松屋「オリジナルカレー」終了と「創業ビーフカレー」定番化を巡るちょっとした騒ぎについて

 11月27日から、何故か松屋界隈(?)が騒がしい。

 以下の松屋公式ツイッターで、夜に突然オリジナルカレーの終了を宣言。そのあとどうするをいったん言わず、勿体ぶった結果、ちょっとした騒ぎになった模様である。まあ、松屋公式ツィッターは結構この手の金棒引きな傾向があり、気になっていた。

 結論は下記の通り、「創業ビーフカレー」への移行であるが、かつて同様に予想したこともあり、想定内であった(偉そう)。

 過去の事例でも、おそらく厨房の機器構成上2種類のカレーを同時には提供できないに違いないと踏んでいる。よって、この場合、新たなカレーに移行するための終了、という推理が一番蓋然性がある。カレーそのものを終了させる、という選択肢は、売り上げ減少、カレー用設備の稼働率低下もあり、現実的ではないと踏んでいた。

 残念なことに、現在ダイエット中なので、炭水化物の塊であるカレーどころではないが、今回の変更について、かつて毎日食べ続けていた(だから太りすぎた)マニアから言わせていただくと、味の面では創業ビーフカレーの方がうまい。

 ただし、前の記事でも書いたかもしれないが、牛肉との相性は前のオリジナルカレーの方があったので、カレギュウとしては商品価値が落ちる気がする。価格も確か以前の価格だと、少しアップするのではないか。

 個人的には創業ビーフカレー自体の味向上施策という点を評価して、この変更は肯定的に捉えたい(しばらく食べれないけど)。ただメニューは一期一会、別れは常に訪れるものなので、あまり焦ってはいない。

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【書評】スタニスワフ・レム「砂漠の惑星」–ファースト・コンタクトにおいて人間側の都合の良いように世界を解釈することの本質的な無意味さについて

 ハードSFの古典、スタニスワフ・レム「砂漠の惑星」(ハヤカワ文庫)を読んだ。

ハヤカワ文庫の旧版(1977年)と新装版(2006年)の比較。
イラストは旧版の方が良い気がする

 やはりレムは良い。SFが持つ独特の発想、すなわち、我々が持っている常識的価値体系を破壊し、その上位概念に向けたイメージを想起させてくれる小説群ばかりである。

 ファーストコンタクトものである、この「砂漠の惑星」であるが、 ハードSFの真骨頂らしく、もはや有機物がほとんど出てこない。

 訪れた惑星は陸地は砂ばかりだし、海にいる生物もほとんど登場しない(これには理由がある)。

 登場するメインキャラ(?)は、”砂漠”と”謎の無機物(金属)”である。

 謎の無機物、動く「ミクロな金属要素からなる黒雲」と静止した「植物のような金属」、そして砂漠を中心とした、無味乾燥な風景が支配するこの惑星を舞台に、宇宙船 <無敵号>は、遭難した前任部隊を探索する。

 彼らは、なぜ遭難したのか?

 この星では何が起こっているのか?

 「黒雲」と「植物のような金属」と「砂漠」は何なのか?

 こうした謎そのものが、小説中で、仮説として提示される。

 仮説の提示そのものがストーリー進行となるという意味では、 J.P.ホーガンの「星を継ぐもの」と似ているが、ホーガンの作品よりもその結論は明快ではない。

 むしろ謎自体は、不明なまま、異なる何かの論理があるような、ぼんやりとした状態のまま、結末を迎えている。

 この小説では、惑星の無生物と人類との激しい戦いの描写などを通じて、 ファーストコンタクトものでありながら、むしろ両者が完全にすれ違い、最後までコミュニケーションという意味で交わることのなさを徹底的に描いている。

 スペースオペラにありがちな、人類と類似している宇宙人が登場して、人類と類似した形式のコミュニケーションをしているようなご都合主義的図式を否定して、我々に一方的に都合の良いコンタクトの方が、この宇宙ではむしろ例外であることを痛烈に示しているともいえる。

 この宇宙で我々に類似した通信形式、コミュニケーションを前提としてくれている保証はどこにもない。むしろ、全く異なる直観の形式が存在していると考える方が自然である。我々の想像力がそれに追いつけておらず、結果として、自らを鏡に写したような「宇宙人」を求めてしまっているだけなのだ。

 原題である「無敵」が意味するように、この小説のメインテーマは、 ”われわれの理性の形式で理解できないもの”との対峙、対決である。

 ここで描かれる有機物生命である我々人類は、この星の”先住生命”に対して「敗北」を繰り返す。それは、物理的破壊としての敗北でもあり、コミュニケーション不可能という意味での敗北でもある。

