台風19号の爪痕:北浅川の”八王子流れ橋”は予想通り流れていた(画像あり)追記:復旧しました

 先日の10月12日に日本を襲った台風19号。なかなかの恐怖体験であった。

 いつでも避難できる態勢で、寝ずの番をしていたが、我が家は21時頃には通過、何とかことなきを得たが、周囲では色々と被害もあった模様である。

 約1週間後の八王子の北浅川と町田市相原方面で、まだ癒えていない傷跡の写真を記録の意味でアップしておく。なお、北浅川は恩方付近で「氾濫」をした模様。今回はその地域より更に下流である。

 北浅川の上壱分方付近。かなりの増水の後で、河川敷の道路ギリギリまでえぐられている。しかし、このエリアは結果氾濫はなく、比較的無事だった模様である。川底が深めなので、何とか持ちこたえたのであろうか。

 さらに上流にある大楽寺付近(陣馬街道の切り通し)にある”八王子流れ橋”(があった場所)の風景である。ちなみに、私の実家方面では”どんどん橋”と呼んでいる。

少し道のような部分と、こちら側を結ぶ形で”流れ橋”があった

 この橋は厳密には違法建築物であり、地元(より具体的には対岸)の人が自力で作っている橋なのである(外部記事に詳しい)。とはいえ歴史的には法的規制よりも先にニーズがあったという所以もあるので、そんな単純な問題ではない。

 この川向こうに行くためには、適当な橋がなく、大きくアップダウン込みで迂回して遠くの橋まで行って、戻ってこなくてはいけないのである。特に陣馬街道のバス停から、川向こうに徒歩または自転車でいく交通路が不便で、この橋があるとかなり楽ができるのは非常に良く理解できる。

 ただ手作りなので、基礎工事もなく、鉄パイプとベニヤ板で作られており、手すりもない。自転車を降りずに渡るのは結構スリリングである。よって、基本台風などの増水では、設計的に”流れる”前提である。そして数日するとまた地元の人たちの手で復旧・再建されるのである(本来は、東京都なり八王子市が対応すべき案件であるが、なかなかそうもいかないようだ)。

 ”流れる”前提なので、両端のパイプは金属ワイヤで岸と接続してあり、通常の増水程度では分解されるだけで、再度パーツを組み立てるだけなのであるが、今回のような台風による増水の場合にはそうもいかない。全て下流に流されてしまう。一部は上壱分方付近の岸に足場材らしきものがひっかかっていた。

下流に鉄パイプが・・・・これが流れ橋の一部?

 今回は下流の様子を見てわかるように、増水の影響により川幅すらも広がってしまっており、以前よりも橋をかけるエリアが遠くになってしまっている。これは復旧が大変そうだ。(2019.11.23 追記 ずいぶん水が引いたようで、復旧した模様。サイトにあるように小さめの仮橋になっている。自転車は通れない模様)

 かなり水が引いた2019年末の風景。中洲が見えており、2つの橋がかかっている。

 渡ろうとするとビティ足場2枚はなかなかグラグラ感がすごい。足を踏み出すごとに、足場がたわむ。これは確かに自転車は厳しい。

 また、別件でたまたま見かけた、町田市相原町の土砂崩れ現場。

 通行止は解除されたが、まだこのような復旧作業中である。上にあるガードレール付きの道路が丸ごと途中から大きく崩れ、さらに土砂が近くの町内会館(この写真には写っていない左側の建物)に流れ込んでいるように見える。これも結構な被害で大変そうだが、このポイントが何故崩れたのがイマイチ不明である。丘の頂上付近で、ピンポイントで水が流れ込む感じでもないし・・・。

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【目標;3ヶ月で-5kg】ダイエット第3週(10/15〜10/21)の結果報告

ダイエット1週間の記録:第3週目(10/15-10/21)

 結果:体重減 1.5kg 累計(-4.9kg)

 体重減は順調、というか、早くも3か月目の目標の-5kgを達成間近である。 いくら元のベースがでかい(要するにデブ)とはいえ、ちょっとペース速すぎのような気がしてきた。

 ただ、いわゆる恒常性(ホメオスタシス)が効いてきており、経験上、そろそろ体重変化のプラトー(平坦)領域が訪れる頃であり、まだひと踏ん張り必要なのである。

 ちなみに体重測定結果は、毎日アプリに入れており、私が参加しているはずのプログラムで、管理サイドの人々もこの数値を監視しているはずであるが、今のところ何も反応が返ってこない。

 増える分にはいろいろ問題だが、減る分にはどうでも良いのであろうか。 なんか儲け主義の企業とズブズブな関係の、どこぞの監査法人を見ているようで、あまり気分の良いものではない。

 運動習慣も、なんとか通勤を利用しつつ、6日間ウォーキングを継続実施できている。

 飢餓感はまだちょっと「有る」状態で、完全に慣れたとは言い難い。この脳裏に常にある「腹減った」感が、一番きついのも事実である。

 生活で困ったことと言えば、ダイエットをしていない第三者との交流である。 先日、親戚の集まりがあり、老いた両親のいる実家へ行ったときのこと。

  ”ダイエットをしている”とは事前に伝えていたのにも関わらず、さすが老人、主に私のためにと、いつものパターンで大判ピザを注文しだしたのである。

 大食いの息子に良かれと思ってのことだが、今回ばかりは厳しい。

  さりとて、自分ひとりのために、親戚一同喜んでいるのに「それはやめてくれ」とも言えない苦しさ。

 まあ、こんなことも想定して、自分で食べる分の「こんにゃく麺」と「三五八漬けキュウリ」を実は持参してあったのだ。

 しかし、みんなで宅配ピザをワイワイ食べている中で、ひとり、こんにゃく麺・・・。

 しかも普段の私の食欲分も考慮して大量に頼んだピザが残り、ずっとテーブルにある状態・・・好意に申し訳ないが、今回ばかりは地獄絵図である。

 その後「晩御飯はうどんがあるけど」という追い打ちもくらったので、早々に退散したのであった。

 最近食べたもので良かったのは、この紀文の「糖質0g麺」。1パック18kcalなのもgood。

 あまりダイエット食特有のパサパサ感もない。普通に「ざるうどん」のようにして食べられる。

 今回購入した製品は要冷蔵で、ちょっと冷蔵庫のスペースを占めるのが難点か(常温保存品もあるらしい)。

 現時点は、初期のスパルタ期であるが、どこかで少しペースダウン&長期戦にしなくてはいけない。

【肉体の変化】

  • 上半身が少し萎びた感あり。ただ腹回りはあまり変化が見えない。重力でいうと、上の方から作用しているのであろうか。
  • 髪の毛が明らかに弱っている。これは由々しき問題である。

