100円ショップで買って1番役に立っているモノ

安かろう悪かろうというイメージがあるが、なかなか使えるものもある。これは認めざるを得ない。

・文房具は意外に使えそうで使えない。筆記用具は高いものを買った方がトータル的には使えると思う。書類整理用の箱類は使えるものもあるが、意外にバッチリ適合するものがないので、使わない整理ボックスが家にたまる。唯一私がリピート購入しているのは、A4サイズのクリアファイルで10枚100円であり、コスパが良い上、汎用的に色々な場面で使える。

・工具類は基本錆びる(私見)ので、どうしても必要な時に1回だけ使って、手持ちにしないくらいの気持ちで使う。

・オモチャ類は、親戚の子供が来た際に買ってあげると「一時的に」喜ばれる。財布の負担にもならないのでコスパが良い。ただし上記の通り、その場だけの遊びで、長く持ちこたえられるものではない。

・ガラス瓶、ガラスの食器は、割り切って色々な用途に使える(漬物とか飴玉入れとか)。割っても良いし、汚れても良いという割り切りが良い。

そんな中、これまでで最も良く使ったのは、

ざる蕎麦用さら(せいろ)(簀の子つき)

(参考画像。これは100円ではない)

である。

これは15年以上使用し、先日竹の簀の子が腐食により劣化したので買い換えた。非常にコスパが高い製品であり、大満足である。

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【ブックガイド】説教臭くない稀有な酒飲み本・マンガを探せ!

酒と読書(マンガ含む)はあまり相性が良くない気がする。

飲酒は酩酊的であり、思考を分裂される方向に作用するが、読書は理性的であり、思考を統制・集中する方向に作用するからであろうか。

読書はどちらかというとコーヒーなどが合うと思う。

古本屋とコーヒーは相性が良い。そうした本も出ているくらいだ。

・『東京古本とコーヒー巡り(散歩の達人ブックス)』

私自身も、古本屋帰りの喫茶店というと、神田神保町の「さぼうる」であるとか、新宿の「談話室滝沢」(閉店)などが思い出される。

要するに、コーヒーすなわちカフェインであって、思考を集中させる方向に作用するので、読書にとって相乗効果があるということであろうか。

しかし、いわゆるアッパーとダウナーというドラッグ用語で言えば(なんでそっちの方向に行くのかな)、アルコールはダウナーであり、カフェインはアッパーである。

読書にはアッパー系が良いということになる。

しかしながら(まだ語る)、敢えてアッパーとダウナーをブレンドし、効果を拮抗させる”スピードボール”という方向性もある。

最近問題になっているチューハイのエナジードリンク割などはその例だ。

とは言え、個人的にはアルコールを飲みながらの読書は、あまり”面白くない”、と思う。

アルコールに合うのはYouTubeのような映像鑑賞である。同じ視覚情報であっても、読書のそれと映像鑑賞のそれは、脳みその中で、情報の処理方法が異なるのであろう。能動的と受動的といった違いであるとか。

……今回はそんなことを言いたかったわけではないのであった。

気を取り直して、アルコール、飲酒に関するマンガや本を紹介してみたい。

▪️酒飲みガイド編

・中島らも『せんべろ探偵が行く』(集英社文庫)

・さくらいよしえ+せんべろ委員会『東京★千円で酔える店』(メディアファクトリー)

・カツヤマケイコ、さくらいよしえ『女2人の東京ワイルド酒場ツアー』(メデイアファクトリー)

せんべろ=1,000円でベロベロに酔える、という意味であるが、味のある酒場、角打ちを紹介している。

中島らも先生の著書は、まさに元祖として他2書でも引用されている、一種の基本文献、原典である。この3冊は非常にオススメであり、繰り返して読める。

▪️酒飲み編

・二ノ宮知子『平成よっぱらい研究所 完全版』(祥伝社)

「のだめカンタービレ」の二ノ宮先生の若い頃の傑作。 ほとんど自分とその周りの酒飲み経験で作られている。ある意味、鋼鉄の肝臓(いわゆる肝臓エリートというやつですな)を持っているが故の大量飲酒エピソードが満載の”良書”(?)である。

・あっきう『あっきうのどこまで呑むの?』(ぶんか社)