 この惑星で人類と、支配者である「黒雲」は、物体としては同じ空間に存在しているものの、その認識(直観)の形式としては全く重なっていない。完全に異なるレイヤーにいるようだ。 主人公ロハンが最後に「黒雲」によって自らを鏡のように投影されるという神秘的な体験をしたのちに、こう呟く。

 この宇宙のすべてがわれわれ人間のために存在しているように考えるのはまちがいだ–

「砂漠の惑星」(p.299-300)

 ルール自体が異なる敵との間で、われわれの論理は何も役に立たず、無効化される。この惑星で「黒雲」に襲われた人間がそうなったように「リセット」されてしまうしかない。

  最終章「無敵」の最後に、作者レムはロハンを生還させる。

 これが原題の意味する勝利的な要素なのだろうか。とてもそうとは思えない。 誰も救出できず、装備は破壊され、ただ身一つでロケットに帰還しただけである。

 このエピソードで「勝利」と言えるものは何であろうか。

 「黒雲」がロハンに見せた鏡=ロハンの姿の投影による、ある種のコミュニケーションの”成功”であろうか。だが、それは、われわれ自身の尺度で宇宙を解釈する行為自体が、本質的に無意味なものであることを同時に了解することも意味しているのである。

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【目標;3ヶ月で-5kg】ダイエット第6週(11/5〜11/11)の結果報告

ダイエット1週間の記録:第6週目(11/5-11/11)

 結果:体重減 1.7kg  累計(-11.05kg)

 順調に減り続けている。トータルで10kg減を突破。

 息抜きの意味で、適度に(結構?)酒は飲んでおり、一時的な増加はあるものの、今のところはレコーディングによるグリップが効いていて、なんとか右肩下がりのカーブを維持している。

 運動習慣(ウォーキング)も継続実施中で、 ほぼ毎日1駅歩いており、場合によっては+1駅、+2駅と伸ばしている。

 例の同伴ランナーのはずのダイエットプログラム側からは、前回報告の印刷ハガキ1枚だけ。電話もなし。ますます不審である。プログラムの中に本当に人がいるのだろうか?

 以前から悩ましかった、「低カロリー」か「低糖質」かについては、やはり「低カロリー」が正しいのではないかという結論に傾きつつある。

 「低糖質」は、結果的に「低カロリー」になるだけで、「低糖質」でも「高カロリー」であれば、痩せないのである。

 そして「低糖質」の何が問題かというと、「低糖質」のおやつ、などが結構コンビニでも市販されて、もてはやされている。

 「低糖質」だけを守れば、なんでも気にせず食べて痩せられる!みたいな。 しかし、例えば、低糖質の代表としてナッツ類の加工製品があるが、ナッツはかなりカロリーが高いのだ。

 要するに糖質とカロリーがコンフリク卜した場合、低糖質だけを選択すればよいという論理には矛盾が生じる。低糖質推進派は、この論点をあまり語ろうとせず、避けているように思える。

 結局、ここまでの私の経験では、食欲(あるいは空腹感)との闘い、自分とのバトルなのである。身も蓋もなく言ってしまうと、薬物依存みたいなもので、そこに負けたら終わりなのである。

 食欲の持つ量的拡大の側面を無視して、ただ低糖質だけを指標にしても良いことはない、というのが今のところの私の結論である。

  むしろ指標は唯一カロリーしかなく、糖質はカロリーの土俵の上で、脂質、糖質、たんぱく質いずれかを選択するかに迫られた場合の補助指標であるべきであろう。

 結局、ナッツをちびちび5粒くらい食べて「ああ、美味しい」なんてことはなくて、「美味いから、もっと食べたい」になるだけなのだ。

 「低糖質おやつを会社の引き出しに大量常備!」などと言っている人は、正直理解に苦しむ。

 「低糖質おやつを会社の引き出しに大量常備!して、それを見ることで安心して結局食べない」というならわかるが。

 今回食べて良かったもの:

 定番の「中野の都こんぶ」である。通常の赤箱ではなく、期間限定の袋入り。内容量は 60gで103kcal。素晴らしい低カロリー。

 しかも通常市販されている”赤箱”用の小カットではなく、コンブ片のサイズが大きいので、噛み応えもある。

 例の甘酸っぱい”魔法の粉”が、口腔内に満足感を与えると同時に、1回食べると食べた感が長持ちするので、内容量の減りも少ない。 一気食いしなくても満足感がある。

 これが本当のダイエットおやつであろう。思わずまとめ買いである。

【肉体の変化】

  • 10kg減量でも、首周りの肉はまだあるし、腹回りもまだ脂肪がある。まだ先は長い。
  • 少し歩く速度が速くなった気がする。
  • 寒さが厳しくなり、体温低めなので色々気を付けないと体調がおかしくなりそうな予感がある。

