【レトロ自販機】コロナ後の混乱の中で、国道4号線沿いにある大田原市の無人レトロ自販機コーナーで落ち着く

 先日業務で、朝から国道4号線を歩いていた。正直、コロナも落ち着き元の生活に戻ってきているような雰囲気はあるが、出張事情は確実に「昔と違う」のである。

 なぜだろう、ビジネスホテルの予約状況が明らかにおかしいのである。要するに「取りにくい」。コロナ前も外国人観光客需要で予約が取れない状況はあったが、今回はそれより明らかに予約が取りにくい状況になっている肌感覚がある。ただ、その一方で「本当にかつてのコロナ前の状況と同様に宿泊客が押し寄せているのか?」という点にも少々疑問がある。

 それほど人手はコロナ前まで戻っていないようなのに、ビジネスホテルの予約は確実に取りにくい。これは一体なんなんだろう。

 とはいえ、そんなこともあり、非常に辺鄙なビジネスホテルに宿泊し、徒歩で出張先に向かっていた時に、なんとなく昔の駄菓子屋っぽい雰囲気の建物があるのに気づく。

 どうやらWebで調べると、この店は「ゲーム24SAITO石上店」というらしい。

 確かに国道4号線はビンビュンと大型トラックが通過し、店やコンビニも大型駐車場を用意していることもあり、こうした無人自動販売機のニーズもあるのかもしれない。

 私は出勤途中の、かつ、徒歩で、ターゲットではないが入ってみる。

 こんな感じで休憩スペース、自動販売機、ゲーム機となったスロットがある。

 タバコの自動販売機などもあり、演歌歌手のポスターと合わせレトロ感が高まる。

 とはいえ時間は朝7時。客はゼロである。ただ、ゴーストタウン感もなく、意外と室内は綺麗であり、現役の店舗である。

 コロナ後のカオスな雰囲気で彷徨い、時間が止まったようなこの空間に迷い込んだが、なぜか少し落ち着くことができた。むしろ、コロナの混乱とは無関係の歴史の雰囲気が、私を落ち着かせてくれたのだろうか。

 ちなみにその後の仕事は失敗に終わったが。

Share

【書評】谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』23巻–真子さんの百合要素が発動する

 【書評】谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』23巻を読んだ。

 3年の文化祭準備がまだ続いている。既に20巻付近から続いているが、もこっちを中心とした心地良い(?)ワールドの”終わってほしくない準備期間”という感じで、面白い。

 当初もこっちが一人で持っていた”ぼっち”要素は、孤高の陰キャ的な部分は田村さんに、もう少しスクールカースト的な泥臭い部分は、キバ子とサチの関係へ、変態部分は小宮山さんに、オタクのテクニカルな要素は二木さんへとそれぞれ分化させることで、より深みが増したように思える。

 映画撮影では孤高キャラの後継者である田村さんの、ある特定な部分に拘りを見せる”その筋的な人”感がよく出ている。

 ただ、今回面白かったのは、田村さんの”お世話係”(というか裏回し?)である真子さんの百合要素である。

 かつて勘違いにより”女子トイレ個室監禁事件”を起こしたが、あれは誤解によるもので実際のキャラではなかったはずなのだが、結果的に本物感が出てきている。

 第11巻の女子トイレへ押し入ってきて詰め寄るシーン。この時は修学旅行から重ねたトラブルに起因する思い込みによるものでヘテロっぽい雰囲気だったけど・・・

Share

【ラーメン】南草津駅「加藤屋 にぼ次朗」で、煮干したっぷりラーメンをいただく

 琵琶湖線の南草津駅で晩ごはんを食べる必要に迫られた。駅近にはあまり一人で入りやすいお店はないので、国道1号線沿いまで少し歩く。国道沿いには結構店があるので、選択肢が増えるのだ。

