【ソフトランディング計画】今後のダイエット計画とカロリーのバジェット割付【今度こそ-3kg・3ヶ月】

 昨年10月から年末まで3ヶ月間実施してきた、健康保険組合による「強制ダイエットプラン」は年末を以て終了した。

 結果は既報の通り、「目標3kg」に対して「実績18kg」と大幅達成。

 景気の良い結果となった。実際の懐は寂しい限りだが。

 契約プランは終わっても、個人の人生はまだ続く。

 まだ終われない理由があるのである。

 今回の急激なカロリー制限による体重減に対するソフトランディングが必要でなのだ。結局、今回のケースのように、欲望の我慢がダイエットのメイン戦略手法だと、その欲望を制御して定常状態に戻さないと、リバウンド必至なのである。

 そしてリバウンドすれば、またダイエット企画の再開になる。馬鹿馬鹿しい限りだ。精神と肉体の負担にもなる。こんな永久運動をする訳にはいかない。

 よって、あと3ヶ月、次の定期健康診断までの間に、リバウンドすることなく、ソフトランディングする計画を立てる必要があるのだ。

 まず、これまでの体重と体脂肪率の推移をグラフ化してみた。左軸が体重減少、右軸が体脂肪率減少である。脂肪も順調に落ちているようで、腹囲も10cmくらい小さくなった。ただ、体重減少の傾きは明らかに落ちており、 カロリー制限による基礎代謝量の減少(筋肉の減少)もありそうだ。

 まずは、今後の1日のカロリーのバジェットの見直しをする必要がある。

 基礎代謝量を2000kcalと仮定する。

 食事量を以下のようなバジェット割付とする。

  朝食;250kcal

  昼食;500kcal

  夕食;900kcal

  間食;150kcal

 以上の合計:1800kcal

 運動として200kcalとする。これはウォーキング3km程度に相当する。

 以上より、熱量の収支は、1800-2000-200=-400kcalとなり、1日あたり400kcalの差分となる。

 脂肪1gあたり 7kcal相当とすると、1日あたり脂肪 57gの燃焼となる。1週間で約400g、1ヶ月で約1.7kgとなる。

 当初目標3kgに対して割付が余裕があるが、不確定要素(飲酒とか)も含めてこのくらいのマージンを有したバジェットとしてみたい。

 まずはこのような計画で実行してみることにする。結果は報告するかもしれないし、しないかもしれない。

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立ち飲み屋探訪:東海大学前駅「立ち飲み処 和田家」350円均一チケットシステムのアットホームな立ち飲み

 小田急線東海大学前駅にある「和田家」に入店。入店するとチケット自動販売機があり、350円単位で事前に購入するシステム。

 ママが1人で切り盛りしている。

 基本的にチケットは350円で統一されており、メニューも一律になっているが、例外的に二枚必要なメニューもある。

 まずはホッピー。グラスでやってきた。

 ツマミは「ねぎとろ」と「サバ」。サバはなかなかの大きさである。手書きメニューでは、干物を含めた焼き魚が充実しているようであった。

 店内は常連さん多目で賑やか。ママの子供がいつのまにか、店の手伝いをしていたりして微笑ましい。子供と常連さんが軽口を叩いていたりして、それをBGMにして酒が進むのであった。

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山梨のワイナリーが作った”どぶろく”「山梨のこしひかり濁酒」(スズラン酒造)

 以前山梨方面に行った際にゲットした「どぶろく」がある。山梨の濁酒(どぶろく)である。

 ズズラン酒造は山梨のワイン酒造、ワイナリーであり、それが2017年から「どぶろく」生産に打って出たらしい(外部リンク)。

 で、早速購入して飲んでみた。アルコール度数は13.8%とワイン並みである。

 なかなかの白濁感。そして結構上品なコク。

 やはりうまい。ある意味ダイエットをしている低カロリーの体には、栄養が染み渡る効果もありそうだ。

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【書評】福田恆存「人間・この劇的なるもの」進歩主義の欺瞞を暴いた”奴隷の思想”の瑕疵と、<部分の中にある全体>概念導入による修正

