【死して屍拾うものなし】成果主義を追求した結果、誰もやらない仕事=汚れ仕事ってあるよね

 長く仕事をやっていると、どうしても誰もやりたがらない業務、みんなが避ける業務が回ってくることがある。

 人間の心情としてスポットライトを浴びるような業務や、すぐ成果が出る業務をやりたいのは理解できる。

 成果主義がメインとなった昨今ではなおさらだ。

 ただ成果主義の悪いところは、結果として”越えられるハードル”を最初に交渉して、それを飛ぶ、という出来レースが横行してしまうことであろう。

 本来、越えられるか越えられないか、というところは成長性、伸び代を試す場面であろうが、この悪しき成果主義が加速してしまうと、まずは”越えられるハードル”を事前交渉され、その上に結果として超えられなかった場合の自己責任回避の他罰主義まで横行するのである。

 つまり「僕はこの期初目標を達成できる結果を出せました。しかしそれは外部環境のせいでそれはできなかったのです。つまり、今回の未達成は僕のせいではない。評価はAでよろしく!」という状況が生まれるのである。

 初めから失敗がわかっている業務とか、進めていくと絶対揉め事がありそうな業務は完全に誰もやりたがらない。

 素直に自動的に成果につながる仕事を欲しがる。リスクなんて取らない。

 ただそんな出来レースみたいな仕事は、いわばルーチンワークなので付加価値もないのである。

 チャレンジングな目標を立てても誰もやらない。

 結果として、コンサバな結果を集めたコンサバな組織の成果になり、最後に管理者は「なんでこんなコンサバな結果になるのだ!」と怒られる。

 だが、それはこの悪しき成果主義の必然の帰結であり、仕方ないのである。

 こんなやりすぎな成果主義が横行する中で、あえて失敗やトラブルが約束された「汚れ仕事」は誰もやりたがらないのである。いわゆる野球のお見合いのような誰も取りにいかない仕事が溢れてくるのである。

 だが、結局誰かがそれを処理しないと終わらないので、仕方なく、そうした業務が回ってくることもあるのだ。

 特に技術者は、技術に特化しているので、泥臭い労務や法務などには全くの無力であり、こうした業務が残り、誰かがやらなくてはいけなくなることが多い。結果として、貧乏くじのように誰かがやる羽目になるのである。

 そのとき、偉い人は「良きにはからえ」だし、中間管理職はババ抜きゲームであり、本社系の人々は「現場で解決してくれ」だし、最後に誰かがこうした火中の栗をあえて拾わなくてはならない。

 私もこうした「汚れ仕事」をやった経験を述べてみたい。

 だが、ここでいう「汚れ仕事」とは、総務人事がいう「汚れ仕事」とは意味を異にすることは注意を促しておきたい。彼らは、アンダーグラウンドな世界のあれやこれやなので、これは本物の世界である。

 しかし、こうした中間的な「汚れ仕事」もあるのである。

 こうした中間的な「汚れ仕事」をやるようになって実感するのは、やる側は貸しとして記憶するのだが、やらない側は目を背けるので、非対称になる。

 こちらは「貸し」と思っているのだが、相手は全く意に介していないのだ。

 まあ、本人からするとやるべきでない仕事なので、なんか”ゲテモノ食いのやつがいるな”程度の感覚なのかもしれないが、こちらも無形的でも報酬的なものがないときついのである。だが、実際はない。

 そんな私が社会人生活で経験した「汚れ仕事」を以下に列記してみる。

◆空気を読めない他組織の新参者がKY発言を連発した会議のあとで、自組織の偉い人から言われた「あいつを次回から排除しろ」→仕方ないのでその上司にネゴするが、基本的に他人の組織に手を突っ込むのはご法度なので非常に交渉が難しい。

◆トップの意思がぶれている場合、そのブレを下位層に知らせると結果的に皆二転三転になり信頼関係が薄れる場合、あえてそのトップの「ブレ」を伝えず、握り潰す。どうせもう少し時間が経てばトップの意思も変わるはずと信じて、あえて「伝えない」。いわゆる高周波成分をカットするローパスフィルタのような役割であるが、最悪、伝えなかったことに起因する責任は全部自分が負うという覚悟込みなので、その間、眠れぬ日々が続く。

◆合意ができていないが、とりあえず話だけは進めなくてはいけない場合の、その後の交渉。結果として言った言わないや、最終的に落とし所をどうするか、など長い交渉が必要になる。

◆最終的に、相手に敗北を認めてもらうためのメンツを立てるためだけの謝罪や裏工作。とりあえず「(全然そうは思っていないですけど)誤解を招いてしまい、申し訳ありません!」と謝るところから。

◆ルールは決まっているが、そのルールの運用を曖昧にした結果生まれる玉虫色な状態。結果としてどこかでそれを白黒決着させなくてはならないが、それを誰も言いたくない場合に、あえて反論や不満が返ってくることがわかって告知する役目。「ルールで決まってるから!」と言い切るしか答えはなく、妥協の余地などないのだが、それを当人にいう役目は誰もやりたがらないのである。

