多摩地方、雪積もってきた。明日出勤なんだけど、早朝の路面凍結が嫌な予感・・・

 テレワークだと、全く外の状況がわからない。

 なんか外が騒がしいな、と思ってみたら、なんとそこそこの雪が。

 まあ在宅ワークだから今日時点では特に問題はないのだが、明日は久々の出勤予定日になっており、明日の朝に路面凍結が当然の如く予想されて、非常に不安なのである。

 昨年は確か早朝に転んで、手のひらが血塗れになるというアクシデントもあった。その度に雪道対応のブーツとかを検索するものの、結局関東だと買うタイミングを逸し続けるので、そうした雪道対応装備は、ない(偉そうに)。

 今回はどうなるか、非常に不安なのである。

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コメダ珈琲店の”デカ盛り”アイスコーヒー「でらたっぷりアイスコーヒー」は、いわゆるジョッキ入りで、ちょっと気分が変になる

 テレワークで運動不足にならないよう、散歩をしている。

 その途中で立ち寄った「コメダ珈琲店」で、ふとメニューを見ると名古屋弁テイストで「でらたっぷり」=2倍量のメニューがあった。

 ウォーキングで疲れた体にいいかな、と思い、注文。

 そうすると、いわゆる酒場でよく見る「ジョッキ」でやってきた。

 なんか真昼間からこのスタイルでドリンクを飲むのは、ちょっと不思議な違和感がある。中身はブラックコーヒーなので残念ながら酩酊感もない。正直、微妙ではある(酔いたいの?)。

 ジョッキをストローで飲むというシュールな感じである。

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第二次テレワークの開始-テレワークメインとなった世界での成果評価において、「過程」をどう評価するか/してもらうかについて

 首都圏の二回目の緊急事態宣言を受けて、やや遅ればせながらも私も再度のテレワーク(在宅勤務)に突入である。

 先週はその準備のため出社したが、あまり電車は空いている感じはなかった。やはり様々な事情を抱えている中で、世の中、急にハンドルはきれないという感じなのであろうか。

 前回の経験もあるし、物資(インフラ)は市場にある。なので快適に過ごすための手段系は色々準備ができる程度の経験値は蓄積できたつもりである。

 今回準備したのは①サーモスのタンブラー②耳へソフトタッチするヘッドセット③ペットボトルのお茶500mLを箱買い④マルチビタミンサプリ、である。

 とはいえ、再び出張などの人間の物理的移動はしずらい状況になってしまっており、その中でも仕事を前に進めるための知恵も出して行かなくてはいけない。

 テレワークという各自が潜航して作業をすることになるため合意形成なども難しくなる。個々人が今までと異なる思考で、仕事を回して行かないと”業務トリアージ”の状況の中で、”あいつ、そういえば最近見ないな?いたっけ?”のように、在宅の中で存在そのものが埋没してしまうことにもなりかねない。

 要するに、個人が評価される場合にも、「汗をかく姿」をテレワークでどう見せるかというテクニックも新たに出てくるわけである。

 これまではリアルな姿を見せて、業務プロセスとして「成果は出なかったけど、過程での努力は認める」なんてこともできた。それに基づくテクニックも各自持っていたはずなのである。

 しかし在宅メインになると、息を止めて潜航しつつ業務をし、時々息継ぎするため浮上するようなものなので「成果に至るプロセス」が見えづらくなる。

 こうなると「努力」の姿をどう見せるかが悩ましいことになってくるのであろう。もちろん結果が全てで、ゼロイチで割り切れればそれでも良いのだが、そんなドライに評価を下せる訳もない。

 「過程」を「家庭」で、どうやって見せるかが、これからのビジネスシーンで重要になってくるのではなかろうか。

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2度目の緊急事態宣言。疲弊した社会で戸惑いつつも再びテレワークの準備

