アフターコロナの世界で起こる業務編成の面的から直線的への変化、その結果起こるバックオフィスの過剰感について考察してみた

 次第にゆっくりと社会活動が復元されてきたようだ。しかし、新型コロナ感染防止という新たな社会的観点が追加されたことにより、元どおりの状態に復帰することはおそらく長期的にはなさそうである。

 ビジネスの世界でもテレワークなどの手段によって業務形態が大きく変化し、この動きは変わることはないであろう。

 その際に、単純に「ノートパソコンを手配して、Zoomをインストールすれば良い」という訳ではない。業務そのものが新型コロナ以前/以後で大きく相違している。そして、その場合、ビジネスパーソンそれぞれの意識自体も変える必要があるのではないかと思っている。

 今一番危惧するのは、”非常事態”がある程度終わりアフターコロナとしての定常活動に移行してくる経過において、ビジネスに対する意識を変化させないままノートPCなどの「新しい手段」のみを与えられ「後は前と同じようにお願い」程度の言い含めのみで、業務の最前線に復帰する人々が出てくることである。

 そこで起こる”悲劇”があるのではないかと思っている。

 テレワークという手段だけが変化した訳ではなく、業務そのものが変化しているという意識がないまま、最前線にノートPCを持って現れる。

 そして以前と同じような感覚で業務を開始しようとすると、おそらく植木等的に言えば「お呼びでない」状態になるし、戦争的な言い方をすると「即死」して「トリアージ黒タグ」になってしまいそうなのである。「今、それ必要な作業だっけ?」みたいな。

 関連記事:新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言から、終末、じゃなかった週末を迎えた現時点までで起こった私的出来事とその感想:安全確保と最低限の事業継続との相反、そしてポスト・コロナで起こる業務トリアージの予感

 以下に図示化してみた。

 コロナ以前であれば、戦線が拡大すれば人海戦術も通用し、教育的な意味合いもありフロントライン寄りに人材を配置できる。補給線も短いので直ぐに補充もできる。いわゆるバックオフフィス業務に人を配置する意味(根拠)が、相当程度あったのである。

 しかし、アフターコロナにおいて、新たなルール「フロントラインの密度制限」が付加された結果、最前線に存在できる人数が限られることになる。

 そうすると、補給線は長くなり、編成(人員配置)は直線的にならざるを得ない。そうすると、従来の総数を維持したまま配置しようとすると、必然的にバックオフィス要員の過剰が顕在化してしまうのである。

 したがって、アフターコロナの環境下においては、いわゆる「帯域」(通信速度)の太さが一つのポイントになるであろう。そこに新しいバックオフィス業務の可能性はある。しかし、これがITツールなどの手段によって代替されてしまえば、やはり人間の過剰感は残り通づけるであろう。

 ただし、むしろ過剰となること自体は正常のようにも思え、我々はこうした認識の中で”新しいやり方”を模索していく運命に直面していることを正当に認める必要があるのではないかと考えている。

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ぼくの在宅勤務(テレワーク)あるある

 今回の「新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言による」テレワークを始めて、試行錯誤的に数日が経過した。相変わらず慣れないし、ストレスも溜まっている。だが、やはりやってみるもので、少しずつ改善はしてきているようでもある。

 そんな中でいくつか”在宅勤務(テレワーク)あるある”をリストアップしてみたい。

”新型コロナ感染拡大に伴う緊急事態宣言による”という枕詞の定型文を書きすぎて、自動的に書けるようになってしまう:今回の一連の騒動のあるある。辞書登録する間も無く、指が覚えてしまった。この手の定型文は微妙に文書で違っていると気分が悪いので、一度決めてしまうのがキモチ良い。

他人の反応に飢えてしまいがち:やはり他人との接触がないことが堪える。会社だと自分の業務に関係ない人の話し声や、雑談などが結構な気分転換にもなっていた。在宅勤務の場合には、メールを送信した後の反応を待っている時間が結構なストレスになることに気づいた。仕事の主導権が自分ではない場合、反応待ちに困るし、逆に反応に即レスする態勢にもあり、少々ガツガツ感が出て、自分でもちょっと気持ちが悪い。