【メンタルの変化】

  • 内省、集中傾向は変わらず。
  • 空腹感を紛らわせる意味もあってか、今までであれば、もっぱら寝たりしていた「何もしない時間」を埋めるために動いて、雑事をしたくなる衝動が生まれだした。 (散歩、災害避難食の棚卸、灯油の買い置き、1週間分の買い出し、など)
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【目標;3ヶ月で-5kg】ダイエット第2週(10/8〜10/14)の結果報告

ダイエット1週間の記録:第2週目(10/8-10/14)

 結果:体重減 1.7kg 累計(-3.4kg)

 順調に体重は減り続けている。既に今月の目標2.5kgは達成。

 食事制限だけでは心もとないので、この期間台風19号が来たが、それ以外の日で空き時間をみつけてウォーキングをするようにした。この期間で4回。ちょうど1駅歩くと3.5km、40分のコースがあり、習慣化しようと頑張っている(まだ習慣化してはいない)。

 だいぶ飢餓状態には慣れてきた。ひもじさは常時あるが、我慢の範囲内。

 もともとの蓄積大(要するにデブ)のためか、やはりこの程度の栄養不足では対して影響がないのかも。喜ぶべきなのだろうか。やはり現体重の%で効くとすれば、ハンデがあっても目標設定がユルユルだったのかもしれない。

 台風が去ったあと、結構気温が下がってきた。それに加え、栄養不足による体温低下で若干軽い冷え性になっており、指先がつめたく感じる。まあ、この程度は服装、布団で対応可能で、さらに熱めの風呂にじっくり浸かって温まることにした。

 2週間の肉体スパルタにより、ようやく私の肉体も観念して覚悟を決めたのか、守りモード(食物に期待しない)に入った感がある。メンタルは既に内省的なので、心身ともに守りモードで ある。ここから今度は代謝を上げていかないと、早晩行き詰まることも、これまでの経験からわかっているのだ。

 今回は、画期的システム「怒りのエネルギーの熱変換」を考案してみた。 端的に言うと、”低栄養状態による低体温、低代謝を、怒りによって解消するマインドフロー”である。

  1. 食事(カロリー)制限
  2. 飢餓感によるストレス増大
  3. このストレスを”なんで俺だけがこんな目にあうんだ”、”無責任にダイエットプランを進めたアイツとアイツを見返してやる”という”怒り”に変換
  4. 怒りにより、血圧上昇、体温上昇
  5. 低栄養における低体温と体温上昇が相殺、代謝も熱でアップ

というフローである(自己流なので真似しないでください)。

 3の怒りを利用するところがポイントである(別に威張ることではない)。

  怒りのエネルギーによって、栄養不足の体に体温上昇を生み出すという夢の永久機関並みのすばらしいアイディアであり、心のゴミを燃やしてエネルギーを発生させる廃棄物発電ともいえる(個人の勝手な妄想です)。

 また、1人でできて、余計なことを考えなくても良いような雑事(例:職場の定年慰労会の幹事、など)を引き受けることにより、少しでも飢餓感を紛らわせることもしており、これも今のところ、相乗効果になっている。イライラが発生したとしても、上記のフローにより低体温対策になるのである。

【肉体の変化】

  • ヒゲの伸びが明らかに遅くなった。
  • 肉体に痩せた実感はない。腹囲もベルトがわずか余裕が出たような、そうでないような(穴固定方式ではないため離散的に判定できない) 。
  • ニキビや肌荒れなどの発生なし。ひっかき傷の直りが少し遅いような気がする。
  • 頭髪も元気がない。事前に短髪にしていたので比較的目立たないが、 密度が薄そうで、顔はまだ丸いので、パイナップルみたいな滑稽なシルエットになっている。

【メンタルの変化】

  • 内省、集中傾向は変わらず。イライラはいつもと同じレベル(ダイエット前から常にイライラしていたので) 。
  • 怒りのベクトルの向きを体温上昇に使う(上述)のため、仕事上の理不尽な怒りを引きずらず、比較的平静。
  • 攻撃的ではなくなり、守りのモードに入った(上述)ため、”仕掛ける”ことはしなくなった。

 なお、個人の勝手な感想・妄想なので、くれぐれも真似しないでください。

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議事録の作成権は、人事権も評価権も予算執行権もない無力な事務方に残された最後の権力である

 先日の記事(ビジネスで「ライフハック」を求めて彷徨う人々に、かけるアドバイスが無くて悩ましい)における、ライフハックについての具体的質問内容は、あの記事の文脈と直接関係ないので記載しなかった。

 実際には「議事録を速く作成するには、どんな裏技があるんですか」であった(記事内冒頭の○○には「議事録を速く作成すること」が入る)

 前記事では、その質問に至った”何かのスキルを得たいと思ったときに、まず実行して訓練するよりも先に、裏技を探す”というその基本姿勢について疑義を提示した。

 この記事では、その質問内容について別角度の疑義を提示したい。

 議事録作成・発行の持つ「権力」を、あまりに軽くみているのである。

 議事録を作成する権利は、ある意味権力を握っているに等しいのだ。しかしながら、どうも質問者のような人々からは「速やかに機械に置き換えるべき無価値な業務」と捉えられているようだ。

 会議での質疑及び決定事項・担当者が記載され、責任者の承認を得た議事録は、口頭での 「言った/言わない」を避けることのできる証跡であり、長い開発計画の中で、ややもすると最終ゴールを忘れがちな我々にとって重要な道しるべになるのである。 ”発行しても誰も読まない自己満足な業務”などでは決してないのである。

 議事録とは、組織内、組織間で色々な利害が絡み合い、1本道では進まない複雑な開発スキームを維持し、会議という「点」と「点」をつなげてゴールに向かう1本の「線」にするための重要なツールである。

 しかも、議事録は誰でも勝手に作成する訳にはいかない。その正統な作成者になるということは、アクションアイテムの取捨選択や担当者の設定などが裁量の範囲内で自由にできるということを意味する。

 あまり大きな声では言えないが、これは大きな権力の源泉であって、評価権も人事権も予算執行権もない無力な裏方である事務方が、唯一能動的に使える権力なのである。

 これによって、担当者への貸しも作れるし、責任者の発言を借りた業務指示もできる。

 もちろん言っていないことを記載する訳にはいかないが、発言の強弱やハイライトなど、 作成者の裁量で調整できる部分は非常に多い。話し言葉の文書化というのは意外にテクニックが必要で、話し言葉をそのまま記載すると、論理的につながっていなかったり、”あれ”、”それ”などの抽象的な指示語が多くて不明確なもので、後から補足をしないと意味が通らないため、補足が必須なのである。

 つまり、本質的な作業として、発言者の意図を正しく理解し論理的かつ簡潔な表現に変換する、というクリエイティブな行為がそこにはある。議事録作成を機械で代替すべきと主張する人々は、どうも音声を単に文字に変換して、そこから取捨選択するだけの行為、単なる儀式的なルーチンワークと解釈しているようだ。