 またしても緊急事態宣言である。今回は一般企業への休業要請はしておらず、テレワーク要請であった。

 その結果何が起こるか。

 一見前回の休業要請より”緩い”制限にも聞こえるが、実際にはそんなことはないと思う。

 前回は、公共交通期間をできる限り避ける、ということで、クルマ通勤や会社徒歩圏内にホテル住まいなどの手段もあったが、今回のケースでは、この手段はテレワーク数にカウントされないので、意味がない。

 つまり、テレワーク数が追いかけるべき数値指標となっているので、とにかく何より自宅でテレワークをする、ということになる。

 感染防止の接触機会低減という意味では、クルマ通勤や徒歩通勤などでも同レベルと思えるのだが、今回のようにテレワーク一択となると従業員への制限は意外ときついのである。

 特に、事業継続のためには生産現場などテレワークが不可能な部門もあり、そうなると企業活動全体として一定のテレワーク率を確保しようとすると、組織内の重みづけ分布の結果として、ある部門に関してはかなりの人数をテレワークにする、などの歪みが現れるのである。

 ただ、テレワークで業務を遂行すること自体は前回に経験すみであり、その意味ではあまり大きな混乱はなさそうだ。

 むしろ今一番悩ましいのは、そうしたテレワーク前提における企業内での”テレワーク分布ムラ”である。要するに、緊急事態宣言によって、大きく振り回される部門とそうでない部門があり、振り回される部門の疲労が蓄積していく、そしてそのことに対してあまり注目されていない。むしろ「テレワークができて、いいよな」と思われている節があるのだ。そんなことはなく、以前にも書いたが、変化に対する抵抗力、あるいは慣性力が人間にはあって、振り回されることで疲労が蓄積しているのだ。

 などど考えながら、私もテレワーク再開に向けて、いそいそと準備を開始中である。

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【ラーメン】成城学園前駅「麺ジャラスK」で、カレー白湯ラーメンと唐揚げハーフを食べると、流石のこだわりの味で激ウマだった!

 先日読んだ、プロレスラー川田利明のビジネス本の感想(下記リンク)で、不器用な生き方と同時に、そのこだわりで作るラーメンのことがすごく気になりだしたのである。

 参考記事:【書評】川田利明「開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学」–不器用をブランディングした器用なレスラーの、やはり不器用な生き方に痺れる

 上記著書にあるように、ここまで料理に対してこだわりを示すのであれば、きっとその料理はめちゃくちゃ旨いのであろうという期待値が日々高まっていく。それがだんだん抑えられなくなってきたのである。

 年末のある日曜日に、ついに12:00の開店を目指して、小田急線の成城学園前駅に向かったのである。

 駅から徒歩で12分。距離にして約1km(アプリで実測)。それほど苦にはならない距離を歩き、目指す川田の店「麺ジャラス K」に到着。

 半地下の店内は、前評判のような張り紙多めという感じもなく、店内は至極普通の店構えである。

 システムは事前に理解しており、著書で川田が”気難しい子”として描かれた食券機で、オススメの「カレー白湯ラーメン」980円と「唐揚げハーフ」580円を注文。

 店内の新型コロナ対策は万全で、店内も基本一人席になっている。

 この「カレー白湯ラーメン」は、一口スープを飲んだだけでどろっとしたスパイシーな濃厚スープが非常にいける。痺れる辛さと玉ねぎの甘味もマッチして、麺といい感じに絡んで、食の進行に従うスープ密度変化によって味が次第に変化していき、完食である。

 これは素晴らしい。やはり料理へのこだわりを感じさせるラーメンであった。

 ちなみに著書にあったように、この麺は外部調達とのことであるが、丸麺でありながらスープのカレーとの絡みが素晴らしいチョイスである。

 更に、前評判の高い「唐揚げハーフ」。これも骨付き肉なのかと思わせるくらいの太さでありながら、全て肉という贅沢な部位。コールスローとマッシュポテトもうまい。

 結果、非常に満足である。

 帰りも徒歩で駅までちょうど良い感じの歩き。ただ歩いたとしても片道100kcal以下の負荷なので、食べてしまったカロリーに対する影響はないのだが、まあそういう意味でも立地のデメリットも相殺できそうな感じもある。

