イーアス高尾にある「自然薯とそばの店 高尾の桜」の「自然薯とろろそば」が絶品!

 八王子市の高尾駅近くにある大型ショッピングモール「イーアス高尾」に行ってみた。なかなか大規模なモールで、一通りのモノが揃いそうな感じである。

 食事を、と考えてレストランを眺めていると「自然薯とそばの店 高尾の桜」がある。高尾山といえば”とろろそば”ということもあるが、この時点では、あまり期待せず入店。

 「自然薯とろろそば」1,343円を大盛り(+278円)で。

 自然薯は味がついており、蕎麦をまずこちらで自然薯に絡めて麺つゆにつけて食す。すると絡んだ自然薯が麺に固定される感じに変化するので、その後につける麺つゆがほとんど自然薯で汚れない。

 締まった自然薯と蕎麦の食感も良く、これは非常に美味いのであった。

 クルマで来ていたので、酒が飲めないのが残念だが、もう1品「丸ごと大しめじ天」602円を頼む。

 1人では食べきれない巨大しめじ。ハサミで切り分けるタイプである。米油で揚げたこの天ぷらもいける。

 日本酒もあり、今度は酒を飲みにゆっくり来たいと思わせるなかなかの名店であった。

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【ラーメン】草津駅「東印度咖喱 ら麺」のカレーラーメン

 琵琶湖線草津駅周辺で晩御飯を物色して彷徨っていると、こんな店構えのラーメン屋が。

 「滋賀県初 カレーラーメン専門店」「カレーラーメンに魂を売った男達」といった、パッション溢れる文章が書かれている。この熱量もあり、入店してみることに。

 食券方式でL字カウンターがあり、きちんと仕切りがある。

 「名物 カレーら麺」850円+麺中盛り(1.5玉)100円+青ネギ追加100円という組合せ。白いワイシャツを着ていたので不安であったが、ちゃんと紙エプロンも用意されていた。

 こんな感じで到着。スパーシーなスープはどろっとした感じで少なめ。麺は細い感じで小麦感が強い。例えは悪いがパスタ感がある。

 さらに具材として、玉ねぎ、れんこん、ネギ、パプリカ、カボチャ、カイワレなどの野菜が入っている。

 スープのどろっとした感が麺と良く絡むように設計されているようで、まさに「カレー感」がある。なかなか美味かった。ライスも多分このスープと合いそうで発注したかったがグッと我慢するのであった。

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【うどん】滋賀県草津市「開運うどん 川また」–家庭的な店で絶妙な食感の群馬名物、麺ではなくて、”面”の「ひも川うどん」

 草津市を車で走っていると「うどん」の店を発見。昼食のため寄ってみることに。

 「開運うどん 川また」。最近苦しい状況なので「開運」という言葉に弱いのである。

 民家を改造したような家庭的な店構えであり、ここは滋賀県なのに「北関東名物」群馬の”ひも川うどん”がある。ここは迷わず注文してみた。食券方式である。

 ”ひも川うどん”(880円)も40mmと80mm幅が選択できるので、80mmを選ぶ。腹も減っていたので”ミニソースかつ丼”(500円)も頼んでしまう。

 茹で時間が必要なようで15分くらいリードタイムがかかったが、特に問題はなかった。このような特徴的なフォルム。”麺”ではなくて、”面”である。群馬産の小麦を使ったと店内に説明があるこの麺(面)は食感もプルプル・ツルツルという感じで面白い。

 出汁にも拘ったとするつけ汁も、熱々で肉・ネギ・油揚げなどがふんだんに入っており、非常にうまい。

 そしてやってきあた「ミニ」のソースかつ丼なのであるが予想以上に大きかった。

 少々食い過ぎであるが、ひも川うどんを口の中で含むボリューム感がクセになる。

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【つけ麺】琵琶湖線草津駅「時雨製麺所」で、スタイリッシュかつ重厚な「つけそば」をいただく

 草津駅での夕食で色々調べていると「時雨製麺所」なるつけ麺店を発見。早速行ってみることに。

 駅近くのビルの1Fにある居酒屋テナントの一角にある。

 食券機があり事前に購入。今回は「つけそば」900円に、「大盛」150円、さらにトッピングで「九条ネギ」150円をつけてみた。

 器などもこだわった感じで、やってきた。麺がやはりこだわりのある感じで、食べ応えがあり、スープは辛めだがサッパリ感もある。

 食べ終わる頃を見計らって、割りスープがこれまたスタイリッシュな器でやってきた。

 ガツンと美味い感じで満足である。

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【つけ麺】川崎駅にある三角地帯の「らーめん峰」の濃厚「辛つけ麺」700gに挑戦