PCの前の席にいること=勤務時間と定義してしまいがちで運動ゼロ:全く運動しない。仕事の切り分けが難しいので、まずはPCの前の席にいること=勤務時間と定義してしまいがちである。そうなるとトイレやコーヒーなどの気分転換すらもやりにくく、ストレスになるのである。その結果、運動不足によるストレスも溜まる。私はこれを解消するために、始業前に30分ほど散歩をすることにした。これでスイッチを切り替えるようにすると中々いい感じである。

トイレが汚くなったと怒られる:これは男性のみであろうか。自宅のトイレを使う頻度が多くなり、自然とトイレマナーの悪さが顕在化するのである。その結果、トイレが汚くなったという苦情に繋がり、掃除する役割が増える。

食生活乱れがち:昼食はカップラーメンのみ。ストレスや空き時間の多さに摂る間食で、お菓子などを食べてしまい、食生活が乱れがちである。また先ほどの”拘禁反応的ストレス”もあって、業務終了後には解放されたという思いから散歩もかねて外に出てしまい、お酒を買い、居酒屋のテイクアウトを買い、といった散財の行動に出てしまい、結果、酒量も増え、お金も使ってしまっている。一応少し気を使って、私は、マルチビタミンのサプリ剤で補っている。また、小腹が空く時のおやつとしてはビーフジャーキーが低カロリーで良い。

飲み物を入れるタイミングが図れない:台所に行くと、プライベート空間をビジネス空間にしてしまうようになるし、先ほどのPCの前にいないと勤務時間ではない、というような脅迫観念もあるので、飲み物について少し戸惑っている。今回は、お茶も入れるのも面倒くさいので、500mlのペットボトルお茶を箱買いしてみた。一応これで何とかなりそうである。

オールフリー(ノンアルコールビール)飲んでいいか悩みがち:今までオフィスでは人目の問題もあり無理っぽかったが、テレワークであれば気にせず飲める。しかし、やはり・・・・微妙なのである。

烏龍茶と何が違うんだ!と言う声もあるが、ためらう自分もいる。
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新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言から、終末、じゃなかった週末を迎えた現時点までで起こった私的出来事とその感想:安全確保と最低限の事業継続との相反、そしてポスト・コロナで起こる業務トリアージの予感

 2020年4月7日に発せられた新型コロナ感染拡大に対する「緊急事態宣言」から約1週間。ようやく週末を迎えられた。終末を迎えられなくて良かった。

 この期間、主に仕事関係で非常にバタバタした。はっきり言ってヘトヘトである。終末を迎え、また間違えた、週末を迎えた今少し思うところを書いておきたい。

 会社の勤務地が首都圏にあるため、4/7から自主的に在宅・待機モードに入る情報が前日の4/6に流れ始めた。予告はあったものの、実態はわからず、どのようにするかの情報も混乱する状況の中で、この時点で決まったことは「基本的にBCP(事業継続)に必要な要員を残して、4/7から当面出社を見合わせること」だけであった。

 製造業とはいえ、どちらかというとインフラ系ではなく第三次産業系のメーカーのため、社会的なインフラ維持のための事業継続ではない。だからといってビジネス的には完全停止はできないため、まさに不要不急な業務の停止を実行することになる。

 私自身は実は不要不急な仕事であろうと思い、自宅で巣篭もり業務かな、と踏んでいた。しかし何故か?BCP要員に選択されてしまった。意外であるが、これは私の今の仕事が他社との窓口的な役割もあり、他社のBCPの動向を見極める必要があるから、というものであった。

 まあ電車も空いているし、と思っていると「公共交通機関での出社は禁止だから」とのこと。しかし、私の自宅から勤務地までの距離は片道約50km。徒歩や自転車はとても無理である。結局、自動車通勤になってしまった。しかもそのルートには結構な渋滞ポイントが複数ある。どう考えても1.5時間、あるいはそれ以上はかかるであろう。

