創作:海中マカロニ


「海中マカロニ」 by 単騎でサバイバル

 エヌ隊長の宇宙船は、長い旅の末にようやく目的の惑星へ辿り着いた。かつてこの惑星に初めて降り立ち、植民地としての適否を検討するための入植チームが地球と連絡を絶ってから2年経つ。地球では救援のためのチームが編成されるまでに1年かかった。それから更に1年の旅をして、ようやく惑星の姿が肉眼で見える距離まで近づいてきた。

「いったい入植チームに何が起こったのでしょうか」操縦士がエヌ隊長に問いかけた。

 救援チームはエヌ隊長と操縦士の2名で編成されていた。最悪の事態では入植チームを全て収容して帰還する必要があるため、往路の乗組員の人数がぎりぎりまで制限されていたからだ。

「宇宙植民の歴史は、もう我々で3世代になるが、こうした事例は未だに頻発しているようだ。原因は様々で、単純に資源不足の末に全滅というケースもあるが、これは最近は少なくなった。意外に単純な理由だが、”やる気を失う”ということもあるようだ」とエヌ隊長が答えた。

「やる気ですか?彼らは皆こうしたことも想定したメンタルトレーニングを事前に積んでいるはずですよね?そもそも宇宙飛行士の資質として開拓の精神に富んだパーソナリティがあることが条件で、内に籠もるより、外に出ることのが好きな性格が優先されていると思いますが」

「それはあくまで個々の事例に過ぎない。宇宙には我々地球人の脳で想像した、あらゆる危険を上回る姿を持っているのかもしれない」

「どうしたことだ、一面が海になっている」エヌ隊長は思わず呟いた。

 この惑星は陸地が大半を占めるという情報が事前に報告されていた。先行した入植チームは、この海と陸地の境界に居住ドームを建設していたはずだった。

 確かにドームはあり、そこを目的地としてエヌ隊長の宇宙船は自動的に着陸しているが、ドームを除いて、この惑星は全て海で覆われており、陸地は残っていなかった。

 居住ドームの内部に入ってみると、入植チームの姿は誰も見えなかった。また、内部の空間は居住者が不在のままでも自動制御されているが、その内部は大きく破壊されていた。

「食料と水の貯蔵設備が完全に破壊されている。物品が散乱して床に散らばっていて、まるで津波にでもあったようだ」とエヌ隊長が周囲を見回して言った。
「この海がドームに押し寄せてきたのでしょうか」
「そうかもしれない。しかし、このドームは気密・耐圧構造となっている。地球で想定できる津波程度であれば完全に防御できるはずだが」残された記録を見ると、観測データは正常に残っており、それは地球と通信が途切れた日で終わっていた。

 海を覗き込んでいた操縦士が、突然言った。
「この海、色々な色がグラデーションとなって次々変化する波が至るところに見えます。こんな様子は地球の海では見たことがありません」

「なるほど、良く見ると透明な水のように見えるが、海中に複雑な色の変化する領域があちこちにあるな。君が言うように海中で密度が変化した孤立波のようになって進行している。・・・・特に周期性や分布の均一性もないようだ。まずは時系列データをサンプリングしてみよう」エヌ隊長は海中にセンサーを投げ込み、少し操作して出てきた結果をモニタを眺めた。

「・・・やはり何かの意味がありそうだ。ランダムなノイズでは無く、ある種の法則性がありそうだ。まずはこれを調査してみることにしよう」

エヌ隊長は惑星の海とその内部で起こっている波の分析を本格的に開始した。「なるほど、この波は意味のある情報を伝達しているな。つまりこの海の中には何かの知的生物がいるに違いない」

「もうそこまで分析できたのですか」

「コンピュータに波の強さと波長および発光している光の波長を入力して時系列解析してみた。これらを使って伝達している情報が、いかなる言語体系として解釈できるのかを推定するのは本来非常に難しいのだが、今回は地球の言語体系に極めて類似していることがパターンマッチングでわかった。隊員が消えたことと、このことは偶然の一致とは思えないな」

