【書評】谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』25巻–黒木弟が軸となった文化祭エピソード群

谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』25巻を読んだ。

今回は各キャラの変態エピソードの集大成のような感じで、前巻での、もこっち製作の映画上映を受けて文化祭の日々が描かれる。そして異常にこのマンガでモテまくっている黒木弟が主演する演劇エピソードがこの巻のメインである。

今回は、同級生で黒木弟に思いを寄せている井口さんを、ありえないくらいの空気読めなさ+パワー系で後押しする与田さんが活躍する。そして、黒木弟に異常なまでに執着する、小宮山さん、吉田さん、美馬さんが更に関係をややこしくする。

そして黒木弟の演劇で起こる「悲劇」(?)と、次につながりそうな展開も発生。変態オールスターというか性格異常者の人間模様というか、なかなか複雑な物語が描かれる重厚な(?)巻であった。

さらには久々登場のサイコパス・きーちゃんとウッチーの、これまたサイコ同士にしか理解できない共感エピソードなど、今回はクセのあるキャラが縦横無尽に絡み合って、文化祭という短時間でありながら読み応えのある回であった。

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立ち飲み屋探訪:神田駅「あかしや」ガード下の阪神推しの立ち飲み

神田駅のガード下にある居酒屋街の並びにある「あかしや」に入店。

キャッシュオン方式で、カウンターには様々なお惣菜が並ぶ壮観な風景。

まずはホッピーセット430円と、肉じゃが400円である。注文するとレンジで温めて出してくれるのも良い。

オムレツ350円も注文。ホッピーが進む。

店内にはなぜか?阪神グッズやポスターがずらりとあり、ちょっとした阪神ファンの集会場のような雰囲気である。

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【ラーメン】荻窪ラーメンの春木屋本店に行ってみた

先日仕事で荻窪駅に降り立った。遅めの昼ごはんを食べようと思い立ったのが、駅から3分くらいの青梅街道沿いのアーケード商店街にある「春木屋」である。

ここは創業が昭和24年(1949年)という老舗で、結構な有名店なのである。

店の前にある食券機で食券を購入。細長い店内には、カウンターとテーブルがある。

人気No.1との表示のある「わんたん麺」も捨て難いが、ここは定番の「中華そば」900円をチョイス。

麺はやや太めの縮れ麺で、スープは濃いめの醤油ベース。うまい。

トッピングはネギ、チャーシュー、海苔、メンマというシンプルなものだが、濃いめスープがいい感じで満足できる。昔ながらの郷愁を誘う味であった。

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早川港「漁港の駅TOTOCO小田原」のとと丸食堂で「あじと鮪の二色丼」をいただく

早川港にできた早川港「漁港の駅TOTOCO小田原」に立ち寄ってみた。先日根府川方面に向かう途中で、うまく駐車できた(駐車スペースは結構ある)。

魚介類の販売もしていると同時に、レストランもあり、魚料理を中心としたグルメも楽しめるスポットである。高速からはアクセスむずいので、下道に一回降りる(要するに早川港へいくルート)必要がある。

1Fはこんな感じで、干物や活きサザエ、地元野菜などを販売している。

2F、3Fはレストランになっている。今回は2Fの「とと丸食堂」で「あじと鮪の二色丼」1,780円をいただく。ボリューム満点で、途中で出汁を入れることでお茶漬けにも味変ができる。

早川港付近にも食堂があり、魚市場の2Fにも食堂があるが、駐車スペースが難しいのと結構混むようになって来ており、ちょっと離れた場所だが、観光施設としては、なかなか良いコンセプトの施設であると思う。未だちょいマイナーな早川港が盛り上がることも期待したい。

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立ち飲み屋探訪:神田駅「神田屋総本店」最強のせんべろセットとドジョウ唐揚げを食べる