女性が描くと普通はオシャレな酒飲みマンガを連想するが、このマンガは一気飲みは出てくるわ、リバースも出てくるわ、訳のわからないストロー飲みは出てくるわ、とにかく良い意味で”下品”な酒飲みマンガである。 そして、以下で紹介する、酒飲みマンガ特有の説教臭さゼロの良書(?)である(ただ近年のアルコールハラスメント的には、完全な焚書レベルであろう)。

・画:叶精作 原作:岡戸隆一『天龍源一郎 酒羅の如く』(白夜書房)

プロレスラー天龍源一郎のインタビューに基づく、プロレスラーの豪快酒エピソードが満載。 面白い。第一話の第一コマがいきなりリバースそのものの絵からスタートだが、叶精作の画力で全く下品さが無くなっている(笑)。第5話のジャイアント馬場のエピソードが良い(ちなみに馬場は飲めるが、全く酔わないので酒は好きではない、というエピソードが残っている)。 天龍の人間力が伝わってくる良作である。

・ラズウェル細木『酒のほそ道』(日本文芸社)

酒をテーマにしただけで既に単行本は45巻(2019年現在)。近年急にヒットしてきて手塚治虫マンガ賞を受賞した。

短編なのでこれは酒を飲みながら読める。個人的には主人公のマナーがあまり良くなく、サラリーマンマンガ的には完全にファンタジーな感じになってきた。

一番気になるのは、この主人公はいい年(30台後半と思われる)をして、上司(といっても課長)と飲むときには”この場は上司が奢るのが当たり前”というスタンスを持っているところである。 そして作品世界の秩序としても、それが正解になっている雰囲気がある。そんな毎回何人もの部下の勘定を奢れるような小遣いもらっているサラリーマンなんて日本に何人もいないと思うんだけど。

主人公は天龍源一郎に一度ビール瓶で頭を殴られると良いのではないか。その意味で、このマンガは完全にちょっと非常識なファンタジーなのである。

・原作:久住昌之、画:魚乃目三太『昼のセント酒』(幻冬社)

名作『孤独のグルメ』の主人公ゴローちゃんは下戸なので、酒を飲むシーンはない。しかし赤羽の名店「まるます家」はある(第4話)。 この店はリアルで行ったことがあり、朝から飲めるとんでもない名店であった。 その久住先生原作の酒+銭湯マンガであるが、内容はイマイチ。これも勤務中にサボって酒を飲むシーンが、リアリティに欠けるのである。 なお、主人公が下戸である『孤独のグルメ』は名作なので、何か酒飲み要素がグルメマンガに含まれると、おかしなノイズが入るのであろうか。

・原作:加藤ジャンプ、画:土山しげる『今夜はコの字で』(集英社)

グルメマンガ界の雄、土山先生の居酒屋マンガである。 実在の酒場をモデルにしている(やはり「まるます屋」は紹介されている)。 酒場紹介としては良いが、これまたマンガ上の解説者=酒飲みグルメの女性の先輩に、若い現代っ子が酒飲み指南されるというファンタジック+説教臭さが入っており、イマイチであった。

・古谷三敏『BARレモンハート』(双葉社)

その意味では、元祖とも言える酒マンガ 古谷三敏『BARレモンハート』(双葉社)は初期は面白かった。 1巻から4巻あたりの、謎のハードボイルドでファンタジーでウンチクでハートウォーミングな内容は、当時革命的であった。長期化するにつれ、古谷三敏の得意のウンチク趣味が出てきてしまい、陳腐化されてきたが、30年前に初めて読んだ時は、非常に衝撃的だったことを思い出す。ちなみにこの本でスピリタス(96度の酒)の存在を知った。

▪️酒飲みの向こう側編

酒飲みマンガが、どうしても上下関係のような説教臭さを物語構成のスタンダードとして持たざるを得ず、そこから逃れることが難しいとすると、酒飲みをさらに拗らせてしまった場合はどうか。

例えば、アル中など。

・吾妻ひでお『失踪日記』『失踪日記2アル中日記』(イースト・プレス)

言わずと知れた名作である。 アル中になる過程、治療のための入院の話が含まれ、ものすごく暗いが、吾妻ひでおのマンガ名人芸の力で全体として明るい名作に仕上がっている。