【メンタルの変化】

  • 独り言(主には「腹減った」「苦しい」)が多くなったような気がする。
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【書評】谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」16巻—脱・ぼっち路線で、もはや小宮山さんの安定感のある変態振りが一番安らぐ

 先日発売の、谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」16巻を読んだ。相変わらずのリア充路線は変わらず。周囲の登場人物が多すぎてわからない。

 最近になってリア充路線から少し元の”ぼっち”路線への揺り戻しがあったが、今回はそうした感じはなく、基本リア充路線の継続(拡大)である。

 そんなこともあって、下手に黒木さんに何故か好意を示すリア充(スクールカースト上位)キャラよりも、安定の孤独な変態「小宮山さん」と、安定の悪役「キバ子」の方が安心できるのは何故だろう。

 今回は帯にもあるように、ある事件を起こして「謹慎」になる”不良”吉田さんと黒木さん。謹慎と言っても学校内で隔離される謹慎で自宅謹慎ではない。

 そこでの吉田さんとの会話は、やはりネットオタクvs ヤンキーという構図で、なかなか面白い。この組み合わせも比較的安定する。

 次巻では、高校3年の夏のエピソードであるが、一体このリア充路線はどこまで続くのか。

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【書評】小松左京「結晶星団」(角川文庫版)小松左京の才能の幅広さに改めて驚く小説群とハードSFの傑作!

 小松左京「結晶星団」(角川文庫)を読んだ。 先日実家に帰った際に、昔の自分の本棚から再発掘したものである。

 当時は、角川文庫で多くの小松作品が読めた。本屋で上記の緑の背表紙がずらっと並んでいたのである。ちなみにこの文庫本の値段は380円。1980年代だからね。

 ちょっと思い出すだけでも、「エスパイ」「日本アパッチ族」「果てしなき流れの果に」「明日泥棒」「こちらニッポン…」「復活の日」など、傑作揃いで、中学生から高校生のココロをときめかしたのである。幸せな時代であった。

 この1980年出版の角川文庫版「結晶星団」には、4編の作品が収められている。 そしてこれがまた、ものすごい広いスペクトルというか振れ幅を持った作品群で、今回読んであらためて驚嘆した。

「HAPPY BIRTHDAY TO …」は、冒頭から純文学を思わせる重厚な文体から始まる。しかし徐々に視点が変わってゆき、最終的には誰が正しくて、誰が正しくないのか、誰が狂っていて、誰がそうでないのかが全くわからなくなる状態に読者が追い込まれる。

 我々の日常が持つ堅牢さ、確かさに、一度亀裂が入ると、日常の風景は崩れ、実際に頼るべきよすがとなるものの不確実さに直面する。

「失われた結末」は、ジュブナイル設定で良くある、突然心と肉体が入れ替わる話である。戦時中の家族の風景から、次第にSF的な要素が入り、最後は若干の楽屋落ちになる。しかし、”ある日突然、家に帰ると、母親が自分を知らなくなっている恐怖”という子供特有の琴線に触れる要素があり、読ませる。

「タイムジャック」は、小松の「日本沈没」に対してパロディ「日本以外全部沈没」を書いた筒井康隆に対する更にアンサーとなっているスラップスティック短編で、小松自身や筒井、 星新一などを模した登場人物が出てくる倫理無視のドタバタ作品である。現代目線からすると、かなり危険な要素も含まれている。

 小説としては、筒井の作風をパロディ化しているのであるが、自分(小松)をモデルに、○○から ○○されるのを実況するというとんでもない(書けない)ギャグ(p.168)まである。クレイジーとしか言いようがない(褒め言葉)。

 そんな目まぐるしい3編の最後に、ハードSF「結晶星団」がある。

 宇宙の辺境に位置する恒星系を舞台に、「結晶星団」という水晶の結晶構造(六方晶)と同じ14個からなる恒星群の天文物理的な謎(精密に配置された恒星群の中心の空間に、生成・消滅を繰り返す巨大な質量がある)について、人類が様々な側面から仮説を組み立ててゆく。さらにその探索の前進基地である惑星に住む原住民が保有する宗教に対する民俗学的な謎もシンクロし、最終的には宇宙開關の謎にまで至るという壮大かつダイナミックなSFなのである。