 初日(4/7)は、もはや腹を括って朝4時に起床(というかほとんど眠れず)、5時には車で出発。流石にこの時間帯ならいつも空いているということで6時30分には到着。実質一番乗りであった。この時点ではまだ正式には緊急事態宣言は出ていない。車の流れも通常の感じであった。店も普通に開店している。

 会社でもまだ状況把握ができておらず、出社してきた幹部は現状の部門の業務の棚卸しと選別を始めている。要するに今後長期化も見越して、不要不急の業務は停止し、緊急性のあるもの、つまり事業継続に最低限必要な業務を優先的に実施するいわば業務の選別を行っているのである。

 しかも自社かつ首都圏だけのこの状態で、首都圏以外の支部や他社、海外拠点の一部は平常に動いている訳で、そことの調整もある。

 ただ、本社機能は首都圏にあるので、機能は危機管理的には稼働しているが、そのリソースはいわば停止、あるいは、低下している。つまり意思決定などは可能だが、平時であれば処理できる機能が大幅に低下しているのが実情なのである。バックオフィス的な業務が特にそれにあたる。この状態が意外に厳しい。購買、法務、経理、IT、施設管理など、これらは事業継続に必要だが、この状況下では大幅に組織的パフォーマンスが低下しており、いわばセーフモードで最低限のパフォーマンスしかないのである。

 事業継続判断のため必要最低限の活動を行う。また、その必要最低限という意味は「火急」である。つまり緊急性があるということである。その一方で感染拡大防止、すなわち従業員の安全管理もあるので不要不急の業務はすべきでない。

 この両者、安全管理と事業継続は一種の相反関係、トレードオフになっている。

 そこでまず実施すべきは「緊急避難的処置」を考えることであった。つまり平時の際のルール通りに動かすことは、平時の組織であれば可能だが、この非常時のパフォーマンスでは時間軸的に難しいものがある。不要不急なものは停止(ホールド)するが、BCP的に必要と判断されたものは通常通りに継続実行しなくてはいけないのである。それをどうするかを判断しなくてはならず、まずはそこを関係部門と調整する必要があった。つまり、通常なら関係部門の承認が必要だが、この緊急的な場合ではその承認をすることが事業継続にとって障害となる場合には、その部門承認は事後処理にする、などの承認を事前にその組織と行っておく必要があるのである。これは後々責任問題というか、後日”犠牲者”が出ることの防止でもある。要するにフロントラインシンドロームで、現場が暴走して自己判断した場合の個々の責任問題を、ある程度回避するための予防処置でもあった。

 次に情報統制を行う必要があり、情報ハブを作っておく必要があった。とかくこの手の混乱状態というか見切り発車的な動きの場合には、情報が錯綜しやすく余計な仕事が増えるので、まずは情報ハブを決めて、そこから一元的に下ろすような動きというか、まず関係者に「宣言」する必要があった。

 そして、何よりまずは事業継続観点で何を残し、何を止めるかという決定に従うべき、という認識を全体で共有する必要があった。個々の個別判断で実行と停止が決まると、必ず軋みが出るからである。そしてこの場合、忘れがちなのは、個々の生命の安全が全てに優越する第一優先であり、この前提を同時に理解させることであった。

 順番は前後するが

①安全が第一優先である前提の上で、事業継続観点から継続すべきもの、停止すべきものを選別するという方針を内部で理解させ、何を継続/停止するか経営的に合意をとること。

②その上で平時のパフォーマンスが低下している中でも事業継続するための緊急避難処置を考え、関係部門と事前に合意すること

③情報ハブをできるだけ早急に決める、あるいは宣言してしまい、一元管理と統制を取り戻すこと

 この3点をできるだけ速やかに(まだ機能が多少残っているうちに)する必要があり、そのための動きを実施してきた。非常に疲れたのである。

 とはいえ、リアルタイムで動く話なので、情報はやはり錯綜し、福島第一原発で誤解?として起こったような現場での勝手な「撤退宣言」が出たりして、統制が一時的に狂ったりもした。まさに情報の混乱に起因するものであり、これを整理するのにも余計な時間と労力がかかった。