はじめに

 福田恆存「人間・この劇的なるもの」(中公文庫版)を読んだ。1956年、戦後11年経た頃に発表された論争的な書である。

 当時の世相状況は、第二次世界大戦敗北後のサンフランシスコ講和条約が成立(1952年)したのち、冷戦構造が成立した中で、いわゆる反共的な政治状況=”逆コース”が進み、この世界状況(冷戦構造)を反映して論壇も、いわゆる進歩主義的・革新的な思想と、保守主義が先鋭的に対立していた。

 進歩主義的な主張は、いわゆる旧来の日本軍国主義に対するカウンター的な意味もあり、個人主義を旗印として、旧弊な習俗・伝統を否定し、自由を求める”解放思想”であった。

 いわば当時の進歩的文化人の主流に対して、福田は真向から反対意見を提示した。

 本書は、こうした進歩思想に対する一連の福田による論争の中で、彼らとの本質的な人間観、幸福観の違いを感じた福田が、その人間観に基づいて”個人主義的ヒューマニズム、あるいは、自由思想は人間を幸福にするか?“という問題を設定し、その論拠の自己撞着を明示することにより、反証を行なっている。

 この論点は現時点でも有効であり、今この時代に読まれるべき古典としての価値を有している。ただし当然のことながら、そこには現代的な観点からの見直しも必要であろう。

論点の整理

 以下に、福田が本書で主張している論理を筆者の責任において図示化したうえで、その反証の論理を追ってみたい。

 その上で福田自身の論理自体にも、ある種の論理矛盾があることを指摘し、それを新たに解釈しなおすことを提案する。

 表1に本書における対立構造の論点を整理したものを示す。

 表1では、進歩主義、保守主義と比較して記載した。当然のことながら、福田が拠って立つ保守主義の立場で整理されたものである。

 それぞれの立場には、より基本的な「原理」が記載され、差異が明確化されている。ここではその原理を2点とした。

 原理と称したのは、それ自体で証明ができないもので、いわば立場のようなものであり、端的には”好き嫌い”である。そして福田が攻撃する「進歩主義」との差異、すなわち論点は、本書の主題でもある「人間が幸福に生きること」である。

 これの対立する論点が、いずれの立場がより論理として優れているかを議論している。

 そして、保守主義者である福田は、有名な”奴隷の思想“による自由思想、解放思想、進歩思想のもつ自己欺瞞、自己撞着を明らかにした。その予言は事実、その後の社会主義国の弾圧、新左翼運動の粛清の歴史によって正しさの実証もされている。

 奴隷の思想とは、以下のようなものである。

自由ということ、そのことにまちがいがあるのではないか。自由とは所詮、奴隷の思想ではないか。私はそう考える。自由によって、ひとはけっして幸福にはありえない。自由というようなものが、ひとたび人の心を領するようになると、かれは際限もなくその道を歩みはじめる。方向は二つある。内に向かうものと外に向かうものと。自由を内に求めれば、彼は孤独になる。それを外に求めれば、特権階級への昇格を目ざさざるをえない。だから奴隷の思想だというのだ。奴隷は孤独であるか、特権の奪取をもくろむか、つねにその二つのうち、いずれかの道を選ぶ。

福田恆存「人間・この劇的なるもの」(中公文庫版)p.84

 すなわち自由主義に基づく進歩主義は、自由を求めながら決してその目的を達成しえない、つまり自己矛盾を生じているとする。

精神の自由の頂点においては、ひとは自己を証するために、自己以外のなにものも必要としなくなるだろう。かれは他人を否定し、不要物と化する。物質的自由においても、それは同様である。その極限においては、それは他人の否定を意味せざるをえない。(略)自分以外のすべての存在は、人間であろうと、組織であろうと、物質であろうと、ただ自己の快楽を保証するための媒体としてしか意味をもたなくなる。それが自由というものの正体であり、奉仕と屈従とを裏がえしにした生活原理にほかならない。

