【ダイエット】体脂肪率計の測定値とカロリー計算による脂肪減少値との差異についての考察

1.序論

 10/1から開始したダイエットは、目標を上回るペースで推移している。3か月で5kg減量に対して、1か月で6.5kg減量という好結果である。ただ、これも元々のベースラインがでかいことから、あまり凄い訳ではない(世の中のライザップ各位よりも、初期体重がでかいのだ。要するにガリガリガリクソンみたいな感じと思っていただければ(泣))。

 それはそれとして、三五八漬けダイエットだ何だと色々やっている最大の目的は、精神的な飢餓感を紛らわすために他ならない。要するに、何か”作業”をしていないと、精神が”腹へった”で充満してしまい、身動き取れなくなるのである。

 そんな背景もあって、今回も体重、体脂肪率をタニタの体重計で測定し、毎日記録するだけでなく、食べた食事や運動も記録してカロリー計算もするようにしている。ここまでしなくてもとも思うが、やはり何か記録という”作業”をしたい、という気持ちからなのであろう。

2.問題の提示

 そんな感じで1か月記録してきて、そのデータを整理してみると、ちょっとした疑問が湧いている。それは、

 ①体重計と体脂肪率で測定した結果から推定される、体脂肪の減少カーブ

 ②カロリー計算から計算される、体脂肪の減少カーブ

 この①と②に差異があり、その差異が単純に説明できないのである。

 今回は、この①②のデータを基に、その差異を説明する仮説を考察してみたい(そんなことをしないと気が紛れないでのある)。

3.測定結果および計算結果

 図1に、タニタの体重計による体重および体脂肪率の測定データを示す。体重計は、年齢・身長を入力する機能がある。測定は、夕食後、風呂に入る前、服装は一定という条件である。最初の日をゼロとした変化を示す。

図1 体重と体脂肪率の推移(初日をゼロとした差異の変化)

 図2に、測定からの体脂肪減少量とカロリー計算による体脂肪減少量の比較を示す。今回は食事および運動を全て記録し、できる限り正確にカロリーを記録した。折れ線グラフを作成するための計算式は以下の(1)(2)である。

図2 測定からの体脂肪減少量とカロリー計算による体脂肪減少量の比較
棒グラフは運動による消費カロリーの推移

 測定からの体脂肪減少[kg]=(初期体重[kg]×初期体脂肪率[%])-(その日の体重[kg]×その日の体脂肪率[%])・・・式(1)

 カロリー計算による体脂肪減少[kg]=昨日までの体脂肪減少の累計[kg]- (その日の基礎代謝量[kcal]-その日の摂取熱量[kcal]+その日の消費熱量[kcal])÷(脂肪1kg燃焼するために必要な熱量)・・・式(2)

 ここで、基礎代謝量は一定で2,000kcal、脂肪1kg燃焼するために必要な熱量は0.007kg/kcal(7g/kcal)とした。

 図2の折れ線グラフを比較すると、カロリー計算による体脂肪減少率よりも、測定からの体脂肪減少の方が減少として大きいことがわかる。本来の肉体のメカニズムからすると、脂肪燃焼による体重変化という代謝の時定数があるはずであり、両者のグラフが上下(経過日数で見ると進行方向)逆になるべきである。つまり、カロリー計算の見積が先行し、実際の体脂肪変化が追従すべきであるが、この結果では逆転している。

 更に測定による体脂肪率が持つ日々のバラツキを平均化するために、線形近似した直線を図2の点線に示した。この点線は、カロリー計算による体脂肪減少率にほぼ一定(約700g)のオフセットがあるように見える。

 この理由について、以下の仮説について考察してみたい。

4.仮説の提示

 仮説(A):カロリー消費が少な目に見積もられている

 仮説(B):体脂肪計測が多めに見積もられている

5.仮説の検討

 仮説 (A)の検討:

 式1のパラメータである、「脂肪1kg燃焼するために必要な熱量」については、オフセットではなくグラフの傾きに効くはずであり、この数値の変化が原因である可能性は低い(複雑な時間変化をしている可能性は捨てきれないが)。基礎代謝量も同様に傾きに効くので、可能性としては少なく、それに加えて今回のケースでは、カロリー計算の基礎代謝量が平均よりも大きい値である必要がある。棒グラフに示した程度の運動はしているものの、この運動量が基礎代謝を上昇させるためには時定数が必要である。何よりサンプル(私のこと)の特性(日頃から運動習慣なし、ほぼオフィスワーク)からすると、基礎代謝が平均以上であることは、ありえないと思われる。

 以上より、仮説(A)は可能性としては低いと考える。

 仮説(B)の検討:

 体重計の体脂肪率の測定原理は、体内の電気抵抗(インピーダンス)測定である。体内組織のうち、脂肪は電気抵抗が高く(電気を通しにくい)、水分や筋肉組織は電気抵抗が低い(電気を通しやすい)。これによって全体の体脂肪率を測定する。

 また、今回の測定で、実際より多めに脂肪を見積もっているということは、より大きい電気抵抗のオフセット成分が測定系に混入していることに相当する。この測定系において、ランダム成分ではなく、オフセット成分として現れる可能性のあるものは、「足裏皮膚と体重計電極の間の界面接触抵抗」である。

 当然のことながら、年齢を入力している体重計において、加齢による皮膚の乾燥など、こうした想定できる要素は内部計算に考慮されていると思われる。しかしながら、想定できない固有の要因である、足の皮膚のグローバルな物理形状の平均からの逸脱(扁平足とか)、ミクロ的な物理形状の平均からの逸脱、乾燥状態の平均からの逸脱などの要素が存在した結果により、界面に高抵抗な成分が存在していると考える。

 また、上記のうち、乾燥状態が影響として大きく効いているかどうかについては、風呂上りなどの測定条件を変化させた際の影響を調べることでより原因が絞り込めると思うが、本論では言及に止める。

6.結論

 ①体重計と体脂肪率で測定した結果から推定される、体脂肪の減少カーブ

 ②カロリー計算から計算される、体脂肪の減少カーブ

 この差異として現れたオフセット成分の原因は、足裏皮膚と体重計電極の間の界面接触抵抗に起因するものと結論する(だからどうした)。

 

