【書評】萩尾望都「一度きりの大泉の話」–いま造られつつある”歴史”への全面的拒絶宣言、および、自己肯定と自己否定の埋められない溝

 前記事で竹宮惠子の著書「少年の名はジルベール」を読んだ後に、萩尾望都「一度きりの大泉の話」(河出書房新社)を読んだ。

 参考記事:【書評】竹宮惠子「少年の名はジルベール」”大泉サロン”に集った少女マンガ家たちの青春と先駆者たちの苦闘、そして。

 竹宮惠子の著書が、それなりに悩みは抱えつつ基本的には明るく、懐古的(色々あったけど、今振り返ってみると良かったね!的な)だったにもかかわらず、とんでもなく火の玉ストレートな拒否のメッセージを萩尾望都が、ぶちかましているのである。もはやある時点から竹宮惠子の作品は一切読んでいない、と宣言するくらいにである。

 この話題はもうこれきりにしたい、という覚悟で、自分視点での”大泉サロン”のアナザーサイドストーリーを振り返る。そして、そこには萩尾望都にとって、許せない一線を超えられてしまった恩讐のような思いが根底にある。それこそ竹宮惠子と同列に語られてしまう少女マンガ家の「花の24年組」という歴史的解釈すら拒否するほどの。

 本書では、こうした非常に重い記述が続く。受傷した萩尾サイドの視点からの、真っ暗な部屋で一人孤独に苦しむ人の告白を聴いているような、息詰まるような緊張感で横溢しているのである。

 竹宮惠子としては「色々あったけど、私が若さゆえの一人相撲だった。ゴメンね(一応謝る)、そんな時代もあったねと〜♪」という感じで、良い思い出に包んで”大泉サロン”の歴史を総括をしようとしたものの、萩尾望都としては100%拒否の姿勢で、その献呈された著書(「少年の名はジルベール」のこと)を読まずにマネージャーが送り返すほどの状態であり、今回のこの著書によって竹宮サイドの記述を全てゼロにされるくらいの攻撃力を持っているのである。

 更に事態を悪化させたこととして、当事者以外の外野も巻き込んだのも悲劇の一端というべきのようだ。変なイベント企画屋みたいな人もこの話題に絡んできており、受傷した側の萩尾望都にとってはまさしくアイデンティティの「危機」であったのだろうと思う。

 お互い創作者として鋭くナイーブな感性を持っていながら、最終的なギリギリの局面において、「自己に対する肯定性」を持つことのできた竹宮惠子と、一貫して「自己に対する否定性」を持ち続けてしまった萩尾望都の二人は、やはり噛み合うことは難しいように思う。

 更に、萩尾がこの著書で振り返った歴史的解釈において、創作者にとってのオリジナリティに対する意識の違いが、竹宮のプロデューサー的役割、かつ、この”大泉サロン”のキーパーソンの一人への評価の違いとして描かれ、これは萩尾視点では決して埋められない溝として描かれている。

 そして、これは拡大解釈だと思うが、当時竹宮たちが同世代としてシンパシーを覚えていたであろう70年代の学生運動の高まり、すなわち「革命」に対する、萩尾からの強烈なアンチテーゼとも思えてしまう。

 ”あなた(竹宮)の総括は、歴史を権力によって都合よく事後改変しようとして批判された(学生運動の当事者が批判していた)スターリニズムのそれと同じではないか”と。

 まさに歴史がどう造られるのか、それを目の当たりにしているようだ。

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【書評】竹宮惠子「少年の名はジルベール」”大泉サロン”に集った少女マンガ家たちの青春と先駆者たちの苦闘、そして。

 竹宮惠子「少年の名はジルベール」(小学館)を読んだ。今話題の本である。 

 2016年出版のこの本が、今現在話題になっているのには理由がある。本書は竹宮惠子の自伝的エッセイなのであるが、最近になって出版された萩尾望都「一度きりの大泉の話」によって話題となった。この2つの回想を、竹宮→萩尾の順で読んでみた。

 竹宮惠子と萩尾望都がともに漫画家を目指して地方から上京してくる。そこで、ある一時期に練馬区大泉のオンボロ長屋で同居生活を行った。ここに当時の少女漫画家の卵たちが集ったという。