東京方面へ出張があり、神田駅周辺でちょい飲みをしたくなり、駅近にある「神田屋総本店」へ。まだ17時台のため「せんべろセット」があった(18時まで)。

ここのせんべろセットはコスパ最強で、1000円で10点というポイント制で下記のような麻雀の点棒もどきが渡される。食べ物、飲み物それぞれに点数があり、これを自由に使って良いというシステムなのである。酎ハイが1点なので最大10杯飲めてしまうのだ(ホッピーセットは3点)。

ツマミは「よだれ鶏」2点。

カレーポテトフライは1点である。

これでつまみ能力は万全なので、あとはお酒に火力を集中する。流石に7杯酎ハイはきついので、途中はハイボール2点に変更。

神田ということで、単品でどじょうの唐揚げも頼んでみた。

なかなかのフォルムであるが、香ばしくて酒にあう。ただ、どじょうを食べるたびにうなぎの食感を予想しつつ食べる癖がついてしまっているので、そこだけ脳みそがバグる(私の問題だが)。

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【書評】マーサ・ウェルズ「マーダーボット・ダイアリー」ー自己肯定感の低い警備ロボットの自分探しと人工知能同士の”愛”を描いた傑作

マーサ・ウェルズ「マーダーボット・ダイアリー」シリーズ4冊(創元SF文庫)を読んだ。

引きこもり系でコミュ障、かつ、自己肯定感のめちゃくちゃ低い主人公の1人称で綴られるこのSF小説は、SF的視点で「他者とのコミュニケーション」を真っ向から描いている。

この主人公は人ではなく、戦闘力の非常に高い「警備ロボット」。ロボットであるがゆえに、クライアントである人間を守るために、自分を犠牲にすることも厭わないようプログラムされている。過去のある事件をきっかけに、中央からの統制から自由になったこの警備ロボットは、結果的に目的がなくなり自らの運命を探る必要に迫られる。これはこれでSF的設定を差し引けば、”自分探しの物語”である。

この戦闘マシーンである「警備ロボット」は、自己卑下するあまりにへりくだって自分を”弊機”と呼ぶ(この日本語訳は素晴らしいと思う)。その自己肯定感のなさ、大量のエンタメドラマに耽溺するのが趣味というインドア思考という設定も効いていて、絶妙の現代的な物語になっているのである。

この「警備ロボット」は小説的には性別が不明で、さらに、完全にジェンダーフリーに描かれている点も面白い。日本語版のイラストも中性的に描かれている。ちなみに4冊読了後に、私は完全に女性的なイメージを描いていたが、人によっては完全に男性的なイメージを描く人もいた。

こうした警備ロボットが人間たちとふれあい、怯えながらもゆっくり自分の人生(?)を自己決定していく。人間たちから向けられる感情には敵意もあるし、好意もある。これらに戸惑いつつ、大量の内省(主に自己卑下と人間不信と現実逃避への渇望が多いが)と共に、自分探しをするモノローグ(と多くの事件とその解決)が、この小説群のメインストーリーである。

さらに、このコミカルっぽくもあるSF小説で感動すら思えたのは、SF的思考の真骨頂とも思える「人間以外とのコミュニケーション」の描写である。

それは、ある宇宙調査船の制御システム(ARTと呼んでいるが、芸術の意味ではなく、警備ロボットによるスラングによる毒づき名称)と警備ロボットとの、不器用ながらも少しづつ進む「交流」として描かれる。

このARTと警備ロボットは、時には協力したり、時には他方が危険な場面に巻き込んだりと、喧嘩しているシーンが多い。しかし、それでもなお、お互いを必要としている情景が少しづつ多くなっていく。喧嘩したり、謝罪したり、二人でドラマを見たり、と次第に関係が深まっていくのである。ただ、これはあくまで人工知能同士の交流なのである。