 やはり事業継続するとはいえ、最終的には「新型コロナのこともあるが、ここは事情を理解して可能であれば出勤して欲しい」という判断を個々の従業員に迫ることにもなるので、単純な話ではない。個人にも家庭の都合や不安もあるのは当然のことである、第一優先は生命であり、その前提で、最低限何ができるかを判断することが求められていた。原発事故と違って、今回は究極の究極手段である”じじいの決死隊”もできない。むしろ高齢者の方が危険であるからである。

 これらの対応を行ってきたのが4/7,4/8であった。混乱はあるものの、ようやく整理ができてきた。その後4/9,4/10では少し事後的な動き、緊急避難処置をした後に、平常時復帰後のすべき残務の整理など少し落ち着いた仕事モードになってきた。

 車通勤はきついが、確かに自宅から車で出勤し、閑散としたオフィスで一人で仕事(ほとんど電話とメールとTV会議で仕事なので接触はない)、食事も持ち込み(カップ麺がメイン)なので確かに人との接触はほとんどないのも事実であった。

 4/7は緊急事態宣言が発令された当日でもあり、大渋滞で3時間かかり、前日眠れていないこともあり、流石に安全を見て、翌日は多少遅めに出ることに。

 宣言後の4/8朝は、さすが日本人、ほとんど車の渋滞はなく、1時間強で到着。幹線道路沿いの店も閉まり始めていた。やはり平時ではないことを実感する。

 特に今回は、一旦企業活動をストップした上で、事業継続すべきものを選択復活させる、というステップを踏んでいるので、急ブレーキの直後の急発進になっている。その結果、いろいろなところで「社会的な鞭打ち症」が発生している。もちろん普段から危機管理の準備はしていたはずであるが、結局、組織というものは多重の情報伝達経路を含んでおり、意思決定が即時に伝わる訳もなく、ある種のイナーシャ(慣性)が存在し、それによって末端までのタイムラグや伝達遅れが生じるのである。まさにその点に振り回された1週間であった。

 長期化を見越して在宅、リモートなどの環境を整えつつあるが、おそらくこう考えている。

 新型コロナの影響は長期化ないしその影響で経済活動は低下するであろう。つまりコロナ前の業務と同じようには戻らない、ということである。

 仮にワクチンが開発されて安全確保されても、である。

 それはいわば経済活動が低下した結果「その業務そのものがなくなる、あるいは、元々不要なものだったと判断される」からである。

 つまり無用の用ではないが、以前なら「よくわからないけどあった業務」とそこに割り当てられた人がいたが、これが今回の急停止によって「この人がいなくても(戻って来なくても)別に組織としては困らない」ことが改めて浮き彫りになってしまっているのである。

 今後順次、優先順位に従って企業活動はそのペースや業務形態はまちまちであろうが、次第に元の状態に復帰してくるであろう。しかし、その戻り方には優先順位があるのである。

 そしてそれは個々の個人によって異なる。

 いわば「戻すべき価値がある人」から順番に戻す。そして周囲は順次お呼びがかかっているのに、いつまでも声がかからない「自宅待機組」が出てくる。彼らの心中はどうなのかと思うと残酷な光景が目に浮かぶ。

 これは患者の重症度に応じて治療の優先順位を決めると同様の「業務のトリアージ」である。そして死亡者を意味する「黒タグ」を付けられた人は、もはやその場に置かれ、一番最後に収容されるのである。

 ポスト・コロナの光景はまさしく業務トリアージの後の光景であろう。

 それはまだどうなるかはわからないが、不可逆であり、かつての光景と同じでないことは確実であると思われる。

 またこうしてこのドタバタ(まだ続く)を振り返ると、平時モードの人間とカオスモードの人間で得意分野が違うというか、人間性が浮き彫りにもなる。平時では優秀な司令官が、いざ非常時には指示待ち人間(指示くれ、他人に決めてくれ)になってみたりと、なかなか人間模様も多々見えてくるのである。