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議事録の作成権は、人事権も評価権も予算執行権もない無力な事務方に残された最後の権力である

 先日の記事(ビジネスで「ライフハック」を求めて彷徨う人々に、かけるアドバイスが無くて悩ましい)における、ライフハックについての具体的質問内容は、あの記事の文脈と直接関係ないので記載しなかった。

 実際には「議事録を速く作成するには、どんな裏技があるんですか」であった(記事内冒頭の○○には「議事録を速く作成すること」が入る)

 前記事では、その質問に至った”何かのスキルを得たいと思ったときに、まず実行して訓練するよりも先に、裏技を探す”というその基本姿勢について疑義を提示した。

 この記事では、その質問内容について別角度の疑義を提示したい。

 議事録作成・発行の持つ「権力」を、あまりに軽くみているのである。

 議事録を作成する権利は、ある意味権力を握っているに等しいのだ。しかしながら、どうも質問者のような人々からは「速やかに機械に置き換えるべき無価値な業務」と捉えられているようだ。

 会議での質疑及び決定事項・担当者が記載され、責任者の承認を得た議事録は、口頭での 「言った/言わない」を避けることのできる証跡であり、長い開発計画の中で、ややもすると最終ゴールを忘れがちな我々にとって重要な道しるべになるのである。 ”発行しても誰も読まない自己満足な業務”などでは決してないのである。

 議事録とは、組織内、組織間で色々な利害が絡み合い、1本道では進まない複雑な開発スキームを維持し、会議という「点」と「点」をつなげてゴールに向かう1本の「線」にするための重要なツールである。

 しかも、議事録は誰でも勝手に作成する訳にはいかない。その正統な作成者になるということは、アクションアイテムの取捨選択や担当者の設定などが裁量の範囲内で自由にできるということを意味する。

 あまり大きな声では言えないが、これは大きな権力の源泉であって、評価権も人事権も予算執行権もない無力な裏方である事務方が、唯一能動的に使える権力なのである。

 これによって、担当者への貸しも作れるし、責任者の発言を借りた業務指示もできる。

 もちろん言っていないことを記載する訳にはいかないが、発言の強弱やハイライトなど、 作成者の裁量で調整できる部分は非常に多い。話し言葉の文書化というのは意外にテクニックが必要で、話し言葉をそのまま記載すると、論理的につながっていなかったり、”あれ”、”それ”などの抽象的な指示語が多くて不明確なもので、後から補足をしないと意味が通らないため、補足が必須なのである。

 つまり、本質的な作業として、発言者の意図を正しく理解し論理的かつ簡潔な表現に変換する、というクリエイティブな行為がそこにはある。議事録作成を機械で代替すべきと主張する人々は、どうも音声を単に文字に変換して、そこから取捨選択するだけの行為、単なる儀式的なルーチンワークと解釈しているようだ。

 全く間違った認識である。

 確かに会議でイニシアチブを握っていたのは、その場で声が大きい人であるかもしれない。しかし、それはその会議の瞬間だけであり、現実には文字記録として永続的に残す議事録作成者の方が、よほどイニシアチブを握っているのである(下記記事参照)。

 関連記事:立ち飲み屋探訪:本厚木駅「ますや」と非情のライセンス

 様々な見方があるようであるが、ソ連などの社会主義国家で「書記長」が最高権力者であったのは、一説には「”民主的な”会議の決定を、最終的に全体の公式決定として文書化するのは書記局であり、その文書の責任者である書記長が最高権力者になった」という主張もあり、私も事務方の立場における皮層感覚としてうなずける。

 人間の記憶は直ぐになくなる。「あの時の会議は何が決まったのか」「現在実行している行動は最終ゴールに正しく向かっているのか」といったことも、今この瞬間でも忘れたり、記憶の中に仕舞い込まれたままになってしまって、人間はすぐに見失う。共有文書化されないと人は直ぐに忘却してしまうものなのだ。

 よって、本質的に発散傾向を持つ組織的な開発体制を、ゴールの方向に常に修正する役目が必要になる。そのためにも、議事録を自力で作成することによって、議論の方向性を確認し、また、指揮官の意図を正しく把握することは事務方としては非常に意味のあることだと思っている。こうした海図を持っていない開発には間違いなく無駄が多く、犠牲を払うであろう。

 そうした重要な役目を、AIに代替だの、ライフハック術を探すだの、と低レベルな問題に還元されてしまい、私は混乱するばかりである。

 百歩譲って、いわゆるテープ起こし作業を機械化、自動化して、その後の文書に整える”付加価値の高い”作業に時間を費やしたい、という意図なのかもしれないが、これもズレていると思う。

 そもそも議事録作成でテープ起こしからスタートするのは、よほどのことで、一言一句話し言葉を起こす必要がある場合のみに限られる(そのような場合は滅多にない)。

 音源は、意図がわからなくなった場合のチェック用で、音源から議事録作成をスタートするのは愚策なのである。もっと言えば初心者向きというべきか。あくまで議事録とは文書なのであるから、その場で自ら書いたメモからスタートするのが正しい手段だと思う。そして、そのメモを基に論理を追いかけながら作成していく。自分の中で、会議を追体験し、理想のあるべき姿に再構築する作業でもある。

 特に、この音源の存在も曲者で、音源があることで安心してメモが疎かになってしまう。甘えができるのである。むしろ、音源を用意しないような状態で常時緊張した状態でメモを取るべきであろう。後は場数を踏んで訓練するしかないのである。

 といった回答を質問者には伝えたかったのだが、時代遅れの意見なのであろうか。

 確かに、こうして述べてきたことが、いわば「大企業病」の典型のような気もしている。潰しの効かないスキルといえば、その通りである。会議なんて、新時代のインフルエンサーにとっては無用の長物で、そのファシリテーターなど不要と考えるのも一定理解できる。

