システム障害で競輪が全国開催中止になった日の多摩川競艇場と私のいつもの敗北

 多忙な日々の中でポッカリ空いた暇な日に休みを取り、久々にギャンブルに行ってみることに。状況を調べると、京王閣競輪場外か、多摩川競艇の2択であるが、ここは本場開催である多摩川競艇へ行くことに。

 最近仕事やプライベートで、ツキがないので、もしかしたら人生のプラマイゼロ理論により、ギャンブル運が向上しているかもしれない、という読みである。

 府中本町駅からの無料バスに乗ると、相変わらず70オーバーのこんがりとした人生のベテラン勢が。行きのバスは、皆が期待値MAX、皆が勝者なので、ものすごい一体感である。

 だが、何か今日は少し皆の会話がおかしい。「西武園が中止になっちゃってさ、こっち来たんだよ」「競輪は全国的に中止だから」「何で?」「なんか中央のシステムがおかしくなったんだってよ」みたいな会話をしている。どうやら、競輪は中止らしい。その結果、多摩川競艇に人が流れ込んできた模様。こんなこともあるんですな。「家にいたら死んじまうよ」みたいなギャグも飛んで、非常に活気がある車内。

 以下のようなシステム障害により、競輪が中止になった模様。

前代未聞!システム障害で競輪が2日間全レース中止、オッズデータが反映されず…

競輪開催が2日間全レース中止という前代未聞のトラブルが発生した。(中略)3日の午前7時20分にインターネットなどから車券を購入するシステムに障害が発生。オッズ(払戻金の倍率)に反映されない状況となった。JKAは車券購入のためのシステムが利用できない状況では、レースを開催できないと判断。(以下略)

日刊スポーツ 2019年10月3日記事より引用

 となると本日の多摩川競艇場は結構混むのであろうか?と少し心配になる。活気がないのも嫌だが、混んでいるのもちょっとイヤなのである。

 で、場内に入ると。ガラーン。やっぱり、いつものこんな感じか。予想屋さんは結構たくさんいるが、こんな客いりで大丈夫なのだろうか。

 まあ、平日昼間だからなぁ。ということで、早速勝負を。場外で舟券買えるので、勝負の数は多い。550円出して、新聞も購入。

 しかし、いつものごとく当たらないのである。結構配当も良いのだが、私の舟券だけは当たらないという常敗パターン。7レースやって、2番人気の硬い舟券が1回当たったのみ。いつもの如く外れまくる。

 まあ、今日はのんびり焼酎を飲みながら、レース観戦である。お気に入りの競艇場奥にあるオデン売り場でコンニャク、大根、卵を注文。各100円である。

 フォーメーションという方式にチャレンジしてみたが、慣れず上手く買えていない。しかし、人生ままならないものである。

 となると、私の人生のツキはどこに行ったのだろうか。誰か教えて欲しい。

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競輪場グルメ:京王閣競輪場の牛皿ライス500円とホッピー400円

先日久々に京王閣競輪へ。昨今の自分のツキの無さを鑑みても当たる予感もしないが、晴れているので足を伸ばしてみた。

初日だからか、場は全く荒れず。オッズを見ずにワイド1点300円買って、的中するも1番人気で1.3倍なので+90円。しょっぱなから、なんだかな〜という感じになってしまい、あまり身が入らない。

まだこの時点では、京王閣の食堂も閑散としている。奥側に見える「中華一番」で定食を食べることに。

牛皿ライス500円。すき焼き風の甘辛い牛肉とたっぷりのしらたき。そして煮込まれた豆腐。うまい。ご飯も大盛りである。

鉄火場らしいジャンク感もあり、なかなかのコスパである。

ホッピー400円。

食は進むが、博打には身が入らず、7Rやって3R的中するという結構な勝率だが、オッズが低く(要するに買い方にセンスがない)トータル負けとなってしまった。とほほ。

おまけ:

小腹が空いたので、2Fの「ひふみ」へ。

焼きそばとホッピーである。

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【書評】ゲッツ板谷「そっちのゲッツじゃないって!」(ガイドワークス)における文体論

ゲッツ板谷「そっちのゲッツじゃないって!」(ガイドワークス)をamazonで先行注文し(どうでもいい情報)、先日到着して一気読みした。

相変わらず過剰なサービス精神で密度の濃いエピソード満載で、面白かった。

 

ゲッツ先生のコラム集はその素材、いわゆる常識から極端に逸脱した過剰なエピソードを元に、意外性に富み平易な文章技術によって言語化する独自の世界を持っている。末井昭氏の昔の推薦文にあったように、”中毒性がある”。