 やはりこうしたカオスな状態になると、何を優先に考え、判断すべきかが試されているとも言える。

 まあ、偉そうに言っているが私自身はある意味BCP対応とはいえ一つの「駒」に過ぎないので、ただ黙々と仕事をするだけであった。今週の終盤には若干不謹慎だが「普段より静かな環境で、他からの業務インタラプトもなく、黙々と一人完結で仕事ができるので意外にこの環境は良いかも」とすら思えてきた。

 とはいえ、電車通勤なら途中の立ち飲みで一杯もできるが、それも今やできず、楽しみといえば帰宅途中に自宅近くのコンビニに立ち寄り、アイスを食べ明日の朝食と昼食のカップ麺を購入しつつ、晩酌用の500円くらいのワインを買って自宅で飲むだけであった。車通勤は明らかに運動不足であり、少しずつストレスは溜まっているようである。

 東日本大震災の時と比較すると物資に関しては十分あったのでこの点は心理的にも助かる(紙マスクは見かけないが、布マスクを自作したので安心)。やはりフロントラインを維持するためには十分な兵站(ロジスティクス)が必須であり、現時点では何とかこの点では心理的なパニック感は抑えられているような気がする。

 ただ我々のような後方にとっては一応安心かもしれないが、現時点における「フロントライン」は医療現場がまさにそれに当たる。

 実は今回の自粛措置はその最前線(フロントライン)に向けて補給線を造り豊富な物資を優先的に供給する、あるいは、そのフロントラインを維持するための感染ピークのブロード化ということが求められているのであろう。だが、その割には、後方での議論の方が、大きくクローズアップされていることが少々気になるところである。

暗い気分なので「日めくりフワちゃん」でゲン直しである
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移転した”ものづくり文献調査の聖地”県立川崎図書館へ行って、マニアックな技術系雑誌を堪能する

 ものづくりを生業(なりわい)とする技術者にとって、かつて川崎競輪場、(旧)川崎球場の隣にあった県立川崎図書館は、なかなか使い勝手の良い強力な図書館であった。

 JISなどの各種規格類や、めったに書店に並ばない技術書、科学書、便覧、ハンドブックや、技報、技術系雑誌類が揃っているのである。

 しかも平日の夜まで開館しているので、仕事帰りに寄ることもできる。昔川崎駅近くに勤めていた時には、会社帰りに論文などを検索したことを思い出す。

 ここの司書さんも結構プロ意識が強く、昔のことであるが、ある技術の変遷を時系列的に調査する必要に迫られ、ある学会誌を過去15年間ざっとレビューして必要な記事をピックアップする必要に迫られたことがある。電子公開はまだしていない頃であり、かつ、文書のざっとした網羅検索性が必要な状態であった。司書さんに相談したところ、なんとラックに5冊分ぎっしり詰まった15年分の雑誌を出してくれたことがある。

 昔の建物は年季の入ったボロボロな建物で、川崎競輪場も近く、”浮浪者お断り”的な張り紙もあり、ディープな雰囲気の場所であった。

  老朽化のため何度も移転が噂されていたが、2018年5月に移転されたことを最近知った(遅い)。今度は、溝の口のかながわサイエンスパーク(KSP)の建物の中に移転したらしい。

 今回またしても、あるキーワードで各種の学会誌、技報、技術情報誌を調査する機会があり、移転後初めて行って見ることに。

 参考までに、調べる雑誌を挙げると「工場管理」「計装」「型技術」「省エネルギー」「機械設計」「NEC技報」「機械と工具」「Sheetmetal ましん&そふと」「いすゞ技報」「化学経済」など。なかなか、こんな雑誌類を一望にできる場所は見つからないのである。

 今回はCiNiiでフリーワード検索したものを、図書館で閉架から取り寄せを行なった。無かったのは2,3件だけで、ほとんど所蔵されていたのは流石という感じ。

 現時点でも電子化は進んでいるものの、紙のドキュメントをパラパラめくる検索性や、ざっと眺めている際にインプットされる情報量はバカにならない。検索による絞り込みとはまた異なる網羅性、俯瞰性があり、紙で印刷され製本された情報に直接あたる重要性は変わらない。