 一部店内では、依然として元プロレスラーの雰囲気が漂っているが、既に一流ラーメン屋としての十分なブランディングができそうなラーメンと料理の味であった。

 

 

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銀座ライオン川崎店の「60分1本勝負」が面白い!ステーキ100gとアルコール飲み放題メニューで、お客と店がWin-Winになるプラン

 年末のこと。川崎駅で夜に人と会う約束をしていた。待ち合わせ時間は18:30で、今の時間は17:00。中途半端である。

 立ち飲みでも行くか、などと思っているとビアレストラン「銀座ライオン川崎店」の前に面白い看板が。

 60分1本勝負とある。サーロインステーキ100g/人とアルコール飲み放題がセットで2,000円。1人でもいける模様。興味をそそるので、入店してみた。

 セパレートされたテーブルにはタッチパネルでアルコール注文ができる。ビール、ワイン、カクテル、焼酎、日本酒などがある。

 まずはビール。続いてワインへチェンジした。

 そして少ししてステーキが到着。ポテトもついてなかなかのボリュームである。確かにもう一品欲しいところだが、60分という意味では問題なし。

 まさにコロナ禍において、客と店がWin-Winになるプランである。

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わざと荒れ球を投げ込んで相手の意思の許容範囲を探るのは、やめた方が良いと思う理由

 組織の中で仕事をするということは、多様な人間が複雑に絡み合う状態で、情報を整理し、意思決定し、実行に移すということである、と言い換えることができる。 

 いま多様な人間と書いたが、構成要員全員が自分と同じ情報、価値観、意思決定基準、アルゴリズムをもっているとすれば、個々人の集合体としての組織活動を統合することは容易なことであろう。

 しかし、現実はそうではなく、構成員それぞれは、自分とは異なる情報、 価値観などを有している。 

 誰もが同じように「自分以外の人間が、自分と同じ価値観なら良かったのだが、そうではなくて、誰もが自分とは異なる」という意識を抱えながら日々行動しているので、更に話は複雑になる。 

 ヒエラルキー組織においては、特に自分にとって上位の人間の「意思」を慮ることが重要であろう。 

 つまり、”自分の上司が何を考えているか”を推測することが重要なのである。 

 もちろん直接聞けばよいのだが、実際に全ての細かい判断ポイントまで聞いている時間もないし、それらをいちいち聞いていたら自分の存在価値すらなくなってしまう。 

 なので、大なり小なり、このケースについては上司ならこう判断するだろう、この判断なら間違いとは言われないであろうという推測をしつつ行動する。そして重要なポイントでは、やはり上司に念のため確認をとる、ということになる。 

 上司目線からすると、何も言わずとも自分の思い通りに判断してくれる部下は使いやすい。逆にいつまで経ってもなんでもかんでも聞いてくる部下は、やはりその能力に疑問を持つであろう。 

 こうして整理してみると、上司の意思、あるいは、上司が設定した部門の方針に対して、自分の判断基準がシンクロさえしていれば、個々のメンバはいちいち悩んだり確認する時間は不要になることになる。 

 言い換えると、上司への”シンクロ率”が高い人間=上司から見て”気の利いた奴”と思われるのであろう。 

 シンクロ率とは、結局この組織としての行動原理をいかに自分の内部に作り上げるのか、ということである。

 その上司の判断にしても、さらにその上の上司の判断を見据えて判断しているる。そうした階層を上位にさかのぼると、組織行動および組織判断基準の原理 というものを体得する能力、それがシンクロ率の本質なのではないかと思う。 