 これを”大泉サロン”と呼ばれることがあり、女性版トキワ荘のようなイメージとともに、ある種の成功伝説のようになっている。この女性版トキワ荘の主役の一人は、この竹宮惠子であり、そしてもう一人は萩尾望都であった。

 どちらも有名なマンガ家である。彼女たちは、新しいマンガ形式を模索するために、議論し悩んでいく。そこには熱気があった。

 この”大泉サロン”は約2年で自然に解散してしまう。それぞれが別々の生活を見つけていく。

 当時から、この解散の経緯には色々な噂があったようだ。具体的にいえば、竹宮恵子と萩尾望都の間に、何かしらの”衝突”があったらしいということが囁かれていたらしい。

 このいわば、出会いと別れからなる青春生活を、本書で竹宮惠子は自分の目線で綴っている。そして、萩尾望都との別れについて、自分から「距離を置きたい」と切り出したと記述している(p.178)。そこには、灼熱の太陽に照らされ続ける焦りにも似た、萩尾望都の才能に対する「嫉妬」の感情があったとする。

 当時はタブーであった「少年愛」をマンガによって描く、そのために固定観念に縛られた出版社の商業主義と戦うために竹宮は苦労する。まさに先駆者の苦しみである。ライフワークともいえる「風と木の詩」を掲載・出版させるための様々な戦略的苦闘も描かれるが、竹宮惠子にとって萩尾望都はそうした苦しみすらも、誰もが認める才能によって易々と乗り越えてしまうような”恐怖”を覚えているようだ。

 竹宮惠子自身も一流のマンガ家であり、何もそこまで、と読者は思う。

 私も大学生時代に読んで驚愕した名作「風と木の詩」や、社会人になって読んだSFコメディ「私を月まで連れてって」など、全く卑下する必要すらない作品群を生み出していると思うのだが、萩尾への当時の出版社の対応ー当時から描きたいものの掲載が確約された対応、やファンからの声の違い、さらに表現者・創作者としていちばん目の当たりにしたであろう萩尾のホンモノの「才能」に、本人も記載している通り「自家中毒」(p.177)になってしまったようなのである。

 この本は一貫して竹宮惠子が愚直に悩む姿が描かれているものの、全体としては明るい懐古風のトーンとなっている。ラストには改めて萩尾望都らへの感謝も記載されている。

 読後感は悪くない。振り返って様々な苦労をともにした”戦友”あるいは”同志”への”総括”メッセージとも取れる。

 だが、人間関係というものは複雑であり、2021年に出版された萩尾望都の著書「一度きりの大泉の話」によって、再びこのイメージはひっくり返される。芥川の「藪の中」と同様、それぞれの視点によって見える現実が異なっているのである。

 竹宮惠子にとっての「総括」を、萩尾望都は全面的に否定するのである。

 萩尾望都「一度きりの大泉の話」の読後感については別記事で記載したいと思う。

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米菓業界の”サンシャイン池崎”?ー”餅を愛し、餅一筋に生きる”「もち吉」の「いなりあげもち」は、ひと手間かけるが、美味かった

 先日街で見つけた、「もち吉」の看板キャッチコピー”餅を愛し、餅一筋に生きる”に目がとまった。

 サンシャイン池崎ばりのものすごいプライドを感じるキャッチ。店内には、煎餅やお餅が。

 店内で見つけた「いなりあげもち」を購入してみた。

 油あげと餅が分離しており、自分で油あげの中に餅を入れ、レンジでチンする方式。

 この手の自分で調理させるひと手間がある製品にハズレは少ない、という個人的経験(お菓子のモナカでも、餡子と皮が分離しているタイプが激ウマである)もあり、購入してみた。

 4個入りで345円である。

 こんな感じでパックに入っている。餅は小さめ。レンジで2分弱チンする。

 完成。

 餅が柔らかくなっており、稲荷寿司の味でありながら、食感は餅であるという不思議な感じ。そして、美味い。

 これはなかなかの製品。サイズも小さめなので、ダイエットにもちょうど罪悪感のない、いい感じ(?)である。プレーンだけでなく、梅味もある。

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タクシー運転手やシニア御用達の「山田うどん食堂」で朝7:00の「肉つけうどん」

