【書評】半藤一利他「昭和陸海軍の失敗 彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」(文春新書)にみる日本的な組織がおちいる陥穽


 「昭和陸海軍の失敗 彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」(文春新書)を読んだ(文中敬称略)。

 文藝春秋に2007年に掲載された座談会を元に編集されたもので、参加者は、半藤一利、秦郁彦、平間洋一、保坂政康、黒野耐、戸髙一成、戸部良一、福田和也である。昭和史研究家(半藤、秦、保坂、福田)、軍事研究家(平間、戸髙、黒野)そして「失敗の本質」の著者のひとり戸部が加わっており、なかなか重厚なメンツである。

 第一部「昭和の陸軍 日本型組織の失敗」、そして、第二部「昭和の海軍 エリート集団の栄光と失墜」の二部構成からなっている。

 いずれも明治維新の勝者である長州・薩摩などの藩閥から脱却し、高等教育機関である陸軍大学校、海軍兵学校卒のエリート教育を整備しつつ近代的な組織を作り上げたはずの陸軍・海軍が、失敗の連続により1945年の敗戦を迎える。

 陸軍は藩閥人事から民主的な組織への転換に成功したともいえるが、そこには大きな別の派閥抗争(皇道派と統制派の対立)を残した。そしてこの抗争の果てに開戦時の人材として、優秀な能吏であるが、一国の指導者としては”狭い”タイプである東條英機を迎えざるを得なかった。

 陸大エリート達は政治・経済の視野が”狭い”という指摘がなされる。その理由としては陸大は本質的に参謀教育であり、指導者としての教育機関ではなかったことが挙げられている。また、参謀の暴走を許す組織的な欠陥も抱えていたとする。

 こうした状況下で「昭和の陸軍は、持久戦をやるのか、短期決戦でいくのかという戦争を基本的なポリシーを確立しないまま、昭和十六年の開戦へなだれこんでしまった。そのため戦争の末期にいたっても、玉砕覚悟の突撃と、栗林(引用者注:硫黄島の戦いの指揮官であり名将としての評価がある)のように耐えて相手の出血を強要するという戦術が混在している。これは陸軍の作戦指導が一貫していなかったことを意味しています」(p.78 黒野の発言)とされる悲劇を生んだ。

 陸軍は200万人の人間を抱え徴兵制のもとで男性は皆そこに属する可能性のある巨大な組織であった。こうした組織が藩閥人事を脱却して民主的運営を意図したが、官僚的なエリートによって結果的に道を誤らせてしまう。

 戸部は「昭和の軍隊の逆説」(p.24)と呼び、福田は「デモクラシーの軍隊が抱える矛盾を、昭和の陸軍は最後まで克服できなかった」(p.25)と指摘している。

昭和の軍隊の逆説かもしれませんね。軍隊は、その将校の出身階層が民主的になると政治的になる、という説もあるくらいです。平民出身の将校ほど天皇を持ち出して、独善的にあらぬ方向に進んでいくような印象もある。

半藤一利他「昭和陸海軍の失敗 彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」(文春新書)p.24 戸部の発言

 一方より小規模であった海軍はどうだったのか。

 陸軍と比較して小規模な組織であったが、いわゆる将校と一般兵の間の待遇差は大きく、文化としても大きく異なっていた。陸軍が民主主義的な性質を持っていたことと対照的に、海軍は階級制に基づくエリート主義が強かった。

 また日露戦争におけるバルチック艦隊撃破などの「成功体験」の過剰な評価や、そうした実践経験に基づく長老支配などが人事制度にあり、内輪意識になってしまい結果的に年功序列・内部の論理優先となったとする。

 また海軍は人員規模に比較して、戦艦をはじめとする物資などが必要であり、相応の予算を必要とする。こうした予算獲得において、陸軍と常に対抗してきた。

 いわば、過去の成功体験に縛られ、仲間意識の強い小規模な組織のため、人材の多様性が少なく硬直した人事システムになり、本来協力するべき陸軍への対抗意識(エリート意識)を常に持った組織であった。

 こうした過去の成功体験に縛られ、それに従って内部の論理が強くなることは、本書で指摘されているように、現代の会社組織などでも見受けられる。

 東郷平八郎のような”神格化された長老”や、伏見宮のような”人事権を持つ名誉職”などの例を、我々は今ここにあっても容易に想像もできてしまう。

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