先ほど「意外性に富み平易な文章技術」と述べた。

この点について少し掘り下げて検討してみたい。

①「意外性」について

ゲッツ先生の文章における比喩表現は、新規性に富んでいる。

そしてその表現は、頭脳や知識で考えたというような種類のものではない。

言うなれば、男子学生たちがバカ話をする際に、掛け合いのように”相手より面白いことを言ってやろう”という、どこまでもエスカレートしていく上昇感と、最後にこの場で一番面白い奴がとどめの一言を刺し、その場に大爆笑のカタルシスをもたらすような絶頂感、到達感がある。まさに若者たちの尖ったギャグセンスの掛け合いの中で、その場を支配する”王”として君臨できる瞬発力があるように思える。

いくつか代表的な例を、過去の作品で特に比喩表現のバラエティに富んでいる初期作品集「バカの瞬発力」(二見書房)から引用する。

  • バレンタインのチョコを目の前で叩き割られた女のような目をして、小刻みに震えてみ。そしたら教えてやるよ(「バカの瞬発力」p.20)
  • それからだよ、オレが針すなおばりの行動派になったのは。(「バカの瞬発力」p.29)
  • そしたら、明け方ぐらいにチビッコにいじくり倒された昆虫のようにガンガン弱ってきちゃってさ。(「バカの瞬発力」p.53)
  • で、毎年ウチのジイさんとバアさんが一番上座に狂い雛のように並んで腰を下ろして、(略)(「バカの瞬発力」p.95)
  • メキシコの貧しい7人兄弟の末っ子だってそんなことしねえぞ(「バカの瞬発力」p.114)
  • アイツらのやってることは、ピストルを持ったジャンキーがウロウロしているニューヨークのハーレムのど真ん中で、鈴木蘭々のプロモーションビデオを収録してんのと大して変わらねえっつーの(「バカの瞬発力」p.123)

引用終わり

改めて見ると一つ一つの単語に取り立てて新規性はないが、絶妙な単語のチョイスと、多摩地方の不良の語り口と共に組み合わせて語られることによって「意外性」という新たな意味が付与されている。

②「平易な文章技術」について

ゲッツ先生の文体は簡単かつ単純のようで、実は結構難しい。

文章というものにはやはり素質のようなものがあると私は思っている。

下手に文章技術を学んだ方が、却って面白くなくなることもある。

これはフィジカルな例でも言えることで、ナチュラルに喧嘩に強い人がなまじ格闘技などの「形式」に染まることによって一時的に”弱く”なることがある(勿論、その後に技術を学んで強くなる道もある)。

それと同様に、ゲッツ先生の文体には、ある種の天性の素質と、下手にこれを技法により意識的に矯正していない点で優れていると思う。

素質の例としては、ゲッツ先生の弟の作文(p.56)があり、ゲッツ先生もツッコミは入れているが、これは実に上手い文章だと思う。本人が「ボクは本気になったらお兄ちゃんより全然面白い文が書けるよ」というのもあながち間違いではないような気がする。

単純な文体で人に物事を伝える行為は、非常に難しい。

いわば武道の達人が、その老境で無駄を削ぎ落とした境地に達するようなものだ。そこに向けて皆必死に努力するのだが、ゲッツ先生はあっさりショートカットして、易々と(失礼)そこに到達しているように思える。

この本で一番笑った文章を引用する。

(前略)そのモモエがすっかり元気をなくしているという情報が入ってきたので、オレは彼女を元気づけてやり、おまけに一発やらせてもらおうと決心した。(p.97)

この白樺派の文体を彷彿させるシンプルな文章でありながら、後半の清々しいまでの下世話さのミスマッチ。しみじみと唸る。更にこのコラムで、最終的には目的を達してしまう。

ちなみに、ゲッツ先生の著書はかなり初期から読んでおり、その証拠に私の本棚には愛読書として「パチンコ必笑ガイド」(1993年初版)がある。

これもものすごい過剰なエネルギーが詰まった本で、パチンコ、パチスロという当時一種アンダーグラウンドなギャンブルを題材に、徹底的に遊び尽くしているのである。勝手に作ったパチスロ台、マクドナルド只食いの攻略法まで掲載されている。

裏表紙もこの過剰感。左側の人物は若き日のゲッツ先生であろうか。

更にカバーを取るとこんな感じ。どこまでの過剰な行き場のないエネルギーが横溢している本である。

ちなみにこの本で時々出てくる「ドミニカ式ヌーガ」の意味が24年経った今でもわからない。Google先生ですら教えてくれない。

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【京王閣の負師】何をやっても当たらないので、もう何も考えずに予想屋に11レース全乗っかりしてみた結果