 KSPの建物は、なかなか綺麗かつゴージャス。ホテルや食堂もありなかなかの環境である。

 今回はクルマで行ったので、KSP地下にある有料駐車場に駐車した。料金は20分100円。ちょっと高めか。溝の口駅からは徒歩でも行けそう(15分)だが、バスもある。

 2Fの図書館入口。綺麗だ。

 中も明るくて、広い。開架書籍の量も増えている感じ。

 机も多く、結構人で埋まっている。やはり学生の受験勉強組もいるようだが、まだそれほど多くはない。

 さらに申し込みが必要だが、無料WiFiもあるので、ちょっとしたノマドワークもできそうだ。

 また1Fにはドトールコーヒーショップ、郵便局、ファミリーマートもあり、5Fにはカフェテリア形式の食堂もある。

 チキンカレー430円。午前中の読み疲れのせいか、一口食べてしまった。辛めだが、なかなか。食後1Fロビーにいたヤクルトレディからジョアを購入し、午後も作業である。結構疲れるのである。

 若干交通の便が以前に比較して微妙になったが、まる1日を資料収集に使うとした場合には、色々とインフラも揃っており、使い勝手が良いのは変わらずであった。

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【書評】暗黙知である設計意図の言語化:北山一真『プロフィタブル・デザイン iPhoneがもうかる本当の理由』

 製造業に限らないが自らの競争力維持・獲得のために、業務プロセスの改善サイクルを常に回していく必要がある。

 特にITという手段を使って設計改善・設計改革を進める場合、本当の意味でその改革が効果を上げているのかどうか、あるいは、費用対効果は問題ないのかどうか、実行する側も、その結果を聞く側も、常に疑問に思いながら進めているように思える。

 加えて、この手の改善活動には、外部の「コンサルタント」が入ってくることもあ流。こうなると尚更、投資した結果が本当に有効だったのかどうかを正確に判断することが難しい。要するに、「高いお金を外部に払ったのだから、今更失敗なんて言えない」雰囲気が、会社経営者まで覆うような状態が起こってしまい、ますます真実の姿を見えにくくしてしまう。

 勿論、目に見えて原価低減や設計リードタイム短縮が実現される状態なら誰も問題にはしない。

 ただ実際やる側としては、常に不安がつきまとうのである。

 こうした設計改革の活動の総括を行う際には、そうした効果をあえて明示的にプレゼンする。「○○億円コストダウン達成!」なんて。

 しかし何か釈然としない。

 ところどころから、不満の声も聞こえてくるからである。

 「作業だけが増えた」

 「設計ゲートが増加して、ミーティングと管理業務が増えた」

 「設計生産システムが一気に新規更新になったため、作業ミスとストレスが増えた」

 「文書管理のための書類作成が増えて二度手間だ」

 「間接業務の専任スタッフが(一時的に)増加している」

 などなど。

 この手の話は、業務プロセスの変革には基本的に(一時的にせよ)何らかの負荷増大は避け得ないこと、および、ビジネスの撤退がバクチの負けを認められない状態と酷似してなかなか意思決定されないこととも相まって、誰もが認める成功事例は限られているように思われる。

 そんな折、読んだ本である 北山一真『プロフィタブル・デザインiPhoneがもうかる本当の理由』(日経BP社)には、設計改革におけるこうした失敗に至る原因が考察されており、首肯できる事例が多く掲載されている。

 大意要約であるが、以下のような記述がある。

  • 設計改革がうまくいかないのは、設計の直接業務(設計業務そのもの)に攻めようとしないからである
  • 社長報告しやすい間接業務中心の設計改革は‘‘改革ごっこ”に過ぎない。