 しかし、ある程度の規模の組織で団体戦の効果を発揮することに特化していると言えばその通りである。ベンチャーや中小ではそもそもそんな役割自体が不要なのだから。まぁそれならそれで早く見切りをつけるしかない訳で、お互い睨み合いの様相から早期に脱却したいものなのである。

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慣れないバックオフィス業務で”何を悩んでいるかもわからなくなった”人は、本当は何を悩んでいるのか -AIによって「交渉」は無くなるか-

 現在の私の仕事は無理やり定義すれば「技術企画」と呼ばれるジャンルで、どちらかというと事務系・管理系の仕事に入ると思う。

 メーカーなので、そこで使われる用語やその中身は技術的であるが、実際に自分が技術開発をする訳ではない。

 会議のファシリテーションをしたり、アクションアイテム管理をしたり、要するに最終目標のために部門間交渉・折衝をする地味な裏方仕事である。結局、どこかにこうした裏方、汚れ役がいないと、組織とはなかなか回っていかないのである。

 こうしたバックオフィス組織は、その特殊性がゆえに、新卒の新入社員が配属されることは少なく、 ある程度キャリアを積んだ技術開発者が異動でこちらにやってくるケースが多い(私もその一人である)

 バリバリの技術開発者が、いきなり会議のファシリテーションをするわけで、結構戸惑う。

 そんな中、毎年1人は、その仕事の変化にうまく適応できず、悩む人がいる。というか、”何を悩んでいるかもわからなくなって仕事ができなくなる”ようなケースが多いのだ。

■悩みが伝わらない

 デッドロックにハマってしまった人は、もはや何を悩んでいるかすら、上手く表現できない。

 業務を見える化して、定型業務の効率化を図っても、何か芯を外しているようで、一向に本人の悩みは解消されない。マネジメントとしても、”大変そうなので、仕事を減らしたのに、ちっとも残業が減らない。本人は悩んでいるようだが、要領を得ない”といった状況になる。

 本人は”仕事がうまく回せない”という言い方をすることもある。これだけ聞くと、どこかに「今まで持っていないスキル」や「まだ知らない知識」があって、それを獲得し、知ることができれば、すぐに問題は解決できそうだ。そこで、いったん業務を減らし、研修やOJTなどをやらせてみる。

 しかし、問題は解消されない。

 情報が多すぎて選別できないのか、と、今度は情報をもっと制限してみる。 ルーチンワークに近くなってしまうが、それでも状況は変わらない。

 やはり自分ひとりで煮詰まっている。自分の中で仕事を停滞させてしまうのだ。

■仕事が回らない理由を掘り下げる

 ここで本人が訴える「仕事が回らない」とは、いったい何を訴えているのであろうか。

 内面的解釈をすると「つまらない仕事なので、やる気が起こらず、結果として処理が進まない」と聞こえる。納得感がないがゆえに、仕事を停滞させているのである。

 そのため、業務をナビしようが、サポートしようが、RPA化しようが、本人は何時までも「仕事を回せない」。

 なぜなら、その価値が自分の中で腹落ちしていないからである。 今やっている仕事は「つまらない」と思っているのである。

■「つまらない仕事」だから、やる気が起きない?

 ただ、そもそも論として、仕事とは、根源的には自分以外からの自分への強制であり、ある意味全て「つまらない」ともいえる。だからこそ対価として金銭と交換しているのである。

 つまらない仕事であっても、納得できるものと、そうでないものがあるということで、納得できない理由があるのであろう。

 では、本人は仕事に何が見いだせないがために、納得できないのか。

 ひとつの仮説は、自分都合でアウトプットを出せないのは嫌だ、ということではないか。

 希望として、自分都合でアウトプットを出し、そのまま受け取られ、高評価をもらいたい、ということである。

 確かにそれは楽しいであろう。ストレスはゼロである。

■自分都合の仕事は本当に”楽しい”か

  ただ、自分のアウトプットが、他人にとって何の役に立たなかったとしても、本当に”楽しい”と思えるのだろうか。それで彼の悩みは解決されるのであろうか。永遠に教育期間にいるようなものだ。

 もちろん、他人に評価されなくても自分じしんで納得できる仕事、というものもある。しかし、それですらも自分の中での評価軸があってこそであろう。

 面白いとか、つまらないといった基準ではなく、他人の役に立つか、そうでないか、という評価軸を持ち、仕事を判断すれば、どうなるか。

 つまり役に立つかどうかの評価基準=他人基準の尺度を持った上で判断するべきであろう。

■他人の役に立たない仕事だから、やる気が出ない

 したがって当初の

 「仕事が回らない」 →「つまらない仕事なので、やる気が起こらず、結果として処理が進まない」

 とは、こう言い換えられる。

 「仕事が回らない」 →「他人の役に立たない無意味な仕事なので、やる気が起こらず、結果として処理が進まない」

 この文章自体は、もっともらしい。

 問題は、当の本人が与えられた業務を「他人の役に立たない無意味な仕事」と考え、 その周りの人間はそう思っていない(だからこそやってもらいたい)ところに大きな認識のズレがある。

 なぜ「他人の役に立たない無意味な仕事」と考え「やりがいを見いだせない」のか。おそらく以前従事していた技術開発であれば、自分の業務は他人の役に立っていた、と考えていたのであろう。確かに技術開発は評価尺度がデジタル化されやすい。

 一方、会議のファシリテーションや、それにつながる部門間交渉などの間接的な事務仕事は、人間関係も発生してストレスもたまるし、いてもいなくても仕事が回るようにも見えて「役に立たない無意味な仕事」としか本人には思えないのである。

 なぜか。

 おそらく部門間交渉、折衝というものは、本来やるべきでないもの、ムダなもの、という認識があるからではないか。創造的な仕事でない、と認識しているのではないか。

■AIによって「交渉」は無くなる?