 先日所用ができて、八王子方面で朝早く6:00くらいから、車で移動して用事を済ませる必要ができた。

 一段落してさて、朝食でも、と思うがこの時間帯でなかなか開いている店も見つからない。ファミレスもあったはずだが、この緊急事態宣言中の時短だったり、そもそも廃業したりして、なかなか彷徨う羽目になってしまった。

 そして見つけたのが「山田うどん食堂」。安定の営業である。埼玉がルーツのフランチャイズであるが、八王子市民としては、昔からこのカカシのマークはお馴染みであった。

 朝メニューで納豆定食などもあるが、ここは「肉汁うどん」を大盛りで。2玉分で780円である。

 ボリューム感たっぷりで、だし汁も肉、油揚げ、ネギがたっぷりあり、ユズのアクセントも効いている。

 満足である。

 朝7:00であるが、タクシーの運転手さんや、ご老人(1人、夫婦、友人づれ)が、入れ替わり立ち代わりに朝食を食べにきている。ファミレスとはまたどこか異なる客層で、昔懐かしい感じで非常に安心できる。

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琵琶湖線草津駅「お食事処・中華料理 ときわ」–駅からちょっと歩くが、近江ちゃんぽんの名店を発見!【オススメ】

 琵琶湖線草津駅周辺で、用急(不要不急の逆)の仕事があり、徒歩でトボトボと帰宅していると、定食屋を発見。「お食事処・中華料理 ときわ」。草津駅からは少し離れており、徒歩で10分、1.2km位の距離にある。

 佇まいは、このような民家のような定食屋である。

 入ってみるとやはり定食屋の雰囲気で、テレビがあり、マンガもある。まさに大学生や単身赴任のサラリーマン向けの定食屋の様相なのである。

 ただメニューがすごく多く、中華とうたっておきながら、いわゆる定食、丼、ラーメン、うどん、そば、焼きそば、ちゃんぽん、カレー、果てはデザート、当然のようにお酒のメニューもある。更にはスイーツまである。

 なかなかの面白い感じで、実際にも夕食時に1人で来訪するお客が多い。

 まずは瓶ビール大・580円。ツマミは「エビと卵のふわふわマヨネーズ」580円。基本的に定食のおかずがベースになっているのか、量も多めである。

 そして、定食屋で1人といえば、やはりゴルゴ13であろう。

 近江ちゃんぽんもあり、野菜の量が倍々で増やせる。今回は2倍の「野菜たっぷりちゃんぽん」650円。これはスープもコクがあり、野菜や具も大量にあり、非常に美味く食べ応えがある。

 これだけでツマミにもなる上に、酢を入れた味変の感じが非常に芳醇で、手作りの職人技があるようだ。非常にうまい定食屋で、これは攻略したくなるのであった。

 飲み屋ではなく定食屋なので、オーダー受けてからの到着にタイムラグがあるが、1品1品はボリュームがある。タイミングをうまく考えれば、非常に使い勝手の良い名店のような気がする。

 そんなこともあり、既にその後も2回も通って、ひたすら、ちゃんぽんを食べている。

 タイムラグ問題は、順に頼まず、最初にツマミと一緒にちゃんぽんをオーダーしてしまうことで解決。これは野菜のトリプル(3倍増し)。具の部分のツマミ能力も高い。またハイボールも濃いめなので、ペースを把握すれば非常に快適な時間となるのであった。

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これは”ホテルあるある”なのか?クリーニング代370円を730円で請求されて、疑問を呈したら逆にフロントに食い下がられた話

 色々あって、最近ビジネスホテルに長期滞在していることが多くなった。

 QOLにとって問題なのは、やはり洗濯である。下着だけでなく、Yシャツなども大量に持っていく訳にもいかない。

 下着、靴下、ハンカチなどは、ホテルの部屋で洗濯し、部屋で干す。しかしアイロンが必要なYシャツはそうも行かないのでホテルのランドリーサービスに出す。

 朝出かける時にランドリーバッグに入れてフロントにお願いすると、夕方には特急でYシャツができている。割高ではあるが、これは納得である。ちなみに価格は370円である。