ささやかな趣味である競輪だが、最近スランプである。

勝てない。

全く勝てないのである。

予想するが裏目裏目、何をしても上手くいかない。勝てないと楽しくないのである。ドキドキ感だけではなく、当たった感も欲しい。

仕方がないので、先日ついに予想屋から全レース予想を購入し、その買い目に完全に乗って見た。

もう自分の予想ではダメで、こうなったら当たりそうな予想屋を見つける方向で予想をしてみたのである。

予想屋の予想は、今でいう情報商材である。昭和の時代から今でも生き残ってきた訳で、たいしたものである。

京王閣競輪で開催していた日本選手権競輪で、7レース時点で全レース分を購入してみた。ちなみにその予想屋に決めた理由は、私の目の前でご祝儀(といってもアジフライ)をもらっているのを見たから。調子いいんじゃないの?

予想代金は全レース分で500円、以下の紙をそっと秘密の感じで渡される。

暗号文であろうか。数字の羅列である。また少々多すぎである。絞れない。

ちなみに、6レースまでの結果は既にわかっているので照合してみた。

推薦の3車(左から)をワイドで3点買い購入する前提で、以下照合すると、

1レース:外れ

2レース:外れ

3レース:1つ当たり(払い戻し200円)

4レース:外れ

5レース:外れ

6レース:外れ

全然ダメなのである。投資1,800円に対してリターン200円。

さっきのご祝儀は何だったのか(困惑)。

しかし、これは問題ない。むしろ私にツキがある。

ここまで外れできているということは、それ以降のレースの予想確度が上がっているに違いない(オカルト)。

また予想屋の場合には、ついていない予想屋の目をあえて外すという高等テクニックもある。要するに、的中率6割の予想屋に乗るより、的中率2割の予想屋の逆張りに乗る方が儲かるという論法である。今回はそこまで裏をかくつもりはないので、素直に買い目に乗ってみることにした。

その後の結果はというと・・・。

7レース:1つ当たり(払い戻し150円)

8レース:外れ

9レース:1つ当たり(払い戻し680円)

10レース:外れ

11レース:外れ

ダメでした。人生上手くいかないものである。

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【ご当地グルメ】競輪場だけで食べられる、あのスポンジの様な黒モツ肉(やおぎも)が激烈に美味い件について

初めて食べたのは立川競輪場の売店であった。

黒モツと白モツがあり、串に刺してある。食感はスポンジのようなフワフワな感じである。七味唐辛子をたっぷりかけて食べると、味が染み込んでおりうまい。

若干臭みはあるが、全く気にならない。ただ、黒と白では肉の部位が明らかに異なる気がする。黒の方がうまいと思う。

京王閣競輪場では、モツ煮を頼むと黒と白を両方、あるいはどちらか一方セレクトしてくれる。味噌ベースのタレでじっくり煮込まれた肉は、ギャンブル場の雰囲気ともマッチしている。

上の写真は”黒”だけ。うまい。

上の写真は、黒と白のミックス。おかわりである。

黒のこのスポンジのような食感といい、一体どこの部位なのかが長年の疑問であった。白は何となく腸のような感じがする(いわゆるモツですな)のだが、黒の食感がどうにもこうにも、わからない。

調べてみるとどうやら牛の”肺”らしい。”やおぎも”とも呼ばれる部位である。

なるほど、スポンジ状になっているというのも頷ける。

見事に競輪場でしか見かけない鉄火場フードであるが、なぜなんだろう?流通経路の問題だろうか?でも、1頭に1部位は必ず出るんだから、何らかの形で消費されていてもおかしくない。ホッピーは進み、車券は外れ、謎は尽きない。

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パチスロ「ジャグラー」のGoGoランプで反応する肉体になってしまった

すでにパチスロからは足を洗った私であるが、北電子のパチスロ機「ジャグラー」シリーズは、とんでもない名機だと思う。

Aタイプの単純確率による、たかが1フラグ(ビッグとレギュラーを入れると2つ)のランプ点灯を、あれほどそそる演出にした戦略には脱帽である。

ありえないが、朝一でパチスロ屋に並び、わざわざGoGoジャグラーをゲットし、LEDでなかった控えめなランプ点灯で一喜一憂していた時期がある。単なる確率だと思うのだが、謎の”波”のようなものがあって、来た!ジャグ連!などという醜態を晒していた過去の自分を責めたい。

設定が高めだったこともあり、今でも人気を誇っている機種だ。

私が、勝負師ではなく、負師(まけし)だった時代である。とほほ。

この度、こんな携帯用バッテリーを入手した。

本体充電中は左にあるLEDランプが赤く、携帯への充電(バッテリーにとっては放電か)の時には青く光るのである。

ジャグラーのGoGo!ランプは脳内に刷り込まれているので、今でも、そそる。

ただし名刺サイズなので、スマホが20%→80%までしか充電できなかった。

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京王閣に藤沢秀行の”伝説の金網”を探しに行ってきた②

wikipedia「藤沢秀行」から引用。

 京王閣競輪場で250万円の車券を1点買いしたが惜しくも外れ、観戦していた決勝線付近の金網を強く握りすぎて菱形にひしゃげてしまい、「秀行引き寄せの金網」として京王閣競輪場の名所になった

ー引用終わり

金網は名所になっているのだろうか?