 川崎駅から尻手方向に歩き、徒歩10分のところにある狭い三角ビルの1Fにあるラーメン屋「らーめん峰」。

 この立地は結構激戦区で、色々なラーメン屋が居抜きで入っては潰れと、なかなか定着はしなかったが、この店は結構長く続いている。

 家系なのであるが、ここのウリは私は「つけ麺」だと思う。

 魚介+豚骨のダブルでドロドロな濃いめスープと、太めの麺がよく合う。700gまでは同一料金なのも良い。なんだかんだで中毒性のあるつけ麺なのである。

 今回は「辛つけダレ」100円を追加して、辛つけ麺にしてみた。

 食べ進むごとに、少しずつ麺の水分が出て、スープ濃度も変化してくる。

 なかなか良く考えられたつけ麺で、結構感心する。煮卵やチャーシューなどの具もあり、これにライスをつけても良いのだが、流石にカロリー的には断念。

 

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滋賀県草津市のオープンスペース居酒屋「大衆酒場 アメヰロ」が、コンセントやフリーWi-Fiも使えるし、ツマミもいける、1人飲みに良いお店

 草津駅から徒歩5分くらいのところにある「大衆酒場 アメヰロ」に行ってみた。

 オープンスペースになっており、入店前の消毒などコロナ対策もバッチリである。

 メニューも豊富かつ安く、1人前サイズになっているので1人飲みに適合した使いやすい店である。更にはカウンターにはコンセントがあり、フリーWi-Fiもあるので非常に居心地が良いのである。

 まずはハイボール380円。Ribbonの炭酸水である。

 鯵の刺身。この日一番高いメニューだが680円。うまい。

 とうもろこしかき揚げ350円。これも酒に合う。

 卵のつまみも結構あり、親子丼の上(アタマ)380円。出汁スープまで飲んでしまった。

 ちくわの磯辺揚げ。ボリュームたっぷりである。

 水茄子の刺身。新鮮でさっぱりとうまい。

 油揚げチーズ焼き。うまい。

 メニューも基本200円から300円で、1人前と言いつつボリュームもあるので目移りする。なかなか出張などで使い勝手の良い店であった。

 だが、少々食い過ぎである。

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製造装置メーカやプラントメーカにとって複雑なサプライチェーンを重ね合わされた市場の”潜在ニーズ”を探るために:B2(B ^X )B2C=B2B2B2…B2Cのマーケティングとは

 先日読んだ、稲田将人「経営参謀」(日経ビジネス文庫)は、アパレル市場を舞台として経営戦略をテーマにした小説であるが、そこにおいて製品戦略のためには「マーケティング」が主な手法となることが描かれる。

 アパレルすなわちB2C市場なので、消費者の行動をヒアリングや面談などで聴取し、巧みな質問と分析によって明らかにしていく。これを感心して読んでいた。いわゆる「マーケットイン」の考え方であると理解している。

 ただ、最近のB2BあるいはB2Pと呼ばれているビジネスモデルではどうなのか?という疑問が湧いた。

 最終的には消費者(コンシューマのC)にたどり着くにせよ、その前段にある材料メーカや製造装置メーカなどサプライチェーン上流側にあるメーカにとって、同様にマーケティングをしようとした場合、非常に困難を感じる実感がある。

 特に製造装置メーカなどは、個別受注型モデルを選択することが多く、その結果として中期計画などが個々の顧客の”点”だけの繋がりになってしまう。逐次、中期計画の検証・修正をしようとしても毎年看板を掛け替えるだけになり、要するに行き当たりばったりの計画になってしまうことが多いように思える。

 身も蓋もない言い方をしてしまうと、”御用聞き”にとっては、中期計画も戦略も必要ないし、存在しないのである。

 だが、それでも会社の規模によっては経営企画部門があり、彼らは毎年一生懸命、中期計画や戦略を作ることになる。しかしこれは上記のように毎年無意味な徒労に終わることが多いようだ。

 確かに戦略自体も1次仮説であり、これを小さい範囲でPDCAを回して精度を上げれば良い。「経営参謀」に正しく書かれているように、それは理解している。

 だが、サプライチェーンが多重的に重なり、最終的な「ニーズ」や「進むべき方向」のコアがボカされた結果、目の前には”伝言ゲーム”で作られた、謎に広いニーズだけがある(以下の図式)。

