できない言訳だけが上手くなって

仕事はどうしても景気に左右される宿命にある。

設備投資は景気を測るバロメーターのようで、どうしても景気が悪く自社の経営数値が悪いときには、設備投資などは減価償却費の枠内に抑えて、といった形で縮小することになりがちだ。

ただ、将来に向けての投資については、景気や自社の経営とは無関係に「やるべきときに速やかにやる」という意思決定が必要なのではないかと思う。

近頃は昔より、景気や顧客の判断が急激に変化するようになった気がする。突然、生産計画を急激に変化させることが求められるようになったり、急に品種を切り替えてみたりと。

内部の生産性が旧態然としたまま、急激に増産が必要になって追いつかず、思うような成果が得られないことがある。折角の生産量増大なのに、うまく生産性が上がらず、成果の刈り取りができない。機会損失にもつながる。まずい。どうしてこんなチャンスに利益があげられないんだ・・・。

そんな場合の言訳として、”忙しくて改善に手が回らない”というものがある。

でも、こういう言訳はあまり信用できない。

なぜなら、この手の安易な言訳をする人は、逆に暇だった時期には、”お金がないので改善に手が回らない”という言い訳をしているはずだからだ。

-暇なときはお金がないからできない

-忙しいときは人がいないからできない

なんのことはない、どのみちやる気がないということを吐露しているに過ぎないのだ。


「で、こんな訳のわからないレポートを読ませて、何が言いたい訳?」

私「だから、今説明したでしょう。給料が少ないとか、家計が厳しいとか、そんな外部環境は言い訳にならなくて、やりたい時がやり時ってこと。だから、買っていい?一眼レフ」

「却下」

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竹下登のズンドコ節は何かリズムがおかしい

権力の源泉ってなんだろう

 私は政治にはあまり興味がない(しれっと)が、”政治家”には興味がある。好き嫌いは抜きにして、小沢一郎の波乱の政治人生は結構ウォッチしてたりする。

 政治家の何に引っかかるかということを考えてみると、最終的には「他人を従わせる”権力”の源泉はどこにあるのか」という疑問なのかと思う。

報酬関係-見返り-による組織制御

 派閥を作り、金を集め、子分に配る。ポストの面倒を見てやる。色々な便宜を図ってやる、など、平たく言えば金を持っている奴が、見返りとして他人を従わせる力を持つという世界は確かにありそうだ。

 派閥的な力が弱くとも大衆からの人気があってトップに立つ場合もあって、こうした人たちは金や組織がなくても権力を行使できそうだが、これも”選挙で勝たせる”という報酬との交換がありそうだ。

会社の組織

 では会社組織はどうか。会社組織はその組織が階層的になっているので、上下関係(人事権)は明快だ。さらに予算もその組織ごとにつくので、予算を掌握し、人事権を持ったものに権力がある、これは間違いないだろう。

 そこにはこの人に従えば良い地位を得られる、給料が上がる、逆に従わないと罰がある、といった報酬関係がありそうだ。

でも、報酬関係だけで、従っているのか?

 我々のような個人であっても、様々な場面で、例えば業務上の規定に寄って、上司から部下への指示があり、基本的にこれに従っている。従わない場合でも、その行動自体に大きなストレスを受ける。

 ただ、その行動の強制力の源泉とは、報酬関係だけなのだろうか。金や地位の引き換え(罰への恐怖)だけのためにしては、従わなくてはならない行動のリスクが大き過ぎる、という場合はないだろうか。

 個人と組織は本質的に非対称な関係にあるのだから、常にこうした状況は程度の違いによって普遍的に起こりうるように思える。時には、個人の様々なプライベートや大事なものを犠牲にしてまで、従わなくてはいけない権力あるいは権力の形をしたものが存在しているようだ。