 それができなくなった場合、特にゼロベースで相手の意思を探る場合には、どうすればよいか。 

 一つの手段としては、上司の気持ちを推量するために、わざと荒れ球を投げて「それは違う」「ちょっとあっている」のような応答によって感触を探っていく行動をとることもある。 いわばブラックボックスに対して、外部からの入力によってその応答特性を推定する行為に似ている。

 ただし目的は相手の意思決定の”範囲”を探ることなので、故意に少し変化球、時には明らかなポール球を投げる必要がある。そして、その返答の中から相手のストライクゾーンを探っていく。

 投げる球の方向にしても一方向ではダメで、いわば的の中心(これがわからないのだけど)に対して、全方位に球を散らばせる必要がある。 

 これは政治家が世間の反応を確認するために実施する”観測気球(アドバルーン)を上げる” こととも類似した行為である。こうした観測気球によって逆に炎上につながる例があるように、いわば実弾を使ってリアルな反応を見極めることになるため、リスクも大きい行為なのだ。 

 このような行動は、上司が変わった際によく行われる。 

 前の上司の方針に対して、今の上司がどのように考えているかを探る意味で、わざとあえて外した質問をしたりする。 

 そして今の上司のストライクゾーンが把握できたら、それ以降は荒れ球を投げるのはやめなくてはならない。 

 そうしないと自分が「無能」と思われるからである。 

 だが、これができずに、永遠に荒れ球を投げることが癖になってしまう人もいる。

 こういう人は、まず相手と話をする際に、まずありえないアイディアを提案し、ようやく狭めてくる。 

 「まるっきり違うよ」→「そうですよね、じゃあこれでは」→「ちょっと違うよ」→「そうですよね。じゃあ、これでは」→「うーんもう少しかな」→「そうですよね、じゃあこれでは」→「よし、それでいいんじゃない」という面倒くさい手順を毎回踏むことになる。 

 確かにこれはこれで当人にとっては、理に叶っているのである。いわば総当たり式で確実に正解にはたどり着く探索システムではある。無駄は多いが確実といえば確実である。 

 しかしこれを、生身の人間相手に毎度毎度やられると、最初のボールが確実に芯から外れていることに対して、ものすごくイライラしてくるのである。最初から正解を出す気がない態度をデフォルトにされるのは、さすがにきつい。お互い時間がかかってしかたない。 儀式じゃないんだから。

 上司目線からすると、無駄が多いとしか言いようがない行動なのである。 

 これは部下が上司の意思を計測することができなくなった=シンクロできなくなった、そして、シンクロすることをあきらめてしまったことによって起こる現象であろう。 

 構図としては、毎回荒れ球しか投げないコントロールの悪いピッチャーとの対決になり、ビーンポールの連投を受けてバッターである上司は疲弊する。時にはデッドボール直撃すら受ける。当然荒れ球を投げるピッチャーだって多投によって疲弊するので、なんのことはない、共倒れである。 

 かようにシンクロ率というものはビジネスにとって重要なのである。 

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もう一人の俺が仮想通貨で借金して親にお金を無心するというのを実家で待っていた話:オレオレ詐欺orアポ電強盗に遭遇した

