【ラーメン】「ラーメン豚山」町田店-久々の二郎系に恐る恐るチャレンジ、無事成功 

 二郎系ラーメンは敷居が高くなってしまった。20年くらい前の20歳台の頃は体力もあり、食欲もありと、大盛り上等だったので良く行っていた。

 しかしその後引越しなどで近場に店がなくなり足が遠のき、その一方で二郎系の大盛り感の凄さ、注文の難しさなどが変な形でネットで知られるようになってきて、非常に敷居が高い店になってしまった。

 更に最近の老化に伴う胃腸の弱さによって脂系(チャーシューとか)が胸にツカえるようになってきた。更に行きにくい店になってしまっていたのである。

 先日早めの昼食で、空腹であった。これならイケるかも、という余裕の元に、久々に二郎系にチャレンジすることにした。

 町田駅から徒歩5分程度のところにある「ラーメン豚山」である。名前がちょっと皮肉を感じる(被害妄想)が、初心者にも優しそうな雰囲気があり、入店する勇気を得ることができたのである。

 ここは店からの注意書きにあるように、女性・少食向け用の「ミニラーメン」700円でまずは様子を見る。野菜やニンニクの量を指示する”コール”もカウンターのところに親切に書いてあり、非常にユーザーフレンドリーである。

 ニンニクはありで、あとは全て標準発注(その場合は何も発言しなくて良いのでラク)。無事、到着。

 量的に、これならOKである。モヤシの水気と混じった甘めのスープが「まさにこれ」と二郎系の記憶を呼び起こしてくる。ブタはなかなか年齢的に厳しめであったがこのくらいの量ならOK。麺はフラットな感じで個性的であった。

 無事完食した。これなら次は小ラーメンが行けそう。こんな感じでコンディションを整えつつ、少しずつ領域を広げていくしかないのが寄る年波というものであろうか。

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【書評】小松左京「召集令状」(角川文庫)小松SFの原点としての戦争体験

 小松左京「召集令状」(角川文庫)を読んだ。

 戦後五十周年にあたる1995年(平成7年)の「角川文庫で読む戦後50年」フェアで新たに編まれた、小松の”戦争もの”8編を集めた文庫である。実質的デビュー作「地には平和を」も収録されている。

 小松自身は終戦時には14歳。勤労動員の中学生であった。本土決戦が叫ばれる切迫した環境において、思春期を迎え、そして兵士として戦いに参加できる年齢に入っていなかった小松自身にとって、この戦争体験は大きな文学的原体験となった。

 そして戦後の戦争なき”平和な日常”に対して、こうした過去から照射された問題意識を常に小松は常に保持していたようだ。「地には平和を」で、歴史を修正させるタイムトラベラーにこう語らせている。

 犠牲を払ったなら、それだけのものをつかみとらねばならん。それでなければ、歴史は無意味なものになる。二十世紀が後代の歴史に及ぼした最も大きな影響は、その中途半端さだった。世界史的規模に置ける日和見主義だった。

(前掲書「地には平和を」p.103)

 1945年8月15日に終戦がなく、本土決戦を遂行した場合のもう一つの現実を描いた「地には平和を」では、こうした歴史に対する問題意識をさらに進め、歴史自体が持つダイナミズムにまで対象を広げている。

 歴史がそれ自体としてどのような可能な未来を選択するか?可能な意味のある未来を破棄し、熱的な死のような(政治思想的な意味ではなく)”保守的”な未来にしか収斂しないのではないか?という根源的な問いかけである。

 こうした問題意識の中で、SF的手法を使って描かれた小松の「もう一つの歴史」は非常に深い。

 楳図かずお「漂流教室」(1972年)に遡ること8年前、1964年に発表された「お召し」では、12歳以上の人類が何の理由もなしに消滅する文明の未来を描く。

 戦争の記憶を意図的に忘れさせようとする動きを描く「戦争はなかった」や、平和な日常に全く異なる戦争が接続されてしまう「春の軍隊」など、戦争体験の持つ暴力性、残酷さのリアルが小松の肉声として伝わってくるようだ。

 この文庫のあとがきに小松は次のように書いている。

 最後に、この作品の中に出てくるエピソードは、ほとんどが実話である。戦後五十周年にあたり、この短編集を編むことになったが、ここに収録された作品群は、私にとって非常に「つらい想い出」の作品ばかりなのである。

(前掲書 「あとがき」 p.270)

 小松がこの文章を書いてから、更に20年以上経過し、リアルな戦争体験を知る世代も極めて少なくなっている。同時に”あの戦争”の意味も、また時代の中で変化しつつある。

 時代が経過すればするほど、対象を歴史の一つの客観的な「事件」「事象」として捉え、評価することが容易になるように思える。より客観的な視点といえば確かにそれは一面の真実だが、その一方で実際に起こった「リアル」な経験自体が、その世代がいなくなることにより評価の中から薄れてしまうことは、これもまた不当なことであろう。


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立ち飲み屋探訪:大倉山駅「ハマケイ」テイクアウト焼き鳥専門店内の立ち飲み!