・・・京王閣競輪場はかなり寂れていた。

佃煮にできそうなくらいの高齢者で占められている。

昔はある種の逆ディズニーランド的に、タバコの吸殻捨て放題、車券などのゴミ捨て放題というやりたい放題な雰囲気だったが、タバコも分煙になっていた。

でも、誰も守っていなかったが。

”決勝線”=ゴール前に向かう。

金網が・・・あるけど・・その前に何か手すりのようなものが・・・。

これがゴール前。何だ、この防御柵のようなものは?名物なので保存しているの?違う?

金網には手が届かないようになっているが、目をこらすと・・・

どれだかわかんない!・・・無理!だいたい全部「菱形にひしゃげている」ようなものだった。

早々に諦めるのも何なので、バンク側に移動し、金網に触れるところを探す。

レースは迫力ある。

力を入れてみるが、賭け金が藤沢秀行と比較してセコすぎたのか、金網微動だにせず。

勿論外れました。

京王閣の勝負師ならぬ、負師と異名を取った(どこで?)私のプライドにかけて苦闘したものの、正月の立川競輪以来の出陣で、完全敗北。とほほ。しばらくやらない。

(写真撮影は京王閣競輪場の許可を得て撮影しました)

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京王閣に藤沢秀行の”伝説の金網”を探しに行ってきた①

藤沢秀行という既に物故者となった囲碁棋士がいて、アル中にしてギャンブル中毒、外に女性を囲い子供を作り帰ってこない(書籍などでは3年も!)。それでいて囲碁は恐ろしく強いという、まさに無頼派の棋士だった。

藤沢秀行『勝負と芸 わが囲碁の道』(岩波新書)
藤沢モト『勝負師の妻 囲碁棋士・藤沢秀行との五十年』(角川oneテーマ21)

を連続して読んで、改めてその生活の凄絶さに驚かされた。

特に妻のモトの著書では、金銭感覚もなく、女にだらしなく、本妻のことを顧みない(家に金を入れないので妻が生活費を内職で稼ぎ、最後は家を売られてしまう)悪い生活者としての藤沢秀行の姿が描かれる。

結局、外の女性たちは藤沢秀行の最期を面倒見ることができず、老境にして藤沢秀行は本妻の所に帰ってくるのだが、まさに生活者としては完全に”悪人”だ。

本妻の息子たちは、本気モードでこんな父親を嫌悪しているような記述があり、囲碁の強さ、またその面倒見の良さといった囲碁界への功績と、生活者としての罪悪は、果たして合計してトータルこれこれと清算できるものなのだろうか?という思いを持った。

藤沢秀行はギャンプルが好きで、特に競輪が好きだったらしい。

前掲の岩波新書にも、わざわざご丁寧に、立川競輪で博打を打っている写真が載っている。

だいたい、囲碁の本に何で競輪新聞を持って予想している写真が必要なのか謎である。

そのエピソードでこんなものがある。以下、wikipediaから引用する。

 京王閣競輪場で250万円の車券を1点買いしたが惜しくも外れ、観戦していた決勝線付近の金網を強く握りすぎて菱形にひしゃげてしまい、「秀行引き寄せの金網」として京王閣競輪場の名所になった

ー引用終わり

私もギャンプルはそこそこ好きで、競輪は人間がその対象なので競馬よりも好きだ(というか競馬は馬の感情がわからないので好きじゃない)。

京王閣競輪は比較的家から近く、何度も足を運んだことがあるが、「秀行引き寄せの金網」というのは初めて知った。wikipediaの引用では読売新聞の記事と将棋棋士芹澤博文(この人も無頼派)の著書があるが、これ以外に少しネットで調べて見ても、その写真などは見当たらない。今でもあるのだろうか?

本日から京王閣競輪がナイター開催しているので、「秀行引き寄せの金網」を探しに行ってみることにした。

次回に続きます。

続き「京王閣に藤沢秀行の”伝説の金網”を探しに行ってきた②」

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