 つまり、設計そのものではなく、プレゼンしやすいIT系の設計改革は、北川によれば本質的ではないという。北山は更に踏み込んで、

  • 設計標準化が失敗に終わる理由は、設計標準化=図面の標準化と解釈されるから
  • 図面標準化の推進は「大は小を兼ねる図面」になり、使いづらい仕組みになる

 と言う(要約は引用者、以下同じ)。

 まさにその通りで、設計改革が、設計そのものではなく、一見とっつきやすい図面の標準化であったり、ITツール導入であったりと、活動を矮小化させてしまいやすいことを指摘している。これは外部コンサルおよび導入する側の推進メンバー双方の一種の知的怠慢がそれをもたらしていると思う。

 成果主義の中で、手っ取り早い成果を追う姿そのものである。

 それは

  • 「設計標準化」は総論賛成、各論大反対になり失敗する

 と言う事態そのものである。

 では、本来の設計業務に踏み込むこととは、どのような行為なのだろうか。

 すでに答えはこの書籍の中にあって、”設計そのもの”である。

 実はこの”設計そのもの”が現場の設計者やマネージャークラスでも、本当に意味で理解されていることは少ないと思う。

 そこに上記の設計改革が、往々にして失敗に至る組織的問題がある。

  • 図面の標準化ではなく、設計の標準化をするためには、設計を言語化・数値化することが必要である。
  • それはCADモデルの絵のことではない。設計に言語化(名付け)が必要。
  • CADモデルの‘‘名無しの寸法に名前を付ける”こと
  • 技術の可視化ができていないので、その根拠が見えない。 

 つまり、設計者の”設計意図”を具体的な「設計情報」に盛り込むことが設計の標準化の本質なのである。

 3D-CADの履歴情報やパラメトリック情報というようなツール視点とは全く異なる。特に、言語化(形式知化)された設計意図が必要になるのである。

 これはデジタルではなく、非常にアナログな部分であると思う。そして、実はあまり我々にとって成功していない領域である。

 設計手法を工学的にアプローチする設計工学においても、設計意図の表現は難しい。今後AIなどの活用が期待されるとは思うが、将棋や囲碁のようなゲームより、もう少し複雑な要素が入っていると思う。ただ、実現できないことはないはずだ。

 北山は、製造業の設計について明快に以下のように規定する(大意)

  • 製造業=固定費回収であり、もうけが産まれる源泉は固定費のみ(ここで言う製造業としての固定費とは設備/治具/技術/現場作業)
  • この固定費をマネジメントすることが必要
  • 製品設計においては、顧客要求を満たす設計解を見つけ出す作業に、固定費を制約条件として入れてトレードオフにすることにより最適解を見つけ出す
  • その最適解を追求できる仕組みを作れば大きな競争力になる

 設計改革は、そうした最適解を見つけ出すための活動であり、そこで口当たり良く語られる様々なバスワードに惑わされず、設計の本質部分に対して切り込むことはなかなか難しい。

 本質にある「設計意図」は、属人的でもあり、思想でもあり、暗黙知でもあり、それまでの伝承(歴史)でもある。こうした部分へのアプローチは、今後注目されていくであろうが、方法論的にはまだ色々な角度からの検討が必要と思う。

 これまでの設計改善活動の欠点を的確に指摘した良書である。

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ニッチすぎる業界のみで有効な図解:ライボルトとインフィコンとバルザースの沿革を整理した(追記あり)

 おそらくこの図解は、日本でも5人くらいしか役に立たず、出てくる会社名も日本で20人くらいしか理解できないであろう。

 しかし、個人的には長年もやもやにしていた疑問をようやく図解で整理できたので、ここに公開する次第である。

 半導体製造装置では真空プロセスを使用することが多い。具体的には、真空蒸着、スパッタリング、CVD、ALD、ドライエッチング、プラズマクリーニングなどである。

 真空プロセスでは、真空の度合いを定性定量的に測定することが必要になり、そのための圧力計や分析計が存在する。また、真空(低圧の空間)を空間的に形成するための真空ポンプなどの機器が必要になる。