 東横線大倉山駅を降りてすぐのところにある焼き鳥屋「ハマケイ」に行ってきた。ハマケイ自体はテイクアウト焼き鳥屋として知られているが、この大倉山店には、隣接する場所に本格的な立ち飲みスペースがある。

 焼き鳥だけでなく他メニューも豊富で、なかなかの人気店である。

 ホッピーセット370円。中、外ともに210円。今回は焼き鳥5本セット580円と組み合わせて900円という50円お得なセットを注文した。ホッピー指数は2である。

 写真にあるような番号札を渡され、ツマミができると、この番号で呼び出されるシステムである。

 焼き鳥5本セット。たれ、塩のチョイスは”お任せ”にしたらタレになった。つくね、ねぎま、もも、かわ、レバーである。

 やはり専門店だけあって、どれも美味い。まさに焼きたてが出てくるので非常に贅沢感があり、酒が進むのである。

 ポテサラ160円。これもなかなか。

 店内は横長になっている両サイドカウンターであり、端に1箇所あるレジでその都度現金払いで注文する方式である。要するにセルフ方式である。

 なので、カウンターのレジ側でない端に陣取ってしまうと、お客が満員の中をレジまで行って追加注文しにいくのが結構大変なのである。

 さらには新規のお客が来ると、それとも干渉して、結構頼みにくい。混んでなければ良いのだが、人気店でもあり満員の中でも新規客が次々と入ってくる。

ホッピー中のダブル(420円)

 それもあってレジまでの行き来のロスを無くすべく、ホッピー中を注文する際に「ダブル」で420円でお願いした。これをチビチビやって満足のベロベロとなった。


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【町内会】2019年どんど焼き(左義長)が無事終了、いよいよ役員任期もあと少し

 今年も町内会のどんど焼きが無事終了した。

 昨日は初雪の降る中準備をしつつ、天候がどうなることかと思っていたが、結果的に昨年並みの快晴であった。

 年々ヤグラの規模が小さくなり、参加者も少なくなる気もする。

 これは町内会の規模縮小に加えて、街中でのファイヤーなので、灰が近隣民家に降ったりしてなかなか気を遣うイベントになってしまったことも要因の一つであろう。

 なかなか世知辛い世の中になってしまったのである。

 今年の4月から始まった私の町内会役員の任期もあと少しである。あとイベントとしては1年に1回の定期総会のみを残すこととなった。なので、その議案書の作成など、まだ業務は結構残っているので、終わった感はなく、微妙である。

 とはいえ、来年の役員もまだ選出されていない。

 やはりここ数年の傾向で

 ・高齢化して役員の仕事はできない
  →そこをなんとか、みんな同じ状況なんだから
   →じゃあ町内会から脱退する
    →それは困る

 という負のスパイラルにハマっている状況は全く好転していない。むしろ悪化の一途を辿っている。

 また、1つの町内会に規模を問わず割り当てられている各種の外部役員も、既になり手がおらず、これもまた長期化して同様の状況になっており、そうした人たちが80歳を超え出して、いよいよ誰も割り当てできなくなる状況も見えてきた。結局、そうした業務ってボランティアのようなものなので無償である。

 例えば、無償で雨の日も風の日も雪の日も月曜日から金曜日まで、踏切で小学生の見守りをしなくてはいけないのである。子どもの安全に関することだから、サボるわけにもいかない。体調が悪い日にも変わりはいない。

 そんな状態では、地域の仕事というには大義もないし、インセンティブも起こらないであろう。

 自治体としてはより上位の方針に基づき、より安全安心に力を入れる。その一方で地方行政の予算はなく、末端には全く行き渡らない。

 オリンピック対応だの、不審者からの児童の見守りだの、大地震への避難対応だの、空き家の管理だの、高齢者1人世帯の見守りだのといった”何か事件が起こるたびに不可逆的に増えて、決して減らすことはない管理の課題“の実行をどこが担うかというと、この町内会という最小単位で吸収しなくてはならないのである。

 繰り返しになるが、地方自治体としては町内会に実行レベルを委譲していく方向性があり、最小単位である町内会において、こうした少子高齢化の矛盾を直面させているのである。

