ここに生きとし生けるもの

 今年も疲れた。色々なことがあった。

 仕事では、2回の海外出張もあり、仕事量的にも昨年の倍くらい忙しくなった感じがある。それに加えて町内会の役員の仕事もあり、ヘトヘトである。

 新しい人間関係などもあり、心休まる暇もなかった。

 本来こうして仕事が増えることと引き換えに、経験値を積んでインサイドワークというものが働くはずである。もっと知恵を使って上手いやり方があるはずで、実際楽に仕事を進めようと思いつつ、できないケースが多かった。個人戦より団体戦の形にしたいのだが、結局じれてきて我慢できず、自分の個人戦でやった方が話が早いという判断で一度渡した仕事を奪い取ってやってしまうケースがあった。この場合いつまで経っても仕事は属人的なままである。当の自分も楽にならない。

 やはり「時間」というものをどう考えるかであろう。

 「締め切り」「スピード感」という意味の時間もあれば、「時間が解決する」という時間もある。「時間が人を育てる」という言い方もある。このあたり、自分の中でもまだ解決できていない。ただ年を取るごとに時間に対して不感的にはなってきて、待つことが出来るようなってきた気がする。ただ、生来からしてセッカチなので、これは来年の課題である。

 果たして、来年は一体どういう年になるのであろうか。

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【感想】DVD「講談師 神田松之丞」–空間支配力と開放的なフラがある芸人

 既に巷の評判になっている講談の若手 神田松之丞のDVD「講談師 神田松之丞」(QUEST)を見たので、その感想を記載したい。

「新世紀講談大全 講談師 神田松之丞」(QUEST)

 先日2018年12月28日のニュースで、なんと9人抜きで2020年の真打昇進が報道されたばかりの、低迷する講談界でついに現れた逸材である。

落語芸術協会は28日、同協会所属の講談師・神田松之丞(まつのじょう)さん(35)が2020年2月に真打ちに昇進することを発表した。

朝日新聞デジタル「注目の講談師・神田松之丞、先輩9人抜きで真打ち昇進へ」

 DVDには3本、「違袖の音吉」「天保水滸伝 鹿島の棒祭り」そして、新作「グレーゾーン」の講談が収められ、その合間に本人へのインタビュー(師匠交え)が収められている。

 舞台での神田松之丞を観ると、まずその熱量、迫力に圧倒される。本人もインタビューで述べているように高座中は汗だくである。これは師匠の神田松鯉が述べているように”芸人としての若さ”の部分であろう。今、この時点(2018年時点で35歳)で、若い男性が珍しくなった講談の世界では、ある意味こうした迫力で推していくことは当然の戦略であろう。

 ただそれを差し引いても、この高座での神田松之丞の持つ雰囲気、場を支配する力は群を抜いていると思う。

 そしてその一方で神田松鯉が正しく指摘しているように、講談が持つ本質的な「重さ」に対して、「軽さ」がある。この「軽さ」は決して悪い意味ではなく、得てして閉じる方向に向かって働く講談の力に抗して、講談以外の世界に開いていく自由さを持つ「軽さ」であると感じた。これは演芸における”フラがある”という独特の雰囲気にも通じる。インタビューで見る限り、外見的には固く、内向的で暗めな雰囲気があるが、高座に立つと何とも言えないおかしみが感じられるのである。

 新作講談「グレーゾーン」については、プロレスの八百長暴露騒動に対するプロレスファンの屈折、さらに大相撲の世界の八百長事件、そして演芸の世界に対する構図を一つの線でつなげ、八百長とガチンコ(真剣勝負)の対立を軸に最終結末には、ある種の感動すら感じさせる。

 その感動とは何か。八百長、ガチンコと言われる二項対立、そして演者(内部)と観客(外部)の二項対立を全て飲み込んだ後に、それらに翻弄される人々たちを”救済”する意思が見えるからではないか。

 どちらが正しい、正しくない、ということではなく、それらを超えたところに実は解答があり、そしてそれらは仮に真実が暴露されてしまった後の過去も否定しないのである。

 私も含め「プロレスは八百長であるか否か」を、かつてプロレスファンの立場から幼稚な形であれ守ってきた。そして、暴露本によってその当時の論理は、ほぼ完全否定されている。しかし、敗戦の焼け野原にあっても、まだかつての自分の思いの一部は焼け残っていないはずだ、と信じてきた部分を救済された気持ちになったのである。