(帯の位置を戻しておけば良かったがリアリティ追求のためこのままとする)

・まんしゅうきつこ『アル中ワンダーランド』(扶桑社)

絵がメンヘル風味が加わり、結構厳しい内容であるが、全体としては面白い。

・卯月妙子『人間仮免中』『人間仮免中つづき』(イースト・プレス)

アル中ではないが、大量飲酒する場面が結構出てくる。内容は、これまで紹介したどの本よりもとんでもなく深刻(人格障害寸前の重度の精神障害)な中で、恋人ボビーと酒を飲むシーンが、”いい酒を飲んでいる感”が伝わってきて良い。 卯月先生には、これからもマンガを描き続けていって欲しいと思う。

■まとめ

総じて、ブックガイド的なもの、および、酒飲みのその先に行ったものには、説教臭さが皆無であった。 しかし、いわゆる酒飲みグルメマンガには、特有の”説教臭さ”、”上下関係”、”面白くないウンチク”、”世間常識から逸脱した倫理観、それを解決するための非常識なファンタジー感”があり、成功例が極めて少ないことがわかったのであった。

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他人とカブりたくないビジネスパーソン向け、変化球だがかっこいい歴史上の人物:江戸時代の参謀編

ビジネスシーンでは、”尊敬する偉人”であるとか、例え話として”偉人のエピソード”を語らなくてはいけない場面に良く遭遇する。

若い頃は、織田信長とか徳川家康などの超有名偉人や戦国武将、イチローなどのスポーツ選手を挙げることで何も問題ない。また、ビジネスパーソンだと、ジョブズであるとか、ゴーンなどを挙げることもある。最悪(?)「僕の尊敬するのは両親です」、だって良い訳だ。何でもありなのである。若いうちは。

しかし、だんだん年齢を重ねてくると、さすがにその答えじゃ格好が悪い、あるいは、他人との差別化を図れないのがいやだ、というスケベ根性が生まれてくる。それを聞いた周囲からも、あら博識なのね、と思われたくなってくる。こうした名誉欲も少しずつ膨らんでくる。

そこで、まず考えるのが、司馬遼太郎などの歴史小説を読んで、坂本龍馬、土方歳三、西郷隆盛、などの明治維新の偉人をあげることである。が、これは意外と歳を取ってくるとライバルが出てくるのが厄介だ。ライバルの中には筋金いりの歴史マニアもいるので、結構知識差が顕在化しやすい。こちらが付け焼き刃の場合、却って恥をかくリスクがある。

その次に考えるのが軍人であろう(本当か?)。司令官としては東郷平八郎、山本五十六、山口多聞、宮崎繁三郎、今村均、参謀であれば、秋山真之、堀栄三などであろうか。しかし、これも近年の戦略ブームで結構名前がポピュラーになりつつある。また多角的に見られる傾向があるので、評価も割れやすい。つまり、賢将として挙げたつもりが、愚将になって恥をかく可能性がある。

で、どうすればいいか。

仮にあるグループで、順番に尊敬する偉人を述べて行った場合に、先に言われない程度の無名度であって、なおかつ、知る人ぞ知る程度の知名度があるちょうどいい偉人、これが必要なのである。しかし相手に劣等感を与えてもいけない。これがあったか、なかなかいいねと相手にグッと思わせる絶妙な距離感を持ったチョイスが必要なのである(大変だなあ)。

それも時と場合があるのでTPOに分けて複数知っておきたい。

今回は江戸時代の参謀を中心にチョイスしてみた。ビジネスで言えば、課長クラスのマネージャが挙げると、上司がコイツできる……とグッとくるイメージである。

ただし、その人物に評価が定まっていないというリスクも未だあるので、その点も踏まえてアピールする必要もある。

①調所広郷(ずしょ ひろさと:1776-1849)

薩摩藩家老。薩摩藩は幕末において重要な役割を果たしたが、もともと財政状態は極めて悪く破綻寸前であった。500万両と言われる巨大な財政赤字を立て直し、幕末においてイニシアチブを持つだけの軍事力を準備する財源を作り出したのが、調所の功績である。そのためには、清濁あらゆる手段を使った(密貿易まで)。最終的には主君のお家騒動に巻き込まれ、失脚。更に密貿易の罪を被って自殺という生涯である。お家騒動では維新の立役者である西郷南州や大久保利通と逆の立場であったことから、評価は低い。しかしながら調所の財政改革が維新の原動力を作り出したとして再評価されている。