 先日のことである。

 本厚木駅の立ち飲み屋「三百文」で一人、芋焼酎のお湯割を飲んでいた時のこと。携帯が鳴った。

 発信者は私の老母である。キャッシュオンのため、気を遣うことなく立ち飲み屋から一旦外に出て、電話をとる。

 母「○○(私の名前)、いまどこ?」

 ぼく「会社だけど(と嘘をつく)」

 母「…やっぱり。さっきのは偽物だったのね。実は今さっき電話があって”〇〇(私の名前)だけど、今から行っていい?”という電話があってね」

 ぼく「なるほど。オレオレ詐欺みたいね」

 母「声が違うからどうしたの?って言ったら”エアコンつけて寝てて”というのよ、それでそうなのかな、と思って」

 なんか典型的な騙され感あふれる展開なのである。

 ぼく「で、どうしたの?」

 母「いや、また改めて電話する、って言うから」

 ぼく「警察に電話したら?」

 母「そうね。そうする」

 ということでこの問題は落着したのかと思っていたのである。しかし、再度母親から電話が。

 母「警察に電話したら、これは現行犯逮捕したいので、そのまま話に乗って下さいって言うのよ。また次に電話がきたら、騙されたふりをしてくれって」

 ぼく「…囮り捜査みたいだけど、めちゃくちゃ怖いじゃないの」

 何か知らないが、そうなると私の実家にもう一人の私が来るかもしれないのである。まあ、それはないだろうが、今度はいわゆる”代理の人”が来るのであろう。しかし、それにしても電話という情報レベルから、直接的な物理的世界にフェーズが近づいてきた訳で、これはリアル犯罪の匂いがしてきて結構怖い。

 仕方ないので、翌日会社を休み、早朝に実家へ行くことに。

 私の考えとしては、まあ警察の考えもわかるが、こちらとしても当人のリスクが高いので、そこをリスクヘッジしたい。

 そもそも老夫婦がすでに電話レベルで騙されそうになっているので、さすがに物理的にリアルな息子が近くにいれば、バーチャルな息子が繰り出す会話の動揺作戦には惑わされないであろうという戦略でもある。

 早朝に自宅へ入る。

 警察によると「これはオレオレ詐欺ではなく、アポ電強盗の手口です。不在のタイミングや、現金がある家を特定し、そこで犯行におよぶ手口です。電話がきたら、とにかくすぐに110番通報してくれれば、すぐに自宅へ刑事部が向かいますから」とのこと。

 なんか、めちゃくちゃ怖いんですけど。

 アポ電強盗の場合、要するに自宅に押し入ってくるわけで、オレオレ詐欺とは全く様相が異なる。騙し、というより、手段が物理的な方法を行使してくる恐怖がある。

 更に、面倒なことに、私自身も今自宅にいても、第三者である警察に対しても私がリアル息子であることをすぐに証明できないのだ。つまり警察にとっては、ここにいる私が、犯人としてのフェイク息子なのか、リアル息子なのかはすぐに判断できないはずで、要するに下手に実家の周りをうろうろしたら、近くにいるとする警察によって、私が誤認逮捕されてしまう可能性もあるのだ。そんな感じで、実家の中に引きこもること6時間。ついに電話がきた。

 母「〇〇?大丈夫?」

 母「どうしたの?落ち込んで?」

 母「仮想通貨で?300万円の借金?会社には言えないの?」

 母「…こっちにお金なんてないわよ、年金暮らしなんだから。5万円くらいならあるけど」

 と言う会話。確かにここで用立てたら、家に誰か人がきてしまうギリギリの線。母親も囮捜査の限界を感じた模様である。

 その電話を聞きながら、

 父「お前、大変だな。そんな借金してんのか」

 ぼく「そうみたいね」

 と言う会話。

 結局もう一人の私は「また、少し考えてみる」と言う回答の模様。

 そしてその直後に警察とも連絡した結果「多分、もう来ないでしょう。来たとしても”息子と連絡した、警察にも通報してある”、と伝えてください」と言うことで捕物帳にはならずに済んだのであった。

 しかし、まだここでは終わらなかったのである。

 こんなこともあるので、今後連絡する際には、オレオレがかかってくる固定電話を使わず、携帯電話でやりとりをしようと、新たなルールを両親と決めたのであった。

 しかし、さすが老人、それを忘れてしまうのである。

 別の用事ができて携帯に電話。

 出ない。何度かけても出ない。近くに持っていないのか。

 仕方ないので、実家の固定電話に電話をする。嫌な予感がビンビンするのである。

 ぼく「もしもし、オレだけど」

 母「…もう警察に電話しました!」

 ぼく「いや、違う、本当のオレだから!」

 母「…もう、息子とは連絡しました!しつこいですよ!(ガチャン)」

 ということで、実の息子とすらも会話するチャンネルを喪失してしまったのである。

 ぼくがぼくであることをどうやって証明すれば良いのであろうか。

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町田市立自由民権資料館「町田の民権家たち」を見て、明治初期の日本人の、同調圧力に負けないエネルギーに感服する