 全く間違った認識である。

 確かに会議でイニシアチブを握っていたのは、その場で声が大きい人であるかもしれない。しかし、それはその会議の瞬間だけであり、現実には文字記録として永続的に残す議事録作成者の方が、よほどイニシアチブを握っているのである(下記記事参照)。

 関連記事:立ち飲み屋探訪:本厚木駅「ますや」と非情のライセンス

 様々な見方があるようであるが、ソ連などの社会主義国家で「書記長」が最高権力者であったのは、一説には「”民主的な”会議の決定を、最終的に全体の公式決定として文書化するのは書記局であり、その文書の責任者である書記長が最高権力者になった」という主張もあり、私も事務方の立場における皮層感覚としてうなずける。

 人間の記憶は直ぐになくなる。「あの時の会議は何が決まったのか」「現在実行している行動は最終ゴールに正しく向かっているのか」といったことも、今この瞬間でも忘れたり、記憶の中に仕舞い込まれたままになってしまって、人間はすぐに見失う。共有文書化されないと人は直ぐに忘却してしまうものなのだ。

 よって、本質的に発散傾向を持つ組織的な開発体制を、ゴールの方向に常に修正する役目が必要になる。そのためにも、議事録を自力で作成することによって、議論の方向性を確認し、また、指揮官の意図を正しく把握することは事務方としては非常に意味のあることだと思っている。こうした海図を持っていない開発には間違いなく無駄が多く、犠牲を払うであろう。

 そうした重要な役目を、AIに代替だの、ライフハック術を探すだの、と低レベルな問題に還元されてしまい、私は混乱するばかりである。

 百歩譲って、いわゆるテープ起こし作業を機械化、自動化して、その後の文書に整える”付加価値の高い”作業に時間を費やしたい、という意図なのかもしれないが、これもズレていると思う。

 そもそも議事録作成でテープ起こしからスタートするのは、よほどのことで、一言一句話し言葉を起こす必要がある場合のみに限られる(そのような場合は滅多にない)。

 音源は、意図がわからなくなった場合のチェック用で、音源から議事録作成をスタートするのは愚策なのである。もっと言えば初心者向きというべきか。あくまで議事録とは文書なのであるから、その場で自ら書いたメモからスタートするのが正しい手段だと思う。そして、そのメモを基に論理を追いかけながら作成していく。自分の中で、会議を追体験し、理想のあるべき姿に再構築する作業でもある。

 特に、この音源の存在も曲者で、音源があることで安心してメモが疎かになってしまう。甘えができるのである。むしろ、音源を用意しないような状態で常時緊張した状態でメモを取るべきであろう。後は場数を踏んで訓練するしかないのである。

 といった回答を質問者には伝えたかったのだが、時代遅れの意見なのであろうか。

 確かに、こうして述べてきたことが、いわば「大企業病」の典型のような気もしている。潰しの効かないスキルといえば、その通りである。会議なんて、新時代のインフルエンサーにとっては無用の長物で、そのファシリテーターなど不要と考えるのも一定理解できる。

 しかし、ある程度の規模の組織で団体戦の効果を発揮することに特化していると言えばその通りである。ベンチャーや中小ではそもそもそんな役割自体が不要なのだから。まぁそれならそれで早く見切りをつけるしかない訳で、お互い睨み合いの様相から早期に脱却したいものなのである。

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立ち飲み屋探訪:鶴見駅「ホルモンつる屋」路地裏の極小スペースだが、レバーともつが美味い名店!

 ダイエット期間中ではあるが、お酒はやめないつもりである(キリッと)。

 酒はまだしも、ダイエット生活では酒場のツマミが大敵であるが、多少選択に気をつければ何とかなりそうである。 したがって、趣味の立ち飲み屋巡りは止めない。

 焼き鳥などは特に問題ないし、問題はハムカツとか、唐揚げとか、揚げ物が厳しい。こちらは多少控えめにするくらいとする。まあ、酒飲みは娯楽だから、この瞬間だけは、カロリー計算のうるさいことを考えたくはない。たまのストレス解消である。

 そんなこともあり、しばらくは、ダイエット系と飲み系が乱雑に並ぶような、ストイックとパラダイスが入り混じる、作者の頭のおかしい分裂系ブログになってしまうが、まあ、そういう状態になっていると察していただき、どうかお許しいただきたい。

 今回は、鶴見駅のちょっと隠れた路地にある「ホルモンつる屋」へ行ってみた。

 18:00開店で、周囲に店があまりないので、17時台に近辺をうろついているとネオンも見えず、店を探すのに苦労した。18:00になると細い路地にポツンと店のネオンが灯り、発見することができた。

 店内は狭い。L字カウンターで6,7人でいっぱいで、先客が5名いたら後から入りにくいくらいのスペース感である。

 大将1人でやっている小規模な店だが、もつ、レバー系のメニューも豊富で、料理はうまい。 お酒のメニューもウィスキーや焼酎、ビール、ホッピーと種類もとりどりである。

 狭いため、割り材は客が自分で客席近くの冷蔵庫から取り出すセルフ方式。支払いは最後に一括方式。

 まずはホッピー。セットは360円(ナカ、ソトともに180円)であるが、キンミヤボトルが 680円であり、これを注文。

 飲んでいる時にはダイエットのことを忘れたいと思いつつ、少し胃袋を驚かせないためにも、軽めのツマミから注文である。

 チーズ盛り合わせ300円。

 アボカド豆腐300円。

 というヘルシーメニュー。アボカド豆腐は非常にイケる。

 やきとんもレバーを注文。臭みもなく、クリーミーで非常にうまい。

 続いて、「レバテキ」。ほぼレアでやってきた。これも旨い。

 ひさぴさの動物性たんぱく質に体が歓喜しており、ちょっとした感動体験である。

 塩もつ煮込み300円。これも塩系で非常に良い。

 久々の旨いツマミに、酒も進み、強炭酸の「こだわりレモンサワー」400円をおかわり。 キンキンのステンレスタンブラーでの提供である。炭酸はホッピー製であろうか。

 と、結局そこそこ(かなり)飲み食いしてしまったので、帰宅は1駅歩きである。鶴見の激戦区の中で、なかなか素晴らしい店をみつけた気がする。

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ビジネスで「ライフハック」を求めて彷徨う人々に、かけるアドバイスが無くて悩ましい

 最近、組織の若いメンバーからの相談内容が変化してきた気がする。

 何か仕事上の悩みがあったとして、

 ○○を実行したら、こんな困難があって、そこをうまく解決するにはどうしたらいいですか?