 実際地元で時間をかけていいなら100円台なので、割高だが当日特急ならばやむなしである。

 と思っていた。

 だが事態はなかなか更に上を行くもので、本日あった出来事はこうである。

 フロント「(Yシャツ1枚を返して、電卓を見せながら)730円です」

 ぼく「えっ」

 フロント「730円です」

 ぼく「(何かの間違いかもしれない)えーっと、たぶんその価格って違うんじゃないすかね」

 フロント「いえ、お客様、こちらが決めた料金でやらせていただいていますので」

 ぼく「(そうなんだ、でも昨日までは370円だったけど)でも、違うような」

 フロント「いえ、そうではなくて、お客様が出していただいた時点で価格はこちらで決めさせていただくので」

 ぼく「(そうなんだ、でも流石におかしいような気がする)いや、おかしいですよ」

 フロント「(向こうもちょっとキレて)伝票を見ていただければわかります通り(伝票を出す)」

 そして、そこには370円と書かれているのであった。

 おそらく超好意的に考えて、伝票を客側に見せているので、読み間違っていたのではないかと思うが。あるあるなのか?

 フロントからも謝罪されたので、まあ問題はなかった。私の財布も損はしていないので満足とすべきなのであろう。

 だが、この金額でやりとりしたこの「ラリー」のもやもやは解消されてはいない。向こうは私を「ホテルのクリーニング代は高いんですよ、発注後にそんなことを言われるのはおかしいですよ」と諌める、私は「いや、そんな議論はしてないんだけど」というすれ違い。これは、一体なんだったのであろうか。正直そこそこの格式あるホテルなのに。そんなに値切るクレーマーが多いのであろうか。

 そんなこんなで、今部屋で一人、ホテルにある「総支配人宛」の封筒を前に悩んでいるのである。フロントの実名もわかるし(思わず名札をチェックした)、どうしようかと。

 ここは関西であり、私も関西人であれば「おんどれ、支配人を呼んでこい!口だけではなく、謝罪と誠意を形でしめさんかい!何が謝罪になるのか己で考えんかい!」と交渉する流儀がデフォルトなのであろうが(スーパー偏見)、私にはそんな文化もないので、非常に悩ましいのである。

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京都駅構内琵琶湖線ホーム「麺屋京都上かも」で、立ち食いうどん。

 こんな状況ではあるが、関西方面への出張が入った。今回は1週間くらいのやや長めである。

 京都駅に到着し、腹ごしらえということで、琵琶湖線上り2,3番線ホームにある立ち食いうどん・そばの店「麺屋京都上かも」へ入店。関西系のダシはあまり馴染みがないので、楽しみである。

 食券を購入。大荷物も持っているので冷やしが良いだろうと、「冷やしかけ梅おろしうどん」(390円)に大盛り(120円)で。大盛りは1玉追加とあるので、2玉になる。

 L字カウンターで、新型コロナ対策の仕切りもあり、あまり多くは入れなそう。3密対策もあるから、5名くらいが限界か。

 うどんは柔らかめの感じであるが、ダシはさっぱり系でなかなか。梅の酸っぱさに、これからの季節にもちょうど良さそう。サクッと食べて、在来線でまた移動である。疲れるなぁ。

 

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【書評】宮川ひろ「春駒のうた」–被害者の受傷と加害者への攻撃性がロックオンし、その膠着からの再生の予感を描いた児童文学の名作

 宮川ひろ「春駒のうた」(偕成社文庫)を読んだ。1975年出版の本であり、児童文学作家であった宮川ひろの初期の名作である。

 「春駒」とは、伝統芸能である門付の一つのことで、馬の形をした人形を持った一座が村の家々を回り、歌や芝居を見せるというもので、春を告げる山村の一大イベントであった。

 ポリオ(小児麻痺)にかかって右足が不自由になった主人公の少年・圭治、その祖父・文三、そして担任の先生・園田が軸となって、群馬県の山奥の村を舞台に描かれる物語である。