 そしてラストでは、この物語を閉じずに、その後の主人公の物語を予告して”残念ながら時間となりましたので”と終わる。むしろ、その後の主人公の物語こそがメインのストーリーである期待感を持たせながら。

 まさしくこれは講談の特徴であり、落語との差別要素である”物語としての連続性”が効果を挙げている。

「グレーゾーン」はまさに正統な講談の傑作と言えよう。

 

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【書評】サキ傑作選(ハルキ文庫)–鋭すぎる針のような小説群は頭の良い人に余命宣告をされているような気持ちになる

 「サキ傑作選」(ハルキ文庫)を読んだ。以前、岩波文庫の「サキ傑作集」は読んでいたが、あまりダブりはなく、相変わらずの切れ味鋭いブラックな短編小説群であった。

 本書は230ページで25編が収められている。岩波文庫では206ページで21編であり、いわゆるショートショートのようなサイズである。

 内容はどれもブラックであり、残酷な結末も多い。

 ”奇妙な味”の小説の系譜に連なるだけあって、読み終わった後に、若干モヤモヤした余韻が残る。

 しかし、簡潔な文体とスピーディなテンポで残酷な結末でありながら、それもまた一つの真理として許容せざるを得ないような気持ちにもなる。

 例えると、物凄く頭の良い人に余命宣告をされているような気持ちになるのである。

 とはいえ面白いことには変わりない。同様のサイズである新潮文庫の「サキ短編集」と上記2冊の重複は「開いた窓」「話上手」「夕闇」(表題はハルキ文庫のものに拠った)の3編であり、これらはやはり面白い。

 それ以外でも喋る猫をめぐる騒動「トバモリー」や、怪奇小説の名編「スレドニ・ヴァシュター」などすでに評判の高い傑作が揃っている。

 また新潮文庫、岩波文庫に収録されておらず、ハルキ文庫だけで読めるものとして面白かったのは、婦人参政権論者を倫理的に極めてまずい形で皮肉った「祝祭式次第」、ギャンブル狂によるユーモア溢れる「賭け」などがある。

 どれも短編であり、隙間時間に読める。古典扱いされつつも、通俗的ではなく十分読み応えのある小説群である。

 

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立ち飲み屋の自由と、立ち飲みあるある

 立ち飲み屋(角打ち含む)は通常の居酒屋に比べ、利用者にとって時間的・空間的に自由で、開放感がある。

 キャッシュオンの場合、出入りも自由。

 好きな時に酒を飲み、好きな時に帰ることができる。一緒に行った相手の”もう少し”の粘りにも負けにくいし、一杯だけ飲みたい時などに、5分で一杯で終わっても許される。

 また同時に、お通しやチャージなどの余計なシステムがない(ことが多い)のでリーズナブルである。

 では、立ち飲みは安いのか、と言われると決してそうではない。

 単位時間あたりのコストで見れば、決してそうではないのだ。だらだら3時間で3000円飲むより、5分で1000円の方が時間の密度として明らかに贅沢である。

 そしてその選択権は常に自分自身にある。同伴者など他人が決めるものではない。

 自分の意思で自分の時間を贅沢にすることができるか、そうでないかを自由に決定できるのだ。

 これこそが時間的な自由という意味であり、まさに自分にとっての”酒を飲みたい時間”を最大限有効に活用できるのである。

 酒の席は楽しいが、同時に面倒臭い風習も多い。

 特に”飲み会”だ”接待だ”と、余計なお客間の関係性や、居酒屋でのコースと飲み放題の制限など、店側の都合によって縛られる要素も多い。

 コース+飲み放題などでは、料理の到着するタイミングにより、客側の飲みもある程度コントロールされているようなものなので、結局フラストレーションが溜まるのだ(最近、コース料理で、サラダなどの出来合いものが来た後に、メインが来るまでの何もツマミがない時間が結構あり、この間にやることがなくて酒だけ飲んでえらい目にあることが多い)。

 結局店側の都合(客単価を上げたい)と客側の都合(安く美味く飲みたい)がコンフリクト(衝突)している結果、モヤモヤしたものが残るのである。

 また居酒屋の場合、掘りごたつでない座敷の場合、結構疲れることや、密集した時の空間的息苦しさがきついこともある。

 座布団、椅子では、居場所が定まると同時に、それが自分の所有権になってしまう。そうすると席が決まっているようで実はそれに縛られていることになる。宴会の席の移動で、自分の場所を取られたとか、狭いとか、固定されたことによる無駄なストレスが出てくるのである。

 こうした多人数+席固定の方式は、結局かなり無理があるような気もするのである。

 そもそも酒とは、まず第一に自分の娯楽であって、他人が酒を飲んでも自分が酔うわけではない。まさに寅さんの名セリフそのものである。

お前と俺は 別な人間なんだぞ! 早え話がだ! 俺が芋食ってお前の尻から プッと屁がでるか?