 確かにAIが進化していったら、あらゆるコンフリクトは事前に消滅され、こうした交渉ごともなくなりそうだ。AIのキーワードとして、最適化、などという言葉もある。

 しかし、そんな単純なものではないと私は思う(AI化はできるが、高度なレベルだと思っている)。

 数理モデルとしては、制約条件と数値指標を見える化し、その数値を最小化にするための最適化問題として設定できそうだ。

 しかし、実際への適用とすると、数理モデル自体が動的に変化する状況下での未知の因子を含む多変量解析になり、これはなかなか難しいのではないかと思う。要するに検討のフレーム自体に動的変化があるがゆえに、最適化問題としては極めて高度である。

 たとえるなら、ひとつのゲームのルールの下ではAIは人間を上回るが、ルール自体が動的に変化する、あるいはゲーム自体が動的に変化するような問題はAIにとってかなり難題ではなかろうか(それでも最終的には達成しそうだが)。

 その意味で、「交渉」とは非常に知的な創造的行為と考えるべきであろう。

■交渉は、押し付け合いではない

 もし、悩んでいる本人が、「交渉」とは単純なゲームである(=つまらない)と判断しているとすれば、 それは、交渉の実務をお互い自分だけの都合を押し付けるものであると理解しているからではないか。

 そこでは、他人とは自分に相手の都合を押しつける存在でしかない。

 要するに、お互いの都合の押しつけあいが交渉の本質だと理解しているのではないか。

 そのような認識に達してしまう理由は何であろうか。さらに掘り下げてみる。

 「自分と同じような他人がいる」という認識がない、「他人都合」に対する想像力がない、他人目線がない。自分目線しかない。ということであろう。 そうした人には、自分の基準と、自分と同じ基準を持つ他者とが、交渉の結果、折り合いをつけるという認識に達しないのである。

 繰り返すが、交渉とは都合の押しつけあいではない。 両者の言い分を正しく理解した上で、ある種の折り合い、落としどころをみつける創造的行為である。 矛盾をみつけ、その矛盾を乗り越える方法を探す。 その折り合いは、当初の矛盾点が内包されているが故に、止揚されたものとなるはずだ。

■その結果・・・・

  というようなことを、最近、何人かのメンバーの前でスピーチした。

 悩む彼らが「先輩」としての経験談を聞きたい、と言ってきたからである。

 どうやら、目的は、”議事録を速く作成できる速記術”のようなテクニカルなことを聞きたかったようで、 話が進むうちに「そんなことを聞きたいんじゃない」感が半端なく、 来年のオリンピックの冷房に使えないかと思うくらいの会場のクールさであった。

 特に原因を悩む本人の内面に勝手に解釈しつつ後半の街学的言い回しで気持ち良く自論をぶっていた際に、何か一歩間違うと今この場でクーデターが起こって、集団リンチを食らうのではないかと思えるくらいの敵意を感じたのであった。

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最近の三五八漬けの成功要因について、生産技術的観点から検討してみる

 この夏始めた三五八床はうまくいっており、もう1ヶ月くらい毎日お手製の三五八漬けを食べている。例年始めては見るが、放置したりして何度も腐らせていたのだが、今回は上手く継続している。

大根とキュウリの三五八漬け

 ちなみに三五八漬けとは、塩、米麹、蒸米を3:5:8の割合で入れることで漬け床を作るもので、山形県など東北で良く知られている発酵を利用した漬物である。

 関連記事:三五八漬け(さごはちづけ)に再チャレンジとその感想(追記あり)

 その要因について考えてみた。

①容器を小さめにし、透明で内部の様子(特に水)がわかるようにしたこと:

 使用しているのは100円ショップの円形タッパーで700mlくらいの容量である。これだとキュウリ2本入れたら満タンになってしまう。しかし、その方が小まめにチェックができる上に、補充もしやすい。要するに小ロットにし、見える化を進めたということである(職業病)。大きいサイズを漬けたいケースは実はあまりなく、そのような場合、例えば肉や魚を漬けたい場合には、小分けしてジップロックでやれば良いのである。

透明タッパーの容器。
水が出ているが、これを小まめに除去する

 更に透明であることで、染み出した水の処理に気を配れる。毎日チェックが習慣になる。蓋を開けずに確認できるので良い。また、水の存在は、塩分濃度に大きく影響する。これは味の問題と保存性の問題というトレードオフ問題を孕む(職業病)。つまり、三五八の旨味は麹によるアミノ酸の旨味であるが、塩分がこれと喧嘩してしまう。最初の段階はかなり辛い。しかし、塩辛いということは腐敗を防ぐという側面もあり、旨味を追求するには水分が、さりとて水分が多くなり塩分濃度が低くなると腐敗リスクがある。つまり、絶妙な管理が必要になるのである。これは結構理系ゴコロをくすぐる。

②冷蔵庫保管とし、反応の進行速度を遅くしたこと

 夏場は特に室温環境だと、温度が高いことによる反応の進行と、温度変化がある。これを抑えるために冷蔵庫に入れる。若干浸けるスピードは落ちるが、毎回晩御飯に出す分だけ補充するのであれば問題ないのである。プロセスの速度を自分の行動サイクルに同期、律速させたのである(職業病)。

食べた分だけ、キュウリを1本補充である。

 この2点ではなかろうか。深夜帰宅して、コンビニ弁当が置いてあったとしても、三五八漬けがあればちょっとした家庭の味になるのである(強がりではない)。

 ちなみに先日秋山温泉の前の農家直売店で売っていたジャンボキュウリを三五八漬けにしたら、更に美味かった。みずみずしさとキュウリの甘みがマッチして絶品であった。

 

 

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1次元セル・オートマトンにおける「エデンの園配置」—256種類の全ルールに対する”密度-流量”マッピングにおける”到達できない”空白領域?