 そして、そこに至るまでに動員される膨大な自然科学、社会科学的知識もあり、ラストには小松自身の文学的メインテーマも直接的に響きあう。

 小松左京のメインテーマとは、デビュー作の「地には平和を」でも既に描かれた「可能性選択としての歴史」そして「失われた可能性の持つ意味」 である。

 この小説では、真正面からこの問いに主人公に対時させ、ある種の謎を残したまま、物語は終わる。しかし、その終わりは新たな壮大な叙事詩の始まりすら予感させるのである。

 文庫にして130ページたらずの中編であるが、極めて高密度のハードSFの名作である。

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立ち飲み屋探訪:日ノ出町駅「ほていちゃん 野毛店」 立ち飲みの有名店が野毛に進出!

 ダイエット中であるが、立ち飲み屋巡りはやめない。ツイッターなどで、上野にある「ほていちゃん」が、立ち飲みの激戦区野毛に進出したと聴いて、いてもたってもいられず参戦である。

 最寄り駅は日ノ出町と桜木町の中間くらいの位置。WINSの近くにあり好立地である。ただ周囲にも居酒屋が多く、なかなか大変そうだ。

 店内は広めで、入ると「カウンター(立ち飲み)」か「椅子」かを尋ねられる。ここは迷わず立ち飲みを選択。上野店であったような”立ち飲みの場合、会計から10%Off”サービスがあるのも嬉しい。フリーWi-Fiもあった。

 店内は綺麗で活気もある。平日は15:00から開店しているのも良い。

 会計は最後に一括払いである。

 まずはホッピーセットを。380円。中規模ジョッキでやってきた。

 ツマミは店内で”限定”とあった「本まぐろブツ」380円。脂がのっていて非常に美味い。これは満足。

 更に「ネギパクよだれ鶏」380円も。ネギとパクチーがたっぷり載っており、特にパクチーがいい感じ。

 ホッピーの中も量を2種類選択でき、シングル(180円)は「的中」、ダブル(290円)は「大的中」と呼ぶ。WINS近くだからであろうか。ちょっと恥ずい。ダブルは徳利で提供され、更に氷追加もサービスでもらえる。

 そんなこんなでホッピー中の「大的中」のあと、プレーン酎ハイを2杯飲んで、結構酔ってきた。追加ツマミとして、ここの名物「なめろう」380円もいただく。すぐ出てくるが、最初は温度が低いので、少しずつ温まってくるのをツマミつつ、他のメニューの残りと混ぜながら味変しつつ、最後までチビチビ食べるのが良い。

 上野店と同様の高いクォリティを維持しており、野毛でも人気店になりそうだ。ただメニューが盛りだくさんの結果、A4サイズでフォントが小さすぎて、老眼には厳しいものがある(泣)。

 

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11月11日は「立ち飲みの日」だけど、ダークダックス状態を考慮すると//月//日と表現した方が良いのでは

 立ち飲み記事中心のブログでありながら、ようやくこの事実に触れることができた。毎年、過ぎた後から気づくのである。

 関連記事:立ち飲み屋の自由と、立ち飲みあるある

 関連記事:【オススメ記事】立ち飲み屋ガイド(随時更新中;現在228軒)

 11月11日は、立っている人が並んでいるように見えるので「立ち飲みの日」だそうである(外部リンク)。形式から来ており、ポッキーの日と似たような由来である。

 立ち飲み特有の詰めた状態を表す「ダークダックス状態」を考慮すると、「//月//日」と表現した方が実態と合っているのではなかろうか(数字じゃなくてスラッシュだが)。

 

 

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立ち飲み屋探訪:桜木町駅「からくさ」野毛の路地に現れたちょっと不思議な雰囲気のお店

 先日野毛方面をフラフラ歩いていると、小さい路地に立ち飲み屋を発見。この「からくさ」である。野毛小路の近辺の、結構な激戦区であり、このあたりも何度か通っているが気づかなかった。調べると2018年にオープンした店の模様。

 入店する。お酒は一律500円。キャッシュオンシステムである。

 カウンターにはおでんがあり、メニューが黒板に色々書いてある。

 まずは角ハイボール。500円でグラスはちょっと高い感じがあるが、その代わりか、結構濃いめでくる。

 せっかくなので、おでんを注文。大根と玉子。300円である。柚子胡椒か辛子を選択できる。ここは柚子胡椒を選択。

 ツマミで「鳥のタタキ」500円を。なかなか美味い。

 店員さんは皆若く、立ち飲みのいわゆる昭和くささは全くない。スタイリッシュといえばそうなのだが、それ以外にも、なんかちょっと一見には不思議な雰囲気のある店である。

 失礼な例えで申し訳ないが、間違って違法風俗店に入店してしまった時のような緊張感がなぜかあった(?)。別にそんな変な店ではないのだが、ちょい高めの一律料金設定、あまり飲食店としての商売っ気を感じさせない店の感じが、何か別の目的があってその本来の目的のために建っているような、合言葉を言うと、別の奥の扉が開くような、そんなミステリアスな雰囲気を感じるのであった。

