電通大附属図書館の古本市で理系×古本にときめく

2018年1月25日(木)から27日(土)まで、調布市にある電気通信大学の附属図書館で蔵書の放出、古本市を開催する情報を入手した。平日は厳しいが、土曜日の27日に行ってみることに。

web情報によれば「除籍図書(各分野の参考図書・理工系専門書・一般図書等)、約9,700冊を販売します」「1冊100円」ということで非常に気になる。

エンジニアはおしなべて、あまり技術書、特に古い技術書を活用しない傾向にあるが、私は昔の技術書、ハンドブック、便覧を集めるのが好きなので、まさに絶好の機会なのである。

技術系の古本というものは、情報が時代遅れであると思いがちであるが、実はそうではない。

もちろん例えばコンピュータ関連などは技術のアップデートが激しいのは確かだが、科学革命のような教科書を書き換えるような大事件が頻繁に起こっている訳ではなく、既にある程度の部分が確立されており、基本情報の信頼性にはほとんど問題ないことが多いのだ。

そもそも量子力学への科学革命の後も、古典力学は一定の範囲で有効であり、むしろ機械系エンジニアにとっては現在でも古典力学の範囲で仕事をしているであろう。

更にエンジニア視点から考えてみると、現状のコンピュータシミュレーション前提で、装置のエンジニアリングの基礎である、化工計算や構造計算などについては、実は昔の本の方が記述が優れていることが多いのである。

つまり、一昔前のエンジニアは、現状のように計算資源にモノを言わせて厳密モデル、大規模モデルでゴリゴリ計算することができない代わりに、モデル化、単純化して簡易計算をする工夫が優れている。

これは実はエンジニアリングの基礎部分の実力形成にものすごい差を生み出すと思う。

現在であればFOAの考え方のように、設計にあたり物理現象を短時間に、第一次近似的に早期に捉える手法が実は求められているし、計算工学の落とし穴になっていると思う。

まあ、そんな個人的な思いもあり、科学技術系古本には魅力があるのである。

電通大は、調布駅から徒歩10分くらいの好立地にある。大学構内には特にチェックもなく入れる。場所を尋ねると、警備員さんが親切に地図で教えてくれた。

この世知辛い世の中に、まだ大学の自治があるようで、何かリラックスできる。

建物の一角に古本市が開催されている。

会場の風景。古本市のセオリーは主催者側が守っているらしく、最終日の3日目昼であるが、順次図書が並べられているようで、在庫はまだ充分あるようだ。

古本市の独特な、他人を出し抜いてお宝ゲットを狙う感じの雰囲気が参加者からビンビン感じる。私も久々のハンター気分で物色である。

さすが電通大、工学系の図書は洋書を中心に多めである。それ以外にも哲学、文学系の図書もあった。

1冊100円とはいえ、ハンドブック系はとにかく1冊が大きく、重いため非常に荷物がかさばる。5冊も買うとリュックが行商人並みの膨れ具合になり、肩にズッシリと重みがかかる。

今回の戦利品の一部である「無線工学ハンドブック」。公式集や回路図、更には巻末にレトロな広告まで沢山あって良い。

またハンドブック系は技術の上位概念や体系を理解するのに非常に有用なのである。

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【産業機器】垂直多関節ロボットの祭礼業界への応用例

先日用事があって、八王子方面の神社へ行った際に、おみくじ売り場に変わったものが。

200円払ってボタンを押すと、獅子舞が動いて、おみくじを口に咥え、舞を踊った後に排出口から渡してくれるのである。自動化されているのである。

結構古めの装置であるが、ちゃんと獅子舞が舞い、おみくじを咥える。ただ、この動き、どこかで見覚えが。

そう、いわゆる産業用ロボットである「垂直多関節ロボット」そのものなのである。

(wikipedia 垂直多関節ロボット から転載)

これにロボットのアームに獅子舞を被せ、エンドエフェクタ(最先端の部分)は獅子舞の口の中に隠すというアイディア。

踊りの動きもまさにロボットのシーケンス制御そのものである。

なかなかの発想である。まさに応用。感心した。

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【書評】新刊『福島第一原発1号機冷却「失敗の本質」』に見る連鎖複合事故におけるマネジメントの困難さ