 煮干しラーメン、という「にぼ次朗」に入店。麺レベルも変化できるようだが、ここでは最初もあり普通サイズで。

 やってきたのはこんな感じ。煮干しが頂上に見えるが、下部構造はもやしや野菜など多めでちょっと二郎系っぽい。スープも透明系である。

 煮干しがなかなかの存在感。

 食すと、太麺ではあるものの、やはり煮干し風味が効いていて、それほど二郎っぽくはなく、全くのオリジナルである。美味かった。

Share

ソーメンへの中毒性のある”あの黒い粉”=「黒七味」で有名な「原了郭 京都駅店」で「祇園レッド」

 年齢を重ねるにつれて、あれほど子供の頃は「好きでも嫌いでもない」代表格だったソーメンが好きになっていくのは何故だろう。

 最近は変化もトライしたくなり、めんつゆの代わりに、トマトジュース+めんつゆや、シーチキン+めんつゆなどの変化球も試している。

 そんな中で薬味も重要であり、正統なものとしてはやはり「七味」である。

 先日京都方面へ出張した際に、知人から「原了郭の黒七味を買ってきてほしい」と依頼を受けた。自分用に京都駅新幹線構内の土産屋で購入して、ソーメンに使ってみると、香ばしく非常に旨い。なんとなくだが、無いと物足りなくなる感じなのである。以前は「食べるラー油」が良いと思っていたが、やはりシンプルな方がソーメンにはあうような気がする。

 そんな折に、別の機会で京都駅で降り立ち、改札を出て歩いていると、こんな店を発見。

 麺類を出している店なのである。そしてスパイスも7種類が用意されている。

 今回は「祇園レッド」990円という辛めのラーメンをチョイス。

 既に2種類の香味が入っている状態。なかなかの辛さであるが、美味かった。

 京都ラーメンも良いが、この手のスパイス系ラーメンもなかなか面白い。

Share

一人飲みでも問題なし!鶴見駅の大衆居酒屋「大鶴見」でホッピーが進む

 先日JR鶴見駅方面で酒場を一人探していた。時間は16時。立ち飲みも良いが、座り呑みもたまにはしたい。そんな中見つけたのが、この「大鶴見」である。ビルの地下に広がる広い空間で、一人でも問題なく飲み食いできそう。メニューも異常に豊富である。

 ホッピーセットの白を注文。600円である。こんな感じで、氷まで含めたセットでやってきた。

 つまみはまず黒板にもあった「季節のおひたし」400円。ゴーヤとししとうであった。

 刺身3点盛り620円。ハマチ、マグロ、タイがやってきた。

 こんな感じでホッピーが進んでいく。続いてレバーペースト320円を注文。うまい。

 そしてもつ煮込みの赤420円に、玉子120円をプラス。これも鶴見の雰囲気があり非常にうまい。

 さすが人気店。時間が進むとどんどん混んできて賑やかになっていくが、メニューが豊富でもあり、こんな感じで一人飲みでも問題なく酒が進んで、すっかりベロベロなのである。

Share

東神奈川駅の立食い蕎麦屋・日栄軒の名物ドデカ「穴子天そば」

 先日横浜方面へ出張があり、東神奈川駅に朝早めの時間帯に降り立った。乗り換え駅としてはヘビーに使っていたが、ここで降り立つのは久しぶりである。

 遅めの朝食を食べようと階段裏にある立ち食い蕎麦屋「日栄軒」へ。乗り換えの際にはあまり立ち寄れず、コロナ対応もあって店内も4人入ればいっぱいのため機会を逃し続け、今回が初入店である。

 ここは「穴子天そば」が、その”どんぶりをはみ出す勢い”で有名な店であり。私もせっかくなのでそれを注文した。600円。まあ、そこそこ高い。

 そしてドーンとやってきたのがこれ。なかなかのサイズ。

 少々衣が自己主張しすぎな気もするが、濃いめの関東風つゆに合う感じで、うまい。また蕎麦には「柚子」も入っており、これもなかなかいける。

Share

業務の棚卸をして業務の引き算をさせて部下の思考する時間を増やそうと思ったら、業務を極限まで引き伸ばす”金箔職人”あるいは”ピザ職人”を誕生させてしまった

ロジカルな思考を体得することは、人によっては意外と難しいもののようだ。労働集約あるいは役務提供的でない「知的」業務においては、与えられた前提条件から分析や調査を行い、ロジックを作り出すことが求められる。

これが意外なことに、人によっては非常に難しいことのようなのである。

 単純に例えると、「炭素と酸素を反応させたら二酸化炭素ができる」という言い方がある。これは「炭素と酸素を反応させたら一酸化炭素ができる」という言い方もある。しかし「炭素と酸素を反応させたら、水素ができる」というのは誤りである。

