【書評】門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」福島原発事故のフロントライン、中操(中央制御室)のオペレータたちの姿を描く


 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」(PHP)を読んだ。(文中敬称略)

 福島第一原発事故において、事故発生から現在に至るまで次第に情報が出てきたものの、現場の最前線の声というものはあまり明らかになってこなかった。

 本書は、当時の所長・吉田昌郎だけでなく、もっとも最前線にあった中操(中央制御室)における現場オペレータたちの声や行動を丁寧に拾っている貴重な書となっている。

 以前の記事(フロントライン・シンドロームと兵站の問題)で、事故当時の福島第一原発では2つの「現場」いわゆるフロントラインがあったことを述べた。東京の東電本店とTV会議ができた「免震重要棟」(所長の吉田はここに詰めていた)と、オペレータたちのいた「中操(中央制御室)」である。

 ベントや冷却水注入などの重要判断があったが、その具体的な実行自体はこの1号機と2号機の間にある中操(中央制御室)に詰めていた、多くは地元出身のオペレータたちが行っていた。

 各種運転操作の実行だけでなく、電源喪失によりプラントの数値(パラメータ)を中央監視することもできず、次第に上昇する放射線環境下の中で、時には現場(機側)で計器を目測していたのも彼らなのである。

 原発事故の推移は、既に多くが明らかになっているように、津波の襲来により非常用電源(自家発電)であるディーゼル発電機が水没したことで全電源喪失の状況に陥った。そして大震災の影響によりインフラが途絶した状況で、冷却作業も虚しく、結果的に核燃料の溶融・漏洩に至った。

 そうした危機的状況が進行していく中、それでも、最も正確な情報が存在したのは最前線の中操(中央制御室)であった。

 非常に極限的環境において、彼らが自らの判断・責任でこのプラントの危機を回避した行為は良く理解できる。そして漏洩する放射線量が増えてくる中で、戦時中の特攻ではないが、個人への犠牲を強いるような場面すら生み出された。

 前記事で記載したように、フロントラインへの補給線は細く脆弱であった。トイレも流せず、食事や休息もまともにできない。彼らは使命感を持ち行動しているが、次第に疲弊していく。そして、次第に様々な事情を抱え、公私や義務といった”究極の判断”を迫られることになってしまう。

 本書では、こうしたフロントラインへの介入として、当時の首相・菅直人の訪問エピソードが否定的に描かれている。確かにこの行動自体には私自身も否定的な感想はある。しかし、こうした「補給線」の観点からは、若干やむを得ない部分もあるのではないかと思っている。

 事故当時の「戦線」は簡略化すると以下のような直線的な構造になっていた。

 プラント-中操(オペレータ)-免震重要棟(吉田)-東電本店-官邸

 この直線的なラインでは、情報の流れ自体と、物理的な補給線、双方の帯域(回線の太さ、流量)が細い状態であった。要するに”伸び切った補給線”となっていたことは厳然たる事実であろう。

 正しい情報は停滞し、その量は少なく、大きな時定数をもつ。

 そして現場から遠ざかるごとに、情報の不正確性は増し、その一方で関係者(専門家)の数は増えるという矛盾。

 従って、官邸では、「不確定な情報で専門的判定を元に重要な政治判断をしなくてはいけない」という状況に追い込まれたともいえ、それが首相の訪問の動機の一つになったことは本書でも菅直人が発言している。

 トップが現場に行って情報を取るような状況を作り出した責任は誰にあるのか、という議論はさておき、その動機自体は(微妙だが)それはそれとして正当な一面を持っていると私は考える。

 ただ、結果的に皮肉なことは、冷却水注入にせよ、ベントにせよ、その個別「判断」自体は、結局のところその段階でベストな解であった。つまり、こうした「東京」からの介入は結果的に”正解”にたどり着いている現場にとっては、首相の現場視察は、実行を遅らせる時間のロスにしかならなかった、という事実は動かし難い。

 確かに意思決定の責任はある。現場の独走は戒めるべきであろう。

 一般的にこうした状況の下では、正確な情報量が多い現場の判断が、より正しい解に近づけるのは自然なことである。それをこうした長大な情報ラインがその意思決定を無駄に遅滞させるという結果を招くという皮肉。太平洋戦争の日本軍の失敗と全く同様の構図に思える。

 かつてのJCOの臨界事故でもあったように、原子力事業者がこれまでの原子力行政との関係性から、事業者としての当事者意識が希薄な半官的な組織体質であったこともその一因であろう。

 加えて、そうした原子力行政を過去に推進し、パイプやそのヌエのような組織の「使い方」を熟知していたであろう自民党が下野し、民主党政権になっていたことも混乱の一因であった。

 福島原発の事故の教訓として、こうした危機管理において、サイバー(情報)・フィジカル(物資)を双方向的に補給する技術が求められているのではないか。

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