◆トップ同士で「決まったことだから」と呼ばれたが、実は何も決まっていないが、トップ同士で自分に都合の良いように相互解釈している業務のフロントラインにいることがわかった時。まさに板挟みである。成果を出せば、どちらかの利益に相反するし、何もしないニュートラルな回答だと自分の無能さを曝け出すというまさにチェックメイト状態である。

 結果として、若い衆からは「あの人の言うことは信用できない」と言われ、周りからは「あいつマネジメント下手くそだな」と言われ、まさに汚れ仕事。何も良いことないのである。

 まさに隠密同心「死して屍拾うものなし」(by 大江戸捜査網)の心境なのである。

 

Share

私が一番好きな田中角栄のエピソード:田中角栄「(本人を目の前にして)ヨオッ、幻の山崎首班!」→二階堂進「(血が逆流するような激しい怒り)」

 田中角栄という政治家は戦後日本を代表する政治家であった。 

 アジア的な権力者としてのスケールの大きさと同時に、綴密な施政者としての実行力も合わせ持つ、稀有な才能の持ち主であったと思う。 

 田中角栄の様々なエピソードも結構世の中に広がっており、すでに虚実混在して、古典的な小話のような趣すらある。 

 豪快なカネばらまきと庶民の心情の機微を良く理解した気配り。 

 計算能力と想像力、そして実行力。 

 まだまだその全貌を理解しきれない巨大な山脈である。 

 その一方で、惜しげもなくカネを渡すなど、現代のコンプライアンス観点からすれば、田中角栄の政治手法がそのまま通用できないことも事実である。 

 盆暮に官僚に金品をばらまく行為など、現代では内部告発されて一発アウトであろう。 

 このコンブライアンス全盛時代に田中角栄は現れないのか、現れても力を発揮できないのか、ということは常々疑問ではあった。 

 そこで、”昭和の角栄的なもの”をコンブラアイアンス全盛時代に発揮しようとすると、カネの代わりに”形のない価値のあるものをばらまく”ことしかない。

 それはイメージや雰囲気といった無形なものを大衆にばらまく「ポピュリズム」そのものであり、いわばこの現代の政治状況とは、”昭和の角栄的なもの”を否定した結果として正当に導出されたものであるということもできる。 

 カネがらみの田中角栄の”義理と人情”チックなエピソードは既に色々な書物にあり、それ自体が政治家アネクドートとなっており、もはや真偽すら定かでない。 

 そんな中で、私がもっとも好きなエピソードは「二階堂擁立劇」の際に、田中が二階堂進(当時自民党副総裁)本人に放った一言である。これは後述の通り、本人が直接回想録で証言しているので、事実であろう。

 少し前後の経緯から説明すると、1976年のロッキード事件で逮捕・起訴された田中角栄は自民党を離党する。ただしその影響力は維持どころか拡大し、その後もキングメーカー・闇将軍として隠然たる権力をもっていた。 

 三木以降の大平正芳内閣・鈴木善幸内閣・中曽根康弘内閣は、いずれも田中の強い影響力下にあった。 そして自身の復権を望む田中角栄は、自派閥である田中派からの後継総理候補を出さずにいた。自身が無罪判決を勝ち取り、再度の首相登板を望んでいたからだと言われている。

 政治権力を維持するために膨張策をとる最大派閥・田中派が、政治的な後継者を指名しないことは組織内部に矛盾を抱えつつあった。自派閥から総理総裁の後継候補を出さないことによる、派内の不満が、のちの竹下・金丸による創政会・経世会の立上げにつながり、そのストレスからか田中も脳梗塞に倒れてしまう。 

 その前後にあった政治ドラマが「二階堂擁立構想」なのである。 

 二階堂進は鹿児島県を地盤とする政治家で、田中派のNo.2にあった実力者である。

 田中も後継を狙う竹下らの動きをけん制する意味で、敢えて竹下を外した後継として「二階堂、江崎、後藤田」をあげている。

 「二階堂擁立構想」とは、1984年の中曽根の再選を阻止すべく、反主流派の福田・鈴木・三木が、野党もまじえて田中派のNo.2二階堂進(当時副総裁)を首相候補として担ぎ出そうとした政治抗争である。 

 この構想は、自己の影響力を維持することを目的とした田中の中曽根再選意思が固く、田中の支持を得られない二階堂は担がれることを断念する。 

 一種のクーデター未遂のように見えるが、二階堂進の回想やその後の二階堂自身の行動を見ても、田中に反旗を翻すという意図は小さかったといわれる。それどころか、むしろ田中への尊敬、忠誠心は明確であり、二階堂なりの田中や自民党のことを考えた筋の通った誠実な行動であったとすら思える。 