 そうした町内会の負のスパイラル、長期低落傾向に関しては、役員会のたびに議論に登るようになっている。

 しかし、こうした最小単位の内部議論なんぞで結論は出ないであろう。そんなことは知っている。知っているけど、誰も助けてくれないから焦りに焦って結論の出ない会合を開くのである。

 現役世代としては、もはや若干の諦めムードすらある。いずれ結論は出る。おそらくカタストロフィーとしてであろう。それも緩慢な進み方で。

 誰も明快な回答を持っていないし、自治体側にしても明確なビジョンを持っていない。個人的には、これこそ政治の問題と思う。

 なかなかこの状況は厳しく、いわば真綿で首を絞められている状況は続くのである。

 

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立ち飲み屋探訪:大倉山駅「大倉山もつ肉店」レトロ系漂う店構えで、水曜木曜限定の”もつ煮込み”を食べる

 大倉山の駅前から5分くらい歩いた先の大通りを1本曲がったところに「大倉山もつ肉店」はあった。

 ものすごいレトロな店構え。店内は狭く、3人くらいしか入れなそう。肉屋のような店先に立ち飲みができそうなスペースもある。

 さらに1名扉の前に立っている人もいた。これは一体?立ち飲みエリアらしき場所は空いているが、すぐに行って良いのかどうかわからない。

 老舗の暗黙ルールすらありそうな感じである。逡巡の末、声をかけてみる。

 「ここ、立ち飲みできるんですか?」とおずおずと問いかけると「いいですよ」との返答。よかった。扉の前に立っている人は、テイクアウト待ちであった。

 メニューを見ると、店内の張り紙しかない。

 まずは瓶ビール大(サッポロ):700円を注文。

 「お勘定は先ですか?」と聞くと、「最後でいいですよ」とのこと。

 何を頼もうかとみたら水・木限定の「もつ煮込み」400円があったので、これを注文。

 食べてみるともつの臭みがほとんどなく非常にうまい。これはアタリである。

 そろそろ串を頼もうかな、として、ハツ(100円)とレバー(100円)を2本ずつ。さすがのうまさであった。レバーもいける。

 隣の先客の老人は、煮込み、もつ焼きや野菜串をガンガン頼み、さらにはビールをチェイサーに熱燗をお代わりしている。すごい先輩である。

 こちらも中瓶を追加し、満足。

 入りにくい雰囲気はあるが、レトロな空気と旨いモツで大変満足である。

 

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富士そば町田店で「ポテトチップスそば」を食べてみた

 正月に、遅めの朝食を食べようと、富士そば町田店を通りかかると、何と新メニューであろうか「ポテトチップスそば」を見つけた。

 ”ポテトチップス”と”そば”・・・少々微妙である。ポテトチップス自体はあまり好きではないのだが、そばの甘めの汁には合うような気もするし、年越しに食べた鴨そばでは、鴨肉の脂が乗った汁が美味かった記憶があり、ダシとしては「あり」のような気がする。

 食券をカウンターに出すと「少々お時間をいただきます」とのコメント。おや?かき揚げのように、店内で揚げるパターンであろうか?

 「ポテトチップスそば」450円が到着。もろにポテトチップスが乗っている。

 ポテチ単体として見ると、のり塩チックな感じである。青のりが載っている。ポテチは自家製であろうか。ここは当初計画通り、ポテトチップスを汁に沈め、ダシとして使用する。

 そばを食した後に、ふやけてシナシナになったポテトチップスを食べる。これはこれでうまい。ダシ汁に脂も出ている。

 しかしながら少々パンチには欠けるのは、植物性だからであろうか。

 関連記事:富士そばの「煮干しラーメン」が意外に美味い件

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真鶴にて2019年初釣り惨敗と強制的仕事初め

 今年の冬季休暇はカレンダーの関係で例年より多く、何と9連休であった。とはいえ様々なイベントや儀礼は変わらずあって、なんだかんだであまり休みらしい休みになっていない。・・・という感想自体も例年通りなので、まあ通常運転の新年なのであろう。

 久々に真鶴で釣りでもやるかという気になった。しかし、完全に勘が鈍っており、どこに行くか、何を釣るかの考えがまとまらない。ポイントの記憶もうっすらで、やはり継続していないとダメである。とりあえず過去の記憶を頼りに、コンパクトロッドによる”なんちゃってウキフカセ”で小メジナ、小ウミタナゴ狙いとすることにしてみた。

 早川港より西方向の国道135が混む事だけは、経験的にわかっているので早朝移動で8時に真鶴某所に到着。早速釣りの準備を始めるが、久々過ぎて仕掛けの作成の手もおぼつかず、ヨボヨボ状態である。

