【町内会】どんど焼(左義長)のヤグラ造りで消耗(追記あり)

夏祭りに次ぐ町内会イベント「どんど焼」(いわゆる左義長)である。

我が町内会でも恒例行事であり、なかなかの準備が必要になっている。

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この寒い中、またまた肉体労働、そして今回は大規模焚き火に加え風が吹くことによる周囲への洗濯物への影響などもあり、事前の地元への折衝などもあり、意外と面倒くさい。

本日朝から準備をし、ようやく点火準備が整った。

町内会に呼びかけ、多くの枝を集め、しめ縄やダルマやお札などをセット。

なんだかんだで2時間かかった。竹に支えたダルマのおかげで、なかなかのスケール感がある。

青空を見つめるダルマの風景。

どんど焼

彼岸見つめる

ダルマかな

【追記】

14:30に点火。あっという間であった。最近は焚き火もできないので、なかなか興奮する。

燠火になったところで団子を焼いていただく。

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【衰退する町内会】共同作業:広場の草取りと市発注業者の不経済な共存

町内会の班長という雑用をやって、夏祭りの試練を超えてようやくしばらく楽になるのかと期待していたら、そんなことは全く無かった。

町内会の夏祭りが終了したのちには、

  • 近くの神社の例大祭(これは町内会と分離されている模様)の山車巡行の手伝い

 詳しくは→
   悲しみのお盆休み終了と、最後に町内会の作業で苦しむ

  • 地域の総合防災訓練の参加(各町内会で10名ずつ出すというノルマ)

大規模な訓練で、医者、看護師、薬剤師、整復師などと一緒に救護訓練に参加した。トリアージの訓練で、これはこれでなかなか意義があるものであった。

  • 町内会館の清掃
  • 広場の草むしり(後述)
  • 敬老の日のお祝い対象者の集計と配布

75歳以上には赤飯が配られる。その配布も班長の役目らしい。しかも信じられないことに賞味期限は1日。朝10:00に受け取って当日中に配布するため駆けずりまわるが、当然その日に不在の人もいる。だいたい、”賞味期限が当日しかない、消化に必ずしもよろしくないもの”を配布するって敬老精神にとっていかがなものなのだろうか。これで食中毒だの、消化不良だのとなったら、誰が責任を取るのであろうか。配布した私も連座させられるであろうか。とんでもなくリスキーな行事である。

なんだかんだで、ほぼ毎週休みが1日潰れている。

高齢化の煽りで町内会からどんどん脱退者は出ており、新しくきた住民は入会しないしで、なんか組織としては瀕死の重症状態である。

いよいよやばい。

そんなこんなで先日思うことがあった。

2ヶ月に1回、班を決めて、広場の草むしりをやるのであるが、これは結構負担なのである。ところが、ある日、広場の横を平日に歩いていると、専門業者が入って除草をしていた。機械を使って本格的な作業である。

え?業者がやってくれるようになったの?

結論から言うと、ぬか喜びであった。

聞くと、以前からの良く理解できないしがらみで、以下のような受け持ちエリアが決まっており、市から依頼された業者は、特定のエリアしかやらないのだそうだ。

でも、普通に思うのだが、これって少し市がお金を払えば、我々のエリアもやってくれるのではなかろうか。どうせ除草作業自体は赤エリアで毎回実施するのだから、単純に除草面積が広がるだけで、それほど大きなコストアップにならないのではないか。

そもそも上の図にあるように、広場を拡張する際に、全体を舗装すればこんな草むしり自体が不要になったはずで、何か連携の悪さを感じ、そうしたしわ寄せがこの非効率な状態を生み出しているように思えるのである。

だいたい、町内会で15人が3時間、それを2ヶ月に1回やっている訳で、参加人数は年々減少している。これこそ住民サービスで、市の業者に依頼してしまうことはできないのだろうか。と言うか誰もそれを提起している節がないのは何故であろうか。