 圭治はポリオにかかり、片足が不自由になる。松葉杖が必要になり、それによって今まで遊んでいた友人たちとの関係から、不登校になってしまう。友人たちも悪気はなく、またお互い、受け入れられたい/受け入れたいという感情があるものの、些細な「行き違い」によって、それはなされない。

 いまあっさりと「行き違い」と書いたが、それはあくまで多数の第三者的視点であることは言うまでもない。<傷つく少数者>と<傷つける多数者たち>との関係は、本質的に「対称」ではない。非対称なのである。

 つまり、本書で描かれたような稚気による”からかい”や”いたずら”が、少数者である圭治にとっては、決して単純な仲直りでは立ち直れない心理的な傷となるように正しく描かれる。

 そしてその傷を受けた圭治にかわって祖父・文三が、分校の教師たちを攻撃する場面を著者は描く。

 その行動は、戦争で父(文三にとっては息子)を無くした圭治への愛そのものに依拠している。攻撃することによって、圭治のハンディキャップをカバーしようとする思いも込められている。だが、その攻撃は集団にとっての無謬性の禁忌を刺激することになり、何も解決もなされず、かといって後退もしない。集団の事なかれ主義によって、ただ凍結させられている。これも、こうした事件の被害者と加害者の関係を象徴的に示している。被害者が次の加害者となることもある、と言うことを。

 文三の攻撃によって教師が定着しなくなった分校に赴任する若い女性教師・園田によって、この膠着状態は少しづつ変化を始めていく。しかし、それでも長続きはしない。やはり圭治は不登校になり、祖父・文三は攻撃性を捨ててはいない。

 これは全き正しい構図である。

 理想主義や超越的な何かを物語に導入することでは、こうした個々の傷は決して解決しないことを正しく描いているのである。そこに、この小説の凄さがあり、典型的な児童文学に堕ちていないことを示している。これは現代においてもレベルの高い視座であるといえる。

 そして、本書では最終的な救済を<自己>の中に求めた。

 他者はその契機を与えるだけであり、自己を救済するのは自己の内部に求められると。

 契機とは、圭治が見た、肢体不自由でも自力で立ち、歩こうとすることをやめない子供たちの姿であった。

 あくまで本書では解決の姿は描かれない。

 園田先生は、春駒の前の日にやってきて、まだ物語の最後でも春駒を見ていない。表題にもなった「春駒」はこの小説の初めと終わりを意味する「節目」を意味するだけのランドマークであり、本筋は違うところにある。

 だが、そこには受傷からの再生の予感が描かれており、その結末の描き方も非常に爽やかな読後感であった。

 

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【書評】岩井俊憲「人間関係が楽になるアドラーの教え」によるビジネスシーンでの負のスパイラルからの脱却のヒント

 岩井俊憲「人間関係が楽になるアドラーの教え」(だいわ文庫)を読んだ。

 ベストセラー「嫌われる勇気」などでアドラー心理学が話題になっていた。ただ、これをビジネス文脈まで拡張されると少々牽強付会というか、自己啓発チックな香りが漂うので敬遠していたのだが、この度必要に迫られ、読んでみた。

 ビジネスでもなんでも、うまくいっているうちは、好循環が回っているので少々の課題があっても勢いで何とかなるが、いったんそれが厳しい方向、退潮方向に進み始めると、今度は悪循環、すなわち負のスパイラルに陥る。そうなると、どんどん悪い方向に加速をつけて転がっていくことになる。

 組織もイナーシャ(慣性)があるので、いったん悪循環になると、その回転速度を遅らせ・停止させ・逆方向に回すということには非常なエネルギーを伴う。人間もそして組織も現状維持バイアスがあり、なかなか方針転換などもできないものである。

 具体的に、部門最適(個別最適)思考、部門間の壁による蛸壺思考、モチベーションの低下、足の引っ張り合いなどが起こり、いかに高性能エンジンを搭載しても、駆動伝達系の摩擦抵抗が大きいので、ほとんど摩擦熱に変わってしまい、有効な駆動力として使用されるのはほんのわずか。非常に効率(燃費)の悪いクルマのようなものなのである。