求めているのは、炭素と酸素を使って、何ができるかを何パターンか考えること。そして、その先には、より効果が高い生成物はどっちなのか?という議論をしたい。だが、そうした議論を求めているコミュニティのルールを無視して(ここでは自然科学を無視して)一人だけ「いや、水素もできるかもしれないのでは?」とか「さらに、臭素もできるかもしれない」とか、さらには「私の考える未知の分子ができる」といういわば思いつきを、ひたすら考えてしまう人もいるのである(なお、この例えは”実は核種転換ができるのでは”といったルール自体をメタ的に考えることも許容すべきという反論がありそうだが、ここではロジックの例えとして化学反応を挙げただけなので注意されたい)

そして、その人たちへの説得は非常に難しい。本人も、自身のアウトプットが求めるものと異なると繰り返し注意され、肝心の求められているものをいつまでも提供できず困っているし、マネジメント側も彼らにどのような形で指示してもルールが理解されないことで消耗する。このような場合、結局は「本人の適性」のような言葉で「交代させるか」と片づけられてしまうことが多いのではないか。

今回はこうしたマネージャと部下が、求められるものと提供するもののミスマッチを起こした場合に陥る一つの事例を挙げてみたい。

 それは「部下が業務に煮詰まっていると判断して、業務量を削減して思考する時間を増やそうとしても、アウトプットの質の上昇にはつながらない」ということである。

これは「業務量をこなすことで質が上がる」という経験則と反する(いわゆる量から質への転換)。

もちろん全ての事例がそうではないが、マネジメントの立場でこうした「思考の業務」「ロジックの注文」に対して煮詰まっている部下に対峙し、その課題を分析すると

 ①業務量が多い

 ②業務量の中身に占める、正味の思考する時間が少なく、雑務のような役務が多い

という要因に帰着することが多い。つまり「正味思考時間の不足」が原因でアウトプットが出ないと両者で合意するケースがある。

それが多くの場合で誤った判断になり”金箔職人”、”ピザ職人”とあだ名されるサラリーマンを生み出していることを提言したい。

ここで言うマネジメントの本質的な誤りとは何か。

悩んでいる人は思考時間が不足してアウトプットが出ないというケースは実は少ない、ということである。

多くのケースでは深層心理的に、思考より役務の方を優先したくなるというバイアスが働く。つまり頭を働かすことより、体を動かした方が、仕事をした感は高く感じるのは人間の感覚として間違いとはいえない。しかし、その前提を自覚せぬまま、業務負荷を削減して空き時間を増やしたとしても、当事者はその空いた時間に思考時間を増やすとは限らないのである。

その結果、いくらマネージャが部下の業務を棚卸しして負荷を低減してあげても、一向に業務の質は変わらないという事象が発生する。いわば、ムダ取りをして確保した時間に、またムダな業務を入れてしまうのだ。

 しかし、それでも根気よく部下の業務の引き算を続けていくことで、ついにはほとんど雑用や役務業務がなくなるに近い状態にまで持っていくケースもある。

 そうすればようやく質が上がるのかというと、否である。

今度は「あえて役務を引き寄せてくる」という現象が起こる。進んで役務をもらってきてしまい、やはり「思考する時間が増えない」ように見えるのだ。

さらに業務を強力にグリップして、「他はやらんでいい、頼むからこれだけをやってくれ」という純度100%な状態、つまり部下に対して思考時間を100%に近づけた場合、どうなるか。

 今度はその業務を引き伸ばし始めるのである。

このあたりから”ピザ職人”のような生地を伸ばして、いわばわずかに残る小さい業務を薄く長く引き伸ばす行為になってくる。本人も気づいていないが、思考する業務の中の役務的要素(調査とか)を引き伸ばすようになるのである。

 それをさらに極限まで押し進めると、もはや職人の域に達し、常識では瞬時に終わりそうな業務を徹底的に引き伸ばしている金箔職人が誕生してしまうのである。決定せず意見集約を引きずる行為や、ダラダラとして調査名目で時間を引き伸ばす。そしてやはり本質的な思考の時間は短いままで、質の向上にはつながらないのである。

これはマネジメントの問題であり、本質的には「思考のやり方」を教えるべきであり、業務量配分というマネジメントに解釈してしまったことが誤りなのであろう。しかし、パッとみた感じでは「うーん、これじゃ論理的につながらないよね?なんで?」→「時間がなくて」→「じゃあ、少し業務配分を考えるか」という一見、間違っていないような交渉になっている。

「時間がなくて」という言い訳は非常に便利である。優先順位をつけろ、という議論を回避して、「時間がなくて」=「時間さえあれば目的のものはできる」という前提がある印象を与えるからだ。実は、その前提は既に崩れており、そのことにマネジメント側が気づいていない場合”金箔職人”を産んでしまうのであろう。