「みんな海に溶けてしまったのですかね」

「この海の成分も、いわゆる水ではない。全く特異な液体だ。実はこの液体の同定ができていない」

「隊長、よく見るとこの海の中に、マカロニのような、短いチューブ状のものが沢山漂っています」操縦士は海面を示した。

「それは私も気づいていた。生物かどうかまだわからない。だが、調べるのは後にしよう」

エヌ隊長は光る波の分析を続けることにした。幸い情報の言語体系はほぼ解明できたので、これを用いることによって、今度は逆にこの海にこちらのメッセージを発信してみようと考えたのである。

《こちらは地球から来たものです。この星に来ていた仲間を探しています》というメッセージを作成し、発信することにした。翻訳されたメッセージがパターンを持った光の変化の波として、球面状に虹色の波が断続的に広がっていった。エヌ隊長は、このメッセージを自動的に繰り返すように設定した。

しばらくすると、海中に変化が現れた。エヌ隊長が発信する波に呼応するかのような、もう一つの波の姿が現れ、しだいにその波が重なりあい、もし波が音を出せるとするならば、ざわめきのようにも見える揺らぎが生まれてきた。そして、しばらくすると、波の姿は一つになり、最後には消滅した。続いて、海中に小さな粒の集まりが現れてきた。

「あのひとつひとつは先ほどのチューブですね。まるでそれぞれに意志があるみたいだ。生物でしょうか?」

「まだそう結論するのは早計だろう。そちらの生化学的な分析は君がやってくれ」

しばらくの静寂の後、再び波が起こった。さきほどよりも複雑な色、複雑な形の波だった。センサで受信した結果がモニタに写った。

《・・・地球から来たのか?》

「レスポンスがあった!」操縦士は興奮した口調で叫んだ。
「入植チームからの回答のようだ、どこかで生存しているようだ」わずかな安堵の感情を込めてエヌ隊長が呟く。

《地球への通信が途絶したので我々は救援にきました。入植チームのメンバーですか?何故居住ドームを放棄したのですか?》

《放棄?我々は放棄などしていない。未だこの世界の探索を継続している》

《しかし姿が見えません。あなたはこの海の中にいるのですか?》

一瞬発信する波の様子が変化したように思えた。

《理解できない。我々は君たちの近くにいるではないか》

《いえ、何も見えません》

《見る?見る必要があるのか?》

どうも話が噛み合わないな、とエヌ隊長は不安になってきた。

突然「ああっ」と操縦士の悲鳴が聞こえた。

エヌ隊長が振り向くと、しゃがみこんだ操縦士が指さす先に、むくむくと大きくなる肉の塊があった。人間の膝程度だが、次第に大きさを増している。そしてちょうど標準的な大人の背丈程度の高さになって拡大が停止した。その姿は、巨大なチューブであって、先ほどから彼が指摘していた海中に群れている「マカロニ」の形状そっくりだった。

「チューブの顕微鏡観察をするために海中から取り出して、観察の準備のためにしばらく放置していたら、急に拡大が始まりました」操縦士はまだ立ち上がれずにいた。

巨大なチューブは真っ白な表面をしている。液体は蒸発し、しだいに一面が乾燥してきた。そして今度は細かく振動しはじめ、その振動が増幅し、ある極限に達した瞬間、一時停止し、大きく空中に飛躍した。

「ジャンプしたぞ!」

次の瞬間、エヌ隊長の眼前に裸の人間が立っていた。入植チームの隊長だったゼット教授だった。チューブの姿は消えている。

「あなたはゼット教授!」

「・・・君は地球から来た救援チームだな。そして、さきほどから呼びかけていたようだな。私は目が見えない。案内してくれないか」

高名な生物学者であるゼット教授をドーム内に導き、バスローブを与えて話を聞くことにした。

「ある日、海面が拡大を始め、このドームを飲み込みはじめた」とゼット教授は語り始めた。

「ドーム内部から液体が侵入し、我々の食料備蓄庫が失われた。まるで意志を持ち、我々に敵意を持っているようだった。今にして思えば、敵意ではなく、強い興味だったのかもしれないが」

「どうやってその後も生き延びてきたのですか」

「この海は、我々にとって完全な栄養体なのだ。そして同時に我々と共存できる。その事実がわかったのは、食料が無くなってやむにやまれずこの海と対峙する羽目になってからだが」