福田恆存「人間・この劇的なるもの」(中公文庫版)p.91

論点の評価

 この”奴隷の思想”による進歩主義への福田の反証は、公平な目で見て、福田のほうが2つの点で優れていると判断できる。

優位点1:より根源的な理由に基づいていること

  ロレンスの例にもあるように、福田の論点の方がより人間にとっての生命性にまで広げた論理であり、いわば”生物としての人間”としての観点を持っていることである。

優位点2:より首尾一貫していること

 繰り返しになるが福田による”奴隷の思想”の論理は、進歩主義の拠って立つ原理に基づくと、それが論理破綻していることを示している。同時に福田の論理自体には(一見)それはなく、原理に基づき首尾一貫している。いわば、よりself-consistentな理論であると言える。

福田の論理矛盾

 ただ、急いで付言しておくならば、首尾一貫しているように見える福田の論理にも、いくつかの瑕疵が指摘できる。それを以下に検討しておきたい。

 福田の論理の優れた点としてあげた2点について、優位点1は単純に議論を生物学的な話に拡張しただけという指摘もあろう。また、優位点2については、厳密に検討すると「比較的」首尾一貫しているにとどまっていると考える。つまり、福田の論理にも、程度の差こそあれ論理矛盾を有している。以下で詳細に検討する。

 具体的な論理矛盾は、死についての思想である。

 福田は、以下のように「全体に対する部分の俯瞰」を錯覚であると否定する。

今日、私たちは、あまりにも全体を鳥瞰しすぎる。いや、全体が見えるという錯覚に甘えすぎている。そして、一方では個人が社会の部分品になりさがってしまったことに不平をいっている。私たちは全体が見とおせていて、なぜ部分でしかありえないのか。実は全体を見とおせてしまったからこそ、私たちは部分になりさがってしまったのだ。ひとびとはそのことに気づかない。

福田恆存「人間・この劇的なるもの」(中公文庫版)p.32

 しかし、必然としての死、生を正当化するための宿命としての死と解釈する福田自身が、「全体を鳥瞰した」視点に拠っている。これは全体は鳥瞰できず不可知として捉えた福田の原理①と矛盾する。

かれらがそのために死ぬに値するものが生のなかにあったのであり、それがまたかれらに生きがいを与えていたのだ。(略)そのために死ぬに値するものは、たんなる観念やイデオロギーではない。個人が、人間が、全体に参与しえたと実感する経験そのものである。それは死の瞬間においてしか現れない。(略)私たちは死に出あうことによって飲み、私たちの生を完結しうる。逆にいえば、私たちは生を完結するために、また、それが完結しうるように死ななければならない。

福田恆存「人間・この劇的なるもの」(中公文庫版)p.112

 つまり、福田も指摘しているように、幸福に生きることにつながる「死」とはまず自分の死であるが、われわれは他者の死しか経験できない。これに対して、全体のもとで宿命としての必然を語るとき、部分を超えた視点、いわば鳥瞰的な視点が必須になる。これは福田の原理①と矛盾する。

 また、”奴隷の思想”についてもひとつ瑕疵がある。内と外の2つの道筋があるとされ、その1つ「孤独」を否定する際に、そこに原理的な主張が存在する。

 つまり、「孤独者が全体の支えなしに生きられない」として、この選択肢を排除する客観的根拠が何も語られていないのである。福田自身も何度もこの部分は繰り返し語っているが、原理的な主張の域を出ていない。

論理矛盾の回避

 では、進歩主義と保守主義はどちらも似たようなものであるのか。そうではないであろう。より根源的である福田の論拠を自体を修正することは可能なはずである。

 それには、”部分の中にある全体”、という考えを導入すれば解決できると思われる。

 優位点1にあげた論拠である、より根源的な理由としての生物としての人間、あるいはロレンスからの言及である”性の問題”である。これは、生物学的な用語で換言すると、要するに”大脳新皮質から大脳旧皮質へ遡れ、それが幸福だ”といっているに等しい。既に述べた通り、この主張自体は、より広い概念への拡張であり、福田の論理が強力なゆえんである。

