11月11日(ダークダックス状態だと//月//日)は立飲みの日に思う昨今のアフターコロナ立飲み界隈の状況

 本日11月11日はポッキーの日でもあり、立ち飲みの日でもある。コロナの影響で酒飲み界隈も大きく変化した。昔のように密集するような賑わいはなくなり、立ち飲みであってもディスタンスが必要になっている。

 とはいえ空間的な密はできなくなるであろうが、時間効率的には立ち飲みは良い(時間的には密にはならない)ので、コロナ後も需要自体はあるだろうと思われる。

 とはいえコロナ後のゴタゴタはまだ収束していない。

 人気があったり常連客が付いていれば、行列方式や「会員制」のような形式になってよりクローズドな営業でやっていくこともできる店もあるが、やはり閉店・廃業に至る店もある。

 参考記事:立ち飲み屋探訪:烏丸駅「百」お惣菜100円均一、お酒200円均一の激安でもしっかり飲める京都の良店!そして、立ち飲みにおいても、密集対策などの「新しい行動様式への変容」について考える

 最近の出来事であるが、せっかく良い行きつけの店を見つけていたが、日々訪れるたびに次第にメニューがなくなっていき、補充もされないので気になっていた。

 客もあまりいないので、要するに私がコツコツその店の在庫を処理しているような状態になり、うっすらと不安を感じていた。

 そしてつい先日。店員が客一人状態の私に「別のところに行ってくるので、何かあったら呼んでください」という放置プレイする店まで現れた。

 察するに在庫処分からの店じまいモードによる断末魔のような状態なのであろうが、なかなか切ないものがある。

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【書評】川田利明「開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学」–不器用をブランディングした器用なレスラーの、やはり不器用な生き方に痺れる

 先日読んだ吉田豪のインタビュー集「超人間コク宝」(コアマガジン)で、プロレスラー川田利明との対談を読んだ。

 プロレスラーをセミリタイヤした後、現在成城学園前駅でラーメン屋のような居酒屋のような少々迷走した店を経営していることはネット界隈では知られており、少々偏屈な経営をしていると言われていたのである。

 しかし、このインタビューを読んで少々認識が変わったのである。ものすごく常識人でもあり、プロレスラーには似合わず社会性もあるのであった。

 そこで興味を持って対談の中でも言及されていた著書、川田利明「開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学」(ワニブックス)を購入、読んでみた。

 この本は間違いなく面白く良書である。フリーランスとサラリーマンの対比としても読める。個人事業主のビジネス本としても面白いし、個人営業のラーメン開業の苦労話としても面白い。 

 この本でも言及されているように川田のプロレスラーとしての印象は「不器用」、「無骨」であるが、本人の発言として、それは自分のプロレスラーとしてのブランディングであって実際には「器用」であることが語られる。確かに実際にこうした体験や料理へのこだわりなど、非常に繊細で細かい。

 実際には社交性もあり、かつ、社会性もあるのであろう。私のこれまでの認識も訂正が必要なことがわかり、この本によって川田のイメージは確かに大きく変化したのであった。これは成功であろう。

 また、ネットで言われていたシステムの複雑さ、お客へ要求する張り紙の多さなどは、川田に起因するのではなく、むしろプロレス ファンの無神経さ、もっと言えば幼稚さ、社会性の無さの方に起因することも十分よくわかったのである。

 この認識を理解した上で、読了した後に改めて思うことは、皮肉にも”やはり不器用だ”ということであった。

 プロレスラーがラーメン屋を経営する際に、そのブランドを利用するとしたら、やはりこうした飲食店にとって客単価が低く回転率も悪い”質の悪い客”が押し寄せてくることは、通常の飲食店経営者は理解しているはずである。そうしたことがないように、ある種の「敷居」を設定するのであろう。最初からそうした客は足切りするのである。

 だが川田自身はそうしない。その解決策として過剰なまでの張り紙になるのである。

 プロレスファンにとっては理解できないことであろう。チケットを購入し、CM付きのTV番組を見ていれば応援になったのだ。その意識はラーメン屋になった川田に対してもおそらく全く変化しないのであろう。これはプロレスファンが持つ幼児性であり、この幼児性を理解した上で「切り捨てる」選択をしない、あるいはできない経営者は「不器用」であろう。

 またそんな低レベルの客を前提とした場合、もうひとつの方法として、料理のこだわりなどを示す必要もなく、名義貸しや料理の質を落とすことも考えられる。しかし、それも川田はせず、ひたすら自分の時間を犠牲にしてラーメンや料理にこだわりを示すのである。