②村田清風(むらた せいふう:1783-1855)

長州藩家老。調所と同様、藩政改革、特に財政改革を成し遂げた。また、教育機関などの整備も行い人材育成にも力を入れた。薩摩藩と並び、維新のもう一つの雄である長州藩の軍事力、人材力の礎になったと評価されている。

③恩田民親(おんだ たみちか:1717-1762)

恩田木工(おんだ もく)とも。松代藩家老。窮乏していた財政に対し、何人もの人材が再建策を行なったものの、藩内の意思が統一できず何度も失敗して来た。恩田は、実行するにあたり、自らの身を質素倹約にすることを宣言、そして情報公開を行うことで、藩内の意思を財政再建に向けることに成功した。今でいうエンパワーメント組織を作るようなものであったと思われる。

④山田方谷(やまだ ほうこく:1805-1877)

備中松前藩藩校校長。藩政改革を行い、財政再建に成功する。藩政改革において、質素倹約を藩中に徹底させる必要があるが、そこにおいて山田方谷は自分の家計を第三者に見させ、オープン化した。情報公開と自己監査である。これにより領民に政策の本気度を知らしめた。松前藩は戊辰戦争で朝敵となってしまうが、ここでも様々な施策を領主で老中の板倉勝静を通じて領民の生き残りに腐心する。更に大政奉還の上奏文の起草者でもある。朝敵となってしまったが、大久保利通など明治維新の重臣が一目置いた優秀な学者であり、政治家である。

明治維新という大きなエポックメーキングではなく、それを準備した優秀な実務者という視点で評価された偉人をあげてみた。

能吏というなかれ、彼らは現代の経営的視点からみても、充分な先進性と根源性を持っている。

諸兄のチョイスの参考にされたい。

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立ち飲み屋探訪:町田駅日本酒飲み放題「立ち呑み栗原」に再訪問

前回記事で町田の日本酒角打ちである「立ち呑み栗原」をレポートした。前回は4Fであったが早速3Fにも行ってみた。前回から1週間程度しか経過していないのに、既に前回とメニューが異なっており、入れ替わりがかなり激しいことがわかる。

今回のメニュー。前回記事のメニューと既に差異がある。

前回の経験でも確認されたように水は必須である。

今回も客はほとんどいなかった。

国権 夢の香 うすにごり(福島県)

フルーティでうまい。

一ノ蔵 無鑑査 超辛口(宮城県)

これも良い。すっきりしている。

飛良泉 山廃仕込(秋田県)

白隠正宗(静岡県)

御前酒 9NINE(岡山県)

今回はこれが一番うまかった。

浦霞 純米生酒(宮城県)

富久長 プラスX(広島県)

今回は後半で客(複数連れ)がやってきた、やはり彼らも最初は興奮するのか、話し声が結構気になる。さらに4Fから結構な感じでベロンベロンになった人が遠征(これはルール上OK)してきて、そのついでに話しかけられて、少し困った。

店の壁に貼ってあったポスター。町田で6月4日に”ニッポンのさけまつり”なるイベントがあるらしい。これも興味がある。

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八王子のアジアン食堂で昼下がりの苦闘 店員3名 vs 客俺1名

所用のため八王子くんだり(失礼)までやってきた。

南口ではまだ大規模開発工事をしている。ふと見ると、クレーンのアームに作業員が。給水塔恐怖症(関連記事)で閉所恐怖症(関連記事)はあるが、高所恐怖症ではなく、むしろ好きなので、作業風景を見て「いいなあ、あそこ行きたいなあ」という思いに捉われていた。

そんな話はさておき、昼食をできる場所を探していた。

少し彷徨い、JR線の陸橋近くにあるアジアン食堂に入ることにした。

カレーセットを注文。2種類選べるので、マトンと野菜カレーをチョイス。

到着。ナンが馬鹿でかい(比較のためフォークを並べている)。

こんなに大きいものだったっけ?しかも店員さん曰く「ナン1個お代わりできますよ」とのこと。挑戦か?(しつこい被害妄想)