そのうち、結果的に破綻することは目に見えているのに。少子高齢化の影響は現実に進んでいる、その中で町内会はいよいよ瀕死の状態である。

ある種の日本の構図を見ているようで、暗澹たる気分になっている。

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悲しみのお盆休み終了と、最後に町内会の作業で苦しむ

ついにお盆休みも終了である。

あとはのんびりと過ごしたいが、そうもいかない事情があるのである。

それは、町内会の作業であり、本日は近くの神社の例大祭があり、我が町内会も労働力を提供しなくてはいけない。

具体的には山車巡行の途中での接待の役割がある。

テントを設営し、冷やしたビールとジュースを用意。そしてスイカも切ってご用意である。

1ヶ月前にもあった肉体労働の記憶がよみがえる。

軽トラで3往復、荷下ろしをし、汗が大量に出る。

そして、ようやく先ほど終了した。

こんなこともあろうかと、朝に吉野家で牛丼特盛+とろろを食べてエネルギー補給しておいて良かった。

これだけ食べると、昼食、夕食とほとんど食欲がわかないのであった。

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ゲリラ豪雨と悲しみの焼きそば

お祭りもすっかり終わり(関連記事)、平穏な生活に戻りつつある(しみじみと)。

しかし周辺の町内会ではまだ個別に祭りをやっており、毎週土日にはどこかで夏祭りと盆踊りの音が聞こえてくる。

少し前の土曜日、駅前で隣町のお祭りの準備をしているのを目撃した。我が町内会と同程度の規模ではあり、同様にテキ屋は出ず、町内会の役員で切り盛りしているようだ。

「大変だなあ」と思いつつ、横目で見る。

しかし、その祭りには、我々とは異なる条件が一つだけあった。

それは、ゲリラ豪雨である。

用を済ませ、帰宅途中に、その祭りの付近を再び通りがかると、祭りは中止にならず、やっていた。

ゲリラ豪雨は止んだものの、依然として傘が必要でないと歩けない雨降りである。

テントの中には人気があるが、出店に近づく人はいない。要するに、閑散とした雰囲気の中で、スピーカーから祭囃子の音だけが虚しく広場に響き渡る。出店の中の人たちは、死んだような目で時間が過ぎていくのをただ待っているかのようだ。

よく見ると、奥の方で焼きそばの屋台が。同じ宿命を持った人間として、傘を差しながら、ちょろっと近づく。

オッさんが二人で汗だくで、ひたすら焼きそばを焼いていた。懐かしい光景であるが、近づく客はいない。

多分昼間に仕込んだ分はゲリラ豪雨を想定していないはずで、材料を焼き切らねばならなくなっているはずだ。

しかし客足は明らかに来ない。

売れ残りを半ば覚悟しつつも、運命として焼きそばを焼く男たちの哀愁に、たまらず焼きそば2皿(200円×2)を購入した。

地獄で仏を見たかのような表情で、喜ぶ男たち。いや、そんなに喜ばれても。心の中で同志として「わかるぞ、その気持ち」と思いつつ、口には出さず。

帰宅して焼きそばを食べてみた。

水気が多くて、お世辞にも「うまい」とは言えない。というか、あまり箸が進んでいかない。ソバは水っぽく、野菜の焼きも足りないし、ソースも中途半端にしか混じっていない。あからさまに投げやりな感じが反映している。しかし、その一方で町内会の男たちの無念の涙が詰まっているようで、味の素の力を最大限に借りることにより、ようやく完食することができたのだった。