 洗浄などや効率のよい缶ビールや瓶ビールの提供に切り替えることなく、生ビールにこだわるのである。

 まさに「不器用」そのもの。

 本書で、川田に対するこれまでの見方は良い方向に変わったのは間違いない。確かに料理人としても、実際のレスラーとしても「器用」なのである。

 しかし、ブランディングとしての「不器用」と語る川田の生き方そのものは、この本を読むとやはり「不器用」なのだ、と思う。その不器用さには、ブランディングとは異なる説得力がものすごくあり、敬意を評したくなる。

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【書評】平井和正「超革命的中学生集団」50年前のSFスラップスティック小説で、楽屋落ちやギャグ連発でも古びてない凄さ

 先日行きつけの古本屋で見つけた、平井和正「超革命的中学生集団」(角川文庫)を105円で入手。カバーはなかった。前から読みたいと思っていた作品である。

 初出は1970年。もはや50年前の作品。そして内容は、ジュブナイル+スラップスティック小説で、ある意味軽い文体で書かれてギャグ満載なのであるが、不思議と古びていない。

 更に当時のSFファンダム(一の日会)に集うデビュー前の横田順彌や鏡明が実名でメイン登場人物として使われると同時に、SF作家を模したキャラや作者自身も出てくる。

 要するに、物語製作として危険な手法である楽屋落ちまで多用しており、一歩間違えば「オタクの内輪受け」という最悪の事態になってしまう可能性を秘めているのだが、不思議とそれによって質が低下していないのである。

 イラストはウルフガイシリーズで重厚な絵柄を提供する生頼範義で、これも絵柄と相まって面白い。

 まさかの角川映画版「復活の日」のイラストレーターが、性転換したハチャハチャ主人公のイラストを描く羽目になるとは(時間軸が逆だが、この作品的にはあり)。

登場人物紹介が既に笑えてしまう

 軽快な文体、メタ的仕掛け、オノマトペ(擬音)だけで1ページ続く戦闘シーン、ラストにおける小説自体の解体的仕掛けなど、平井和正の先駆性がこれでもか、と出てきて非常に面白い小説であった。

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【書評】山田正紀「チョウたちの時間」–文学的・哲学的・科学的に重厚なテーマ《時間》を語りつくす、SFの力強さを感じる傑作!

  山田正紀「チョウたちの時間」を読んだ。 初出は1979年。これは角川文庫の1980年の初版。装頓は横尾和則である。

 山田正紀のSFの真骨頂であり、「時間」という重厚なテーマに対して、”表現できないものを表現する”というSF的問題意識を駆使して、これを真正面から捉えたものとなっている。

 人類がより高度な知性として成長・進化するために、「時間」意識を拡張する勢力とそれを妨害する勢力の戦いを描く。

 我々の歴史が”可能性としての未来”に対して進歩していくことができるのか、どこかの地点までで限界に到達し衰退するしかないのか、とした小松左京が有していた人類の歴史に対する問題意識を正統に継承している。

 また、1941年のニールス・ボーアとヴェルナー・ハイゼンベルグの会談 (ドイツの原爆開発をめぐって、両者の記憶が食い違っている)もある種の重要なファクターとして言及されており、 これは1998年に発表されたマイケル・プレインの戯曲「コペンハーゲン」の主題でもあり、 この問題意識を先取りしているともいえる。

 SF的イメージも多く使用されており、時間を空間的にしか把握できない人類に対して、 時間に対し別の形式で把握をしているであろう「チョウ」を対比させ、人類の進化するイメージとし て与えている。

  一方、人類の知性の進化、さらには時間のより高度な把握を妨げる役割を与えられた「 敵」には コウモリのようなイメージが与えられ、さらには「ファウスト」のメフィストフェレスそのものとしても言及され、ラストに至る直前の対決シーンでは天使と悪魔による最終戦争、黙示録的な荘厳なイメージを提示している。

 こうした「時間」に対する人間の把握、そして、人類の進化、歴史的問題意識(可能性としての未来)というSFの王道ともいえるテーマである。山田正紀の凄いところは、更にもう一段深みを持たせるべく「知識欲」「知性の目的」を重要キーワードとして記述する。

 これは古典としては前述の「ファウスト」、同時代的には諸星大二郎「孔子暗黒伝」で示された「知識への絶え間なき欲望、饕餮(とうてつ)」としてもテーマ化されている普遍的な文学的課題であるともいえる。