 最近思い立って簡単なセル・オートマトンの計算をして、色々頭の体操をしている。 

セル・オートマトン(英: cellular automaton、略称:CA)とは、格子状のセルと単純な規則による、離散的計算モデルである。計算可能性理論、数学、物理学、複雑適応系、数理生物学、微小構造モデリングなどの研究で利用される。非常に単純化されたモデルであるが、生命現象、結晶の成長、乱流といった複雑な自然現象を模した、驚くほどに豊かな結果を与えてくれる。

Wikipedia 「セル・オートマトン」より引用

 30年くらい前に8ビット機のPC-8801で動作するライフゲーム(2次元セル・オートマトン)のプログラムを入力(作った訳ではない)して、変化するパターンを眺めていたのを思い出す。当時はPCの演算速度が遅く、マシン語のプログラムであったが、結構モタモタした動きであった。 

 良く考えると、Excelは、既にセルの表示機能が実装されているようなものなので、実はセル・オートマトンと相性が良さそうだと(今更ながら)気づき、VBAの練習がてら計算をしてみた。 

 1次元のセル・オートマトンについて、少しプログラムを作り、検討してみた。ひさびさのVBA なので勘が鈍っているが、なんとか完成。 

 今回検討した1次元セル・オートマトンは、標準的な2状態3近傍とした。すなわち、1つのセルには0か1の2つの状態のみが存在し、近傍に隣接する2つの状態によって定義されたルールに従って、次の時刻の自分のセルの状態が遷移する。

 1つのルールにおける遷移条件は、対象の隣接(前後)のセルを含めた3ビット、すなわち(000)から(111)までの8通りの条件となる。従ってルールの種類の数は、2^8=256通りになる。このルールを8ビットの表現とし、0から255までの数値で表す(=ウルフラムコード)。 

 図1に、これらのルールのうち良く知られている「ルール184」の状態遷移図を示す。このルールは、交通流の渋滞モデルとして知られている。また、1次元の非線形波動を記述するBurgers方程式を「離散化」したものと等価であるという興味深い特徴を持つ。

図1 ルール184の状態遷移図

 直観的には図2に示すように、セルの状態を、1=存在する、0=存在しないとして、自分のセルが「存在する」場合に

・前のセルにも「存在する」場合には、そこに留まる=移動できない
・前にセルに「存在しない」場合には、そこに進む=移動できる

 という離散化された「流れ」を示していると理解できる。交通流における車の動きを単純化したものと言える。

図2 ルール184の各セルの状態。1のセルは右側が0であれば動くことができる。

 こうしたルールによって、初期の状態から時刻を順次変化させていった時に状態が最終的にどうなるかを、既にウルフラムら研究者が検討し様々な興味深い結果を得ている。単純に定常状態になるだけでなく、ランダムになったり、一定の周期を繰り返す状態など複雑な状態が生み出されることが明らかになっている。

 ここでは、先人が既に解明したことの後追いであるが、少し計算した結果を示したい。宮崎市定の語る「無学者の二次方程式の解の公式の発見」の例となっている気もしないでもないが。

 計算条件は、セル数を100とし、周期境界条件(左端と右端がつながっている)を設定した。

 例えばルール184の時間発展は図3のようになる。初期密度を0.5としランダム配置した状態から開始している。初期段階の一部にあった密度の濃い部分(渋滞)が解消され、等間隔の定常状態になって収束していることがわかる。

図3 ルール184の時間発展

 ルール184は周期境界条件のもとで、1と0の数が保存する。また現在の状態から前の状態を一意に逆に生成できるため、可逆である。最終的には等間隔ピッチ(一つ起き)になる状態に近づくように安定する。

 図4にルール30の時間発展の計算結果を示す。中央に1セルを設定することにより、カオス的な複雑なパターンとして増殖していく。

図4 ルール30の時間発展

 図5にルール110の時間発展の計算結果を示す。ルール30と同様に中央に1セルを設定すると、片側に複雑でありながらパターンを描きながら増殖していく。

図5 ルール110の時間発展

 図6にルール90の時間発展の計算結果を示す。中央に1セルを設定した場合には、良く知られているように自己相似なフラクタル図形を示す。

図6 ルール90の時間発展

 代表的なルールの時間発展を見てきたが、さらにルール自体をパラメータとして、このセルオートマトンの系の全体像を見てみたい。

 各ルールの定常状態を示す因子として、十分に時間が経過した後のパターンのセルの状態を次の2つの変数で代表させることにする。

 (1)密度:1の状態のセル数を全セル数で除したもの

 (2)流量:流れとして例えた場合に、動くことができるセルの数を全セル数で除したもの

 密度に関しては特に定義に問題ないが、流量についてはこの変数で表現することについては、疑問の余地がありそうだ。ルール184の交通流では流れのモデルになっているため、「流量」の表現は正しいが、他の場合には”10”というパターンの数、粗密を示した数値になっているだけである。

 従って、ここではルール184の交通流における基本図である「密度-流量特性」の下で全ルールに対して計算結果を同一平面上にマッピングすることを目的とするに留めておきたい。

 今回の計算では、収束させるための時刻(世代)計算数を1000とし(ただしカオス的な様相があることがわかっているので完全に収束はしない)、初期のセル配置を、密度を0から1までの範囲で30分割した上でランダムに配置することとした。

 図7に0から255までのルールについて密度と流量の同一平面上にマッピングした結果を示す。ルール184の密度-流量の関係が示す、(密度,流量)=(0.5,0.5)の点を交点とした傾き45度と-45度の2直線が現れており、ピラミッド形状の下部の領域に全ての点がマッピングされている。

 また時間発展の結果、1のセルが全て消失し0になってしまう場合もルールによってはかなりある。この場合は(密度,流量)=(0,0)の点に縮退することになる。

図7 全ルールの密度-流量マッピング

 図7のグラフの色表現だと、ルール数での依存性、法則性が見えないので、図8に、ルール0から255に対してプロット点の色を赤(ルール0)から黄色(ルール255)に階調させて表現したものを示す。しかし、ここからも特にルールに依存する法則性は読み取れなかった。

図8 ルール0から255まで階調してグラデーションをかけたもの

 ちなみに、ルール184(10111000)のビット反転であるルール71(01000111)は全く異なる挙動を示す。一方ルール184は左から右に動く様相を示すが、右から左に動く場合のルールはルール226(11100010)となり、この場合には本質的に同じ結果になる。つまり、このルールのコードの記法に対称性がないので、階調表現では法則性が読み取れないのかもしれない。