NHKスペシャル『メルトダウン』取材班による『福島第一原発1号機冷却「失敗の本質」』(講談社現代新書)を読んだ。

福島第一原発の1号機が、2号機、3号機と比較して、損壊の規模の大きいことは既に解析や観測により明らかになりつつある。

原発は放射線を出す核燃料を中心とする多重の放射能閉じ込め機能を有しているが、1号機は特にこの機能の損壊度合いが大きい。

具体的には、核燃料がほぼ全量溶解(メルトダウン)し、鋼鉄製の圧力容器を溶かし落下(メルトスルー)し、格納容器の床を抜け、更には基礎であるコンクリートを約2m深さまで溶かしているという実態がある。

核燃料が内部の構造体をその崩壊熱で溶かし、更にはコンクリートまでも溶かしたことによりMCCI(溶融炉心コンクリート相互作用)が発生し、279トンという大量に増大した放射性デブリ(ゴミ)が1号機の内部にあると推定されている。

そして、このことが廃炉に向けての作業を阻害し、8兆円とも言われるコストを増大させている要因となっている。

その結果として、廃炉のプログラムとしてチェルノブイリ原発のような「石棺」と呼ばれる”取り出さず、その場で閉じ込める”ような悲劇的とも言えるアイディアが出され、地元などの反対により撤回されるような騒動にも発展している(前掲書p.35)。

ただし、これは政治的な側面であって、現実的にデブリに直面する技術者の構想からは無視できない選択肢になっているのであろうと推察する(その政治的な側面自身の重要性や、そもそも石棺方式が技術的に成立するのかという議論は別にして)。

つまり、279トンという大規模な物量(元々のウラン核燃料は69トンに過ぎなかった)、そしてコンクリートと相互作用し化学的な特性が複雑かつ多様になってしまった放射性ゴミ(デブリ)という除去対象に対して、その技術的解決手段があまりにも少ないという現時点の状況が背景にあると思われる。

何故、1号機の損壊状況はこれほどまでに大きくなってしまったのだろうか。

そうした疑問を受けて、本書では2016年9月に日本原子力学会において発表されたひとつの解析結果を示す。それは

「3月23日まで1号機の原子炉に対して冷却に寄与する注水は、ほぼゼロだった」(前掲書p.162)

という内容である。

衝撃的な事実で、TV会議であれほど冷却に拘っていた努力の裏で、原子炉は非情にもいわゆる”空焚き状態”という最悪の状態を続けていたというのである。

これが1号機の損壊状況が大きくなった原因である。

ではなぜ1号機においてこのような実態が発生したのか。

良く知られているように吉田所長(当時)は、官邸の意を忖度した武黒フェロー(当時)からの「海水注入中止命令」に対し、会議ではこれを了解する姿勢を見せ、現場ではこれを強行したという”英断”があったはずである。現場では、確かに原子炉の冷却を第一優先として、あらゆる手段を考慮し実行していたはずなのである。

その理由の分析が、本書のメインテーマであり、技術的、組織的側面から整理されている。

技術的ポイントは2点あった。

  1. 生き残っていたはずの冷却装置”イソコン(非常用復水器)”が停止している認識が共有されていなかったことにより、イソコンの初動が遅れたこと。
    津波で全交流電源が喪失し、イソコンの弁がフェイルセーフ設計によりクローズし、その後、現場で再起動するために検討していた約3時間の停止の間に、核燃料は既にメルトダウンを始め、事態は決定してしまった。
  2. 消防車による注水ラインにはバイパスフローがあり、投入した水のほとんどが原子炉には届かず、別のラインから漏れてしまっていた。これは3月23日まで続いた。この事実に気づくことが遅れたこと。
    これは本書に先立つ『福島第一原発事故7つの謎』の第5章「消防車が送り込んだ400トンの水はどこに消えたのか?」に詳しいが、本書では更に分析を進め、1号機では他号機よりバイパス経路が多かったことを明らかにしている

技術的側面に加え、組織的には吉田所長(当時)と本店、吉田所長(当時)と現場(中央制御室)との間の情報の壁があったことが指摘されている。これは私も以下の記事で、2重のフロントラインシンドロームに陥っていたのではないかと考察した。

 関連記事:フロントライン・シンドロームと兵站の問題

それに加え本書での指摘として、以下がある。

隣接した複数の原子炉が連続してメルトダウンして事態が加速度的に悪化していく「複数号機同時事故」。これまで世界で起きたスリーマイルアイランド原発やチェルノブイリ原発とは全く異なる福島第一原発事故の特殊性である(p.222)

引用終わり

こうした連鎖的な災害に対するマネジメントはまだ構築されていないが、現状の状況にしても、すでに時間軸が通常の技術的な側面とは様相を異にしている。

この先数十年オーダーで設備が老朽化していった際に何が起こるか?