味はなかなかうまくスパイシーで、このサイズでも問題なく、ナンお代わりできた。

味はなかなかで、雰囲気も清潔。とはいえ少々辛い食事であった。

その理由は何故か。

客が一貫して私一人だったからである。おまけに狭い店なので厨房にいる3名の店員が何をしているか丸わかりである。

はっきり言って気まずいのである。私は一人メシが好きなので、基本食事中に他人と会話はしたくない(関連記事)。無視していて欲しいのだが、店員は暇なのと、おそらく私に気を使ってしきりと話を仕掛けてくるのである。

「この店初めて?」

「辛くない?」→もう少し辛めが良いけど、初めての店だからと言ったら親切に追加スパイスを用意してくれた。

「マトン大丈夫?」

「コーヒー甘くない?」

など。正直いたれりつくせりなのだが、孤独を愛する私としては申し訳ない、ありがた迷惑なのであった(言ってしまった。本当に申し訳ない)。結果、話は弾まないものの、絶妙な親近関係のまま食事は進む。

要するに友人の家に招かれて初対面の先方家族との会話というか、ビジネスでの懇親会であまり親しくないが仕事上の付き合いで当たらず障らずの会話というか、そう言ったぬるま湯の関係がそこにはあった。それは、私にとってきついのである。

私の対応もこんな状態なので、気を抜くと無愛想になり、結果、話は弾まなかった。

お互い少しずつ気を使った結果、お互い傷ついたのである。

「お一人が好きなので話かけないで」Tシャツでもあれば、と思った食事であった。

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安田大サーカス クロちゃんへのドッキリが囚人のジレンマ的様相になってきた

TBSテレビ「水曜日のダウンダウン」で安田大サーカスのクロちゃんへドッキリを再三再四仕掛けている。

この番組のドッキリレベルは非常に高度で、ヤラセとかそういった演出(実際はあるだろうけど)とは別の心理戦のような状態に突入している。

例えば、「逆ドッキリを繰り返すと両者が疑心暗鬼の状態に突入する」「1週間予告ドッキリをする(何をするかは伝えない)」「グダグダなドッキリに対して芸人はどのレベルまで乗っかるか」など、裏の裏やメタレベルの領域に達している。

先日放送の「素人風(ヤンキー風)の人間に”水曜日のダウンタウンです”と言われたら、クロちゃんは目隠しに応じるか」という企画があった。結果は、乗っかる訳もなく、絡まれて逃げる状態であった。とはいえ、実際には素人風の仕掛け人も含めてTV番組スタッフであることは間違いなかったのだが。

ネタバラシ後に本人に聞いたところ「既に素人から同様に絡まれている」という回答もあった。

余計なお世話だが、今後のことも考えると困るのではないか。つまり、今回の事例で本当に番組企画の場合があることを提示したことで、下手すりゃ犯罪被害に遭うんじゃないの、と思ったのである(TV演出だから、というのはここでは置いておいて)。

本人にとって、何が企画による危害(これはビジネスなので乗るべき)で、何がリアルの危害(これは本当の危険で避けるべき)なのかがわからなくなってしまうのは、ちょっとタレントの安全上危険な心理状態にしてしまっているのではないか。

では、別途、ボディガードでもつけて、企画の場合以外には、ちゃんと第三者的に強制的に保護されるような仕組みを作れば良いかもしれない。でも、それを本人に知らせて良いか。

本人が「本当に危険な場合には助けが入るはずなので、基本乗っかろう」という戦略を持っていた場合、これが本当の事件であった場合でも、リアル危機なら誰かが止めに入るはずだ→現在、誰も助けに来ていない→これはリアルでなく企画だ、というように判断してしまう。結果、事件だけど、ボディガードが見過ごしてしまったような場合、重大な危険に遭遇する場合もある。

かといって、保護されていることを本人に知らせないということは、本人が常にこれが企画なのか、事件なのか自分で判断しなくてはいけない。企画の方は段々と現実に近づいているのに、である。これは、より安全側、即ち企画であってもノリにくい態度になり、タレント的には美味しくない状態になる。これもタレントにとっては、一種の機会損失であり、自分の価値を下げる行動である。