 マイナーな(失礼)地元の資料館「町田市立自由民権資料館」の企画展「町田の民権家たち」展示を見てきた。

 入場無料で、あまり期待はしていなかったが、なかなか面白い展示であった。

 三多摩地区出身でもあり、小学校の授業などで地元の歴史学習として自由民権運動の情報はそこそこあったのだが、改めて明治初期の日本人の「熱気」を感じることができたのである。

 明治維新後の、政治体制としての近代国家に変化、それと同期して経済システムとしては資本主義への変化が行われていく状況下で、社会変革のために当時の日本人は極めて熱い情熱で議論を闘わしている。

 この展示でもあったように、建白書を作り、同志を集め結社・政党・メディアを作り、演説会を開き意見を表明する。そして、過激な場合によっては社会騒乱事件なども起こす。

 時代の大きな構造変化に対する民衆のエネルギーの発現といえば、それまでなのだが、一応豊かになった現代の我々の中に存在する集団同調圧力とは異なり、一人一人が明確に「意見」を述べている。むしろこの時代の日本人の方がシャイではないように思える。

 もちろんこうした人物たちが資本力のあった一部の比較的高い階層を中心としていたことも事実であろうが、それでもなお、現代の我々が実名で明示的に、同調圧力に屈せず意見を表明することに大きな抵抗があることを考えると、複雑な思いをもつ。

(おまけ)関連人物として北村透谷の展示もあり、古本界隈での掘出もの事件の代表例として有名な「楚囚之詩」の複製が展示されていた。

 「楚囚之詩」は日本に4冊しかない、と言われていた希覯本(紀田順一郎「古書街を歩く」p.58)である。紀田によれば、1967年の古書即売会で80万円という値がついたという高価本でもある。

 複製といってもこの提示物は、北村透谷が町田市の友人(八木虎之助)に謹呈したもので、表紙に北村透谷の自筆の「呈進」が記載されているというもの。展示は複製であろうが、自筆の追記があるのはまさしく原本が存在するのであろう。

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【書評】ラズウェル細木『酒のほそ道』48巻–このところのラブコメ路線からの一時休戦で、オヤジ的には安心な一冊

 新型コロナもあって酒飲みクラスタもなかなか活動が難しい。

 そんな中で、ラズウェル細木『酒のほそ道』48巻を読んだ。

 コロナの状況で飲み屋のような飛沫拡散上等のようなこともできず、かといって超高精度のグルメ漫画に持っていくのも限界がある。

 そうなると酒飲みマンガの行き先は、飲み+恋愛という、菅首相が新型コロナ対策で発言したような、ブレーキとアクセルどっちも踏み込むというか、アッパーとダウナーどっちもやりこむというか、難しいステアリングしか路線が無いように思えるのである(余計なお世話だが)。

 今回の一冊には、実は恋愛要素の展開はあまりない。

 よくわからないが、卵焼きの黄身の焼き方と恋愛がすれ違うのか、すれ違わないのか、というファウルチップな感じの読後感である。

 はっきり言って、どうでもいい。

 ちなみに私は目玉焼きに限らず卵の黄身は檄カチカチのハード一択派なので、今回の線引きの議論そのものが”ありえない”正直ドン引きであった(すいません)。

 とはいえ、我々は「りぼん」全盛期の柊あおい「星の瞳のシルエット」連載時のアオリ”毎号クライマックス!”を読まされている訳では無いので、まさに原点回帰。良いのではと。

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