 そうした機器製造メーカ群が存在し、その業界が形成している(真空工業会という業界団体もある)。

 容易に推察されるように、この業界は結構ニッチであり、かつ、参入障壁が高いのか、そこそこ潤っている。

 その一方で、特に欧米の業界は合従連衡が激しく、メーカ名が結構変わることが多いのである。

 ライボルト(注1)、バルザース、インフィコンと聞いてピンとくる人はほとんどいないだろう。

 圧力を測る真空計、残留ガスの成分分析ができる質量分析計、真空ポンプなどを取り扱う海外メーカーである。

 これらのメーカの名前が、コロコロ変わるので非常に困っていた。

 というか、もうあまりの変化についていけず、わからないまま放置していた。

 業界誌である「真空ジャーナル」に、ちょうど良い記事を見つけたのを機会に、各社のHPも参照しながら整理してみた。また、最新状況を見ると、その記事から更に変化(結局現時点ではそれぞれ別会社になっているようだ。また、これに老舗メーカであるイギリスのエドワーズ社も絡んでくるのでますます複雑。現状はライボルトと同じアトラスコプコグループにいる)。

 私はスッキリしたが、ほとんどの方は何のことやら?だと思うが、ご査収ください。

出典:”わが社のいちおし! インフィコン株式会社” 真空ジャーナル. 2009年11月号(127号)及び各社HPより、tankidesurvival作成

注1:Leyboldなのでライボルドが正しい気もするが(ドイツ読みは違うのかな)。

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クリーンスーツ(防塵着)の思い出とクリーンルームあるある

過去のある一時期、ほぼ仕事場がクリーンルームの中だったことがある。設計した装置の設置場所がクリーンルーム内で、装置の立上げ、試運転のためにはクリーンスーツを着てお客さんのクリーンルーム内で作業をする必要があったためだ。

クリーンスーツとは

こんな感じの全身つなぎの服で、細かいアイテムとして

・手袋(布とゴムがあり、両方重ねるパターンもある)

・靴(安全靴仕様になっていて爪先に金物が入っていたりする。ブーツ状もあり)

・帽子(服と一体型あるいはセパレートがある。更に上級者にはこの上からヘルメットを被る仕様もある)

・マスク(いわゆるマスクである。花粉症の時には助かる)

などがあり、クリーンルームにもその工場のポリシーがあって、細かいルール、躾が決められていた。

いずれにせよ、周りから見える場所は目の周りだけで、皆同じような外観になる。目の周りしか見えないところはスキー場の状況と似ている。

会話もマスク越しなので声も通りにくく、基本的に誰だかわかるような情報が少ない。

なので、クリーンルームによっては名札やゼッケンなどで誰かを明確にしていたところもある。服の色などでVIPなどを区別できるようにしているところもあった。VIP仕様のクリーンスーツが近づいてくると、訳もなく緊張したものだ(入室自体が面倒くさいので、あまり偉くなると入ってこないことが多い)。

それでも、長い時間作業をしていると慣れと言うもので、背格好や歩き方で「この人が誰か」わかるようになる。

ただ、覆面レスラーのようなものなのか、微妙にそれぞれ人格も変わっている場合もあるなと思ったことがある。

クリーンルーム内で関西弁で乱暴に話してきて、思わず言い争いになった人と、クリーンルーム外で続きの打ち合わせをしたら、ものすごい紳士で、何か騙されたような気がした。

女性も結構クリーンルーム内にいた。やはりスキー場状態で目の周辺しか見えないのだが、同時私の野生の勘は研ぎ澄まされていたのか、結構当初予想からのズレはなかった。

一番困ったのはトイレ(外にある)に行くことがものすごく大変で、どうしてもギリギリまで我慢してしまう。出入りも、前室(エアシャワーがある)を通過し、着替えて、と言う手間があり、結構スリリングだった。

通気性が基本的には良くないので、手袋の中で汗で蒸れて手がしわしわになってしまうし、二日酔いの際には自分の吐いた息がスーツと下着の間の空間に充満して、一日中気分が悪かったのを思い出す。

今でも時々クリーンルームに入る機会があるが、やはりそうした思い出があり、若干閉所恐怖症的になっている私としては足がすくむことが多い。

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