「それはすごい発見ですが、もう少し詳しく説明をしてください」

「この海を構成している液体を摂取していればどのような環境でも、我々は生存できる。勿論我々を構成する細胞は生命活動の結果死滅し、新陳代謝はするので、不老不死という訳ではない。だが、外部から新たに栄養を取る必要なく、生存を継続できるのだ」

「それはすごいことです。こうした宇宙旅行などのサバイバル環境でも利用できる話ですね」

「ところがそんな簡単な話ではない。そのためには、この液体を常に飲み続けていなくてはいけないのだ。つまり我々の内臓にこの液体が接し続けていることが必要なので、結果として、大量の液体を保持していなくてはいけない。また我々の老廃物も停滞させることなく、循環させなくてはいけない。結果として飲み続けることは、あまり効率的ではないのだ」

「なるほど、大量のタンクに貯蔵して、24時間飲み続けていなくてはいけないのでは効率が悪くて、意味がないですね。逆に水槽の中に我々が住むのも大変だし・・・あっ」

「そう、海中に入ればどうなるのか、という誘惑が湧いてくる」

「入ったのですね」

「・・・入った。驚くことに呼吸ができた。この媒質は酸素も供給してくれるのだ」

「つまり、この海中で我々は生存し続けることができると」

「その通り。そして我々はそれを実証した」

「我々、とおっしゃいますが、入植チームのメンバーの姿はどこにいるんですか」エヌ隊長は周りを見回しながら言った。ゼット隊長は少し沈黙し、口を開いた。

「その話をする前に、この海は何故我々を生存させたと考えるかね。つまり、海にとって我々に酸素や栄養を与える意味、メリットのことだ。ただ与えるだけであれば、彼らは何も得ることはなく、場合によっては我々から寄生されてやせ細り、死に至る可能性だってある。しかし、共存できている事実もある。では何を対価として海は受け取っているのだろうか」

「単純に考えて、我々の老廃物でしょうか」

「我々もはじめにそう考えた。しかし、事実は違っていた。むしろ我々の代謝として得られる老廃物は海にとっても同様に毒素であり、分解するために余計なエネルギーが必要なことがわかった」

「では、更に何か別の生物を介在させた複雑な共生関係を作っているとか」

「それも違うことがわかった。結局、話は単純で、この海と我々の間の直接の交換関係だった。海は我々に栄養や酸素といった生存に必要な一切を与え、そして我々は海に”情報”を与える。エヌ隊長、この海は情報を食べているのだ」

「情報?それは有機物ですらなく、実体の無いものですね」

「そうだ。この海は”情報の複雑さ”を食べて生存しているのだ。だから、我々が海に情報を与えられることがわかったとき、海は我々を呑み込んだ」

「それがこの惑星の現在の姿なのですか。ですが、この海には人間の姿は見えませんが」エヌ隊長の質問にゼット教授は軽く息を吸い込みながら、話を続けた。

「この関係の中で、もはや人間の姿である必然性があるのだろうか。我々はお互いに最も良い形を成立させたのだ。つまり我々は形態状、裏返ることが最も効率が良いことがわかった。人間はトポロジー的にはドーナツ型をしている。つまり表である皮膚と、裏である内臓を逆転させることは理論的には可能だ。今回栄養摂取などの生存で最も効率が良いのは、海に対して内臓を表側にすることが最も効率が良い。その結果として、感覚器官は全て裏側になった。これでは海が欲しい情報を発信する量が少なくなる。何故なら口も手も目も、今まで外部に出て情報を入出力していたものが全て内側に裏返っているのだから。しかし、海は情報の複雑さが欲しいので、我々の情報伝達媒質となってくれた。内部に入り込み、情報を様々な色の波として伝達してくれるようになった。我々は海を介して大きなネットワークとなり、多彩な思索を行った。君たちが、様々な波を見たと思うが、あれが情報の波だ。そしてその情報のある一定成分をこの海は自らの生存に使っている。これが共生関係だ」