 実際には何も起こらず、私のただの妄想なのであるが。

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立ち飲み屋探訪:日ノ出町駅「B級センター 野毛 大夢(TIME)」屋外立ち飲みで七輪焼肉

 日ノ出町駅から野毛小路方面へ5分くらい歩くと、目立つ看板がと存在感のある店構えが。焼肉の「B級センター 野毛☆大夢(TIME)」であるが、ここは屋外のスペースに立ち飲みエリアがあり、七輪で立ち飲み焼肉ができる。ちょっとした路上BBQ感覚である。

 早速入店。七輪セットしてもらう。支払いは最後に一括方式である。

 お通しも七輪前提で、キビナゴがきた。美味い。

 ほぼメニューは300円均一となっており、お酒はハイボールを注文。

 肉は「牛ハラミ」を二人前で600円。うまい。

 あとは、それにキャベツのゴマ塩を。肉を焼き、キャベツを食べでハイボールが進む。3杯飲んでしまった。途中で何故か「サービスのスープです」とスープをもらった。野菜や肉や、細々とした具沢山で、これぞ賄いの味という感じで美味く、なんか得したような気分になった。

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【目標;3ヶ月で-5kg】ダイエット第5週(10/29〜11/4)の結果報告

ダイエット1週間の記録:第5週目(10/29-11/4)

 結果:体重減 2.85kg  累計 (-9.35kg)

 今週の体重減は、なんと2.85kgにもなった。一時的な変動成分もあるだろうが、もはや10kg減が視野に入ってきた。 気持ち悪いくらいに順調であるが、今のところ体調不良もなさそうだ。

 脂肪燃焼(脂肪動員)のメカニズムは、脂肪→加水分解→脂肪酸→CO2+H2O +エネルギーであり、最終的には二酸化炭素、水として代謝排出されて減量となる。よって、運動量増加に応じて体重減となる反応には、この位の時定数(遅れ)が必要なのあろうか(よくわからない)。

 運動習慣(ウォーキング)も毎日継続実施し、場合によっては距離を伸ばしたくなる(もう1駅お代わり)衝動も出てきており、良い感じの運動習慣化(若干の脅迫観念化)が定着しつつある。

 だが、油断は禁物である。

 最近の田代氏の例もあるように、ちょっとした心の隙間に、高カロリー食の誘惑が入り込んでくるのである(依存という意味で、同じにして良いのかは議論の余地があるが) 。

 まあ、アルコールや薬物の依存と違って、スリップした場合の”取返し”がある程度つくのが救いである。

 最近飲食したもので良かったのは、このミツカンの黒酢ドリンク。ゼロカロリーである。ブルーベリー味もあり、どちらも美味い。酸っぱさが体にいい感じ(実際にはわからないが)である。

 例の同伴ランナーのはずのプログラム側からは、本日ようやく1通目の葉書が。とはいえ味気ない印刷の定型文で、”人間が頭を使って書いた感じ”がまるでない。呑気に「目標達成おめでとうございます!」と書いてあるが、3か月の目標を1か月目で達成しちゃってることには何も触れていない。完全な機械の自動作業である。温もりが感じられないのだ。さすがにコストダウンしすぎではなかろうか。まあ、こうした怒りも、例の「怒りエネルギー変換」で体温上昇に有効に使わせてもらっている。

【肉体の変化】

  • ここへ来て久しぶりに会った人(2名)から「もしかして・・・痩せた?」と言われる経験が。ただ、日常的に顔を合わせている人たちからは何もなし(無関心)。
  • これでも顔の肉、首周りの肉はまだ「ある」。
  • カラダが軽くなった感は、どうやら今回はなさそうである。
  • 薄味に慣れたからか、味付けによっては「塩辛すぎて、まずい」という 今まであまり感じなかった味覚を感じるようになった。
  • 軽く風邪を引いてしまい、低栄養状態のため治りが明らかに遅い。

【メンタルの変化】

  • 食事管理と運動管理を徹底したためか、少し脅迫観念化しつつあり、「できないと焦る」気持ちが少し出てきた。 (それほどひどくはないが)
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