 ではなく、

  ○○をうまくやるために、貴方が実践しているやり方を教えてください

という担当直入な言い振りなのである。

 一方、「○○をどれくらい実行してみたの?」聞くと、まだ実行は(ほとんど)していないことが多い。

 つまり、経験時間は非常に少ないのだが、危機感だけはMAXなのである。 やる前、あるいは、それほど経験を積んでいない段階にしては唐突感を感じる質問である。

 それを受けての私のアドバイスとして、そこで「実践による訓練あるのみ」なんて回答を返すと、明らかに不満顔である。

 そう、彼らはそんなことを聞きたいのではないのである。

 ○○を実行するために、自分は遠回りしている

 ○○を実行している貴方は、近道を知っている

 だからその近道を教えてください

と言う三段論法を言っているのだ。

 極端な例えであるが、

 エベレストに無酸素で登る方法を教えてください

 と言っておいて、

 本人は高尾山にロープウェーでしか登ったことがない、登山道具も買い揃えていない

 といった状況なのである。

 せめて登る意思くらいは欲しいのだが、本人は大真面目である。登ってみて時間ががかかったら何時までも成果が出なくて、自分の評価が落ちる、だからやる前に最初から聞くのである、という感じである。

 こちらは「近道なんてなくて、少しでも速度を上げるように場数を踏むしかない、自分もそうやって訓練したんだよ」という回答を返しても「そんなはずはない」と思っているのである。

 つまり「実はエベレスト無酸素登頂にはね、ヘリコプターに乗るという裏技があってね」 というライフハックのような回答が存在し、それを大真面目に探索している節があるのである。エベレストの例でもわかるように、実際にはそんな裏技自体が存在しないにも関わらずである。

 結局、その質問の背後には

 裏技を自分だけで秘匿して既得権益化しないで、もったいぶらずに教えてください

 という感情が潜んでいるようだ。

  ・・・そんなに信頼がないのであろうか。

 わかっていれば最初から教えるのである。

 そこまでケチではないつもりだし、 そもそも知っているかどうかでスキル差があるようなところで勝負はしていない(つもりだ)。

 むしろ無駄な時間は他人のそれであっても気分が悪いので、 知っているか知っていないかで何とかなるものは惜しみなく放出しているつもりなのである。 しかるに、この仕打ち。全く信用されていない。

 何なのであろうか。

  思い当たる節があるとすれば、このところの労働を巡る環境の変化であろうか。

 仕事の教育のやり方がシステマチックになり、「文書化できる体系化されたもの」のみが明示的な教育の範疇になりやすく、そうではない依然として暗黙的な非体系化された「スキル」が埋もれて伝承できなくなった結果、ある段階で個人の能力差として顕在化してしまっているのではないだろうか。

 取りこぼされた「スキル」を生得的に持っている”天然モノ”と、これからそれを意識的に獲得する必要のある”養殖モノ”との間には当然差ができる。そして”養殖モノ”としては、それを教えてもらっていないのだ。教えてもらっていないので、当然苦労する。でも周囲では、できている人もいる。不思議だ。何か裏技、テクニックがあるに違いない、というロジックである。

 いわば、装備すれば誰でもパラメータアップができる伝説の財宝があって、そのダンジョン攻略に注力しているようなものである。ダンジョン攻略という目的を計画に組み込めば、その期間は「何かをしている」訳で、計画上は立派に仕事をしているように見える。ただ、当然のことながら、そこに財宝は無いので、こちらからすると無駄な時間を費やして実行に移す時間を伸ばし、貴重な経験が積めるはずの正味の仕事をする時間の方を消費しているだけにしか見えないのだ。

 こうした「スキル」不足に起因する質問が、最近になって出てきた理由は何だろうか。

 前述した教育体系の明示化に伴う、そこから取りこぼされた「スキル」伝承の断絶があると思われる。

 20年くらい前までは、 言葉は悪いが、徒弟制度的なマインドで「背中を見て覚えろ」のような、アナクロニズムな世界がホワイトカラーの世界でも普通に存在した。

 労務管理の徹底や、そもそも徒弟制度が持つパワハラ的側面のクローズアップにより、それが次第になくなっていった結果、本来伝承すべきスキルが取りこぼされている、という構図ではなかろうか。

 では、暗黙的な「スキル」が、完全にオモテ化、明示化され、教育体系が完成しているのかというと、そうではないようだ。 こうした「スキル」に関連するであろうワードを思いつくままに挙げてみる。

 例えば

  • 交渉力
  • ファシリテーション力
  • 傾聴力
  • 質問力
  • ロジカル・シンキング
  • ナレッジ・マネジメント

 など、これらは既に体系化、講座化までされている。 しかし、それでもなお、取りこぼされている何かがありそうだ、というのが私の実感である。

 加えて、多くの企業で導入されている成果主義における「成果」とは、インプット(リソース)とアウトプット(結果の質と量)の関係から決まる。端的にはリソースである「時間」を少なくすることが、成果の評価にとって有効なのは間違いない。よって、できる限り「時間」を小さくすることが望ましい。学習する時間も、できる限り少なくする対象になるはずである。

 その結果として、ライフハックやTipsのような効率化を求めがちになり、それが業務遂行の全てであると理解してしまうのであろう。

 労務管理は徹底すべきであるし、徒弟制度が良いとは決して思わない。 意味のない無駄な”学習”時間に縛られる必要はないと心から思う。

 しかしながら、その結果として生まれてきたであろう、 こうしたライフハックを求めて彷徨う人々に、今更、かけるアドバイスがないのである。

 私自身すでに「黙って俺についてこい」「背中を見て覚えろ」というような発言は、この先誰にもしない覚悟を決めている。

 残念ながら、そんなことを言えない社会・時代になっているし、その意味を正しく理解できる後進もいないであろうから。

 「少子高齢化」「労働力人口の減少」を背景とした、「スマート社会」「匠のデジタル化」といった響きの良い言葉とは無関係に、製造現場ではこうした小さなディスコミニケーションが生まれつつある。

 色々な意味でまことに不幸なことである。

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【目標;3ヶ月で-5kg】今回のダイエット基本戦略と第1週(10/1〜10/7)の結果報告

 10/1から開始しているダイエット(経緯)の基本戦略と、第1週目の結果を報告したい。

 ◇目標

 10/1から12/31までの3ヶ月で現状から5kg減

 ◇計画

 最初の1ヶ月がポイントだそうで、最初の1ヶ月で目標の半分を消化する。つまり、10月:2.5kg、11月:1.25kg、12月:1.25kgという計画配分にする。

 ◇基本戦略

 ①まずは食事制限(糖質制限+カロリー制限)を基本とする

  • 炭水化物(特にコメ、パン)は控える
  • 腹持ちを重視し、キュウリ、こんにゃく、豆腐を積極利用
     こんにゃく麺、こんにゃく粒の利用
  • 味覚への影響を考え、三五八漬けの徹底利用、ただし要検討事項あり(低糖質食材との組合せを検討)
  • 食事は記録し体重記録と合わせ、動機付けとする