 これを更に根拠づけると、何を意味しているのか。自己のなかに、生物学的な進化の歴史があること。そして自己の生命の存在は、過去に遡る何世代のもの先祖の歴史そのものであり、これこそが「部分のなかにある全体」なのである。

 先に福田の原理的な主張であるとした「孤独者は全体に支えられないと存在できない」という主張もまた、この「部分の中にある全体」という観点を付加して拡張されなくてはならない。

 孤独者は、自己のなかにある全体によって支えることができるのである。これによって先ほど瑕疵を指摘した”奴隷の思想”も、孤独者の論理によって自己矛盾を回避される。

 無意味な死や孤独に死んでいく例は、沢山存在する。炭鉱労働や、シベリヤ抑留の日本人もそうだった(関連記事:シベリア抑留と強制労働)。また現代のブラック労働による孤独死もそうである。彼らの「死」は福田の論理では評価できない。それを救済する必要がある。

 当然難しいことは言うまでもない。だが、そこに孤独者が生きていく幸福論の可能性があるのではないか。

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立ち飲み屋探訪:川崎大師駅「高木屋酒店」川崎大師の相談窓口にもなってくれる参道沿いの角打ち

新年早々、諸事情で傷病平癒の「お守り」を入手する必要に迫られた。世の中、いろいろなことがある。

時間と場所の事情から、午後に川崎大師へ向かう。しかし京急大師線の川崎大師駅に降りたったのは平日の18:00過ぎ。見切り発車で来たものの、まだお守りを頂けるのであろうか、不安になる。

いくら1月とはいえ、平日のこの時間帯だとメインの参道の店も軒並み閉まっており、人気もない。川崎大師駅から川崎大師までは結構歩く。これは明日にでも出直すべきであろうか、と逡巡する。

ここはひとまず作戦を練ろうかと、参道沿いにある、角打ちの高木屋酒店へ。常連さんと、老齢の店主夫妻?が賑やかに喋っている。

システムはキャッシュオン。

まずはビール中瓶。400円。大瓶だと450円だが、中瓶の美学というものがあるのだ(無根拠)。

ツマミはおでん。3品指定でき、400円。他にも、角打ちらしく、缶詰やスナックなどもある。

常連さんの会話に耳をすませると、地元民の模様。

この時間帯での、お守りの入手可能性について恐る恐る聞いてみたら「通常の授与所は18:00で閉まるが、お守りは、大本坊に行けば24時間買えます」という貴重な情報が。素晴らしい。

早速行こうとすると、事前に電話で確認するようにと電話番号まで教えてくれた。有り難い。

なので中瓶をおかわり(意味不明)。

常連さんにお礼をいい、立ち飲みを出てテクテク歩いて向かった川崎大師の境内は、たしかにひっそりとしていた。言われた通り別の建物である大本坊に向かい、インターホンを押して、無事お守りゲット。さすが救いを求めてくる人には手厚い対応であった。

立ち飲み屋の情報機能に助けてもらった。

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立ち飲み屋探訪:三ツ沢下町駅「ペコロス」横浜の下町感の中でまったりとした感じの立ち飲み

横浜市営地下鉄ブルーラインの三ツ沢下町駅から徒歩1分の至近距離にある「ペコロス」に入店。熟女系のママさんが厨房で切り盛りしている。

店内には、立ち飲みカウンターと少しの椅子がある。店内の壁にはお客さんとのポラ写真がびっしり。入店すぐの雰囲気としては温泉場の射的場のような二重構造を妄想した(失礼)が、至って普通の立ち飲みであった。

まずは生ビール550円。

飲み物はこのようなグラスサイズで、やや高めの設定。そのかわりツマミが100円からあり、こちらはリーズナブル。

ツマミはカウンターにあったサバ200円とらっきょう100円。安い。サバはレンジで温めてくれた。

続いて男梅サワー450円を飲み、今回はフィニッシュ。駅周辺は横浜の下町的な雰囲気があり、親近感を覚える町であった。

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立ち飲み屋探訪:東急池上線蓮沼駅「勘蔵」名物”ぜんぶのせ”200円はジャンクだが美味い!