再び連鎖的な状況に至る可能性は存在する。

そのために今回の教訓は、その重要な検討材料として正確に理解するべきであろうし、完全な情報公開が必要であると思う。

関連記事:福島第一原発事故と安全弁

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DNA編集によるブルーギル駆除のこと:科学技術と倫理のちょっとモヤモヤする話

少し前の新聞記事で、外来種であるブルーギルを駆除するために、”DNAを編集して作った”不妊のオスを放流して、最終的にその湖(例えば琵琶湖)のブルーギルを絶滅するというアイディアが出ていた。

以下引用する(該当記事

不妊化させたオス放流、外来魚根絶へ 水産研などが計画

 「ゲノム編集」という新技術を使って不妊にした外来魚・ブルーギルを琵琶湖などに放流し、仲間を根絶させるプロジェクトを、水産研究・教育機構や三重大のグループが進めている。(中略)ブルーギルは北米原産。1960年代から国内各地に広がった。琵琶湖にはブラックバスと合わせて1240トン(2015年)いると推定され、小魚などを食べるため在来生物への悪影響が懸念されている。(後略)

引用終わり

この記事を読んだ際に精神的ダメージを受けた。

私はバリバリ理系の技術者で、言わんとすることは良くわかる。また、生物学や薬学などで、人体への毒性をチェックするために多くの生物を犠牲にする学問行為の意義も理解しているつもりだ。

しかし、それでもなお、この記事は、正直私の心に針のように刺さるものがあった。

その理由のひとつとして、私が子供を作ることに”苦労”をした経験、生命を産み出すことに対する大変さの個人的認識があるからではないかとも思う。

自然科学の意義は理解する。また、ナチスのような人体実験に対する倫理的な問題も理解しているつもりだ。しかし、この科学技術利用の記事に関しては、何故か釈然とできないものを感じる。記事は極めてニュートラルに書かれているようだ。そのあと、その記事の意味について考えようとするとき、底流に潜む戦慄するような怖さに反応してしまう。

何故なのか。

生物種の積極的な絶滅を、例えどんな種類であろうと、科学が対象にすることなのだろうか、という疑問では無いかと思う。

そうすると、当然こういった疑問が出るだろう。ペスト菌はどうなのか?結核菌はどうなのか?ハンセン氏病はどうなのか?根絶するべく努力し、根絶したことで我々にとって大きな価値を得たでは無いのか?ウイルスだって生物では無いのか?

その通りで、これ自体はまさに是とする自分がいる。私が、生物の対象としての大きさに対して、恣意的に境界線を引いているだけなのかもしれない。

ウィルスレベルであれば、人類にとっての必要不必要の価値判断に従って絶滅させることは許され、動物レベル(あまり厳密では無いが)ではまずい、ということを私は言っていることになる。

人類にとって有効であるか、そうで無いかだけの話で判断すれば良い話なのか、とも思う。

しかし、ブルーギルの絶滅に対する科学のアクションと、例えば人類の愚行である”民族浄化””ジェノサイド”のような話とは、平行な二つの線に見えるが、どこか遠くの極限で交わるような気がしてならない。

私自身、首尾一貫していない態度だ。ダブルスタンダードといってもいい。

しかし、それでもなお、個人的に素直に読めない記事だった。その後も大して反響も無いようなので、あまり世の中でも騒がれていないようだが。

SF的発想で言えば人類だって同様に攻撃されないとも限らないであろう。そのように何者かからDNAを編集されてしまったら(あるいは既にしまっていたら)。

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面白い科学:ORによる昇進競争と妨害の最適戦略とは

オペレーションズ・リサーチ(OR)という自然科学と社会科学の境界線のような学問がある。

その対象を、自然現象というよりも社会的現象まで広げ、その分析に数理的な手法で行うジャンルである。

私は専門領域ではないが、対象として人間や社会まで広げた数理モデルによる分析は、色々と参考になることが多い。

現実のビジネスシーンでは、数字や科学技術では割り切れない泥臭い問題が多く、エンジニアにとってはストレスが溜まる。意思決定などは科学的にズバッと決まりそうなものだが、未だに人間の感情のようなものに左右される。