男はつらいよ 第一話

 そうした意味で、個人が酒を飲んで楽しむことの理想形が”立ち飲み”という気がする。

 立ち飲みは時間的にも自由であると同時に、空間的にも自由なのである。

 カウンターに場所はあるが、その場所は固定されていない。お客が入ってくればどんどん移動である。あくまで仮なのである。そして、それは不自由ではなく、一種の共同体意識であって、この店全体が自分の領域のような気がしてくるのである。よほど居酒屋より空間的に広い。いわば、皆の共有空間が先にあって、そこに後から酒場が出現したような”自分の”雰囲気になる。

 角打ちなどもそうで、結局酒屋全体が自分の領域に思えてくる。酒屋の冷蔵庫は自分の冷蔵庫みたいな気分で開けるのである。

 店側にとっても、客がピュアな”呑みたい”という欲望を果たすだけなので、長居もしないし、回転率は上がる。

 支払いもお通しもなく、ピュアな費用だけのやり取りで、支払い方式も前払い(キャッシュオン)が多い。

 自分の分は自分で払うので、奢り-奢られの変な人間関係もない。

 この場は”先輩だがら多めに出そう”とか”この間多く出してもらったから少し出さないと”とか”コイツは今日主賓だからゼロで残りで割り勘だと、いくらになるのか・・・”なんて悩みを、酒を飲みながらやりたくないのである。

 そう、良好な立ち飲み屋は経営側とお客側がWin-Winになっているのである。

 そうした形で立ち飲みを愛している私であるが、色々経験した”立ち飲みあるある”を、以下に列記したいと思う。

 参考記事:【オススメ記事】立ち飲み屋ガイド(随時更新中)

 ご査収ください。

◼️あるある-1
 初見の店で、外から、ガラス越しに店内を見て常連ぽいひとたちがワイワイ盛り上がっていると入りにくい(逡巡した後に勇気を出して入ると、実は中から見られていて”アンタさっき覗いていたでしょ”と言われ恥ずかしい思いをする)

◼️あるある-2
 客数のばらつきが多く、結構気を使う(客が自分1人きりだと余計に気を使って、食べたくもない追加発注や店主としたくもない会話をする羽目に。また逆に突然混み始めると、注文しずらい雰囲気に)

◼️あるある-3
 時々メニューにない”おまけ”とか、常連客のお土産が回ってくる(夕食で食べるようなお惣菜をもらえることも。他人の家に来たみたいな気分になる)

◼️あるある- 4
 カウンターで混んでくると、結構姿勢を注意される。背筋を伸ばしていないと怒られる(構造によっては店員さんの動線もあり、詰めろ、とか、背筋を伸ばせ、とか怒られる。それが名物の店もある)

◼️あるある- 5
 後片付けを手伝うシステムがある(常連さんが自然にやっていると、自分もやらなくてはいけないような気持ちになる)

◼️あるある- 6
 ポテサラに外れなし(個人的な感想です)

◼️あるある- 7
 モツ煮込みに外れあり(個人的な感想です)

◼️あるある- 8
 常連さんと話をしているうちに初対面なのに異常に仲良くなり、仲間意識が芽生える。いつの間にか名刺交換やボーリング大会に誘われたりしている(後で後悔する)

◼️あるある- 9
 毎日決まった時間に来ている常連の老人がいる(角打ちでよくある)

◼️あるある- 10
 テレビや雑誌で取材されていて、それが飾ってある

◼️あるある- 11
 意外とキャバクラの同伴出勤に使われている(時間帯もあっているし、リーズナブルだからいいけど、キャバクラ嬢はどう思っているかは謎)

◼️あるある- 12
 女性が店員にいると口説いている酔っ払いの常連がいる(お勘定を見ると”560円”とかで、ある意味スナックよりガールズバーより破格に安いが、流石に引く)

◼️あるある- 13
 焼酎の濃さが一定しておらず、油断してるとお代わり三杯目あたりで致死量クラスの濃い目がくることがある(客の強さを見て、それに合わせて変えてる気がする。ベロベロでも濃い目がくると無条件で嬉しくなるのは酒飲みの性)

◼️あるある- 14
 ひとりで入店してビール2杯頼み、マスターと乾杯する常連がカッコいい(これはなかなかできない)

◼️あるある- 15
 タブレットを見ていたり、文庫本を読んでる1人客がいると、名店の予感が高まる(黙々と自分の世界に入っていることができる店は名店なのである)

◼️あるある- 16
 サワーが薄い店に限ってハイボールが激濃かったりする(アルコールの濃さではなく、色にこだわる店がある。下戸なのだろうか?)