 ②ただし、その場合、空腹感、飢餓感が常時発生し、継続性に影響が出ることを考慮して、お酒やデザート系は①を考慮する範囲で制限対象を緩くする

  • デザート系は、低糖質系のものを食べる。果物系は避ける
  • 酒もワイン、蒸留酒とし、ツマミ系もロカボ系とする

 ③無理しない範囲で、できるだけテキトーに運動する

  • 体重が重いので初期は無理しない
  • 通勤など空き時間のウォーキングから設定
  • ウォーキングも記録して動機付けにする

 ④お金や効率のことを(当面)思考の優先順位から下げる

  • ダイエット食品、購買欲など結構割高になる
  • 食べないから、経費削減と言うことはなく、むしろ経費は増える
  • それを気にしているとやっていけないのでこれは思考から外す

 こんな感じにしてみた(職業病)。

 10年くらい前にダイエットした際には、いわゆるダイエット食品などは少なく、ドラッグストアの片隅を探していたが、最近はダイエットビジネスが盛り上がり、コンビニや通販サイトなどで低糖質やローカロリーのものが簡単に入手できるので非常に助かっている。

 初期の最大のポイントは、やはりどうしようもない「飢餓感」「空腹感」による肉体面、メンタル面双方の不快さにいかに慣れるかであろう。

 胃袋さえ小さくなってしまえば、少量で満腹感も出るので、早めに肉体に”変化”と言うか”覚悟”、あるいは”諦念”を与える必要がある。

 すなわち”これからは今までのようなドカ食い栄養過多の状況にはならないのだ”、”これからは摂取される食料では無く、自分の皮下脂肪を燃焼させてエネルギー源としなくてはならないのだ”ということを、肉体自身(という言い方が正しいかどうかはわからないが)に言い含めて、納得してもらうことが重要になるのだ。

 脳みそはわかっていても、肉体というものは意外に言うことを聞かないのである。

 よって文字通り”カラダで分からせる”しかないのである。ちなみに、これは体罰ではない。サバイバルである。サバイバル環境にあることを肉体に早期に納得してもらう必要があるのだ。

 ということで無事にこのブログテーマの”サバイバル”とダイエットが綺麗に整合した(?)。

 とにかく、普段のストレスフルなサラリーマン仕事をしながらのダイエットであり、そこにさらにストレスを増やす訳で、色々と工夫が必要になる。

ダイエット1週間の記録:第1週目(10/1-10/7)

 結果:体重減 1.7kg (累計;1.7kg)

 順調である。ただし、これは今までの大食いで胃腸に溜まっていた食べ物のぶんが含まれているので、最初から脂肪が減ったわけでなないであろう。

 ウォーキングは休日に1時間40分、7kmほど長めのものを1回実施。これは”暇でしょうがない”=今までなら飲み食いしている時間を埋めるためである。

 食べ物は少しづつ減らしていき、飢餓感を高めた。毎日ほぼ常に「腹減った」と言うイメージが湧き、頭が一杯になるが、これは3日くらいがピークで、10/7あたりには慣れてきた(ただし無くなるわけではない)。

 こんにゃく麺セットや、ご飯ぽくなるこんにゃく米を通販で買ってみた。こんにゃく麺セットは、ラーメン風、パスタ風などバラエティがあるセットで、これは結構美味くて使える。しかし、こんにゃく米は、なかなか風味がきつくて、単体ではとてもご飯の代わりにはならないので一工夫必要かもしれない。

 実感としては、もともとの体重が重いので、体内脂肪のたくわえがあるのか、そう簡単にはSOSは出なそうである。

 水分は良く飲み、酒も飲んだ(2回)。ワイン、ハイボール。つまみは「ロカボナッツ」。チーズの塩辛さが、なかなかうまい。

【肉体の変化】

  • 食事後の体温上昇がなくなり、基本冷え気味。
  • 体温上昇低下にともない、抵抗力が落ちた感で少し喉痛くなる
  • むくみ傾向は今までから解消(特に指先)
  • 肉体が萎んだ感はない。痩せた実感ゼロ。軽量感もなし。
  • 下痢気味にはなる(水分多め、難消化物多めだからか)。 ガスによる腹部膨満感あり、オナラがよく出るようになった。
  • 胃袋が小さくなった感じもまだない(腹持ち重視のため)
  • 眠りの状態は特に変化なし

【メンタルの変化】

  • 集中傾向。内省的になる。周囲を気にしなくなる。 イライラはあまりない(怒る気力もないというのが正しい?)
  • 躁状態の抑制、どちらかと言うと今まで周囲のことまで気になり、色々話しかけるタイプであったが、これが無くなった
  • 何もしていない時間を直視せざるを得なくなり、何かしなくては、と言うような気になる(漬物で紛らわせている)
  • 思考能力、ビジネス遂行力に変化はない(と思っている)
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【レシピ紹介中】低糖質食材+三五八潰けという「三五八潰けダイエット」とは「あり」であろうか(結論なし)

 10/1からダイエットをしている。

 私は、食べること、飲むことは大好きで、人生の愉しみである。

 しかしその結果として、肥満、成人病リスクなどが発生し、 こうした状況に追い込まれることは仕方がない、と自分で納得はしている。そういう意味ではこれまでの食生活に後悔はしていない(偉そう)。また痩せたらガッツリいけば良いだけのことである。

 今回のダイエットの基本方針は、 栄養士さんと相談した結果、糖質制限としているので、御飯、パン、パスタ、ラーメン、うどん、蕎麦などはNGである。とはいえ、摂取ゼロにはできないので少量でチンマリと 食べることになる。

 何とも味気ないのである。

 これまでは、唐揚げと山盛り御飯とか、ラーチャー(ラーメン+チャーハン)とか、うどん+ヒレカツ丼 とか、”炭水化物のマルチプル”があたり前だったので、この喪失感はきつい。こうしてタイプしているだけでも誕が出てきている。

 結局「何か」で代替することを考えてしまう。

 生野菜ばかり食べていてもやはり味気ないのだ。

 炭水化物、特にコメのもつ旨味を補償する方法はないであろうか。

 そこで着目したのが、米、米麹で漬ける漬物「三五八漬け」である。

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 ここで、三五八潰けはダイエット食として「あり」なのか、「なし」なのかを考えてみたい。(ただし、この先読んでも結論は出ていないことを事前に宣言しておきます)。

 生野菜など、それだけは味気ないものに、一味つける意味で有効なのではないか。その一方で、それは栄養的に(ダイエット的に)どうなのか気になる。

 三五八漬けの”床”は、米、米麹、塩なので、糖質たっぷりである。

 しかし、食べる際にはその”床”は除去する。これを直接食べるわけではない。したがって、三五八漬けの素に表示されている指標は、可食分を含んでいないわけで、 厳密に言えば正しくないのだ。