正直本音で言えば、こんなビジネスの意思決定こそAIでやるべきではないかと思う。

そんな折に見た論文を紹介したい。

紹介する論文:湯本祐司「昇進トーナメントにおける足の引っ張り合い」オペレーションズリサーチ2012年6月号p.322

なかなかの題名である。そのものズバリで、出世レースという人間感情のドロドロする格好の素材である。これを数理モデルで検討する。

まず昇進レースを以下のような数値モデル化している。

・1番「成果」の値の高いプレーヤー1人だけが昇進する
・各プレーヤーはリソース1だけ持っており、これを他のプレーヤーの「成果」の値を下げることに使える(妨害)

このときのプレーヤーの戦略は、自分の勝利確率を最大化するように選択する。

最適な戦略は何かというと、”出る杭は打つ”という、成果の最も高い期待値を持つプレーヤーの成果を最小化する、という戦略になる。

要するに、1番能力のあるプレーヤーほど、足を引っ張られることになる良くあるパタンが再現される。

また3人の離散モデルでは、上位2人が足を引っ張り合った結果、最後の1人が漁夫の利を得るパターンや、トップランナーに妨害が集中するパターンも、ナッシュ均衡(誰も選択変更できない三すくみ状態)になる。

また昇進競争は、1回だけの勝負ではなく、現実では、ある一定期間についてのトーナメントの様相を示す。

この場合も検討している。

この場合には、能力のあるトップランナーがその能力を知られることが戦略上の大きな焦点になる。当然、トップランナーであれば妨害が集中するので、途中の時点で誰もがトップになりたくないというインセンティブが働く。

これは組織トータルとして見た場合の生産性低下要因である。

その対策としてはどうするか。途中経過の情報を隠すことでこれは回避できる。

また、同じ理由で、能力のあるプレーヤーが敢えて目立った成果を出さない、能力を隠すようなインセンティブが働く。これも組織トータルとしての生産性低下要因なので、この対策としては2つある。

1.アメリカ型の早い選抜
初めの時期の成果で強いインセンティブを付与
→後半は低位のプレーヤーには妨害しない程度のインセンティブを与える

2.日本型の遅い選抜
途中時期の成果に強いインセンティブを付与
→能力ある人は後半に力を発揮、無い人も平均的に発揮

また、ここまでの議論の前提では、妨害活動=組織全体の生産性に対する悪化と単純化していたが、そうでない場合もあるとしている。

それは、1人ダントツの能力がある場合で、その場合低位の能力のプレーヤーはやる気をなくし、ダントツ能力のプレーヤーもそれ以上の努力をしないというパターンである。
この場合には、むしろ妨害行為を禁止せず、ハンディキャップ装置として機能させることで組織全体での高い努力水準をひきだせる場合があるとする。

以上、論文では数学を使っていたが、これを使わず解説してみた。

出る杭は打たれる、能ある鷹は爪を隠す、漁夫の利、などのことわざで代表できるところが、古来からの知恵との類似性を感じさせる。

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【異世界】給水塔が生理的に怖いので、克服すべく給水塔の聖地「多摩川住宅」へ巡礼してきた

給水塔が怖い。何のことかわからないであろうが、団地にある、あの給水塔の姿が怖いのである。

給水塔を見ていると、身がすくむというか、ものすごい不安な気持ちになる。

まるでこの世界が終わってしまったような終末感、取り返しのつかない絶望感に襲われるのだ。

何か病んでいるみたいな記述であるが、これがわかったのは最近である。ある種類の”給水塔”とその風景を見て以来、こうした根源的かつ生理的な恐怖感に襲われるのである。

巨大建造物が怖い、という人は他にもいるらしい。ダム、発電所、送電線、鉄塔などである。私はこれらには全く恐怖を感じない。むしろ巨大建造物は得意な方なのである。

前職はプラント系エンジニアであった。高さ10mクラスのプラントなどは当たり前であった。現地の施工時などには狭いキャットウォークや梯子などを使って(当然安全対策はする)、登ったりするのはむしろ得意だった。10mクラスのタンク内の幅1m以下の狭い空間によじ登って、故障がないか点検する際にも、皆嫌がる中、むしろ面白そうで志願してそこに入ったくらいなのである。