写真はプロのテキ屋による焼きそば。

素人の価格の倍の400円であるが、ソバはパリッとしていてうまい。さすがプロの技。やはり素人は無理をしてはいけない(身も蓋もない結論)。

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炎天下で町内会の祭りの準備で気絶寸前【追記あり】

この3連休は町内会のお祭り準備で忙殺されている。

まさに肉体労働である。

町内会館の倉庫にこれだけあったのかと思われる、お神輿、木材、ヤグラ用の鉄パイプ、看板、行灯、提灯、太鼓、机、椅子をひたすら移動し、組み上げる。

テントも前日から設営し、電気配線をして、電飾を飾る。

マニュアルはあって無きが如しで、知っている老人の指示に従うだけである。だが、その老人が複数居て対立することもママあるので、非常に厄介である。

それに加えて、焼きそば用の大量の食材を切り分けたり、肉を湯通しする作業をひたすら事前に実施し、保冷車で保管するために移動して、と、もうヘトヘトである。

なんだかんだで総勢50人くらいは準備に参加していたのでは無いか。

炎天下の汗だくで、脱水症状にならないように自分で水分補給をしなくてはならない。

まだ前半である。これから焼きそば屋台が待っており、更には同じだけの後片付けが待っているのである。

気になるのはやはり参加者が完全に老人であり、近い将来のことを考えると、このような住民参加型のお祭りは変化せざるを得ないのでは無いか。

以下、追記。

そして激闘7時間。ようやく焼きそば540食を売り切り、会計と清掃が終了した。

その間、焼きそば焼き、パック詰め、会計などで休む間も無くで、汚い話だが、1回もトイレに行かなくて済んだ。その間水分は大量に摂取しているにも関わらずである。

日焼け、虫刺され、焼きそばソースで汚染など色々あったが、後は明日の片付けである。あれだけのものをまた町内会館に運び込むことを考えただけでぞっとするが、今はただ眠りたい。

しかし日焼けの痛みで眠れないのである。

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寂れゆく町内会:そのうち自治体公認のテキ屋が出てくることを期待する自分がいる

今年度から町内会の班長をやることになり(関連記事)既に2カ月が経過した。

約20世帯の会費を集め、不在だの脱会したいだのと対応し、疲弊する間も無く、今度は7月に予定されている町内会のお祭りの準備が始まったのである。

せいぜい150世帯しかいない町内会のお祭りなんて、正直やる意味あんのかなとも思うが、余計な発言はせず、諾々と従っている。

羊飼いに従う羊の心境である。

この手の話は前例が重要なので、引っ越してきたばかりの身としては、たとえグダグダ会議でも何も言わないのが正しい姿なのである。

町内会のお祭りでは、盆踊りといくつか屋台を出す。

最近の風潮からか、既にテキ屋は排除されているようだ。

屋台は、例年、町内会として焼きそばと焼き鳥、町内サークル(カラオケ)がくじ引き、子供会がヨーヨー釣りなどを出すことになっている。

先日その準備のための会合があった。

焼きそばと焼き鳥の屋台は忙しく、例年班長から文句が出るらしい。8人の班長の役割だが、とても8人では回せず、毎年「もうやりたくない」と苦情が出るらしい。それを聞いた今年の我々も既にゲッソリモードである。

更に、カラオケ同好会も会員の高齢化が進み、できれば出店をやめたい、と言ってきた。なんとか役員が説得して今年は乗り切れそうだが、高齢には勝てないので近いうちに終わりそうな感じがする。子供会にしても、少子化と若い世帯の町内会離れがあり、会員登録減少してるらしい。

なんとも苦しい状態である。

どちらかというと、少ない若手世代は既に諦めモードで比較的何も言わないが、老人世代からの泣きが多い。まあ、確かに80歳過ぎて祭りの手伝いなんか、キツイよなあ。いつの間にか居なくなる人もいるし。

そんなこんなで誰も得をしないようなお祭りをいつまでもやる必要があるのか、と思っている。

そろそろ、少子高齢化の結果としてお祭りを中止する町内会が出てきそうな気がしてならない。

個人的には、お祭りが住民サービスという意味づけならば、別に各構成員からの労働力を提供する前提で物事を考えないで、さっさとテキ屋呼んでお金で解決すれば良いのでは、と思っている(決して口には出さないけど)。

お金の流れを気にして、既存のテキ屋を排除する必要がある、というなら自治体公認のクリーンなテキ屋組織を作れば良い。国家公務員にしていいから。

誰かNPOでクリーンテキ屋を立ち上げてみたらどうであろうか。

キャッチフレーズは、何処かで聞いたような”旅を仕事にする”でイケるはずだ。

男はつらいよの車寅次郎は、元祖ノマドワーカーであり、若者の新たな生き方として、アリなのではなかろうか(無責任ですいません)。

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逆ピラミッド化した町内会の辛さと逃走論

町内会、自治会のような付き合いはどうしても避けて通れない。

日本の高齢化は着実に進んでいるようで、持ち回りの役(班長とか祭りの係といった、雑用係)が、”主人が介護状態なので”とか”目が見えない”といった切実な理由でできなくなり、ただでさえ少ない現役世代に集中し、消耗する、といったことが私の身の回りでも起こっている。