◼️あるある- 17
 自分が注文したメニュー見て別の人が「こっちにも同じのを」と頼むのを見るとちょっと誇らしくなって、うれしい(なんか自分が影響力を行使したような気になる。向こうから”美味かった”というアイコンタクトを受けたりして共同体意識が高まる)

◼️あるある- 18
 上記のような自由さから、意外と客同士の垣根が低く交流しやすい。これは絡まれるネガティブな面と、偶然良い人と出会うポジティブな面がある(これはあまり公にしたくなが、”出会い系居酒屋”という業種があるが、立ち飲みの方が”出会い系”と親和性がある気がする。そうなってほしくはないが)

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立ち飲み屋探訪:関内駅「立ち呑み ななや」4品目チョイスのお通しが意外とおつまみ能力あり

 関内駅から徒歩5分くらいの場所にある「ななや」に入店。以前入ろうとした時には、なぜか立ち飲み屋なのに「コスプレ大会」をやっており流石に入店を躊躇った過去がある。

 今回は異常は無さそう(?)なので入店である。女性2人で切り盛りしている。

    カウンターが伸びている店内。料金は後払いシステムである。


 ホッピーセット400円を注文。中は200円、外は250円であった。ホッピー指数は2.5。

 お通し380円が8点の中から4点チョイスできる。立ち飲みでお通しはあまり無く、若干戸惑うが、到着してみたら結構バラエティに富んだ豪華なプレート。これだけでも結構ツマミになる。

 メニューにおでんがあり、その中から、ちくわぶ、こんにゃく、ソーセージ、大根をチョイス。1つ100円である。

 最後に”おでんの出汁割50円”が目に入ってしまった。赤羽の丸健水産を思い出して、チョイス。仕方ないので(?)熱燗もチョイスである。

ピュアな出汁。これだけでもアテになりそうな濃さ

 さすがに飲みすぎである。

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【書評】ラズウェル細木『酒のほそ道』44巻 松島さんと岩間の関係性と情報量制限

 先日発売のラズウェル細木『酒のほそ道』44巻を読んだ。

 この所のストーリーラインの複雑化で、どうなることかと思いながらも読み進む。

第11話「6月のとうもろこし」

 物語の時間も少しづつ流れ、エビちゃんと諏訪さんは結婚式を挙げ、諏訪さんは退職した模様である。諏訪さんはこんなキャラじゃなかったんだけどなあ。

 このコマから見ると媒酌人は課長夫妻。その様子は非常に満足げであり、何か達成感すら読み取れる(これも伏線であろうか)。

第12話「納豆の糸」

 そして本命?かすみちゃんとの関係に関する諏訪さんの感想。まあ、順当路線ではあるが、今更こんなことを言わせている時点で、この後に何かブチ込んでくる予感を覚えるのは、私の穿ち過ぎであろうか。

第15話「タコばかり(後編)」

 そして最近よく事件が起こる課長、松島さん、岩間の3人飲みの風景で、タコめしが食べたい、とする岩間に対してラストの引きでの松島さんの「タコめし炊ける」発言。これをこの話のラストにするのは、なんか若干不自然であるが、まあこのくらいなら良いか、と安心していたら・・・。

第24話「戻りガツオ」

 今度はカツオの話の際に、どうよ、この課長のド・ストレートなぶっ込み。媒酌人の成功体験を回収してきたのか、ものすごい直截的な発言。これも現代のコンプライアンス的には如何なものかとも思うが、相変わらず話を勧めてくる。

第24話「戻りガツオ」

 そして更に2人を置いて先に立つという、もはや手応えのある見合いの場を設定した仲人気取りである。これだって、嫌な相手と残されたとしたら、ある意味モラハラというか、なんらかのハラスメントに該当しそうである。