しかし、今回紹介する給水塔だけはちょっと違う。何かものすごい外観からオーラを感じてしまうのである。異世界に引きずり込まれるような、現実の確かさを揺さぶられそうな根源的な異物感を感じるのである。

そもそも給水塔は何のために存在するのか(そこから?)。

それは、団地のような高層階に対して静水圧ヘッドを与えることによって安定した給水能力を確保するためであろう。それは問題ない。

団地のような集合住宅の日常風景の中に、給水塔は自然に存在している。それは認める(ちなみに超高層ビルなんかはどうしているんだろう)。

かように理屈では理解している。その証拠に、実際、いわゆるよくある給水塔(下図)は、怖くないのである。

ただ内部はどうなっているのか、とか、モーメントが結構きつい形状なので、基礎をどのくらい打って転倒に備えているのだろうかなどは気になるが、普通の感情の範疇である。全く何ということもない。心はフラット、平穏な心境である。

ところが、怖いのはこんなコンクリ打ちっ放しで中間部分に凹みのある”とっくり型”という奴。

どうよ、この存在感!

4階建の団地と比較しても、なんかスケールが違いすぎる。日常の風景じゃないでしょこれ。異世界だよね。人類が滅亡した後の世界でしょ・・・(そろそろお薬の時間だ)。いやあ、怖い。ゾクゾクする。良くこんなもの団地にあって、住民は平和に暮らせるものだ(余計なお世話だ)。

よく見ると給水塔に窓があって、それらが目のように見えてくるし、何よりこの巨大さに圧倒され、不安感をそそられるのである。

これが夜で、”夜の給水塔”などと文字で想像しただけで、ああああ(泡を吹いて卒倒)。

こんな昭和30年代建築の給水塔が5つもある、多摩川住宅(東京都調布市)に行って写真を撮ってきた。

はっきり言って、精神的なプレッシャーはきつい。

しかし、自分の嫌な感情と向き合うのもまた一興(そうなの?)ということで、わざわざ調布からバスに乗って多摩川住宅へ行ってきたのである。天気は快晴だったので、尚更異世界感がすごい。5つある給水塔全てを写真に納めてきたので、ここで紹介する次第である。

まず一つ目(仮に①とする)。道路とのコントラストがきつい。この絵面も精神的にくる。

①に寄ってみた。車の小ささと給水塔の巨大さのコントラストが、心に突き刺さる。さらに遠くにもう一つの給水塔②が見えている。

給水塔①の入り口。とてもではないが、入る気などさらさら無い。

給水塔①を見上げて見た。近づいても怖さは変わらない。不気味な風貌だよなあ。

給水塔②に近づいていく。この距離でこの存在感。何かありそうな予感・・・。

広い公園の中に佇む給水塔②に近づいてきた。これまた怖い!

根元に木々を従えたかのような給水塔②の風貌。なんか宗教寺院みたいだ。

給水塔②を逆側から。団地を圧倒し、睥睨しているかのよう。怖いよ〜

比較的平和?な給水塔③

給水塔④に向かう。これもなかなかのきつい雰囲気である。

出た!窓が睨んでいる目のように見える。楳図かずおのマンガに出てきそうな風景。車が一撃で蹴散らされそうな給水塔④の上から目線である。

逆角度からの給水塔④。やはり怖い。

給水塔⑤である。スケール感が苦しい。

以上、給水塔マニアの聖地、多摩川住宅にある5つの給水塔を巡礼した。

やはり怖い。周りの建物などとサイズ感が不自然な感じを受けており、どうも異世界感が強いのである。内部が全くわからないのも恐怖感を高めている。

ちなみに写真を見返すと、休日の昼下がりだというのに人の姿が写り込んでいない。なんか、意味深だよね・・・。

ということで、恐怖感は全然解消されてはいないが、いい運動にはなった(強制終了)。

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ニッチすぎる業界のみで有効な図解:ライボルトとインフィコンとバルザースの沿革を整理した(追記あり)