こうした果てに、”人工知能同士がお互いを必要とする”という感動的なシーンが描かれる。控えめな描写であるが美しい。

機械が知性のような物を持つ、という現象は既に我々にとっても生成AIなどを目の当たりにするとそう遠くない未来にありそうなイベントである。しかし、その”知性”が”人格”を持ち、さらには、その人格同士がお互いを必要としあうことはどのように起こるのか?という問いはまだ全く想像できない。この問いへの美しい見事な回答でもある。これが(あまり使いたくないが)「愛」が生成したというものなのかもしれない、と。

このARTと警備ロボットが最初に仲良く(?)なるシーンは、ドラマがそれをつないでいる。ARTはドラマは情報としてしか理解できないが、警備ロボットの「反応」を仲介することでドラマを娯楽として視聴できるという設定がある。いわば警備ロボットの肩越しにARTはドラマを「鑑賞」しているのである。人工知能同士が、あたかも人間がそうするように居間でTVの前で二人寄り添ってエンタメドラマに耽溺するシーンのように想起され、私は感動すら覚えたのであった。

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【書評】施川ユウキ「バーナード嬢曰く。」7巻–図書委員・長谷川さんの感情発露エピソード多めの巻

施川ユウキ「バーナード嬢曰く。」7巻を読んだ。帯にあるように12周年を迎えた模様。すごい。

いつもの4人メンバーの本をめぐる日常であるが、今回は図書委員の長谷川さんのリアクションが結構多いような気がしている。ホームズマニアの控えめな眼鏡っ子で、男性キャラの遠藤を慕っている。

あまり目立たたないキャラ、かつ、舞台回し兼ツッコミ系の役割なので、感情を顕にすることが少ないような気がしていた。

今回は結構、照れてみたり怒ってみたりと感情を発露するシーンが多いようにみえる。

図書委員というのは、成長期のほとばしるエネルギーがあり余って仕方ない高校生が部活に汗を流す放課後に、校舎高階にあるエアコンの効いた図書室の窓から体育会系のエネルギー消費する様子を眺めつつ、同じく自分も食欲だけはあるので内蔵したエネルギーを抱えつつ<本>に向き合い、精神エネルギーを消耗するという立場である(そうなのか?)。

ここにも青春はあるのだが、やはりちょっと汗とか肉体のぶつかり合いはない。

でもお腹は減る。

文化系高校生、かつ、吹奏楽部みたいな情熱もない読書好きというのは、そんな屈折しやすくバランスの悪い青春なのだが、本書ではこの空間を見事に成立させている。同様に窓からサッカー部を眺めていた自分の思い出が過去から照り返してきて、なんとも読後感が甘酸っぱくなるのであった。

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【書評】オラフ・ステープルドン「シリウス」ー知性をもつ犬の”魂の成長”を描いた美しい物語

古典SFの名作と呼ばれるオラフ・ステープルドン「シリウス」を読んだ。(注意:ややネタバレあります!)

科学者によって生み出された人間と同等の知性をもった犬(シリウス)と人間社会との交流を描く。物語の主題としては、犬の身体の中に、人間と同等の知性(成長する知性)をもったとしたら?というSF的課題を設定し、その犬の精神成長をできる限り犬の視点から描いている。

シリウスは人間社会、家族の一員として幼児から青年、そして大人へと成長してゆく。我々人間と同様の精神成長をしていくと同時に、”精神の入れ物”である肉体が大きく異なることで当然ながら悩む。さらに、シリウスは人間が生み出したものであり、同じ知性をもつ同類は存在しない(生み出せない)という悲劇的設定になっている。

社会的存在として個人が、自我を確立し、精神成長を経験すると同様にシリウスもまた、成長し悩む。人間がそうであるようにある一時期に堕落したりもする。そして人間よりもクリアな形で、生物としての荒々しい”野生の力”とも自己の中で対峙することになる。