 苦闘15分でウキフカセ仕掛けができた、と思った矢先に、スピニングリールのスプールを上げていないことが最終段階で判明して一からやり直す、ロッドのガイド1本に糸を通していないことが最終段階で判明して一からやり直す、挙句の果てにコンパクトロッドを落として根元のプラスチックネジが割れてしまう、などの種々のトラブルに見舞われた。

 もういっそ帰ってしまおうかという思いもよぎったが、何とか歯を食いしばり忍耐力で耐えて、いよいよ我慢の限界に達した頃、ようやく仕掛けが完成した。

 と見ると、目指す釣り座(ポイント)に先客が。完全装備のウキフカセ師である。あれれ、どうしてかな〜。僕の方が先に到着しているのに〜。確かにちょっと離れた位置にいて仕掛けを作るのに30分くらいかかっていたけど、明らかにこのエリアで、まともに釣りができる場所ってその釣り座がベストで、その優先順位1番の場所に黙って入るかな〜。

 いきなりの場所ロストである。

 まあ相手は正統派ウキフカセ師で、こちらは”なんちゃってウキフカセ”なので、気後れもする。要するに装備的には本気度と気合が違うのである。ただハゼ釣りであろうが、ヒラメ釣りであろうが、この世界、先に来た方が優先ではなかろうか。

 実際のところ、竿の長さも半分くらい違うので、そもそも仕掛けを投入可能な距離が異なる。したがって、ポイント自体の干渉はしないのだが、釣り座が干渉するのである。

真鶴某所、テトラの向こうにポイントがある(正確には、昔はあった)

 若干の不機嫌さを感じつつ、仕方なく別の場所を探し、おかしな態勢で釣りをする。まあ結局、この世界は釣った方が勝ちなので、結果で証明させてやると覚悟を決めた。

 まずは10円玉を海へお賽銭代わりに投げて、今年の釣りの安全を祈る。

 ・・・釣れない。昔はもっと活性があった記憶があるが、その記憶は5年前。やはり時代は流れる。生体反応ゼロで釣り座も姿勢がいまいち不便なので次第に飽きてきて、釣りを一時ヤメ、後ろの方からぼーっと正統派ウキフカセ師の動きを見ていた。

 正統派ウキフカセ師も全然釣れてない(ニヤリ)。

 少し気分が晴れてきた。投げては返し、餌取りすらおらず、ひたすら”海に糸を叩きつけるスポーツ”をしている。いやぁ、素振りがお好きなようで、大変そうですな(嫌味)。自分が釣れていないと地獄であるが、他人だと楽しい(性格悪い)。

 そうしていると正統派ウキフカセ師はやはり釣れないと見たのか、場所を移動して行った。まあ、後ろでニヤニヤ見ていた壊れたコンパクトロッドの変な奴の視線に耐えられなくなったのかもしれない。

 そして。

 正義は勝つということで、目当ての釣り座に到着である。釣り座は同じでもポイントが違うのであるから大丈夫、勝算はある。

 ・・・やはり釣れないのである。そうしていると、油断したのか突然大波が。

 バスタブ1杯分くらいの海水が私の前面を覆っていった。避けることもできず、一瞬にして下着まで浸水である。一応上着はレインウェアを着ていたはずなのに、先ほど”素振り”を見ている際に、熱いコーヒーを飲んで暑くなって、上着の前を開けるという凡ミスをしていたのであった(罰が当たったとは思いたくない)。

 いきなりの1月の冠水で、一気に体感温度が下がる。真鶴で上半身裸になりバスタオルに包まる羽目に。そんな私の横を、家族連れの観光客がまゆをひそめて通っていく。正月の海で何が悲しくてこんな屈辱的な格好にならねばならないのか。当然着替えがあるわけもなく、もうダメ、ギブアップということで終了である。

 わずか1時間の初釣りであった。

 素肌に直接レインウェアを着込んで車で帰宅した。寒い。さらに海水まみれでゴワゴワである。

 家に着くと今度は自宅のシャワーが故障しており、ぬるま湯しか出ない(罰が当たったとは思いたくない)。

 仕方なく、風邪覚悟でぬるま湯シャワーを浴びて、やけ酒でも飲もうかと思ったら、今度はLINEが。

町内会からの連絡である。会員のご家族の訃報が入り、緊急で回覧板で情報回覧する必要に迫られ、強制的に町内会の仕事初めとなった。当然のことながら、この手の話は時期を読んでくれるわけではないので止むを得ないことではあるが。

 風邪気味の肉体で、PC起動、文書作成し、手渡しで班長さん達に至急回覧の文書を配布するべく町内を歩き回った。回覧途中で内容訂正が入り、再度回収、再配布というアクシデントもあったが、もうどうでもいい。非常に疲れた。今年の運勢に一抹の不安が生じるのであった。

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