そして冒頭に戻るが、この前提とは何か。

要するに「アウトプットはロジカルであること」である。

論理的思考というものは敢えて言わずとも、無言の前提と考えられがちであるが、実は多くの人間においてそうではない。数打ちゃ当たる方式の思考をしている人間は実は多い。これは試行回数=時間に比例するので、確かにアウトプットの質が悪いことの言い訳としては「時間がない」のは正しいのである。弾を打つ時間が足りないということだ。しかし、本来論理的思考をこのスタイルで実行するのは無理があるし、そこには応用性も拡張性もない。論理的な導出プロセスも顕在化されない。つまり仮に当たりが出たとしても、本人もその導出過程を説明できないし次に活かせないのである。

昨今は、ホワイトカラーの生産性向上と叫ばれているが、ホワイトカラーであるからこそ役務提供=労働集約的な業務をしていない、とは限らないのである。実は脳みその中で、労働集約型の思考をしている人々は多くいる。この転換を図らない限り、それこそ「知的労働っぽい労働集約作業」としてAIに奪われる業務になってしまうであろう。

Share

【琵琶湖畔の道の駅巡り⑦】「道の駅 琵琶湖大橋米プラザ」で”飛び出し坊や”グッズをゲット

 琵琶湖大橋の湖北側にある「道の駅 琵琶湖大橋米プラザ」にやってきた。ここは湖畔にも出れるし、なかなかのレイクビューである。

 米プラザとあるように、近江は近江米という米どころでもある。琵琶湖の幸もあり、やはり「豊かな」土地なのであろう。

 そしてここで購入したのは、これも滋賀県の名物「飛び出し坊や」グッズである。この通学路でお馴染みのキャラはどうやら滋賀県発祥らしい。実際に、滋賀県の町を歩くと、かなりの確率で「飛び出し坊や」がいる。

 しかもさまざまなバリエーションがあったり、老朽化した怖い坊やもいたりする。

 クリアファイルと車内に設置する「エアフレッシュナー」を買ってみた。本名は「とび太」というの?

 いくつか滋賀県で見かけた「飛び出し坊や」。やはり年季が入っている。

とにかく滋賀県には「飛び出し坊や」進出率と、アレンジ率が多い。

 こんなメロンパンバージョンの女の子もあった。

 さらには膳所駅周辺では

こんな「滋賀レイクス」バージョンの坊やも。

Share

【琵琶湖畔の道の駅巡り⑥】「道の駅 藤樹の里あどがわ」で1食サイズ鮒寿司

 高島市にある「藤樹の里あどがわ」へ。安曇川=あどがわである。読めない。

 江戸時代の陽明学者、中江藤樹にちなんだネーミング。不勉強だが、陽明学は大塩の乱を起こした大塩平八郎が影響を受けた思想でもあり、ちょっとした窮民救済思想というか社会主義的な部分があるように思っている。近江商人の三方よし、も現代的にいうと、富を一部の資本家に集中させるような一人勝ちを否定して、社会に分配するSDGs的な考え方に近い。

 やはり琵琶湖周辺にはそうした文化があるのだろうか。

 という妄想はさておき、ここで購入したのは、鮒寿司のお茶漬けセットである。1食分の量で、ティーバッグも付いている。

 まさにこれをそのままご飯にかけても良いし、このままお吸い物にしても良い。なかなか良いコンセプトである。

Share

【琵琶湖畔の道の駅巡り⑤】「道の駅 浅井三姉妹の里」で、ジャンクな雰囲気の激ウマ「サラダパン」(つるやパン)

 北近江の戦国大名、織田信長と敵対して滅ぼされた浅井長政の三姉妹(長女は豊臣秀吉の側室、茶々)の銅像がある「道の駅 浅井三姉妹の里」(長浜市)にやってきた。

 やはり琵琶湖の幸が大量にある。

 ここで購入したのは「サラダパン」。山盛りであった。単なるコッペパンのようにも見えるが、これはタクアン+マヨネーズが挟まれているご当地グルメなのである。長浜市の「つるやパン」が発明したソウルフードであるが、特に関東ではあまり知られていない。

 早速1つ食べてみた。マヨネーズとタクアンがパンとあい、ハイボールのつまみにもなる。なかなかジャンクな感じで、気に入ったのであった。

Share