 漬物の味付けのメカニズムは概略、以下のようであろう。

・野菜の持つ純粋な水分が、周囲の漬け床の塩分により、その濃度差による浸透圧で抜ける。

・逆に漬け床と野菜の発酵によるアミノ酸などの旨味成分と塩分が、濃度差により野菜の中へ染み込む

 このように、野菜の水分と、漬け床由来の発酵成分の交換(濃度均等化)が行われると理解している。

 では、この漬け床由来の野菜へ移動する発酵成分の栄養素、熱量(カロリー)が、ダイエット見地で見たとき、どうなのであろうか。

 ビタミンなどの栄養素は、ダイエットにおいて不足する要素であり、むしろ「とるべき」 であろう。

 しかし、旨味成分の一部をなす”甘味”は、感覚的にはいわゆる糖類由来のように思える。

 とすると、実は糖質ダイエット的にとって、実は逆効果になっている可能性がある。

 しかし、それも糖質の量によるであろう。総量として、多いのか少ないのか。

 つまり、三五八潰けにおける糖質制限ダイエット食としての論点は「そもそも三五八床自体は糖質のかたまりだが、そこで漬けられて素材に移動した成分に、糖質がどれほど含まれるのか」ということになる。

 要するに、周囲にふんだんな糖質があって、そのエキスを物理的に移動しているだけだとすれば、三五八床を直接摂取していることと何も変わらないことを恐れているのである。

 一つの仮説としては「日本酒」の糖質からの推定である。日本酒も発酵により作られた成分が旨味となっている。日本酒の糖質は、「日本食品標準成分表」によれば100gあたり、約4gである。従って、三五八漬けのエキスの糖質も同等と仮定し、キュウリ1本がちょうど約100gなので、キュウリの大半を占める水分が全て交換されたとしても糖質は4g程度と思われる。サイズに対して低糖質と言えるのではないだろうか(あくまで仮説です)。

 かように、現時点では明快な回答を持っていない。

 塩分取りすぎについては、ダイエット中だとカロリーの基本ベースラインが低いので、リスクとしては比較的低めと考えて良いであろう(勝手に)。ただ、この糖質問題だけは、モヤモヤした形で残っている。

 とはいうものの、プログラムはスタートしている。結果にはコミットしなくてはならない。見切り発車で三五八漬けの生産設備を増強し、さえないダイエット食に変化を与えるべく製造を開始してみた。

 ”低糖質食材+三五八漬け”というコンセプトである。

 ただ、これもさきほどの懸念があって、食材の低糖質を台無しにしている可能性が否定できない。以下の実際の感想も、低糖質を否定しそうな食感もあり、非常に危うい立脚点なのである。

①ヤングコーンの三五八潰け

 ヤングコーンは低糖質食材で0.33g/1本であり、さっそく水煮を手に入れて作ってみた。もともとの水分が多く、1日程度で味はついたが、水臭さがあり、あまり食材として の相性は良くなかった。

②うずらの卵の三五八潰け

 うずらの卵は糖質ゼロらしい。塩分なしの水煮を投入したが、素材に水分少なめなので味が染み込むまで、3日程度かかった。味にはコクが出て非常に良いが、何かカロリー高めな味になっている気がする。確かにうまいのだが、本当に大丈夫かと思える味なのだ。これで低糖質+低カロリーならベスト解になりうるが、何か微妙な気がする。要するに”うますぎる”ので、何か足元をすくわれる要素がありそうなのである。

③アボカドの三五八潰け

 アボカドも1.8g/個と、低糖質らしい。これはもともと相性が良いので、非常にうまい。ただ実が柔らかいので、製造が難しいのが難点である。ダイソーの豆腐保存用タッパーを利用してみたが、皮むきの段階で崩れが起こってしまい、なかなか難航している。

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④キュウリの三五八漬け

 低カロリーかつ低糖質(1.7g/100g)。これは腹持ちのために常に常備して、連続的に製造している。もともとの素材が低カロリーのため、沢山食べてもちょっとやそっとではインパクトがないと見ている(個人の解釈です)。ダイエット時の常備食で、1日1本くらいは食すようにしている(塩分が気になるが、そもそもの食事量も制限しているのでトー タルOKであろうと判断;個人の解釈です)。三五八漬けのコンディションによって、旨味や酸味(乳酸発酵)など日々の変化があり、なかなか飽きないのである。

⑤煮干しの三五八漬け

 ”食べる煮干し”も気を紛らわせるために結構食べているが、これを三五八漬けにしたらどうなるかとふと考え、実行してみた。これも、水分が戻って、複雑なコクのある味が追加され、かなりうまい。安定のうまさである。

⑥サラダチキンの三五八漬け

 ローソンで売っている低糖質(0.1g)のサラダチキン、プレーン味を漬け込んでみた。水分が少なめそうなので3日ほど漬け込んでみた。意外に水分が出てくる。味はと言うと、当然の旨さ。しかし水で洗うと、せっかくの締まった肉が水っぽくなるのが難点か。また煮干しでもそうだが、三五八床が動物性っぽくなるので、時々キュウリでリセットをする。

⑦大豆水煮の三五八漬け

 大豆水煮パックを用いて1週間漬け込んでみた。冷静に考えると、登場人物的には、ほぼ「味噌」であり、水洗いせず少々の床が付いている状態で食べてみる。”食べる味噌”のような風味で、これも非常にイケる。

⑧オクラの三五八漬け

 オクラはお湯で2分程度茹でて、ヘタをとった状態で、粗熱を取り漬け込む。

 旨いは旨いのだが、今一つパンチに欠ける。

 かように、生兵法のような気もするが、こんな感じで色々試すことで、味気ない食事から少しでも気を紛らわせている側面の方が大きいのかもしれない。とにかく、何かしていないとすぐに飢餓感に襲われるので、日常が大変である。

 結果であるが、もちろん三五八漬けだけの効果ではないものの、短期的にはダイエット成功。

 【目標;3ヶ月で-5kg】ダイエット第13週(12/24〜12/31)の結果報告;とりあえずの3ヶ月の結果は三五八漬けダイエットで-18.6kg減!

  注記:色々書いているが、ほとんど個人の解釈・感想なので、読者各位にはくれぐれも注意いただきたい。

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【悲報】ダイエットをすることになった【目標:3ヶ月で-5kg】

 とうとうダイエットをすることになってしまった。

 できるかどうかはわからない。 

 定期健康診断で、肝機能とコレステロールが高い側の警報を叩く傾向があり、警報が出た翌年は少し気にしつつ生活するので、少し数値が改善される、という1年おきのサイクルを繰り返していた。 

 恒久対策はなされていないので、本質的な是正処置は実行されておらず、 軽故障のインターロックを解除してはチョコ停再発といった状況である(職業病)。 

 最近の医療費負担による影響により健康保険組合も業を煮やしたのか、 改善が見られない成人病予備軍のメンバーに半ば強制的に改善プログラムを受講させる、という荒業に出たのである。 