 では、何か根源的な肉体的恐怖、相手が単純に”強い”から、人は従っているのだろうか。

強くなくても従わせる場合もある

 晩年の毛沢東のように、体の自由を失って僅かに意思疎通ができるような状態においても最高権力を掌握する事例もある(注)。

 もはや人工呼吸器で生命をつなぎとめているだけの、自分の意思では指ひとつ動かせないが、存在していることだけでも権力を維持できる仕組みがあるのだろうか。

 つまり、肉体的な強靭さと権力は無関係なのだろうか。

最高権力者でも組織を制御できない例もある

 また、組織を動かすこと自体は、必ずしも最上位の権力者の自由にはなっていないことも多くある。かつての東芝の西田会長(当時)退任時に、西田会長(当時)は佐々木社長(当時)に対して完全に権力を行使できていたとは言い難かった。

 参考記事:【書評】大鹿靖明「東芝の悲劇」(幻冬舎)に見る、最後まで人間に残る”名誉欲”という宿痾

 また、ちょっと例は違うが、福島第一原発事故の際の菅首相(当時)をはじめとする首相官邸は、民間会社だがほぼ独占企業である東京電力を制御できず、全く統制が取れていなかった。

 参考記事:フロントライン・シンドロームと兵站の問題

 参考記事:【書評】新刊『福島第一原発1号機冷却「失敗の本質」』に見る連鎖複合事故におけるマネジメントの困難さ

 つまり権力を行使すること自体も非常に難しい。直属の部下であっても、自分の意思で動かすことができないこともある、ということだ。

竹下登=”怒らない権力者”という怖さ

 そこで表題の竹下登元首相に戻る。田中角栄や小沢一郎のようなどちらかというと強面系、親分系のリーダーではないが、田中角栄が倒れた後に、長く権力の座にあった。そして一般的にその政治手法は田中とは異なり調整系、気配りでなされていたと言われている。私の印象では、竹下登の風貌やその所作には”強さ”は見られず、ひたすら総意をまとめ合意に導く調整型政治家に見えた。

 そしてそうしたソフトなスタイルでありながら、決して周りから消去法的に推された訳ではなく、自らの意志で最高権力者に上り詰めたことに対して、疑問が最後まで残っていた。

 言うなれば、強さを全面に出さないような態度で、本当に権力を掌握、維持することは可能なのだろうか。他人に恐怖感も与えずに、相手を自分の意思に従わせることはできるのだろうか。

 その後読んだ、岩瀬達哉『われ万死に値す ドキュメント竹下登』(新潮社)によれば、やはり実際の竹下にはその風貌とは異なり、もっとドロドロとした野望があり、またその”怒り”を前面に出さない理由が、その竹下の経歴の中に隠されていることがわかった。

 実際の場面で竹下が、他人に対して強制力を行使する場面はどうだったのだろうか。その風貌が温厚に見えるが故に、そこに底知れない恐怖がある。

 関連記事:【書評】C”調整型”政治家の裏の一面にある”凄み”

もうひとつの謎 ズンドコ節

 これはどうでもいい話だが、岩瀬前掲書によれば竹下は、宴会の余興で「ズンドコ節」の替え歌を歌っていたらしい。いわゆる”10年経ったら竹下さん”というフレーズが有名で、Wikipediaにも歌詞は乗っている。

 これがものすごく語呂が悪い。「ズンドコ節」は「海軍小唄」として知られた歌だが、最初のフレーズから、

”汽車の窓から 手を握り”(海軍小唄)

”講話の条約 吉田で暮れて”(替え歌;岩瀬前掲書p.112)

 となって、「海軍小唄」が音韻で7-5-7-5-7-5で進行するのに、替え歌は8-7-7-7-7-7という全くの無視した進行。歌うのも大変だと思うのだけど、本当にこれは歌われたのだろうか?

 ちなみに大下英治「田中角栄 権力の源泉」(イースト新書)では歌詞が異なっている。田中角栄に反旗を翻した創生会旗揚げの際に、あろうことか角栄の前で歌ったとされる、上記の最初のフレーズは

”佐藤政権 安定成長”(大下 p.422)

 であるとする。しかし、 やはりリズム(文字数)はおかしいのは変わらない。なお、岡崎守恭「自民党秘史 過ぎ去りし政治家の面影」(講談社現代新書)では、岩瀬前掲書と同様「講和の条約 吉田で暮れて」(p.34)である。

謎だ。

注:小長谷正明『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足 神経内科から見た20世紀』(中公新書)に詳しい。

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