【書評】楠木新「左遷論 組織の論理、個人の心理」–”個人的な経験”となる「左遷」に対する体系的な良書

 楠木新「左遷論 組織の論理、個人の心理」(中公新書)を読んだ。

 生命保険会社を定年まで勤め上げ、MBAも取得している著者によって書かれた本書は、「左遷」という概念を真正面から取り扱っている良書である。

 本書で言及されているように、「左遷」そのものは、個人的な心理、すなわち主観的な部分に多くを依存し、社会科学的に捉える客観的な事象として捨象することが困難な側面を持っている。よって、既存の経営学的な視点で取り扱いう対象として難しい。一方、小説やドラマなどでは、劇中の大きなインパクト要因(例えば主人公の受難)として使用されるが、こちらは現実との乖離が大きい。

 社会人生活、特に組織に属する個人の経験として、「左遷」(自分の望まぬ、かつ、今より待遇の悪いポジションへの異動)は、自分にも周囲にも経験がある。自分に降りかかった際にはストレスになるし、他人の人事異動は正直言って野次馬的な興味があるのは否定しがたい。本書で言及したように、電子化される前に、定期辞令が紙で各部署単位で配布された際には、その冊子が回覧されて来るのを今か今かと楽しみにしていた自分がいたのも事実である。

 本書は、こうした言及しにくい「左遷」について、コンパクトであるが体系的に記述した良書である。

 著者は人部部門のキャリアもあることから、通常伺い知ることのできない、人事部門目線での記述もある。

 たしかに人事異動の担当者の仕事は、詰まるところ空いているポストに社員を当てはめる業務であり、実際にはそれほど大きな裁量はない。また会社組織の建前としても恣意性は公式には認めないであろう。
 私が若手社員だった時には、「家を建てると転勤の辞令が出る」と社内で良く言われていたが、実際に人事部で働くようになると、それが俗説であることがよく分かった。そんな理由で異動を決定する裁量は持ち合わせていないし、人事担当者も人の子で、嫌われたくないのが本音である。

楠木新「左遷論 組織の論理、個人の心理」(中公新書)p.17

 こうした客観的な事象ではなく、主観的な事象、いわば”個人的な経験”として記述されることの多い「左遷」について、著者は更に思考を推し進めて、戦後の日本経済が保有し、高度経済成長でその優位性を獲得した人事システムについて言及する。

 新卒の一括採用により同質化した社員を一列に並べ競争させる。ピラミッド型の役職体系により、キャリアとともにポストは少なくなる。成果主義ではなく”能力平等主義”により、専門性やスキルのみを重視しない。組織内の内部序列を作る。

 こうしたシステムのもとで、誰もが読むべき均質化した「空気」を持った環境を、その構成員の同意を持って自然に作りあげてきた「共同体」意識があるとする。これは高度経済成長時代には確かに有効なスキームであった。

 このような考え方は、中根千枝「タテ社会の人間関係」(講談社現代新書)でも既に言及されている、”根強い能力平等観”による日本の社会構造が抱えている課題そのものである。

 そうした共同体の中では、構成員は排除されることを恐れ、周囲の序列を常に確認しつつ、自らを照らしてその処遇を主観的な意識=「左遷」として意識するのである。

 そして著者は、その克服もまた自己の意識にあるとする。「挫折」をある種の契機として、すなわち「価値」として認識することを提示する。

 「左遷」は、個人の中にその根拠の多くを担っている。

 個人は個人として、社内とは別に自身の「物語」を作っている。その自分の「物語」と、社会生活は矛盾することが多い。大なり小なりこうした矛盾に折り合いをつけつつ、我々は日々生きている。しかし、その個人の「物語」に社会の方から看過し得ない大きな変更を加えられたとき、それは一面として「左遷」体験となるのであろう。

 そしてそれは直接的には他者の力によって解消されることでしか解決できない構図になっているとも言える。本書でも、「40歳以降では自力による敗者復活はない」という記述がある。では他力にすがるしかないのであろうか。

 本書では、そうではないとする。

 本質的に克服することができるのも、「物語」の作者である自分以外にないのである。そうした経験は、誰しも持っている。おそらくエリートでさえも。こうしたことを読後に考えさせてくれる良書であった。

 ちなみに本書では、「左遷」の実例として、菅原道真、森鴎外などを挙げている。私としては、鄧小平をあげたい。3度の失脚、そして3度の復活。本書の記述通り、復活は自力ではなく他力である。だが、毛沢東が「あいつはまだ使える」として、粛清手前で踏みとどまった運命には、何らかのわずかな自力が見える。この点には興味があり、私自身が苦境に陥るたびにwikipediaを見て勇気づけられるのである。

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