 しかし、再建・改善・改革という行為は、その経営者や一部の旗振り人間だけが偉そうに理想論を言っても効果はない。そもそもそれがわかっていれば、自力で改善できるのである。個々の人間も理解しているが、結果的には組織としては負のスパイラルになる。個人行動的に効用を重視した結果、全く意味のない結果を産んでいるのである。

 よって構成メンバの意識を、一つの目標に向かってベクトルを揃える必要がある。各自のベクトルが揃っていないということは、気体分子運動論のように、運動の方向を平均すると相殺してゼロ、マクロ的には「その場から動いていない」ということになってしまう。

 こうした目的から、再建のために構成員のマインドをまず変えることは非常に重要であり、こうした心理学的知見も援用する必要があるであろう。

 本書は「人間関係」に注目しているが、ビジネスシーンでも読み換えることができる。

 アドラー心理学では、外部環境は変えることができない前提条件とし、変えることができるのは「自分」「自分の行動」であるとする(自己決定性)。できない理由をつくり出す「原因論」ではなく、目標を決めて現在から未来への行動を建設的に考える「目的論」が重要であるとする(目的志向)。

 ビジネスシーンにおいても、

 「できない理由から入り、次から次へとできない理由を述べ続ける。また、自分でコントロールできない(環境要因)と、自分でコントロールできる要因の区別をせず議論する。そして、自分でコントロールできない要因を前提条件とせず、あくまでそれが目的を達成できない理由だと主張する」

 「過去の経緯(しかも属人的な理由が多い。権威のある誰々さんがこういった、など)を意思決定の材料とし、現在を起点に未来を考えることを避けたがる」

 「自己の既得権益にこだわるが、他人の既得権益については鈍感」

 などの例を想起し、これらは負のスパイラルのイナーシャそのものである。

 こうした事例からの脱却の直接的なヒントとして、アドラー心理学の示唆する「自己決定性」や「目的論」は有効であろう。

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【近況】異動になってしまった

 最近、身の回りに変化があった。

 具体的には「異動」である。異動自体はこれまでも何度もあって、最近では3年前だが、今回は比較的大きな環境変化を伴うものであった。

 業務内容は広義の「技術企画」と変わっていないのであるが、その対象が変わったという感じである。

 その結果、勤務地が変更になり、周囲の環境も変更になった。

 新しい環境、新しい人間関係、業務システム、全てを再構築である。

 おまけにコロナ禍でコミュニケーション手段の制限もある。

 その一方で、新しい職場では、よりフロントラインに近くなった。さらにより困難な環境になった。解決すべき課題は山積みで、しかも待ったなしの状況である。

 例えると、昭和20年8月前半くらいの日本のような状況である。もはや無理ゲーのような気もするが、「地には平和を」みたいなifもあるので。

 まあ今まで別の立場で、偉そうに遠くからアレコレ理想論を言ってたら「OKY」(=お前が・来て・やってみろ)になってしまったというべきなので、嘆いていても仕方がない側面もある。自分の蒔いた種というか、自業自得というか。

 ただ、自分の信条として、まっさらの雪に最初に足跡をつけるような新規環境、未踏の状況は嫌いではない(むしろそっちの方が好き)。さらに、苦しい環境の方が、最初からマイナスのスタートなので気楽と言えば気楽である(強がり含む)。

 経験は自分では選べない、というが、得難い経験をしていると思っている。だが、その結果として傷だらけにもなっているという昨今である。

 個人的にも厳しい状況ではあるが、製造業の立場からすると、マクロ的にみてバブル崩壊から次第に続いてきた「日本のものづくり」が直面する課題、すなわち”日本でものづくりをする意味があるのか?”という問いへの最終ジャッジポイント、瀬戸際だといえるのかもしれない。

 正攻法なものづくりは既に「過剰品質」のレッテルを貼られ、DXだ、UXだ、IoTだというバズワードだけはあるが、結局儲かっているのは”ツルハシビジネス”だけというこの状況(異論はあるはずだが、いまだに納得はいかない)。

 ゆでカエルになった日本の製造業にとって、この時点では”刀折れ矢尽き果て”という内部状況と思う。反転攻勢というのは簡単だが、そもそもその体力すら残っているのか?という絶望感すらある。

 だが、最後の正念場と思って、残り少ない知恵を絞ってやっていくしかないのである。

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