これは主にタレントを保護する会社(松竹芸能)の戦略上のトレードオフにもなる。タレント性としては、乗っかってもらった方がビジネス的には良い。しかし実際に犯罪に巻き込まれることは避けなくてはいけない。

この均衡をどこに置くかという問題である。均衡状態が、最適解にならない囚人のジレンマ状態のようにも思える(厳密な用語の使い方ではなく、比喩として捉えてください)。

「水曜日のダウンダウン」のドッキリが、メタレベル領域に入ったことで、タレント自身の現実はますます複雑になってくる。ある意味目の肥えた視聴者にとっては新鮮さに繋がる訳であるが、一種の囚人のジレンマのような様相を呈して来ていることに、少しだけ不安を覚える。

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【上流設計】設計におけるクリエイティブとは:白紙に最初の点を書き込む人とそれを受け継いで育てる人

ビジネスは永続した利益創出を使命とする以上、常にイノベーションを生み出すことが必要になる。

とはいえ、イノベーションを生み出すことはそう簡単なことではない。誰もが手順を踏んでできることではないからだ。

ここではイノベーションを生み出す、という方法論では無く、そこに携わる要員配置について考察してみたい(大上段だな)。

製品のライフサイクルには、①導入期②成長期③成熟期④衰退期というサイクルがあることは良く知られていることと思う。それぞれのフェーズにおいて、企業が利益を最大化する戦略は異なる。

少しだけ例をあげると①②の状態で先行している場合には、その時点で先行者利益を十分に確保し、③のレッドオーシャン化の前に引き上げ、次の市場へ向かうという「先行逃げ切り戦略」や、②の後期までは後発で先行者の状況を十分見極めた段階で遅れて参入するも規模感を元に低価格勝負を仕掛け③で市場を支配するという「二番手戦略」などがあるであろう。実際の戦略はもっと複雑であることは言うまでもない。

ここで、①②③④のフェーズにおいて、どんな適性を持った人間にその責任を持たせるかは、経営上の大きな課題であり、これも良くケーススタディとして挙げられる問題だ。

大きな企業でありがちなのは、成功した製品があり、③④のフェーズを迎えてきて、次の新製品を探す場合に、その既存事業の責任者を次の担当としてしまう場合である。ちょうど既存製品も売り上げが落ちてきたことだし、そこのエースを次の製品のイノベーターにしよう、といった形である。

しかし、③④の成功事例と①②の成功事例は通常異なる。方法論も大きく異なる。③④では成熟した市場において、いかに利益を最大化させるかが目的であり、①②は何もないところから、新たな儲けのタネを見つけ出すということが目的であり、それぞれ得意とする適性は異なるのである。

言い方を変えると、既存製品を改善、修正することと、新たな製品を生み出すことは全く異なるパフォーマンスなのである。もちろん両者を兼ね備えたスーパーパーソンもいるだろうが、極わずかである。

「設計」という作業でも同様のことが言える。「設計」(ここでは機械設計を例にとる)というと、CADを使って図面を書くというイメージがあるが、実際の現場では全く異なる。図面を書くという行為はどちらかというと「製図」であり、設計の最終工程に位置する。それ以前に、その製図を行う前提条件を決める、数値計算、配置の検討、要求された機能を満たすための構想のフェーズがあり、この前工程が製品の性能、コストの大きな部分を占める。

機械装置を作るためには、要求元(顧客やコンシューマ)の要求仕様や法的規制があり、数値計算により必要な諸元を決定し、これらを前提条件として経済性も含めた”ざっくりとした”製品コンセプトを決め、要求元と合意する作業もある。企業によっては営業のセクションが実施するが、これも広義の設計である。これが決まらないと、いわゆる機械設計者は全く手を動かせない。高価で強力なCADツールを保有していても、何も動かせないのである。

この要求元との交渉を、仮に基本設計、概念設計、構想設計などと呼ぶが、ここで製品の性能あるいはコストの大部分が決まる。すなわち、実際にはここで要求元からのベンチマーク、いわゆるコンペがあった場合には、ここでの設計能力が、製品の競争力を決め、ひいては企業の競争力になるのである(そこで仕事を受注できなければその後の設計の仕事がなくなることは言うまでもない)。