 この計算結果で疑問なのは、このプロットで埋められていない空白領域の存在である。空白領域はピラミッド形状の上方と底部に存在する。

 この空白の領域は、どう解釈すれば良いのであろうか。

 有名な「エデンの園配置」は、初期状態以外からはいかなる発展でも発生しない配置であるが、今回の計算では全ルールに対して「定常状態」に近い状態(ただし、カオス状態があるので定常状態にはならない)においても、密度-流量の2次元表現で空白領域が存在していることを示唆している。

 また、全てが0になるパターンからも自明なように、ルールの中には不可逆、すなわち単射が存在しない系列があり、エデンの園配置が存在することは確かであろう。

 定常状態において、いかなるルールでも最終的に存在しない状態の可能性があるとも言える(過渡的には存在している可能性はある)が、実際にはルール30のようなカオス的な発展を示すルールが存在するので、より初期値依存に対応した初期条件を精密にとった上で、十分長い時間を取ることにより埋まる部分と、エデンの園配置が混在した様相になっていると思われる。

 このような単純な系であっても、そこから、”どうやっても辿りつけない領域が、すぐ近くにある”という、現実と薄皮一枚で異次元につながっているようなホラーSF要素を読み取るのは少し飛躍しすぎであろうか。

 最後にやはり文中で言及した宮崎市定の語る「無学者の二次方程式の解の公式の発見」の例が自分で想起される結果になった。学問は、巨人の肩に乗らないと、なかなか苦しいのである。

(蛇足)VBAの計算で少しテクニカルな部分を、備忘的に記載しておく。

■ルール自体の数値化(変数化):セルオートマトンの「ルール」をブール型変数に格納しておく。具体的には1次元セルオートマトンのセル状態の状態遷移を、ブール型配列変数である「ルール(1)=(111)」から「ルール(8)=(000)」のそれぞれに対して、0の場合にはFalse、1の場合にはTrueというように定義すると良い。

■配列変数における周期境界条件の定義:剰余関数(MOD)を使用することで周期境界条件を考慮した配列パラメータが定義できる。例えば、10の剰余とはNを10で割った際の余りであり、Nを1から順番に増やしていった場合に、その回答が割る数10の周期0123456790123456789…と循環する。これを用いることで状態遷移判定の記述を一般化したまま周期条件条件を定義できた。

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2019年新入社員に贈る:世の中には「時間が解決することもある」ので、のんびりやってほしい。ということを数理モデルで説明してみる

 今年も新入社員が入ってくるシーズンになって、通勤電車で慣れない立ち振る舞いなど、色々と社会の荒波に揉まれている様子が見られるようになってきた。

 実際の業務に就くのはまだ先であろうが、今後慣れてくるに従って、色々な現状へのイライラ感が出てくるであろう。

 ある程度仕事がわかってきて、一人前に近付いてくると「どうしてこの組織は、こんなに意思決定が遅いのだろう」とか「どうして自分が感じている危機感を上司は理解してくれないのだろう」と言ったイライラが出てくると思う。私もそうだった。

 そのイライラが昂じると「危機感と変革力がない上司は老害」「この組織にはスピード感がない」「大企業病」と言った不満になってくる。

 ドラマであるような、熱血・情熱的な現実的なスタンスで問題意識に過敏に反応し変革を求める若い層に、保守的・既得権益維持を使命とする体制層が冷や水を浴びせ、若い層にはフラストレーションを溜める対立構造は、大なり小なりどこにでもある光景として見ることができるのだ。

 そして、その若者の不満は一面として真実であろう。確かに組織というものは集団の内部統制という側面もあり、ルールとチェックでがんじがらめで意思決定が遅くなりがちなのは事実である。

 そして今こうして「一面として」と書くと、「はいはい、またそうはいっても現実はそうじゃない、とか、もの分かりの良さそうな態度で足して二で割るみたいなガス抜き折衷軍団がやってきた、老害乙」みたいな感想が返ってきそうだ。

 ここでは、その功罪というより、既存の組織で行われる意思形成を成す既得権益を持つ主流層いわゆるビジネス的な意味での”エスタブリッシュメント”には、本質的に「鈍感力」というべき応答時定数の遅いシステムが組み込まれている、ということを説明してみたい。

 ここで言う”エスタブリッシュメント”をもう少し具体的に定義すると、組織の予算と人事評価権、人事権を握っている層ということに尽きる。組織は予算と人事、この2つを抑えることで基本的には統制を取っている。

 組織全体は、応答時定数が早い(遅れが少ない)システム(=若い層)と応答時定数が遅い(遅れが大きい)システム(=エスタブリッシュメント)が直列結合で組み合わさっているような、すなわち図1で示す2質点系のバネ-マス(+ダッシュポット)モデルで表現できる。

図1 若者(添字2)とエスタブリッシュメント(添字1)が結合した組織の数理モデル

 例えばこの系は、図2のような運動方程式で表される。外力項が入っているが、ここではゼロとして考える。変数の添え字では、エスタブリッシュメントは添字1、若い層は添字2とした。

図2 計算モデルの各質点の変位xに関する運動方程式

 そのようなモデルの若い層(添字2)の動き(変位)とエスタブリッシュメント層(添字1)の動き(変位)についての運動方程式(図2)を以下の計算条件で数値計算したものが図3である。

 この計算パラメータの条件設定では、若い層がより過敏に反応し、エスタブリッシュメントが鈍感に動く応答性の差異を、バネ定数と質量から決まる固有周波数に3倍の比率を与えて表現する。つまり、若い層はエスタブリッシュメントより”3倍の周期で速く動きやすい”。

 続いてエスタブリッシュメントの応答性の悪さを表現するために、運動に対する抵抗特性である減衰係数の比率を1000とする。つまり、若者はほとんど自己の運動を減衰させない一方で、エスタブリッシュメントには大きな減衰特性を与える。