 東急池上線で蒲田から1駅の「蓮沼駅」徒歩5分程度の場所にある「勘蔵」へ入店。蒲田からも十分徒歩圏内である。

 小さめカウンターのみの店で、10人くらいがマックスであろうか。

 ツマミ類は200円から300円でリーズナブル。飲み物も沢山サワー類がある。まずは角ハイボール350円を。ジョッキは中型サイズであるが、問題なし。

 ツマミが安くて大丈夫なのかと、ポテサラ200円とアボカドわさび200円を注文、ポテサラには茹で卵を潰したものが入っている。

 アボカド刺身は大を1/2で、ひとりには十分すぎる。その後は濃い目チューハイ300円をお代わりする。

 そして店内に貼ってあた鉄板メニュー「ぜんぶのせ」200円を注文。張り紙の説明でもなんのことやらわからない。何かのトッピングなのかと思ったが、そうではなかった。

 これが「ぜんぶのせ」である。明太マヨにゆで卵とチーズ。これをクラッカーに乗せていただく。なんとも素晴らしい味で更にチューハイが進む。

 常連さん多めであるが、あまり気にならずひとりでゆっくり飲むこともできそうなすごい店である。

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立ち飲み屋探訪:鴨居駅「よりどころ しゅん」地元密着・微笑みのマスターのいる優しい店!

 鴨居駅「よりどころ しゅん」へ新年の開店初日に訪問。

 以前から行きたいと思っていた店であるが、このようにGoogle地図だと、鴨居駅北口から、鶴見川を渡るために、大きく迂回するように見える。結構歩くのではないかと躊躇していた。

 しかし実際に駅北口を降りてみると、なんと、ほぼ直通のところに橋が。かなり幅広い。ほぼ直線にかかっている。

 結局、店まで最短距離で、一気に行けた。

 地図をよく見ると、細い緑色の線がある。鴨池橋(鴨池人道橋)ということで、人専用の橋ということで、地図上は河川敷の歩道扱いであるが、実際にはクルマが通れるくらいの幅がある。

 店内は既に常連さんで一杯であるが、何とか入れてもらえた。

 マスターはニコニコした温厚な方で、初日のお客ということで、新年のお神酒とお守り(ねずみの根付)をサービスしてくれた。

 初見なのに非常に申し訳なく、恐縮する。

 システムはキャッシュオンで、つまみはほとんど200円と安くボリュームもある。

 ホッピーはセットで300円。中は200円。サワーは300円。結構濃いめに入れてくれる。

 せっかく初日のサービスも頂いたので、ここはガッツリ飲んでお店へ還元ということで、ホッピー中4、サワー2の6杯を立て続けに。ベロベロである。

 注文したハンバーグは200円でこのボリューム。お得感がある。もっと注文したいが、コスパが良すぎるのと、厨房の処理能力が結構厳しめで断念。

 店内にはどんどん常連が来て、みんな楽しく飲んでいる。地元密着のすばらしいお店である。マスターも楽しそうに注文を捌きながら、ワイワイとやっている。

 末永く続いてほしいと同時に、お守りの恩義も感じ、しばらく通いたいと思うのであった。

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【目標;3ヶ月で-5kg】ダイエット第13週(12/24〜12/31)の結果報告;とりあえずの3ヶ月の結果は三五八漬けダイエットで-18.6kg減!