これについても前の製品ライフサイクルと同様のことが言える。やはり、基本設計を行う設計者と、CADなどを使用した詳細設計を行う設計者には適性が異なるのである。これを間違えると大きな人事上のミスマッチになるが、この点はあまり重要視されていないと思う。

基本設計は、白紙の状態の紙に勇気を持って最初の点を打ち、線を書く人間である。その点や線は後から詳しく見ると正確な点、線でなくても良い。いわばラフスケッチである。しかし、そのラフスケッチをしない限り次の仕事に移行できないから勇気を持って実行するのである。

詳細設計は、そのラフスケッチを元により詳細、精細に絵を描いていく。

どちらも最終的な絵のクオリティに対して必須の作業である。しかし、いざ「設計」というと後者の方が世間のイメージに近く、クリティティブな仕事と思われているのではないか。基本設計というジャンルは、それより前の営業だったりマーケティングのような業務と見なされ、クリティティブとは異なる文脈で語られることが多いように思える。

私自身は、そこには異議を唱えたい。むしろクリティテブ、イノベーティブなのは白紙に最初の1筆を書く人間であると。そしてあまり重要視されていないが、その瞬間には、ものすごい勇気を持った決断力が必要なのである。

追記:私が知る限り、やはり優れた会社は、基本設計に技術のエースを置くことが多いと思う。いわばその製品技術全てに精通した人間にその仕事をさせることが多い。

追記2:そんなこともあり、個人的には設計工学でミシガン大の菊池先生が提唱された「FOA」(First Order Analysis)の考え方に非常に興味を持っている。CAEの考え方よりも重要と思うが、あまり人口に膾炙していないような気がするのが残念だ。

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【オーダー取りに来ない】人としての存在感がないという悩み【自動ドア開かない】

先日ラーメン屋で食事をしていた時のこと。

私は油そばを食べていたところ、後から入ってきた学生2人連れがテーブルについた。続いて、親子連れが入ってきた。

この2組の位置はラーメン屋の厨房から隠れており、いわば死角の位置であった。

両組ともメニューを見てあれこれ悩んだり、雑談したりしている。
店員はどちらの客にも水を持ってきたが、メニューがすぐには決まらないとみて、いったん厨房へ戻ってしまった。

メニューが決まったのか、学生二人連れが「すいませ〜ん」と発声。

なぜか聞こえなかったのか、店員がすぐに来なかった。

店員の耳には聞こえなかったのか、それとも、聞こえたものの少し来るのに手間取っているのか、判断がつきかねる程度の時間が経過した後に、今度は親子連れが発声した。かなり大声で。

すると今度はそれに応えて店員がやってきて、親子連れの注文を取り始める。少しメニューの質問もあったりして、やりとりしたあと、店員はまっすぐ厨房へ戻ってしまう。

学生はお互い目を見合わせている。しかし、そこからが疑問の行動なのだが、何もアクションを起こさないのである。切り替えたかのように、別の会話を始めている。

私も少し注目してしまい、だんだん食べている油そばの味がわからなくなってきていた。

結果、親子連れの注文がついに到着。店員は学生の方向を見向きもしない。何か勘違いがあったのか?すでにオーダーを取ったと思ったのか?

見ているこちらがハラハラする。

結果、学生は30分くらいそのまま会話をし、普通にその店を出て行ってしまった。その後テーブルには水のコップだけが残されていた。

こちらは一部始終を見てやりきれない思いになってしまった。具体的には、自分の過去のトラウマが呼び起こされてしまった。

私も、

・店に行って店員がオーダーを取りに来ない

・頼んだものが来ない

・先に頼んだ串カツが、隣で同じメニューを後から頼んだ客に行く

・店員コールボタンを押すが自分のそれだけ故障(後で気づいた)

・液晶のタッチパネルが自分の指だけ反応しない

・自動ドアの前に立っているのに自分だけが開かない

という自分の「人としての存在感」を否定されるような目に何度もあってきた。

もう20年以上も前の「新宿のトンカツ屋で60分以上何も言われず、存在を無視される」という目にあっている。未だに店の名前もその時の自分の感情も鮮明に覚えているので、この手の話に時効はないのだ。