 おそらくこの図解は、日本でも5人くらいしか役に立たず、出てくる会社名も日本で20人くらいしか理解できないであろう。

 しかし、個人的には長年もやもやにしていた疑問をようやく図解で整理できたので、ここに公開する次第である。

 半導体製造装置では真空プロセスを使用することが多い。具体的には、真空蒸着、スパッタリング、CVD、ALD、ドライエッチング、プラズマクリーニングなどである。

 真空プロセスでは、真空の度合いを定性定量的に測定することが必要になり、そのための圧力計や分析計が存在する。また、真空(低圧の空間)を空間的に形成するための真空ポンプなどの機器が必要になる。

 そうした機器製造メーカ群が存在し、その業界が形成している(真空工業会という業界団体もある)。

 容易に推察されるように、この業界は結構ニッチであり、かつ、参入障壁が高いのか、そこそこ潤っている。

 その一方で、特に欧米の業界は合従連衡が激しく、メーカ名が結構変わることが多いのである。

 ライボルト(注1)、バルザース、インフィコンと聞いてピンとくる人はほとんどいないだろう。

 圧力を測る真空計、残留ガスの成分分析ができる質量分析計、真空ポンプなどを取り扱う海外メーカーである。

 これらのメーカの名前が、コロコロ変わるので非常に困っていた。

 というか、もうあまりの変化についていけず、わからないまま放置していた。

 業界誌である「真空ジャーナル」に、ちょうど良い記事を見つけたのを機会に、各社のHPも参照しながら整理してみた。また、最新状況を見ると、その記事から更に変化(結局現時点ではそれぞれ別会社になっているようだ。また、これに老舗メーカであるイギリスのエドワーズ社も絡んでくるのでますます複雑。現状はライボルトと同じアトラスコプコグループにいる)。

 私はスッキリしたが、ほとんどの方は何のことやら?だと思うが、ご査収ください。

出典:”わが社のいちおし! インフィコン株式会社” 真空ジャーナル. 2009年11月号(127号)及び各社HPより、tankidesurvival作成

注1:Leyboldなのでライボルドが正しい気もするが(ドイツ読みは違うのかな)。

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才能は枯渇する。エンジニアもまた然り。でもまだ現役にこだわりたい

昔、週刊文春の連載「糸井重里の萬流コピー塾」においてだったと思う。大意として、このように語っていたと記憶する(なお、手持ちの単行本を探しているが、原典が見つからない。もし、違っていた場合、容赦していただきたい)。

・才能は枯渇する

・人脈は枯渇しない

・だから、歳を取るごとに、才能に対して人脈の必要性の比率が高まる

・いわば、才能は動産で、人脈は不動産

なかなか面白い例えで、ビジネス本などでも人脈とか繋がりへの”投資”をちょっと過剰に勧めるのは、不動産投資の勧誘の言説と似た構造があるのかと面白く思った。

また、あまり大っぴらに言われないことだが、どんな仕事でも、加齢による精神的・肉体的な衰弱化に伴い、パフォーマンスは低下するものである。これは間違いない。

どんな才能がある人間でも言えることで、スポーツの世界などでも例を挙げるにはいとまがない。

才能によって初期状態が他者より高くとも、いつかは凡人のレベルまで低下する時がやってくる。

ただ、その下降の傾きは、トレーニングなどにより、緩やかにすることはできるだろうとは思う。

また、活動するジャンルによっても、その変化は見えにくいはずで、インサイドワーク・経験の蓄積がアウトプットに反映されるような場合では、更に上乗せがあるだろう。

例えは適当でないかもしれないが、ボクシングとプロレスみたいなものである。

さて、エンジニアはどうか。

当然技術というのは性能が全てで、エンジニアのアウトプットは数値化されやすい。

例えば同一の性能を出す機能を実現する手段としては、より低コストな方法が優れているし、同一の投資に対して、より高い付加価値を生み出す装置の方が優れている。それを一定のリソースの制限で考案できるエンジニアは優れている、と判断される。

また、常に技術は進化しているので、保有技術の時間による陳腐化も早い。より自分自身をアップデートする必要もある。常にルールが変わる世界に身を置いているようなものだとも思う。

しかし、幸いなことには、技術には自然科学を基礎としたベース部分があり、このベース部分は決して古びることはない。

また、経験に基づく知見というのも確かに存在し、ベテランの方が過去の経験から製図に潜む設計ミスやトラブル原因を未然に素早く見つけることもできるという事実もある。

更に、泥臭い話だが、エンジニアはチーム作業なので、人間関係などインサイドワークの部分もある。

つまり、エンジニアはかなりプロレス的インサイドワークが使え、現役である時間が長いということが言える。プロレスや競輪に近いジャンルと思われる(両者を例えることに異議もあるだろうが、ここでは純粋に
現役である期間が長いという点について論じている)。