 こんなものを前にして進むべき方向を作れ、と言われても厳しいのも事実なのである

 芯を食った「進むべき方向」など出てくるわけがないのである。

 ちなみに半導体業界などは巨大市場であるが故に、そんなことはなく、デバイスメーカと装置メーカが業界団体を作り、ロードマップそして規格を作ってきた。こうしたイニシアチブがある業界はむしろ例外である。

 こんな状況の中で、妥協的に考えて、経営企画的に行動すると、どうなるか。

 いわゆる「プロダクトアウト」になってしまうのである。

 強い自社技術を特定して、それを生かす市場の方を探しにいくという手法である。

 だが、これは経験上、上手く行かないことが多い。確かに上記のような目の前にある「市場」が広く、薄く、ぼんやりしている場合、唯一ロジカルに解を出したように見せられる方式である。経営層にも一応「納得」を感じさせられる、経営企画部門のテクニックとも言える。実際上手くいかなかった場合、技術力が足りなかったと技術サイドに責任転嫁できる狡い手法でもあるのだ。

 だが、B2Bにおいて「プロダクトアウト」方式は、それ自体は否定しないが、まぐれのホームラン狙いのような感じであることも確かである。そんなロジカルに解が出れば苦労しないのだ。

 実際に、その業界で勝っている(勝った)企業は、実は「プロダクトアウト」ではなく、「マーケットイン」で勝利しているように思う。やはりB2Cと同様に誰も見つけていない”真空市場”があり、”市場を作り出した”はずなのだ。そして、それは今この場でも「ある」はずなのである。

 しかし、多重に連鎖しているサプライチェーンが、B2Cでは可能だった市場分析の手法ができない、あるいは、そもそもシステムに存在する時定数の大きさ(遅れ要素)が、単純なマーケティング手法を適用できないという課題があるのである。

 ではそのB2B、あるいは、多層的B2B(B2(B ^X )B2C)において、市場の「潜在ニーズ」を特定するにはどうしたら良いのか。

 その答えはまだ私にはない。今もうんうん唸っているのである。

 

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【書評】稲田将人「経営参謀」科学的アプローチによる、戦略策定におけるおそらく唯一の”真実”

 稲田将人「経営参謀」(日経ビジネス文庫)を読んだ。いわゆるビジネス小説でありながら、経営再建のための戦略策定のための知見が詰まっている。

 少々個人的に身の回りの変化(【近況】異動になってしまった)もあり、身につまされる読書体験であった。

 小説の筋自体は、経営企画の主人公がアパレル業界に中途入社し、社長からブランドの建て直しを求められる。この会社は上場会社だが同族経営で、マネジメントに偏りがある。

 主人公は、マーケティング調査により市場動向をプロファイリングし、再建に向けての戦略を作り、徐々に成果を出しつつあった。この過程で、いわゆる「戦略理論」を主人公がケーススタディから学んでいくことになる。

 それと同時に小説としても、主人公の活躍に対する”妨害”などもあり、こちらの面白さもある。そして、その結末もなんとも「現実的」なのであり、味わい深い。

 本書ではあくまでB2Cの領域であるが、これはB2BやB2Pなどでも同様であろう。ただ、よりプロファイル的にはマーケットの考えの推定は難しくなりそうだ。

 実地体験でも、こうした「戦略」を作る、ということで現場はかなり混乱している。

 戦略を作れ、と言われてひたすら終わりなき調査作業だけを行う人間や、市場調査、ベンチマーク、知財戦略、差別化、SWOTなど、網羅的な完成品の「目次」を渡され、それを全部埋めろ、と言われていつまでたっても終わらない作業をしている人間など。

 混乱の極みになっている風景を良く見かける。

 これは戦略を作れ、と指示したマネジメントすらも何をオーダーしたか、何が出てくるかを具体的にイメージしていないのである。こうした無駄な作業が現場では起こっている。

 本書はそうした点から一線を画している。

 簡単に新市場などができる戦略のフレームワークなどない、と言い切るのである。

 この考えは事実であるし、悲しいかな、迷っている人々は残念なことに「フレームワークをくれ」としか考えていないのである。

 迷っている人の苦しみは想像できる。

 いわばドストエフスキーの長編小説を渡されて、「これみたいなやつを作れ」と言われているようなものなのだ。

 そんなのできるわけがない。

 小説だって、あらすじから肉付けしていって完成させるのに、いきなり長編の完成品を持ってこいと言われるのは酷である。だが、繰り返すが、指示する側も、戦略を作った経験もそもそもないので、どう指示して完成させるかの正解を持っていないのである(そして自分も正解を持っていないことは明らかにしないものである)。

