務地が首都圏にあるため、4/7から自主的に在宅・待機モードに入る情報が前日の4/6に流れ始めた。予告はあったものの、実態はわからず、どのようにするかの情報も混乱する状況の中で、この時点で決まったことは「基本的にBCP(事業継続)に必要な要員を残して、4/7から当面出社を見合わせること」だけであった。

 製造業とはいえ、どちらかというとインフラ系ではなく第三次産業系のメーカーのため、社会的なインフラ維持のための事業継続ではない。だからといってビジネス的には完全停止はできないため、まさに不要不急な業務の停止を実行することになる。

 私自身は実は不要不急な仕事であろうと思い、自宅で巣篭もり業務かな、と踏んでいた。しかし何故か?BCP要員に選択されてしまった。意外であるが、これは私の今の仕事が他社との窓口的な役割もあり、他社のBCPの動向を見極める必要があるから、というものであった。

 まあ電車も空いているし、と思っていると「公共交通機関での出社は禁止だから」とのこと。しかし、私の自宅から勤務地までの距離は片道約50km。徒歩や自転車はとても無理である。結局、自動車通勤になってしまった。しかもそのルートには結構な渋滞ポイントが複数ある。どう考えても1.5時間、あるいはそれ以上はかかるであろう。

 初日(4/7)は、もはや腹を括って朝4時に起床(というかほとんど眠れず)、5時には車で出発。流石にこの時間帯ならいつも空いているということで6時30分には到着。実質一番乗りであった。この時点ではまだ正式には緊急事態宣言は出ていない。車の流れも通常の感じであった。店も普通に開店している。

 会社でもまだ状況把握ができておらず、出社してきた幹部は現状の部門の業務の棚卸しと選別を始めている。要するに今後長期化も見越して、不要不急の業務は停止し、緊急性のあるもの、つまり事業継続に最低限必要な業務を優先的に実施するいわば業務の選別を行っているのである。

 しかも自社かつ首都圏だけのこの状態で、首都圏以外の支部や他社、海外拠点の一部は平常に動いている訳で、そことの調整もある。

 ただ、本社機能は首都圏にあるので、機能は危機管理的には稼働しているが、そのリソースはいわば停止、あるいは、低下している。つまり意思決定などは可能だが、平時であれば処理できる機能が大幅に低下しているのが実情なのである。バックオフィス的な業務が特にそれにあたる。この状態が意外に厳しい。購買、法務、経理、IT、施設管理など、これらは事業継続に必要だが、この状況下では大幅に組織的パフォーマンスが低下しており、いわばセーフモードで最低限のパフォーマンスしかないのである。

 事業継続判断のため必要最低限の活動を行う。また、その必要最低限という意味は「火急」である。つまり緊急性があるということである。その一方で感染拡大防止、すなわち従業員の安全管理もあるので不要不急の業務はすべきでない。

 この両者、安全管理と事業継続は一種の相反関係、トレードオフになっている。

 そこでまず実施すべきは「緊急避難的処置」を考えることであった。つまり平時の際のルール通りに動かすことは、平時の組織であれば可能だが、この非常時のパフォーマンスでは時間軸的に難しいものがある。不要不急なものは停止(ホールド)するが、BCP的に必要と判断されたものは通常通りに継続実行しなくてはいけないのである。それをどうするかを判断しなくてはならず、まずはそこを関係部門と調整する必要があった。つまり、通常なら関係部門の承認が必要だが、この緊急的な場合ではその承認をすることが事業継続にとって障害となる場合には、その部門承認は事後処理にする、などの承認を事前にその組織と行っておく必要があるのである。これは後々責任問題というか、後日”犠牲者”が出ることの防止でもある。要するにフロントラインシンドロームで、現場が暴走して自己判断した場合の個々の責任問題を、ある程度回避するための予防処置でもあった。

 次に情報統制を行う必要があり、情報ハブを作っておく必要があった。とかくこの手の混乱状態というか見切り発車的な動きの場合には、情報が錯綜しやすく余計な仕事が増えるので、まずは情報ハブを決めて、そこから一元的に下ろすような動きというか、まず関係者に「宣言」する必要があった。

 そして、何よりまずは事業継続観点で何を残し、何を止めるかという決定に従うべき、という認識を全体で共有する必要があった。個々の個別判断で実行と停止が決まると、必ず軋みが出るからである。そしてこの場合、忘れがちなのは、個々の生命の安全が全てに優越する第一優先であり、この前提を同時に理解させることであった。

 順番は前後するが

①安全が第一優先である前提の上で、事業継続観点から継続すべきもの、停止すべきものを選別するという方針を内部で理解させ、何を継続/停止するか経営的に合意をとること。

②その上で平時のパフォーマンスが低下している中でも事業継続するための緊急避難処置を考え、関係部門と事前に合意すること

③情報ハブをできるだけ早急に決める、あるいは宣言してしまい、一元管理と統制を取り戻すこと

 この3点をできるだけ速やかに(まだ機能が多少残っているうちに)する必要があり、そのための動きを実施してきた。非常に疲れたのである。

 とはいえ、リアルタイムで動く話なので、情報はやはり錯綜し、福島第一原発で誤解?として起こったような現場での勝手な「撤退宣言」が出たりして、統制が一時的に狂ったりもした。まさに情報の混乱に起因するものであり、これを整理するのにも余計な時間と労力がかかった。