従って私としては、アントニオ猪木がそうであったように、天龍源一郎がそうであったように、リック・フレアーがそうだったように、萩原操がそうであったように、現役にこだわりたい。

日々若い衆はやってくる。そして戦いを挑んでくる。そこでやはり勝ちたい。6勝4敗ペースで行きたい(低い目標だが)。やはりキャリアを積むと、インサイドワークはあるのである。若い衆が他部門との折衝で消耗しているのを横目に、これまでの信頼の積立額を取り崩すことを使って軽くクリアすることくらいできるのである。

しかし、どんなジャンルでも、いつかは現役を退く時期はやってくる。そのときを自分で判断することができるだろうか。

若者が、申し訳なさそうな引導を渡してくれる状況にならないように、ハードランディングを防止すべく、日々ビクビクしている。

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立ち飲み屋探訪:東神奈川駅「龍馬」–将棋の羽生世代と前川製作所の話

本日は気分が悪い。

仕事ではなく、将棋で羽生永世6冠現3冠名誉NHK杯選手権者が中学生の藤井4段に負けたニュースをテレビやネットニュースで何度も見せられたからだ。

これまで、台頭する若手をちぎっては投げと、しばき倒してきた羽生先生の時代がとうとう終わったかのような感じなのである。

私は羽生ファンであるが、先生も既にアラフィフの領域に入りはじめた。大丈夫なのか。いくら将棋が頭脳ゲームとはいえ、体力の問題もある。いつまで現役第一線でいけるのか。

大山康晴先生のような、人間力によるど迫力(いわゆる盤外戦という奴である)の路線は、羽生先生は初めから狙っていないのだと思う。そうなると、今回の敗北は、ひとつのエポックメイキングとして、ついに羽生先生の時代が終わるのか、ということになってしまう。

私自身も、エンジニアとして現役にこだわるアラフィフなので、羽生先生の動向は気になる。まだまだ第一線で活躍する姿を見て、勇気づけられてきた。

衰えが見えてくると、加藤一二三先生のように、どこまでも勝負にこだわる生き方もあるし、今年A級降格でフリークラスに転出された森内俊之先生のような”引く”美学もある。

羽生先生は身の処し方をどうするのか。むりやり同世代として、非常に気になるのである。

そんなことを、ひとり、立ち呑み屋で考えていた。

何故か、立ち寄ったJR東神奈川駅、あるいは、京急仲木戸駅の立ち呑み屋 「龍馬」において、である。

この店は、串焼きがメインである。今のシーズン、春の山菜として、たらの芽などもある。

写真は激辛の”地獄豆腐”である。うまい。

立ち呑み屋で必要な、スピード感も充分、常連は1,000円以下の会計で、お客がクルクル回転していく。

串焼き10本を食べたのちに、羽生先生の勝負論はさておき、我々エンジニアが、どうして現役にこだわるのかを考えてみた。

私は、個人的に『野球狂の詩』の岩田鉄五郎(93歳!)のような生き方に憧れるのだ。

エンジニアには、そうした生き方ができると思っている。

茨城県の冷凍機、圧縮機メーカーである前川製作所の井上和平氏は95歳まで現役を続けた。

NHKの番組で、特集を組まれたこともあるはずで、私は見て感銘を受けた。

このとき、井上氏は冷凍機のトラブル事例を聞いて、すぐさま過去の経験から真の原因を推定していた。

与えられた研究室には予算は無くてバラックな感じだが、エンジニアとしての長い経験に基づく皮膚感覚が研ぎ澄まされているのだな、と感じたのを覚えている。

エンジニアは装置と日々対話し、その性能を出すために、せめぎ合ってきた。経済性や生産性など、様々な多変量のトレードオフを無意識のうちに最適化しながら。

顧客からの要求に応えるべく、ギリギリの限界までその性能を高めようとする。

それらは特定の”モノ”にまつわる話なのかもしれない。しかし、”モノ”に対して働きかけるのは人間の英知であって、そこには単なるマテリアル以上の付加価値が生じているはずだ。

それこそが、エンジニアの本領なのである。

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論文検索プラットフォームCiNiiのpdfトラブルについて