 そうした薩摩出身の一本気な二階堂と田中が、終盤に直接対話する場面がある。 

 そこで、自分のことを本気で考えてくれた”大番頭”に向かって、当の田中が放ったひとことがすごい。 

 「ヨオッ!幻の山崎首班!」 

 子供がからかいはやしたてるようなこの無神経な一言に二階堂は激怒する。そして田中と喧嘩になったといわれている。

 それはそうであろう。 

 当人にとっては、自民党の副総裁の立場と田中派の大番頭の二つの立場に引き裂かれた末に、この身を犠牲にして親分を守り、閉塞した政治状況を打開しようとした行動なのであり、あくまで田中に筋を通そうとしているにもかかわらず、太平洋戦争終戦後すぐの同様の例で、GHQの横やりで幻の首相となった山崎猛になぞられたら、たまったものではない。 

 ”お前さんはピエロだ”と言われているようなものなのである。

 冗談にも程がある、というか。

 二階堂の回想録「蘭は幽山にあり 二階堂進聞書」より引用すると、 

 田中さんは事務所で待っていた。そしていきなり「ヨオッ!幻の山崎首班!」 と冷やかすように叫んだ。そのひとことに血が逆流するような激しい怒りを覚えた。 

馬場周一郎「蘭は幽山にあり 二階堂進聞書」(西日本新聞社)p.204

 二階堂、ブチ切れである。

 これは想像だが、田中は、この無神経な発言を満面の笑みでご機嫌に言い放っていそうで、怖いのだ。

 そんなことを言われた二階堂の怒りも本物のはずで、第三者から見てもそりゃ怒るだろう、という場面である。 

 ただ、この場面、何回思い出しても笑ってしまう。 

 二階堂には申し訳ないが、この田中の稚気、無邪気さ、無神経さが、非常に良い味を出している。

 自分のことを考え、様々な人間が動き回り、そして結果的に自分や国家のことを思っている味方に対して、事件の構図が面白いからという理由だけで「幻の山崎首班!」と言いたくなって、それを抑えられずに開口一番、本人を目の前にして、やっぱり言ってしまうという素直な人間性。

 しかも自分のもっとも身近なNo.2の存在に対して言い放つ無神経さ。 

 だが、その二階堂じしんも議員引退後に残した前掲書でも、そんな激烈な怒りを表明しておきながら、田中への尊敬は一貫して揺らいでいないのである。

 田中の無垢の人間性が出たすばらしいエピソードだと思う。 

 石原慎太郎「天才」(幻冬舎)では、これを鈴木善幸に対して発言したように記述しているが、本人である二階堂が証言しているように、これは本人に思いっきりぶつけているのである。

 石原慎太郎が「天才」で”憑依して”語る田中角栄は、やはり石原のもつインテリジェンスに削ぎ取られ、極めて達観された観点で語られてしまっている。

 石原の描く田中角栄像は、残念ながら田中角栄のもつ一面、氷山の一角に過ぎないと思わせる。

 この「天才」の読後感にもつ不思議な欠落感、何か言い切れていなさ、歯痒さの意味とは、田中のこうした恐るべきパーソナリティは石原のもつインテリジェンスの側面からは決して還元できない複雑な要素、すなわち<根源的な大衆性>を有していたことによるものと思わせる。

 保坂正康「続 昭和の怪物七つの謎」(講談社現代新書)において、”田中角栄は自覚せざる社会主義者であった”という刺激的な仮説がある。

 これは田中の人間性を語る意味で、非常に重要な指摘であった。

 首相時代の田中による内奏後に、あの昭和天皇が茫然として混乱していた、というエピソードである。通常は形式的・儀礼的なやりとりになるはずの内奏で、田中は、選挙民=庶民にそうするように昭和天皇に対しても、いつものパターンで”演説をぶっていた”節があるのだ。

 この意味で、田中角栄は、明治以降の近代天皇制の呪縛からも自由になったおそらく初の政治家ともいえ、その存在感は今なお際立つのである。 

Share

謹賀新年2021年!予測不可能なカオスな状況で如何にして目標管理をすれば良いのだろうか?

 2021年である。

 昨年の年初も「大変な一年」と書いたが、結果、新型コロナのせいで予想だにしなかった大変さであった。

 コロナは収束の兆しを見せないし、ビジネス環境はますます不透明さを増している。

 酒量だけが増えている困った状況である。

 これだけ環境が不透明な状況になってくると、目標もへったくれもない訳で、目標自体が時事刻々、フレキシブルに変化していくような対応を求められる。

 従来まで行われてきた成果主義だと、目標を設定して、そこに向けての達成状況管理が行われるが、コロナ以降の環境の非線形性というか時定数の速さにこれまでの目標管理システムは通用しなくなる。少なくとも昨年に関してはそうだった。

 結局未然防止というかリスク管理、危機管理と言っても、ある程度既存のパラダイムの中で予測されたリスクに対しての備えであって、想定外の事象にはあまり役に立たない。

 こんなカオスな(数学的な意味で)状況において、我々自身も臨機応変というかアジャイルというか、一歩間違うと非難轟々の「行き当たりばったりの無計画」に陥るような綱渡りの対応、いわば”無管理の管理”といった禅問答の世界を目指すことになりそうだ。

 そんな悩みを抱えつつ、2021年も無事生きていくしかない。

Share