店員からしてみると「一言言ってくれても」という思いもあるであろう。しかし、こちらは一言ではなく、何度も声をかけた結果、「それならそちらが気づくまで待ってやる」という態勢に入っているのである(執念深い)。

確かに1人メシは好きだが、これは単なるハラスメントの一形態であるネグレクトであって、私にとってストレスフルである(そもそも食事の前提が成立していない)。

最近、IDカードを借りて、それを用いた認識と連動して自動ドアを開けるセキュリティのあるところで、私だけ認証させたのに自動ドアが開かないという目にあった。これはIDカードをかざす認証タイミングが遅れた結果、自動ドアの真下に体が来てしまい、センサーの死角に入ってしまったかららしい。

とはいえ、こうした仕打ち(機械にせよ人間にせよ)は自分の存在を完全否定されるごとく、非常に落ち込むものである。

特に、この場合には肉体としての存在ではなく、精神的な存在、自己について直接世界から拒絶されたような気になる。

年を取って空間的には十分存在感があるはずなのに、なぜこのようなことが起こるのか。

肉体とは別の、人間としての存在感そのものが薄れているのだろうか。その可能性はある。でも、それはどうやって増強すれば良いのか、その答えはまだ見つけていない。

最近は機械ではないが、忘年会の会費徴収でわざわざ先に幹事のところへ会費を持っていったのに、後からまた会費徴収されそうになったこともある。存在感?これはむしろ嫌がらせか?

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【飲み会二次会対策】一人ものにどこまでも優しいラーメン屋「一蘭」 

ラーメン一蘭のシステムにはなかなか感心させられる。

仕切りが入った完全個人体制といい、会話をしなくて良い徹底した食券システム。さらに店員との目線を合わせなくてすむという空間演出。

ラーメンは一人行動と相性が良く、一人で入ることにあまり抵抗はないのだが、やはりこのシステムは非常に心地よい。

一人飯こそ真実というポリシーを追求する私としても(該当記事)、非常に快い。

特に、あまり気が進まない飲み会で二次会に行かず帰りたい場合に、角が立たずに帰るために「ラーメン食って帰ります」という手段がある。しかしこのとき誤解されて「おっじゃあ、中華屋で二次会ね」という地獄パターンのリスクもある。

その点「一蘭で食って帰ります」と言えば、流石についてくる人はいない。この人ラーメン好きなんだな、と思われるのだ。

過去に一度だけ「僕も一蘭好きなんですよ、行きましょう」と言われたことがある。案の定、混んでいて飛び地座席になり、食券売り場で解散となった。

実際に味もさっぱり系豚骨ラーメンで非常に好きだ。博多のドロドロ系が好きな人には物足りなく、若干甘みが敬遠されるが私には非常に合っている。

一蘭の個室。落ち着く。店員は正面から来るが、胸から下しか見えないので、視線を感じない。店員も異常に丁寧だ。

ラーメン。誰も聞きたくないだろうが、私の好みは、青ネギ+辛味2倍+チャーシュー抜きである。これに追加の青ネギを加える。替玉+半替玉で満足。

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相模原レトロ自販機スポットのリベンジ:念願のトーストをゲット

前回記事で、夜に相模原市下溝にあるレトロ自販機スポットへ行ったものの、お目当てのトーストを購入できなかった無念があり、昼間にリベンジを行なった。

店の全景。もはや人気スポットなのか、かなり人出が多い。駐車も大変だ。

天ぷらうどん(300円)とチーズバーガー(280円)をゲット。

そしてトーストである。

キター!トースト中 点灯!

沖スロのハイビスカスのごとく点滅する。なぜかこの手のランプ点滅は興奮する。

待つこと40秒。熱々である。すぐには持てないくらい熱い。

ハムチーズトーストとコンビーフトーストである。各300円。

アルミホイルということは加熱はオーブンなのだろうか?

コンビーフトーストの具の部分。あっさりした感じでうまい。

家族連れや若者など、来る人来る人が皆楽しそうな表情だったのが、印象的であった。

レトロ感の中で、ハッピーな気分になるスポットなのかもしれない。

別記事:

【レトロゲーム】相模湖で懐かしの駄菓子屋ゲームと再会(前編)【国盗り合戦】

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