【書評】南日本新聞社編「戦火の漂流42日 太平洋に流され敵潜水艦に捕われる」–太平洋戦争中に起きた、漂流から捕虜収容所に至るまさにサバイバルな数奇な人生


 南日本新聞社編「戦火の漂流42日 太平洋に流され敵潜水艦に捕われる」(光人社NF文庫)を読んだ。

 漂流ものは、まさにサバイバルであり、色々読んできた。

 本書は、その副題にあるように、単なる漂流による過酷な環境での生存だけでなく、戦時中での特殊な条件、交戦中であったアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、そして救助され、さらに”捕虜”として収容所に収監され、終戦後に帰国する、という二重三重のサバイバルがある点において特徴がある。

 単なる湾内連絡船であった「嵩山丸」が、昭和19年12月に九州の志布志湾から26名を乗せて出港したものの、エンジントラブルにより黒潮に流され太平洋にまで漂流してしまう。

 船の積荷には焼酎や大根などの食料が積まれていた。焼酎を簡易的な蒸留器(ランビキ)により、蒸留して真水を作る、シイラを釣って水分を摂るなどのサバイバルをするも、42日の漂流の中で船員、乗客は次々と倒れてゆく。そして生き残った人々の多くも、敵潜水艦の攻撃によって船とともに撃沈されてしまう。

 助かって戦後に帰国できたのは2名であり、そのうちの1人が本書出版当時(昭和59年)、ただ一人の生き残りとして記憶とともに、当時の状況を明らかにした。

 海上でのサバイバルのエピソードも過酷である。フグの内臓を食べても生き残れるほど飢えていた乗客は、漂流中、敵からの機銃掃射の攻撃などで負傷し、死んで行った。まさに戦争中であるが故の過酷な状況である。

 潜水艦に撃沈された際に、海上に出られたものは5名であった。2名は縄梯子で登っている際に、潜水艦の排水口から偶然出た排水によって梯子から海上に落とされ、結果見捨てられてしまう。潜水艦内に入った3名のうち1名もパニックにより半ば自殺を繰り返し、最後は薬物によって”処置”されてしまう。

 生き残って帰国したのは2人であるが、1人は最後まで責任を感じ続け、帰国後1年で死んでしまう。

 最後まで生き残り、この記事の語り部となった主人公は、当時の日本としては珍しく簡単な英語が話せ、変化に対する「順応性」があった。

 こうした順応性やタフさが生存の決め手になるというのは、サバイバルの体験からも良く知られるところであり、海上漂流での生存および敵国での生存の両面においても、それが有効であることを示唆している例であろう。

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