本来は退職したばかりのシニア世代がこのあたりを引っ張って行くべきだと思うのだが、そうした人たちはもっと上の名誉職を志向するので、どうしても下働きが不在になる。

結果、多数の老人世代を支える少数の現役世代、そしてそれを見て”自治会?いいっすう”という新世代の登場で、この年金問題と同様の構図をもった町内会逆ピラミッドはまさに崩壊寸前だと思う。

私もかつて祭りの係にされ、祭りを仕切る老人軍団にまさにスパルタ式でこき使われた。祭りを仕切る老人軍団はこの道40年の猛者で、こちらは引っ越してきたばかりのペーペーで、勝てる訳がない。神輿の休憩所の場所取りで、軽トラで夜中に先に行って、設営、そのまま神輿が来るまで6時間着のみ着のままで野宿、神輿がいなくなったら今度は撤収作業と、何が悲しくてこんな思いをしなくてはいけないのかと情けなくなったのを覚えている。

しかし、祭りに関しては比較的人間関係のジメジメさはなく、祭り老人たちもサッパリしていたので実は思い出としては結構”大変だったけど、まあよかった”というものになっている。

問題は町内会である。ついに回ってきてしまったのである。上述の要介護コンボで班長の順番が2年前倒しでやってきてしまった。まあ、仕方ない。今年一年やるしかない。

回覧板を回す、町内会費を徴収する、3ヶ月に1回町内会館を掃除する、年2回広場の草むしりをするくらいのものだろう(結構あるじゃんか)。心を無にして、やり過ごすしかない。いざとなったら北斗神拳究極奥義「無想転生」がある(?)。

電話がきた。「あのさ、回覧板が今頃ついたんだけど。お知らせの日付が、もう過ぎてんだけど」・・・・キェーっ、クレームだ。

いや、回覧板は1週間前に回してあって、届くのが遅いのはあなたより順番が前の人のせいだと思うんですけどね。なんで、それを班長に言うの?どうしろって言うの?

早くもくだらないウェットな人間関係を予感させて、もはや撃沈寸前である。

既に「金でこの班長を免除できるなら、いくらまで出せるかな」という妄想がよぎっている。おまけに、ここで下手に調整などをしてしまうことが、実は愚策だということはわかっているのである。

先日、新年度役員と新年度班長の第1回目の会合があった。老人7割、現役世代3割である。既に、新役員の目は虚ろである。

ここでうまく班長として立ち回った場合、何が起こるか。

来年度の役員昇格である。これがまたきつい。

懲役2年である。その先に衆議院議員でも約束されていれば、まだやる気も起こるが、町内会役員では、勲章だってもらえまい(適当)。

今年の新役員の虚ろな視線は、来年の犠牲者を物色する視線なのである。

私としては、その瞬間読み切った。

ここは、ちょっとした”この人おかしい”風を演じた方が良いと。それしかない。こんな人に任せたら町内がおかしくなる(といってもカルト宗教色、原理主義的スタンス、新左翼過激派思想などを出したら今度は別の意味でまずい)ように相手に思わせなくてはならない。

正直、町内会の会議のファシリテーションなんて、当たり前だが、ひどいものだ。

文字通りのぬるま湯である。

ぬるいもぬるい、追い炊きが必要なくらいだ。

意思決定のプロセスと権限を事前に定義しないまま、だらだらと老人の意味のない脱線を放置して、いたずらに時間が過ぎてゆく。もう、明らかに最初と違う話を始めた老人トークへのブレーキがない。ゆるゆるである。

牛乳入れすぎたフルーチェである。

ああ、ファシリしたい。でもしたらまずい。葛藤である。

ここで議論の主導権を握ったが最後、”あとよろ”になるのは自明の理である。

愚を演じるのはきつい。どこまで我慢できるかわからないが、日本政府がこの問題に真剣に対処してくれるまでは、この方策を継続するつもりである。

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