 まだまだそれだけではない。

 ブラックホール生命体、反物質宇宙の生命体など、想像力の限界に迫るようなアイディアがこれでもか、と詰め込まれ、ラストには、もはや読者の想像力と知性自体が試されるかのような「難解な」それでいて荘厳な美しいクライマックスに至 る。

 こうした、文学的・哲学的・科学的に重厚なテーマを語りつくす、 SFの力強さを感じる非常に素晴らしい作品である。

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【書評】山田正紀「氷雨」–どうしようもない”孤独感”が際立つサスペンス

 山田正紀「氷雨」(ハルキ文庫)を読んだ。

 ミステリ形式であるが、むしろ挫折した男が孤立無援の逆境の中で、ひき逃げにより交通事故死した前の妻子の死因の謎を解き明かしていく疾走感のあるサスペンスである。

 とにかくこの主人公は、負債を抱えて会社を潰し、借金取り立てから切り離すために妻子と離婚し、たった一人である。そして彼を取り巻く周囲も、彼に協力的ではない。むしろあらゆる手段で彼を”潰し”にかかる。

 暴力的な金融の取り立て役、乗車拒否するタクシー運転手、腐敗した警察官、生命保険を目当てに群がるブローカー、非協力的な妻の妹夫婦など、個性的なキャラも多数出てきて、それぞれがある一面では取引により協力するが、決して主人公と融和することはない。

 読者は、この逆境につぐ逆境の中で、ミステリーとして主人公を救済するであろう”探偵役”の登場を期待しながら、常に裏切られるのである。

 そう、結局のところ、主人公が徒手空拳で孤立して謎を探る以外の方法がないのである。

 この小説は、謎解きの要素も含みつつ、こうした周囲から孤立してなお、その事実を前提として生きていくしかない個人の生き様を強く示唆するようなイメージが横溢しており、どうしようもない孤独感がそのテーマとして横たわっているように思える。

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ご飯の代わりに豆腐ならダイエット中でもいけるのか?すき家の「牛丼ライト」を食べてみた

 ダイエットを開始して1年、そこそこの成果は出たが相変わらず「日常の食事をどうすべきか問題」が解決していない。リバウンドの恐怖と戦いながら、食べたいものを「微妙に」我慢しているのである。

 牛丼屋の前を通る度にヨダレが出るが、炭水化物の塊、というイメージを植えつけてしまったのでどうしても利用できない。かつてはカレギュウ大盛りを毎朝の朝食にしていたのに。

 そんな日々。すき家のメニューに「牛丼ライト」なるものがあることを聞きつけ早速行ってみた。

 ご飯の代わりに豆腐を使うというもの。なるほど松屋の定食でもご飯を湯豆腐に変えるというパターンもある。

 今回は、牛丼ライトのお肉大盛りに、豚汁をつけてみた。カロリーは515kcal+157kcalと、まあまああるが、低糖質なのは間違いないはず。

 食べてみた感想は、肉はまさに牛丼のアタマであるが、トータルで少々微妙。

 上図にあるように3層構造になっている。最上位の肉は申し分ないのだが、その下層にあるサラダと豆腐が冷たい状態(これはデフォ)で、かつ、豆腐にポン酢がかかっている。この組合せとしては悪くないはずなのだが、なんか牛丼を食べた感がないのだ。これならいっそ”ひき割り納豆”とかと一緒に食べた方が、もう少し「牛丼感」が出るような気がする。

 まあ、ただ美味いは美味いので、贅沢を言っても仕方がない。わかってはいるのだが、やはり牛丼の持つガッツリ感は、なかなかダイエッターには手の届かない遠いところにあることを改めて実感させられたのであった。

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【ラーメン】本厚木駅「壱八家」の赤味噌ラーメンがコッテリで激ウマ

 今から10年くらい前に茅ヶ崎近辺に在住していた頃は、飲み屋に行くのは、平塚駅周辺か本厚木駅周辺が多かった。本厚木の場合、締めのラーメンは「当たり矢」かこの「壱八家」が多かった。

 しばらく行っておらず、久々に行こうかとしたら店舗が移転しており、南口から北口になっていた。とはいえ駅からは相変わらず近い。

 ここでのお気に入りはコッテリとした「赤味噌ラーメン」である。濃厚な赤味噌と豚骨風味のスープがたまらないのである。で、早速「赤味噌ラーメン」860円に中盛り100円を追加で。

 いわゆる「家系」の見てくれであるが、この赤味噌が効いているのである。

 味も納得。懐かしい旨さである。麺も太麺でスープに良くからむ。

 10年ぶりくらいの「赤味噌ラーメン」を堪能したのであった。

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革命的に激甘な”焼き芋”「紅天使」(ポテトかいつか)が激ウマで脳内ポテト革命!