ダイエット1週間の記録:第13週目(12/24-12/31)

 結果:体重減 2.2kg 累計(-18.6kg)

 ついに3ヶ月終了。最終週は色々あったが、一気に体重減。今までのノイズ成分が無くなったのであろうか。あるいは、ちょっとした体調不良のせいであろうか、一気に体重が減った。

 ということで、当初目標は5kg減に対して、何と18.6kg減!372%達成である。この結果がビジネスの成果になれば、と思うが、まぁそこはどうしようもない。

 怒りダイエット、三五八漬けダイエット、ウォーキングダイエット、カロリー制限など様々なダイエットも駆使しつつ、無事成功である。

 特に、三五八漬けは、ほぼ毎食食べ、ダイエット手法として非常に有効であった。世が世ならこれで一つ本も書けそうなチャンスもある位であろう(?)。

 しかし、まだ終わる訳にはいかない事情もある。ここでリバウンドしたらまた来年も同じことの繰り返しの無間地獄になってしまうので、次の健康診断まであと3ヶ月はある程度継続しないとまずいのだ。今後の計画は再度立てたいと思う。

 この期間、食事は基本カロリー計算で制限したものの、酒だけは我慢せず、一応ハイボール、酎ハイ、ワインなどを中心にしたがガッツリ飲んだ。

 並行して実施したウォーキングも昨年の3ヶ月で累計499.6km。結構歩いたのである。頑張った。

 結局、会社の健康保険組合によるダイエットプログラムはこれで終了。ハガキは3通、電話は2回。どうやら、うまくいっていない人に背中を押すシステムのようで、私の事例のような「やりすぎ系」には、ノウハウがなく、あまり対応できていない模様で、正直実施期間において有効に思えたアドバイスや効果はなかった(だいたい、おやつのオススメで”ナッツ10粒”なんてアドバイスもらってもしょうがないっつーの)。

 

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【書評】アイザック・アシモフ「ファウンデーション」–文明の歴史そのものを対象としたSF叙事詩の第1作

 アイザック・アシモフ「ファウンデーション」を読んだ。1942年から継続発表された「銀河帝国興亡史」シリーズの第1作である。

 遠い未来。人類は宇宙の広域に進出し、巨大な科学文明を築き、「一千兆の人間」を抱え「一万二千年」の長い期間にわたり、栄華を尽くしてきた。この「銀河帝国」を舞台とした壮大なSF叙事詩である。

 この「ファウンデーション」では、その銀河帝国の崩壊(の予兆)から始まる。

 心理歴史学という架空の学問が設定される。これは統計力学における気体分子と物理量のように、文明というマクロな社会現象を対象として、その未来を高精度に予測することを可能にしたとする。いわば、科学的な意味での「預言」を可能にしている。

 この心理歴史学の確立者であるハリ・セルダンは、銀河帝国が近い将来に不可避的に崩壊することを、心理歴史学のモデルから預言した。そして崩壊後には、無政府状態、野蛮と破壊のフェーズが訪れ、その期間は「3万年」に及ぶ停滞が存在することも同時に預言した。そして、人類のために、この停滞時間を1000年に短縮するプロジェクトを立ち上げるところから始まる。

 その解決手段の「ひとつ」が、来るべき無政府状態において人類の知的遺産を散逸させず保存する組織「ファウンデーション」であった。

 この小説では、ファウンデーションを舞台として、文明の発展段階において直面する固有の「危機」(セルダン危機と呼ばれる)と、その超克が描かれる。

 そして、それは我々が知っている人類の文明の発展をなぞるかのように、発展段階において解決手段が異なる。つまり、歴史の発展によって、その都度、乗り越えるべき課題がより高位となり、歴史的役割を担う人間も変わる。

 いわば、旧世代の権力者は、新世代には抵抗勢力となり、新世代によって乗り越えられる運命にある。こうした歴史のダイナミクスが物語の中心となっている。

 本書は壮大な歴史の流れ自体を小説の対象とし、こうした文明の転換点における「セルダン危機」に対する、文明の成長を描いている。ここから、SF的な対象を除去すると、この小説自体は、文明の発展と衰退の物語、歴史そのものが対象となっている。パワーバランス、宗教、交易、技術主導の国家運営など、人類の歴史を対象として予想したものともいえる。

 時代的には第二次世界大戦前から書かれたものであるが、こうした状況が小説の世界観に直接的に反映されているとは見えず、現代的に見て全く古びた要素がないのは非常に驚かされる。

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