「では、あのマカロニのようなチューブひとつひとつが人間なのですか・・・」

「そうだ、我々は既に共生関係に入った。この惑星ではそれが最も良い形だと理解したからだ。実際にあのような姿でいることを客観的に俯瞰することはないが、やはり裏返ると精神的にも内省が進むようだ。そしてそれぞれの人間の思考が、この海の媒質によって同時に高速に伝達され、処理され、発展される。我々のこれまでの科学的、哲学的思考は格段に進んだ。実際にこの活動で、地球上の時間では到底得られなかったと確信できるような非常に大きな精神的な成果を得られている。ただ、それを君達に提供したいとは思わないが」とゼット教授は静かな口調で語った。

「それは、一種の人間の脳をネットワーク化した高性能なコンピュータのようなものなのでしょうね。では、ゼット教授はこのままで良いのですか。ゼット教授はこのように人間の姿に戻れている。もういちど、地球に帰りたいとは思わないのですか」

「それは私も驚いたことだ。つまり海との関係の中でのみ形状が変化し、それは海と接触していないと元の姿に戻れるようだ」

ゼット教授はそう言うと、後ずさりしながらまるで舞台挨拶をする演出家のように語り始めた。

「そろそろ君たちに、暇を乞いたい。再び私は海に戻る。地球では開拓者と称して外部の未知なる世界を探索し、新たな発見に心を躍らせていたが、現在は大きな精神的な全体の中で、深い思索と真理を探索することこそが最もすべきことであり、自分、いや我々ひとりひとりにとって幸福だということが確信できた。どうか、地球の人々によろしく伝えてほしい。このことを伝えるために、私はこの姿でいる僅かな時間を偶然与えられたのかもしれない。それから、ひとつだけ申し訳ないが、実は君達の着陸の際のアクシデントにより、内部のメンバーがいくつか足りなくなった。これは演算素子が不足したことになり、一種の計算上のリソース不足だ。我々の共生関係のバランスも崩してしまうことになるだろう。原因はわからないが、パフォーマンスが低下するのは避けたいので、計算資源を補充させてもらう」

エヌ隊長は、帰りは一人で宇宙船を操縦し帰還の途に付くことになった。操縦士はあの後姿が見えなくなり、海の近くで制服のみが見つかった。液体の成分分析をしようと海に近づいた際に、呑み込まれたとエヌ隊長は推定している。その根拠はどこにもないが、そう確信していた。エヌ隊長は警戒し、それからできる限り海には近づかないようにした。

帰還のための離陸を前にして、入植チームが海と共生することが本当に良いことなのか、エヌ隊長には結論が出せなかった。そう考える理由は、あの情報を伝達する海、媒質は、自分自身についての情報を一切伝達しなかった事実にある。こちらが《海》や《情報の媒質》を指示するメッセージを含めて発信しても、海は反応せず色も波の形状も変化しなかった。まるで自分自身を語ることを禁止しているかのように。

共生関係の中でゼット教授たちが得られたとされる豊かな精神的な成果と呼んだものは、本当に自由な思考の帰結なのかが、エヌ隊長には疑問だった。海が自分の生存のために与える一種の麻薬ではないか。ともに依存する関係の中で、一方に語りえぬものがあり、自分をとりまく世界の本質が不純なものである可能性がある前提の中で幸福を語ることには、何か心理的に抵抗を覚えて共感できないのだった。

「いや、彼らは本当に幸福なのかもしれない。だが、それは共生関係の中での幸福に過ぎない。どんなに深く、真理に近い知恵の甘い果実が含まれているとしても、私はやはりそこに近づくことに恐れを感じる。あの共生関係は、外部に対して閉じており、チューブ状の裏返った人間は深く内省しているが、これは深い内向きの依存関係だ。情報の複雑さを欲しい海のために、一生懸命に新規な物語を提供している従順な羊の群のようにも思える。私はそうではなく、自分の外に在る自由な世界についての知識を知るために、宇宙飛行士になったのだから」誰に言うともなく、自分に言い聞かせるようにエヌ隊長は呟いた。

出発を前にしてコップに自動的に飲料水を注ぐためにボタンを押した。飲料水が注がれ、それは自動的に停止するはずだったが、停止することはなかった。液体がコップから溢れ続けた。エヌ隊長はボタンを何回も押したが供給が停止することはなかった。操縦室のドアを開けようにも開かず、ほのかに虹色の光が波打つ液体は、次第にエヌ隊長の足下に溜まりはじめてきた(了)

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