 やはり事業継続するとはいえ、最終的には「新型コロナのこともあるが、ここは事情を理解して可能であれば出勤して欲しい」という判断を個々の従業員に迫ることにもなるので、単純な話ではない。個人にも家庭の都合や不安もあるのは当然のことである、第一優先は生命であり、その前提で、最低限何ができるかを判断することが求められていた。原発事故と違って、今回は究極の究極手段である”じじいの決死隊”もできない。むしろ高齢者の方が危険であるからである。

 これらの対応を行ってきたのが4/7,4/8であった。混乱はあるものの、ようやく整理ができてきた。その後4/9,4/10では少し事後的な動き、緊急避難処置をした後に、平常時復帰後のすべき残務の整理など少し落ち着いた仕事モードになってきた。

 車通勤はきついが、確かに自宅から車で出勤し、閑散としたオフィスで一人で仕事(ほとんど電話とメールとTV会議で仕事なので接触はない)、食事も持ち込み(カップ麺がメイン)なので確かに人との接触はほとんどないのも事実であった。

 4/7は緊急事態宣言が発令された当日でもあり、大渋滞で3時間かかり、前日眠れていないこともあり、流石に安全を見て、翌日は多少遅めに出ることに。

 宣言後の4/8朝は、さすが日本人、ほとんど車の渋滞はなく、1時間強で到着。幹線道路沿いの店も閉まり始めていた。やはり平時ではないことを実感する。

 特に今回は、一旦企業活動をストップした上で、事業継続すべきものを選択復活させる、というステップを踏んでいるので、急ブレーキの直後の急発進になっている。その結果、いろいろなところで「社会的な鞭打ち症」が発生している。もちろん普段から危機管理の準備はしていたはずであるが、結局、組織というものは多重の情報伝達経路を含んでおり、意思決定が即時に伝わる訳もなく、ある種のイナーシャ(慣性)が存在し、それによって末端までのタイムラグや伝達遅れが生じるのである。まさにその点に振り回された1週間であった。

 長期化を見越して在宅、リモートなどの環境を整えつつあるが、おそらくこう考えている。

 新型コロナの影響は長期化ないしその影響で経済活動は低下するであろう。つまりコロナ前の業務と同じようには戻らない、ということである。

 仮にワクチンが開発されて安全確保されても、である。

 それはいわば経済活動が低下した結果「その業務そのものがなくなる、あるいは、元々不要なものだったと判断される」からである。

 つまり無用の用ではないが、以前なら「よくわからないけどあった業務」とそこに割り当てられた人がいたが、これが今回の急停止によって「この人がいなくても(戻って来なくても)別に組織としては困らない」ことが改めて浮き彫りになってしまっているのである。

 今後順次、優先順位に従って企業活動はそのペースや業務形態はまちまちであろうが、次第に元の状態に復帰してくるであろう。しかし、その戻り方には優先順位があるのである。

 そしてそれは個々の個人によって異なる。

 いわば「戻すべき価値がある人」から順番に戻す。そして周囲は順次お呼びがかかっているのに、いつまでも声がかからない「自宅待機組」が出てくる。彼らの心中はどうなのかと思うと残酷な光景が目に浮かぶ。

 これは患者の重症度に応じて治療の優先順位を決めると同様の「業務のトリアージ」である。そして死亡者を意味する「黒タグ」を付けられた人は、もはやその場に置かれ、一番最後に収容されるのである。

 ポスト・コロナの光景はまさしく業務トリアージの後の光景であろう。

 それはまだどうなるかはわからないが、不可逆であり、かつての光景と同じでないことは確実であると思われる。

 またこうしてこのドタバタ(まだ続く)を振り返ると、平時モードの人間とカオスモードの人間で得意分野が違うというか、人間性が浮き彫りにもなる。平時では優秀な司令官が、いざ非常時には指示待ち人間(指示くれ、他人に決めてくれ)になってみたりと、なかなか人間模様も多々見えてくるのである。

 やはりこうしたカオスな状態になると、何を優先に考え、判断すべきかが試されているとも言える。

 まあ、偉そうに言っているが私自身はある意味BCP対応とはいえ一つの「駒」に過ぎないので、ただ黙々と仕事をするだけであった。今週の終盤には若干不謹慎だが「普段より静かな環境で、他からの業務インタラプトもなく、黙々と一人完結で仕事ができるので意外にこの環境は良いかも」とすら思えてきた。

 とはいえ、電車通勤なら途中の立ち飲みで一杯もできるが、それも今やできず、楽しみといえば帰宅途中に自宅近くのコンビニに立ち寄り、アイスを食べ明日の朝食と昼食のカップ麺を購入しつつ、晩酌用の500円くらいのワインを買って自宅で飲むだけであった。車通勤は明らかに運動不足であり、少しずつストレスは溜まっているようである。

 東日本大震災の時と比較すると物資に関しては十分あったのでこの点は心理的にも助かる(紙マスクは見かけないが、布マスクを自作したので安心)。やはりフロントラインを維持するためには十分な兵站(ロジスティクス)が必須であり、現時点では何とかこの点では心理的なパニック感は抑えられているような気がする。

 ただ我々のような後方にとっては一応安心かもしれないが、現時点における「フロントライン」は医療現場がまさにそれに当たる。

 実は今回の自粛措置はその最前線(フロントライン)に向けて補給線を造り豊富な物資を優先的に供給する、あるいは、そのフロントラインを維持するための感染ピークのブロード化ということが求められているのであろう。だが、その割には、後方での議論の方が、大きくクローズアップされていることが少々気になるところである。

暗い気分なので「日めくりフワちゃん」でゲン直しである
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