 では何をすれば良いか。本書では、その回答も示唆されている。

 ”正確な事実によって現状を把握して戦略を作る”、そして、”戦略とは精度の高い初期仮説であって、これを早いPDCAサイクルで回して検証する”というシンプルなものである。まさに科学的アプローチそのものである。

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【書評】奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年」”血”か”情”か、親子関係の本質を考えさせられる感動のノンフィクション

 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年」(文春文庫)を読んだ。

 昭和46年に沖縄で起こった赤ちゃんの取り違え事件。その2家族、そして当事者を、長期に渡って取材したノンフィクションである。

 昭和52年に血液型の違いから産院での”取り違え”が判明し、二人の子供は血の繋がった本来あるべき家族の元に戻される。こうしたケースでは、当時から”子供の順応性を信じて、速やかに実の関係に戻す(交換する)”というのがセオリーだったようだ。環境を離してしまうことで、時間が解決する方法といえる。

 交換後、この2組の親子はともに6歳まで育てた子供と、血の繋がった子供への愛情の間で煩悶する。

 子供たち自身も、これまでの生活環境の中でできた「家族」への愛情を断ち切ることができない。

 沖縄という地縁の強い土地、そして結果的に、2つの家族が行き来できる物理的距離のある生活環境だったことで、このケースにおいては特異な様相を見せ始める。だが、家族関係に通常も特異もないので、そもそも何が通常、正常なのかはわからないのだが。

 加えて、2つの家族がもつ特殊な環境、特に母親のあり方に「対称性」があり、次第に成長する2人の子供は1方向に傾斜していくことになる。これもまたレアなケースなのであろうか。

 結果的に成人した2人の子供は、ある片方の親とのみ親密な関係を維持するのである。

 子供にとって落ち着いた地点は、親にとっては幸せの分配が非対称になっている結論となった。

 全ての関係者にとっての納得できる結論にはなっていない。

 ”奪われた”親も、まだ先の人生においてもこのままとは思っていない。

 本書は、肉親としての”愛”と育ての親の”愛”に違いはあるのか、そういった問いかけを読者に投げかける。このケースを見る限り、おそらくそこに差異はないようにみえる。

 個々のケースにおいて、個々の事例で結論が出るのであろう。だがそれにしても、ある時間軸で切り取った場合の「結論」であり、その後も人生は続き、おそらく最終結論は出ていないといえる。

 親子の”愛情”とは、という非常に重い問いかけを提示し、読者一人一人が考えさせられる感動作である。

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【書評】ラズウェル細木『酒のほそ道』49巻–コロナが「ない」世界線

「酒のほそ道」最新刊49巻を読んだ。酒飲み的には新型コロナによる緊急事態宣言からの流れで、首都圏の居酒屋は休業だったり、営業しても酒を出せない、制限がある、だったりと、かなり風景やリテラシーが変わっている。

 最近は「電車飲み」のような、通勤電車(帰宅)でキオスクでお酒を購入、車内で飲む、という昔の常磐線上野発で良くあった光景すら通常に見るようになってしまった。

 また都市によってはあえて「酒あります」という看板を掲げて客を誘うが焼き鳥屋など、囚人のジレンマのような様相すら見えている。どうしたものか。悩ましい。

 そんなこのマンガの世界線は実はコロナの影響はない。作者が本書の前書きに述べているように「酒のほそ道の世界には、コロナは存在しない」のである。まあ、キャラクタがマスクをされて飲食するのも味気ないし、マンガの世界くらいコロナを忘れることも「あり」なのである(ただ、羨ましいが)。

 そしてもう一方の注目ポイント、主人公・岩間宗達の恋愛ラブコメの方向性であるが、ここ数巻での動きはない。

 正月に、岩間が松島さんとかすみちゃんとの結婚生活を妄想するシーンや、タラコ唇の課長が相変わらず、松島さんを推す上に、あまつさえ飲み屋の席で2人を前に「いつでも仲人の準備はできてる」という昭和の時代のセクハラ発言をしれっとかますシーンが見どころである。

 コロナのない世界というifだけでなく、恋愛要素的にもそういう意味では超・現実、すなわち別の世界線に突入しているような気がしてきて、もしやSF要素も入ってきたのか?と思うのであった。SF恋愛サラリーマン酒マンガ・・・なかなか味わい深い。

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