この小説のすごいところは、そうしたSFテーマを単純に”犬の体を借りた人間”という形に単純化せず、この特異なシリウスの精神を想像力で再現し、それを格調高い筆致で描ききったところにあると思う。犬のもつ人間よりも帯域の広い嗅覚や聴覚をもとにした、この世界像の再構成やシリウスの自己探求の果てに最終的には”神”の問題も扱い、ラストでは”生まれてきた意味”や”救済”すら考えさせる壮大なテーマに昇華されるのである。

シリウス(SIRIUS)とはおおいぬ座の恒星で太陽を除くと地球上で最も明るく見える星である。中国では天狼星、欧米ではDog Starと呼ばれる。夜空で最も明るく輝くこの恒星は、またそれがゆえに孤高な存在を象徴する。そして、太陽が昇ると夜空の星々の姿はかき消される。地球上からみて、ともに存在できない太陽とシリウスはこの物語の二人のキャラクターを象徴しているかのようだ。物語でのシリウスは、夜明けの太陽の光が注ぐ美しくも悲劇的なシーンで幕を閉じる。

我々自身を宇宙の外や別次元の視点から俯瞰して眺める経験ができるSFのパワーを強く感じることができ、有意義な読書経験だった。

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【書評】谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』24巻–小宮山さんの”王者の変態ぶり”が冴える

谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』24巻を読んだ。

今回は文化祭の前日から当日を迎えるまでのまさに青春ど真ん中の期間が収録されている。

文化祭は準備期間が一番楽しい。開催するまでは時間が濃密だが、実際に当日を迎えてみると、意外に大したことはない。終了までのカウントダウンが刻々と進むだけの日々で、思ったより充実感はないのである。

我々の時代でもあった定番の段ボール集めのエピソードもあり、まさに青春。それに加え現代的なスーパー銭湯での直前合宿(といっても絵文字以外何もしていない)まである。

そんなもこっち監督の映画の出来栄えはまあ、日常の変態性に更に変態性を加えた感じでありなかなか面白い。

今回のハイライトは、変態の帝王である小宮山さん含めた変人オールスターが集結するシーン。最後にはやはり真打である小宮山さんがゾクゾクする発言で、主導権を握り返した上で、きちんと(?)締めるという王者の貫禄ぶり。

3年の秋になり時の流れが微妙に緩やかになってきた気もするが、いよいよ卒業に向けてこの作品世界がどうなるのか少し注目している。

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【書評】宮島未奈「成瀬は信じた道をいく」ーぶれない強固な軸を持った主人公成瀬が突き進む

先日(1/24)発売された宮島未奈「成瀬は信じた道をいく」を読んだ。

前作「成瀬は天下を取りにいく」同様、クールな主人公成瀬あかりと、その周囲の人々の日常が滋賀県大津を舞台に繰り広げられる青春小説である。

前作で中学生〜高校生だった成瀬は、本作で大学受験を経て大学生となる。チャレンジ精神は相変わらずで、自分の理想に向かって観光大使から平和堂フレンドマートでのアルバイトまでパフォーマンスの幅を広げている(本作最終編では更にレベルアップする)。

成瀬がもつ強固な軸は今回も全くぶれず、多少の動揺をみせるシーンがあっても、基本的には自分じしんで解決していく(他者や外部環境に依存しないようにもみえる)姿は、どこまでもクールで美しい。自分の人生を自分でクリエイトする意思を強く感じる。読者それぞれが羨望も交えてイマジネーションを膨らませることのできる人物像である。

あまりに孤独に強すぎるので、成瀬自身は今後他者を必要としないのか?という不安すら覚える。成瀬フォロワーは多いが、いまのところ成瀬サイドから求めているのは漫才コンビ「ゼゼカラ」の相方、島崎みゆきだけのようだ。そのあたりの展開は今後描かれていくのだろうか。

今回の作品中で、個人的には、独特のぶっきらぼうな口調が特徴の成瀬が丁寧語でも喋れるシーン(p.140)と、電車内で「ファインマン物理学」を読んでいるシーン(p.131)がグっときた。

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