 しかし、それを受けた松島さんのメガネはいつも通り逆光で見えず、その表情は読めない。

 も、もどかしい(手ぬぐいを歯で引き裂きながら)。

 やはり、このストーリーラインを進めていく場合、松島さんの本心が相変わらず読めないのが気になる。このあたりの読者への情報制限は、さすがのベテランのテクニック(ちょっと不満)。

 最近はこの会社の人事部目線で見てしまう自分がいるのであった。

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立ち飲み屋探訪:関内駅「かのや商店」独特な雰囲気のマスターの魅力がたまらない

 関内駅から石川町方向、横浜文化体育館やボートピアのある方向へ向かうと、葬儀屋の隣に暗めの店が。

 そう、ここが「かのや商店」である。すでに常連がたむろしている中に入店。

 優しそうなマスターが「先輩、おかえりなさい!何呑みますか?」と聞いてくる。明らかに向こうの方が年上だが、ここはスルーしホッピーセットを注文すると、何故かニヤリ笑い。

 ホッピーセット到着。なるほどの焼酎の量。500円。前払い制である。

 ツマミはおすすめのハムカツ250円を注文。

    ちょっと散らかった感じのハムカツがやってきた。

 周りの常連をよく見ると、キンミヤの一升瓶をボトルキープして、ホッピーを飲んでいる。さすがだ。

 ボートピアが近いからか、店内のテレビはボートレースや地方競馬の中継で固定され、ボートピア終わりの老人が凝視している。

 ホッピーをなんとか飲みきった。冷蔵庫からセルフでハイボールと6Pチーズをもらい、お金を払う。このあたりからマスターの様子がおかしいことに気づく。

 なかなかオーダーを持ってきてくれなかったり、逆にお釣りを多めにくれて「サービスです(ニッコリ)」と言ってみたりするのである。どうやら昨晩朝の4時まで店を開けていたらしく、寝不足でヘロヘロになっている模様。ただ、それを差し引いても面白い。温厚で独特の間があるトーク。雰囲気としてはスリムクラブの真栄田のような感じ。

 前払い制なのにマスターがいつまでも勘定しないので適当に冷蔵庫から飲み食いしている老人たちに突然「お釣り渡しましたっけ?」とマスター。「マスター、まだ俺たち金払ってないよ!いくら?」と老人たち。「まあ適当でいいですよ。1,000円で」というアバウトさ。こちらもだんだん楽しくなる。

 常連たちがそうしているように、片付けも各自で実施する。

 誰かの家に遊びに来たような雰囲気。そして帰るときのマスターの一言「行ってらっしゃい!」

 非常に面白い雰囲気の店である。

 


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立ち飲み屋探訪:横浜駅「横浜商店」満員の喧騒が心地よい人気店

 横浜駅西口から歩いて10分くらいであろうか。駅至近とは言えないが、「横浜商店」は、いつも繁盛している人気店である。



 1Fはカウンターとテーブルがある立ち飲みで、上階は座敷となっている。店はいつも繁盛しているが、カウンターのお客の回転は良いので、なんとか入店である。

 今日は「ハッピーアワー」をやっており、19:00までホッピーも200円。これは良い。

 ホッピー指数は3で、濃いめを頼むと更に濃くなる。基本濃いめ傾向なので、なかなか手強い(笑)。焼酎中はハッピーアワーでは、100円であった。

 本日のおすすめメニューにあった「ネギ塩牛タン焼き」780円。最初のつまみは、ガッツリ行きたい気分であった。ジューシーでうまい。値段的にも2人前くらいを想定しているサイズなのでこれを1人で食べると贅沢感が増す。

 「極上レバー」150円/本をタレで。生にんにくが添えてあるが、これはスルー。なかなかうまい。

 「アンチョビポテト」380円。スパイシーで非常にうまいが、ガッツリ揚げているので物凄く熱い。猫舌には厳しく、食べては口内をドリンクで冷やし、の繰り返しであった。

 そんなこんなでホッピー中を3杯お代わりし、クエン酸サワー299円を2杯お代わりしてベロンベロンとなった。

 店内は常に満員で、常連同士やそうでない人たちがざわざわと喋っている。1人カウンターでいると、こうしたノイズが煩いのかというとそうでもなく、雑踏の喧騒が心地よく聞こえるというのは店の雰囲気によるものであろうか。


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立ち飲み屋探訪:横浜駅「キンパイ酒店」レトロ感漂う伝統ある角打ちは酒飲みマナー教育の場でもあった