 私のそのメンバーに選ばれたわけである。光栄だ。

 まあ、他人のカネ(保険料のような気もする)で色々プログラムをやってもらえるのであるから、ありがたい(合掌しながら、棒読みで)。 

 でも、かつても似たようなケースで苦い経験があるのだ。なので、少々身構えている。 

 ちょうど10年前のこと。

 今回と同様に健康診断でひっかかり、会社の安全衛生室の産業保健師さんとの面談が設定された。

 同じように体質改善プログラムがあるので、参加せよ、という強めの指導であった。 

 当時はまだ真面目(?)だったこともあり、とりあえず参加することにした。 定期的に体重を記録し、面接する。時々食生活のアドバイスを受ける、といった感じだったと思う。 

 会社の仕事と同じで、数値化し目標を立てることで、それを管理しようとする思いが働く。なので比較的順調であった。 

 ただ、当時から酒を飲むことは好きで、飲み会は断らなかったので、 その際に「自分用にキープした豆腐サラダだけでハイボールをひたすら飲んでいた」という異常な光景を周囲に見せていたらしい。まあ、それだけ真面目だったのである。 

 結果は3か月で10kg体重が減少した。

  体重が軽くなると、ある瞬間に”体が軽くなる”のような経験もできた。 数値も改善されたが、とはいえ、それ以外のメリットはない。家人にもダイエット食をつきあわせ、コンニャクだ、卯の花だ、といった草食系メニューにした結果、家人の方がゲッソリやせて家庭内がぎくしゃくするというおまけつきである。

 まあ、良かった良かったということであるが、この話には苦い後日談がついている。 

 安全衛生関連のイントラネットで、今回の体質改善プログラムの結果を、安全衛生室が誇らしげに成果報告して いたのである。 

「今回の体質改善プログラムは、非常に成果が出た。参加者は5名で、その平均体重減少は5kgとなっており、昨年に比べて大幅に向上した。これも、今年の指導改善の結果が出たからだと思っている」

  ・・・あれれ? ボクの体重減少が10kgで、それより平均値が悪化しているということは、残りの人達って明らかに結果がショボいか、下手したら体重増えている奴がいるよね。

  ・・・この「成果」って、ひょっとして、ほとんどボク1人の成果では?

 という思いが瞬時に脳裏をよぎった。

 ・・・まあよろしい。 

 他人にふんどしを取られて、手柄を横取りされるのは慣れているのである(遠い目で)。 

 結局、プログラムが終了すると食生活は元通りになり、リバウンドのごとく体重は増加していった。 

 そして今に至る訳である。 

 そんなトラウマを感じつつ、再びのダイエットプログラムである。 

 今回面談した栄養士さんからは「御飯が好きみたいですね。炭水化物を控えてみましょう」というアドバイス。というか受け入れるしかない。いわゆる糖質制限というやつですな。 

 NGとなったものは、カレー、丼もの、ハンバーグ、パスタ、ピザなど。好物だらけである。お蕎麦と丼なんて 組み合わせはもってのほからしい。カレーはご飯+ルーの小麦粉でダブっているらしい。松屋のカレギュウを愛してきた私としては、暫しのお別れである。 

 くそう、と思うが、まあ、仕方ない。また痩せたら再会するだけのことである。

 コミットメントは3か月で3kg減量。 

 比較的緩やかなダイエット目標であり、炭水化物控えめ、食事を注意すればなんとかなりそうな感じであり、OK した。 

 今、一番の恐れは前回同様リバウンドである。 

 私も社会人なので、目標設定されたら何とか頑張る公算はある。しかも今回は比較的目標は緩い。 

 むしろ恐れているのは、その後のリバウンドである。 前回だって、リバウンドのことは全く相談に乗ってくれなかった。 

 指導する側は、そのプログラム内での成果を出すことが最優先な気持ちが見え見えなので、「それは痩せてから、考えましょう(ハート)」みたいな感じではぐらかされ、結局終わったら、その時点での成果を確定させたが最後、その後のフォローなんてないのである。先行逃げ切りである。 あの手この手の言い訳と残件対応という言葉で糊塗して装置検収を貰ったが最後、後は放置するどこかの装置メーカみたいだ(あれ?)。

 今回も二の舞は嫌なので、面談の際にも相談しようかと機会をうかがっていたが、 栄養士さんとしては、何より私にこのプログラムを承諾させることに注力している模様で、私が受諾した瞬間に「はい、終了です」と退出を促すありさま。 

 まあ、健康になる恩恵を受ける受益者は私であることは否定しない。アドバイスしてくれるだけでありがたいと思わなければいけないのであろう。 

 でも、その結果がうまくいった場合、それはそれでそちらの成果にもなるはずであることは前回の経験から知っている。ならば、お互い様の部分があるので、こちらの心配も払拭してほしいものだ。 

 10年前と違いスマホがあるので、スマホでアプリをダウンロードし、 そこに毎日体重を入れるシステムができていた。その結果は、指導する側も閲覧できるのでその結果を見て、色々アドバイスをしてくれるようだ。 

 ただ困ったのは、自分では現状の体重を入れられるが、不正しないように「目標体重」はシステム側、つまり指導側からしか入力できないようになっている。 

 その目標体重の数値は、今年はじめの健康診断の結果から、減量目標の3kgを引いたものが入っている。しかし、健康診断の時点から、現時点で更に体重が2kg増えてしまっているのである(泣)。これは不可抗力というしかない。 

 その結果、コミットメントは3か月で3kgではなく、3か月で5kgとなってしまった。 最初は楽勝と思っていたが、結構きつめになってきた。 

 このハンデ分はどうするのかが、早くも悩んでいる。システム側で何とかしてくれないものか。 

 ダイエットは10/1から開始した。計画とその結果はまた改めて報告したい。

 

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慣れないバックオフィス業務で”何を悩んでいるかもわからなくなった”人は、本当は何を悩んでいるのか -AIによって「交渉」は無くなるか-

 現在の私の仕事は無理やり定義すれば「技術企画」と呼ばれるジャンルで、どちらかというと事務系・管理系の仕事に入ると思う。

 メーカーなので、そこで使われる用語やその中身は技術的であるが、実際に自分が技術開発をする訳ではない。

 会議のファシリテーションをしたり、アクションアイテム管理をしたり、要するに最終目標のために部門間交渉・折衝をする地味な裏方仕事である。結局、どこかにこうした裏方、汚れ役がいないと、組織とはなかなか回っていかないのである。

 こうしたバックオフィス組織は、その特殊性がゆえに、新卒の新入社員が配属されることは少なく、 ある程度キャリアを積んだ技術開発者が異動でこちらにやってくるケースが多い(私もその一人である)

 バリバリの技術開発者が、いきなり会議のファシリテーションをするわけで、結構戸惑う。

 そんな中、毎年1人は、その仕事の変化にうまく適応できず、悩む人がいる。というか、”何を悩んでいるかもわからなくなって仕事ができなくなる”ようなケースが多いのだ。

■悩みが伝わらない

 デッドロックにハマってしまった人は、もはや何を悩んでいるかすら、上手く表現できない。

 業務を見える化して、定型業務の効率化を図っても、何か芯を外しているようで、一向に本人の悩みは解消されない。マネジメントとしても、”大変そうなので、仕事を減らしたのに、ちっとも残業が減らない。本人は悩んでいるようだが、要領を得ない”といった状況になる。