 初期条件として、若い層にのみ初期速度を与え、それ以外はゼロとする。つまりエスタブリッシュメント層は初期のエネルギーはゼロで、受動的に動くとする。

図3 運動方程式の解とエネルギーの挙動(上図)と各質点の相図

 若い層に当初与えた運動エネルギーは急速に減衰してしまう。一方でより応答性の悪いエスタブリッシュメントは、ほとんど反応せず、自らの減衰特性によって若者の運動を巻き込んで、元の位置に収束してしまう。つまり、若者のエネルギーがより大きな組織のエネルギーに変換されようとしているが、慣性と減衰が大きく、組織全体を動かすに至らず急速に減衰してしまうのである。

 先に述べた対立構造の現実では、このような状態がまさに起こっているのであろう。ちなみに若者がより感度を上げて活動しても、全体としては同じで、こんな若者の”独り相撲”のような解になる(図4)。

図4 若者の固有振動数を7倍した解

 若者の情熱、応答時定数が高い部分の運動が、システム全体の運動に寄与せずダッシュポット要素における熱的散逸、つまり文字通り「摩擦」として全体の運動に寄与しないで無駄に消えてしまうところも現実と同じだ。

 では、なぜこのような構造が発生するのか。特に、なぜエスタブリッシュメントは応答性が悪いのか。

 これは単純に「生理的なもの」と「経験的なもの」と考えられる。

 「生理的なもの」とは、単純に加齢、もっと言えば老化であろう。年齢を重ねるごとに外部の刺激に対して反応が鈍くなる。単純に思考のスピードも遅くなる。また若い場合にはセンサーも過敏で、取得する情報も多いので、この対比はより大きくなる。

 「経験的なもの」とは、いわゆるインサイドワーク、あるいは、経験知というようなものである。物事には実は「時間が解決する」ようなケースは多い。特に複雑な組織において課題を処理するような場合には、先ほどのモデルを更に多変数にしたようになり、1つの要素だけ早く動いても全体には影響を及ぼさない。同期しないと無駄が多いのである。そうすると実は「まずは待ってみる」というのも結構無視できない有効な策であることがわかってくるのである。

 「だからどうしたの?」という声が聞こえてきそうだが、まずは長い旅なのでのんびりと取り組んで欲しいのである。

 補足:この運動方程式は、よく知られたカオス的な挙動を示す「二重振り子」のモデルとも類似しており、単純な系でありながら、現実と同様に複雑な運動の様相(図5)を持っているのである 。

図5 減衰無しのバネのみで結合した場合の運動方程式の解の一例。意外に複雑な運動の様相を示す。
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【ビールテイスト飲料の市場】ホッピーとオールフリーの居酒屋における棲み分け戦略

20歳台の頃はビールが大好きで、飲み会でも初めから最後までビールだけ、二次会のカラオケまでビール一貫で十分であった。なんだかんだでビールが一番当たり外れが少ないということも選択した理由である。しかし寄る年波で、次第にビールではなく、ホッピーを頼むことが多くなっている。

ハイボールでも良いのだが、ハイボールは店によって当たり外れが大きい(と思う)。

それに比べてホッピーは基本的にクセの少ない甲類焼酎と定番のホッピーの組み合わせなので、量の問題(関連記事:ホッピー指数(外1本に対する中のおかわり回数)の提唱およびホッピーの最適解)はあるものの、味に関しては一定を保っていると思う。

そんな中、最近気になっていることがある。

「ノンアルコールビール」という存在である。

サントリー「オールフリー」などを皮切りに、飲むに耐えるノンアルコールビールが出現し(昔あった”バービカン”はいまいち旨くなかった気がする)、一つの市場を形成している。おまけにカロリーゼロも謳っているので、手に取りやすい。

私も夏にはノンアルコールビールを箱買いして、朝起きぬけや汗をかいた後などに飲んでいる。

特に朝の起きぬけのノンアルコールビールは、ビールの味という背徳感とその後にアルコールの酩酊が”やってこない”ことに対する脳みその戸惑いがあって、なかなか面白い経験ができる。

いわばビールの味を感じた時点で脳みそは既にアルコールが来たぞ!という先走り信号を出し、軽く人工的な(アルコールを使わない)酩酊感を前払いしているのではないか。その後、実際にはフライングしているので、来るべきアルコール成分が届かないので”あれっ”と戸惑う感じである。

ちょっとした作業をする際にも、酔わないビールなので非常に捗るのである。

そんな効果があるノンアルコールビールであるが、本質的にはホッピーと同じなのではなかろうか。そして、居酒屋にも当然飲めない人(ドライバーとか)用にノンアルコールビールが置いてある。

でも「オールフリーの焼酎割り」というメニューは見たことがない。

値段も同じくらいであり、形態が缶かビンの違いだけであるが、なぜ居酒屋のシーンでは完全に棲み分けが行われている(ように見える)のであろうか。

つまり、焼酎を割る割材としての「ホッピー」と、ノンアルコールとしての「(例えば)オールフリー」のように。ホッピー自体は厳密にはノンアルコールではなく(0.8%のアルコールを含む)、ノンアルコールと称することはできないが、「オールフリー」が「ホッピー」の割材の市場に入ることは、既に既存の営業網も出来上がっており、原理的には可能なはずなのだ。

サントリーなどの大企業に対する、中小企業である「ホッピービバレッジ」のニッチ戦略が奏功しているということであろうか。

確かにホッピービバレッジの売上高は2016年で36億円に対して、ビールテイスト飲料の国内市場規模をざっくり計算(注1 )してみると、2015年でおよそ576億円。これを大手4社で分け合っている状況である。

平均して約150億円規模のシェアを取り合っている大企業にしてみると、隣の36億円はあまりインパクトがないということなのであろうか(そんなことはない気もする)。

ビールテイスト飲料の市場規模自体が鈍化している中で、独立に棲み分けてきた現状の構図が今後どうなっていくのか、非常に気になるところと同時に、ホッピー側の生き残り戦略が非常に気になる(前述の通り、ホッピーはノンアル側には攻め込めない)ところである。

これを家庭で焼酎で割っても普通にいける。ただ気分的にはいまいち乗らないのも確かである。このあたりの”気分”がやはりホッピーの参入障壁(いわゆる下町感)になっているのかもしれない。