愛用の論文検索プラットフォームCiNii(国立情報学研究所)で問題が起こっているらしい。

検索機能は問題ないが、これまでリンクされていた電子化論文(pdf)が見れない(リンクがなくなった)ものが続出している模様である。

以下、Buzzfeedの記事(1)から引用する。

論文をPDF化するために1997年から始まった電子図書館事業 「NII-ELS」が、2017年3月末で終了したためだ。

「NII-ELS」の終了は、国が論文電子化を新たなプラットフォーム「J-STAGE」に一本化する方針を打ち出したことを受けたもの。運営元の国立情報学研究所によると、これまで「NII-ELS」で公開された論文は430万件にのぼるという。

PDFの提供停止はもともと決められたスケジュールに沿った措置だが、移行作業が終了していない学会などの多数の論文が入手できない状況になっている。

引用終わり

CiNiiのサイトでも、ひっそりとお知らせが出ていた。

電子図書館事業(NII-ELS)の終了に伴い、発行元学協会との協力の下で他の論文公開サービスへのコンテンツの移行を進めております。移行済みの論文はCiNii Articlesにおいて論文PDFファイルのダウンロード先のリンクが表示されますが、現在移行作業中の論文についてはダウンロードを行うことができません。最新の移行状況については以下の情報をご参照ください。

引用終わり

一本化は結構なことだが、なんか移行がうまくいかないまま、あとは我々の領域じゃないから知らんもんね、みたいな「お役所仕事」の感じが拭えない。

混乱を受けての記事(1)の国立情報学研究所のコメントも、なんか他人事で、当事者意識が感じられない。

改めて、学術研究においてCiNiiが果たしている役割の重要さを痛感しています

引用終わり

みんなから怒られて、「アタシって実はみんなから頼られていたの?」みたいな感じで初めて自分の役割に目覚めた感がある。ひょっとして、今まで報われない仕事してたのかなあと勘ぐりたくなる。

J-STAGEにプラットフォームを一本化すると言うが、検索性もJ-STAGEとCiNiiは微妙に操作性が違っていて、使い分けて行くのかと思っていた(CiNiiに移行されれば結果そうなりそうだけど)。

CiNiiは著者検索があって、例えばビタミンB1の発見者「鈴木梅太郎」と入れると、

こんな感じで1920年代の論文がざっと出る。右側には著者間の関連もつけてくれる。

  • 理研酒に就て (1927)
  • う゛いたみん説ノ發達ト榮養學説ノ變遷 (1926)

なんて論文があって(しかも縦書きもある)なかなか味わい深かった。

また日本物理学会講演概要集などもあり、いわゆるトンデモ系の予稿が検索できたりして、これもなかなか面白いものだった。

J-STAGEは一つの雑誌を年代ごとに追いかける(図書館の閉架棚で文献を探すイメージ)感じがあった。こちらは「応用物理」が1号から電子化されていて日本の科学技術の進歩を戦後から追いかけることができて味わい深い。

ただ気になるのは、最近J-STAGEが異様に重かったり、謎の緊急メンテナンスをしていたりして、この界隈、なんか不穏なムードを感じる。

全く根拠はないが、予算が大幅に削られたのだろうか?

ということで、早期の事態収拾を祈念いたします。

参考記事

面白い科学①

面白い科学②

追記:4月10日で続報が。

本年4月10日より、学協会との調整が必要な論文を除き、ダウンロード機能を含む従前通りのサービスを再開しました。

平成29年度(2017年度)以降にJ-STAGEへの移行作業が行われる予定の論文のうち、NII-ELSにおいて無料で公開されていた論文(181誌・約22万件)については、科学技術振興機構との協議の結果、経過措置として移行作業の完了時までCiNii Articlesからのダウンロード機能を提供します。なお、平成28年度(2016年度)中にJ-STAGEへ移行された論文(217誌・約89万件)については、CiNii Articles上でJ-STAGEへのリンクが表示されます。

また、発行終了あるいは発行元の解散等の理由により移行作業が行われない論文(309誌・約88万件)については、代替措置としてCiNii Articlesからのダウンロード機能を継続する予定でしたが、CiNii Articlesのシステム更新の遅れにより一時的に提供ができない状態となっていました。これらの論文についても、ダウンロード機能を再開しました。

とりあえず再開できた模様である。

 

 

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