 本人は”仕事がうまく回せない”という言い方をすることもある。これだけ聞くと、どこかに「今まで持っていないスキル」や「まだ知らない知識」があって、それを獲得し、知ることができれば、すぐに問題は解決できそうだ。そこで、いったん業務を減らし、研修やOJTなどをやらせてみる。

 しかし、問題は解消されない。

 情報が多すぎて選別できないのか、と、今度は情報をもっと制限してみる。 ルーチンワークに近くなってしまうが、それでも状況は変わらない。

 やはり自分ひとりで煮詰まっている。自分の中で仕事を停滞させてしまうのだ。

■仕事が回らない理由を掘り下げる

 ここで本人が訴える「仕事が回らない」とは、いったい何を訴えているのであろうか。

 内面的解釈をすると「つまらない仕事なので、やる気が起こらず、結果として処理が進まない」と聞こえる。納得感がないがゆえに、仕事を停滞させているのである。

 そのため、業務をナビしようが、サポートしようが、RPA化しようが、本人は何時までも「仕事を回せない」。

 なぜなら、その価値が自分の中で腹落ちしていないからである。 今やっている仕事は「つまらない」と思っているのである。

■「つまらない仕事」だから、やる気が起きない?

 ただ、そもそも論として、仕事とは、根源的には自分以外からの自分への強制であり、ある意味全て「つまらない」ともいえる。だからこそ対価として金銭と交換しているのである。

 つまらない仕事であっても、納得できるものと、そうでないものがあるということで、納得できない理由があるのであろう。

 では、本人は仕事に何が見いだせないがために、納得できないのか。

 ひとつの仮説は、自分都合でアウトプットを出せないのは嫌だ、ということではないか。

 希望として、自分都合でアウトプットを出し、そのまま受け取られ、高評価をもらいたい、ということである。

 確かにそれは楽しいであろう。ストレスはゼロである。

■自分都合の仕事は本当に”楽しい”か

  ただ、自分のアウトプットが、他人にとって何の役に立たなかったとしても、本当に”楽しい”と思えるのだろうか。それで彼の悩みは解決されるのであろうか。永遠に教育期間にいるようなものだ。

 もちろん、他人に評価されなくても自分じしんで納得できる仕事、というものもある。しかし、それですらも自分の中での評価軸があってこそであろう。

 面白いとか、つまらないといった基準ではなく、他人の役に立つか、そうでないか、という評価軸を持ち、仕事を判断すれば、どうなるか。

 つまり役に立つかどうかの評価基準=他人基準の尺度を持った上で判断するべきであろう。

■他人の役に立たない仕事だから、やる気が出ない

 したがって当初の

 「仕事が回らない」 →「つまらない仕事なので、やる気が起こらず、結果として処理が進まない」

 とは、こう言い換えられる。

 「仕事が回らない」 →「他人の役に立たない無意味な仕事なので、やる気が起こらず、結果として処理が進まない」

 この文章自体は、もっともらしい。

 問題は、当の本人が与えられた業務を「他人の役に立たない無意味な仕事」と考え、 その周りの人間はそう思っていない(だからこそやってもらいたい)ところに大きな認識のズレがある。

 なぜ「他人の役に立たない無意味な仕事」と考え「やりがいを見いだせない」のか。おそらく以前従事していた技術開発であれば、自分の業務は他人の役に立っていた、と考えていたのであろう。確かに技術開発は評価尺度がデジタル化されやすい。

 一方、会議のファシリテーションや、それにつながる部門間交渉などの間接的な事務仕事は、人間関係も発生してストレスもたまるし、いてもいなくても仕事が回るようにも見えて「役に立たない無意味な仕事」としか本人には思えないのである。

 なぜか。

 おそらく部門間交渉、折衝というものは、本来やるべきでないもの、ムダなもの、という認識があるからではないか。創造的な仕事でない、と認識しているのではないか。

■AIによって「交渉」は無くなる?

 確かにAIが進化していったら、あらゆるコンフリクトは事前に消滅され、こうした交渉ごともなくなりそうだ。AIのキーワードとして、最適化、などという言葉もある。

 しかし、そんな単純なものではないと私は思う(AI化はできるが、高度なレベルだと思っている)。

 数理モデルとしては、制約条件と数値指標を見える化し、その数値を最小化にするための最適化問題として設定できそうだ。

 しかし、実際への適用とすると、数理モデル自体が動的に変化する状況下での未知の因子を含む多変量解析になり、これはなかなか難しいのではないかと思う。要するに検討のフレーム自体に動的変化があるがゆえに、最適化問題としては極めて高度である。

 たとえるなら、ひとつのゲームのルールの下ではAIは人間を上回るが、ルール自体が動的に変化する、あるいはゲーム自体が動的に変化するような問題はAIにとってかなり難題ではなかろうか(それでも最終的には達成しそうだが)。

 その意味で、「交渉」とは非常に知的な創造的行為と考えるべきであろう。

■交渉は、押し付け合いではない

 もし、悩んでいる本人が、「交渉」とは単純なゲームである(=つまらない)と判断しているとすれば、 それは、交渉の実務をお互い自分だけの都合を押し付けるものであると理解しているからではないか。

 そこでは、他人とは自分に相手の都合を押しつける存在でしかない。

 要するに、お互いの都合の押しつけあいが交渉の本質だと理解しているのではないか。

 そのような認識に達してしまう理由は何であろうか。さらに掘り下げてみる。

 「自分と同じような他人がいる」という認識がない、「他人都合」に対する想像力がない、他人目線がない。自分目線しかない。ということであろう。 そうした人には、自分の基準と、自分と同じ基準を持つ他者とが、交渉の結果、折り合いをつけるという認識に達しないのである。

 繰り返すが、交渉とは都合の押しつけあいではない。 両者の言い分を正しく理解した上で、ある種の折り合い、落としどころをみつける創造的行為である。 矛盾をみつけ、その矛盾を乗り越える方法を探す。 その折り合いは、当初の矛盾点が内包されているが故に、止揚されたものとなるはずだ。

■その結果・・・・

  というようなことを、最近、何人かのメンバーの前でスピーチした。

 悩む彼らが「先輩」としての経験談を聞きたい、と言ってきたからである。

 どうやら、目的は、”議事録を速く作成できる速記術”のようなテクニカルなことを聞きたかったようで、 話が進むうちに「そんなことを聞きたいんじゃない」感が半端なく、 来年のオリンピックの冷房に使えないかと思うくらいの会場のクールさであった。

 特に原因を悩む本人の内面に勝手に解釈しつつ後半の街学的言い回しで気持ち良く自論をぶっていた際に、何か一歩間違うと今この場でクーデターが起こって、集団リンチを食らうのではないかと思えるくらいの敵意を感じたのであった。

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