参考までに先日行ったスーパー銭湯のレストランメニューを以下に示す。見事に棲み分けができている。

注1:

【図解・経済】ノンアルコールビール市場の推移(2016年7月)より、2015年のノンアルコールビールの出荷ケース数を1,600万ケースと見積もった。

1ケースが大瓶633ml×20本換算なので、これを350mlの値段で金額に直す。

633×20÷350=36 1ケース350ml36本換算で、1本あたり100円とする。

よって1,600万ケース×36本/ケース×100円/本=576億円

参考:wikipedia:ビールテイスト飲料

 

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【つけ麺】ゴル麺。町田店の「黄金つけ麺」で猫舌早食いに対するリスクアセスメントを試みる

最近のつけ麺の傾向は、極太麺+コッテリ濃厚スープ(+魚粉入り)で、これはなかなか私のお気に入りで、色々な所で食べている。

猫舌のため、”麺熱盛り”ではないことは必須である。

私には更に早食いという癖があり、猫舌+早食いだとラーメンより、つけ麺の方が食べやすい。しかし、それでもつけ麺スープの熱さ問題や、自分の服への飛沫付着問題などが発生する。

水で締められた”つけ麺”の場合、麺を投入するに従って、最終的には次第にスープの温度が下がってくるので、早食いにも適応しているのだ。

先日は町田の「ゴル麺。町田店」でつけ麺を注文してみた。

スープが煮立ってる!これは猫舌には厳しい戦いである。

更にスープ皿自体も熱い。こうなると、スープ皿–私の口までの距離がかなりあり、更にその中間地点には私のTシャツ(白)があるではないか。

リスクアセスメントの考え方からは、リスク事象は、(リスクの大きさ、重篤性)×(発生確率)によって表現される訳である。

今回の状態は、すでに発生確率が高い状態な訳で、戦う前から、Tシャツ汚染というリスクは高い確率で予想され、そのための低減措置を検討しなくてはならない。

ではどうするか。

単純には、紙ナプキンか自分のハンカチによる防護である。これにより、飛沫の着弾が発生することを前提とした対応を取れる。

しかし、この場合、もう一つの課題である麺の温度問題、猫舌には対応できていないのである。

そこで、今回は別の手段、発生確率の項である、スープ皿から自分の口までの距離を短縮するという手段を採用した。

即ち「取り皿ください」である。

非常に理屈っぽくて恐縮であるが、この対策により、麺の温度も下げることができるので、猫舌問題も同時に解決できるのである。

取り皿と自分の口は自分の裁量で近くできるので、注意深く食べることで飛沫問題も起こらない。

ベスト解ではないか。いつもの仕事でもこうしたアイディアが閃くと良いのだが。

つけ麺に対する、リスクアセスメントの結果に満足し、無事食べ終わった。うまかった。

でも、最後にセットで頼んだ餃子を食べたら、汁がTシャツに落ちた。泣きたい。

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【非合法?】ヤバ目の芸能人が集ってしまう? ”たいま市場(いちば)”を発見

相模原付近を車で走っていると、交差点が。

なんと「たいま」市場(いちば)である。

言い直すと、たいまのマーケットである。

ニュースを賑わせたあの人とか、沖縄から買い付けに来ているのであろうか。こんなアンダーグラウンドな世界があったなんて。

周りを見回すも何もない田舎の風景であった。

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【数学者ポール・エルデシュ】エルデシュ数の経営組織論への応用

ポール・エルデシュという有名な数学者がいる。サンシャイン池崎的に言うなら”数を愛し、数に愛された男”である。生涯に1,500編以上の論文を書き、旅を愛して放浪しながら、数学者たちに刺激を与え続けてきた。

様々なエピソードは、ポール・ホフマン『放浪の天才数学者エルデシュ』(草思社)に詳しい。

非常に面白い本である。

エルデシュは問題を作ることが上手かった。彼が作った問題を解くことで、数学上の新たな発見を生み出すこともあり、こうした数学者コミュニティ全体のレベルを上げることにも大きく貢献している。

あまりに多くの数学者と交流したことから、数学者の指標として”エルデシュ数”というユーモアを込めた概念がある。wikipedia より引用する。

まずエルデシュ自身のエルデシュ数を 0 とする。彼と直接共同研究した研究者はエルデシュ数が 1 になり、エルデシュ数が n の研究者と共同研究した研究者は n + 1 のエルデシュ数を持つ。エルデシュ数 1 の数学者は、2007年2月28日の時点で511人いるとされる

引用終わり

つまりエルデシュと直接研究をした(共著論文がある)人はエルデシュ数は1となる。その人と研究した人は2になるというものである。弟子は1で孫弟子は2となる。

ちなみに、ビジネスでも似たような概念を考えることができるであろう。

会社のトップと直接(チェックを受けず)コンタクトできる指数を定義するのである。

仮に、日本を代表する企業であるトヨタ自動車を例にとると、豊田章男社長に直接説明できる人の”豊田章男数”は1となる。トヨタ自動車の中で、豊田章男数=1を持つ人間がどのくらいいるのであろうか。

3桁人数いるだろうか?私はいないと思う(根拠なし)。

また、トヨタ自動車の中堅管理職である課長クラスの平均値だと、豊田章男数はいくつになるであろうか。興味がある。

つまり、会社は階層的構造になっており、平社員が直接トップに物を言う仕組みにはなっていない。仮に平社員が社長に報告する場合でも、その内容について、まず課長チェック、次に部長チェック、さらに事業部長チェックが入るであろう。つまり、この場合には、この平社員の”エルデシュ数”は4になる。

大企業よりベンチャー企業の方が”エルデシュ数”の平均値は低いであろうし、トヨタ自動車より本田技研の平均値の方が、なんとなくだけど低めになりそうだ(根拠ありません)。

そして”エルデシュ数”が小さいほど、その人間のパワーは上がっていくと思われる。

ビジネスパーソン諸兄のエルデシュ数は幾つであろうか。

また、昇進してもそのエルデシュ数が変わっていないとしたら、どうであろうか?

それは名ばかりの形式的ではない本当の昇進なのだろうか?

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