 横浜駅東口の崎陽軒本店の隣のビルにある有名角打ち「キンパイ酒店」へ行ってきた。前の店主から代替りして再開された模様。

 重厚なビルに昭和の香りがする看板。

 駅からも近く、角打ちなので軽く1人で一杯という感じで非常に利便性が高い店である。

 店内はカウンターと酒やつまみが入っている冷蔵庫。そしてビールケースなどで形成されたテーブルである。カウンターでは熱燗のワンカップがあったりと色々とバリエーションがある。

 酒屋の業務用冷蔵庫に缶ビールや缶チューハイなどが収納されており、ここでチョイスしたものをレジカウンターでその都度精算する方式。

 ツマミも駄菓子や缶詰だけでなく、冷蔵庫の中に漬物やチーズなどもあり、豊富である。

 角ハイボール濃いめとチーズあられ(80円)でスタート。缶チューハイにチェンジした際に、冷蔵庫の中でらっきょ(100円)をみつけたので追加。らっきょはなかなかうまい。

 店内を見回すと、酒飲みへのマナーの張り紙がレトロ感たっぷりに。退店する際にはゴミをカウンターに戻し、布巾で使ったテーブルを拭くよう指示される。

 レトロな店内に宿る伝統のパワーが、それを素直に傾聴できる雰囲気を作り出している。こうしたスピリッツが店内に溢れ出ており、酒場マナーの教育機関のような店である。

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【書評】ヴァン・ヴォークト「終点:大宇宙!」-溢れ出る過剰なまでの物語性

 行きつけの古本屋に創元推理文庫のヴァン・ヴォークト作品が並んでおり、未読のものをいくつか入手することができた。100円均一であったが、その中でもちょっと高めの値段(といっても420円であるが)がついていたヴァン・ヴォークト「終点:大宇宙!」(翻訳:沼沢洽治)を読了した。

 これもカバー装丁は「武器製造業者」同様、司修のものである。

 原著の初版は1952年で、翻訳者による「訳者あとがき」では本書に収められた「作者のあとがき」の存在について言及されている。

 (前略)「終点:大宇宙!」は数冊あるヴォークト短編集の中でも白眉と称すべき逸品揃いで、作者自身非常に愛着を感じていることは、珍しく「あとがき」を付して刊行していることからおわかりいただけよう。この「あとがき」自体、ヴォークトが自分のSF論(かなりひねった形であるが)を開陳に及んでいる点、資料としても貴重なものと思われる。 「訳者あとがき」p.290

 引用終わり

 ここに収められた短編は、どれもヴォークトによる過剰なまでの物語性の魅力に富んでいる。SFだけでなく、恐怖小説の系譜、推理小説の系譜にも連なる「謎」の呈示とそのゲーム戦略的処理(あくまで処理であって、解決ではないことに注意されたい)が豊富に盛り込まれ、読者を飽きさせない。

 ヴォークトの小説は短編であっても、そこに込められている”材料”がそのサイズに対して豊富で、再読、三読に耐えうる。これは、別にわかりにくいというわけではない。

 しかし、推理小説の読後感のような、一気に全ての謎が明快に説明されてスッキリ、というカタルシスはない。むしろ逆である。

 異星人の侵略に対する1人の子供の戦いを描く「音」では、子供を導き訓練されたプログラムの存在や”音”については明快に描かれることはない。

 記憶を失ったセールスマンがその記憶を取り戻すために時空を超えて冒険する「捜索」では、重要な役割で描かれる”無限に出るインク””無限に出る飲料”や、それを唯一壊すことのできる老人についての背景説明は積極的になされない。

 こうした著者自身ですら消化しきれない(させない)伏線がそのまま呈示されることにより、メインストーリーの陰で進行する何か別の流れが存在しているような状態である。

 読者としては、異国の狭い裏路地を歩んでいるような気分になる。再読の過程で、前回通り過ぎた分岐点に差し掛かり、別の細道の方を注意して眺める。はるか道の向こう側で”何かが起こっていそうな雰囲気”は確かに感じる。しかし目を凝らしてもよく見えないので、やはりモヤモヤ感じを持ちながら、元のメインストーリーとしての道を歩むことになる。

 しかし、そうしたモヤモヤは決して作品の瑕疵ではない。むしろメインストーリーはそれ自体で十分なSFになっているのである。そこに更に加えて過剰な要素があり、いわばコップのふちから、面白さが溢れ出ている状態なのである。 

   センス・オブ・ワンダー的な要素は確かに希釈されてしまうが、これがまさしくヴォークトの個性なのであろう。

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