 先日実家で焼き芋にこだわりのある老父が興奮気味に勧めてきた冷凍焼き芋がある。冷凍でもらって冷凍庫に保管しておいたら、その後も何度も電話で「食べたか」「食べたか」とうるさい。

 80歳近いので、いよいよ〇〇てきた(自主規制)のかと焦ってきた。

 しかしある日、その焼き芋をレンジでチンして食べようとすると、驚いた。異常な蜜と、焼き芋なのにスイートポテト以上の旨さ。そしてとんでもない甘み。

 なるほど、これは感想を前のめりに求めてくるだけのものはあるのである。

 調べると、これは茨城産の「紅天使」(ポテトかいつか)という品種で、冷凍法に秘密があるらしい。

 紅天使の冷凍焼き芋を別ルートでもなんとか入手(上記のオンラインショップで頼めばよかったが)。そして到着である。

 冷凍状態であるが、レンジでは1分程度加熱すると焼き芋、そのままだとアイス、そして半生でもうまい、と書いてある。

 アイスで食べてみるとさすが、焼き芋のくせにそこらのアイス並の甘さである。加熱してみると蜜がすごい。

 「ハンチョウ」ではないが、脳内でポテト革命が起こってしまったのである。さすが茨城、あなどれない。

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茅ヶ崎のお土産といえば「えぼし」の「かぼちゃプリン」。そして茅ヶ崎駅前にかつてあった居酒屋”赤い魚”の思い出

 茅ヶ崎にもかつて住んでいたことがある。

 8年間くらいであろうか。そういえば東日本大震災の時も、茅ヶ崎に住んでいたし、町内会のお祭り関係で有名な「浜降祭」の準備(というか完全な下働き)で死ぬ思いをしたのも今では良い思い出である。

 やはり湘南地方、温暖なのでのんびりした雰囲気があったような気がする。

 その頃、甘いものといえば「えぼし」の「かぼちゃプリン」であった。魚料理で有名な地元居酒屋「えぼし」が作る、このスイーツが激ウマだったのである。

 「えぼし」店舗自体は少し茅ヶ崎駅から距離がある。ただ駅ビル内にも販売専門の店舗があり、お惣菜とかスイーツは買うことができた。

 ただ、私が在住していた頃には、茅ヶ崎駅の南口に「えぼし」グループの「赤い魚」という大きめの居酒屋があり、ここが魚料理が美味く、ここで飲んで帰りにお土産で「かぼちゃプリン」を購入して帰るのが、家庭サービス込みで常道であったのだ。

 時は流れ「赤い魚」も閉店し、私も茅ヶ崎から引っ越してしまった。そんな折り、茅ヶ崎へ訪問した人から、思いがけず「かぼちゃプリン」をいただいた。

 久々にいただく。

 半分まで食べたところ。コッテリとした生クリームが効いたかぼちゃの味と、カラメルで非常に濃厚であ理、一人で全部食べるのは無理っぽい(笑)。

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自然発酵1%以下シリーズの第三弾–リンゴとパインを潰してみた

 これまでブドウとキウイで実験を行なってきた自然発酵。糖分が自然酵母の力によってアルコールと二酸化炭素に変換される現象である。

 酵母業界では発酵力がすごいと言われているリンゴ、そしてパインを試してみた。結論から言うと発酵の活発さはパイン>リンゴであった。

 まずはリンゴ。ちょうど小さめのサイズのものが売っていた。

 皮ごと切って潰し機(買ってみた)で潰す。リンゴはやはり硬くて手では無理である。また皮にワックス状の脂っぽいものがあり、これが気になったので良く洗ってみた。

 ビンに皮ごと詰めてみる。2日後にはブクブクと泡が出てくる。

 果肉部分を濾して果汁を取り出すのが結構難しい。やはりすりおろして布で越すべきであったか。少し濁り(澱)が多い感じであった。なので収率はイマイチ。

 飲んだ感想は、キウイほどではないが甘酸っぱい感じ。まあまあ。

 続いてはパイン。スーパーで198円で売っていたフィリピン産。

 食べるわけではないので皮も少し残ることも気にせずカット、これは手でも潰せる。

 パインは果汁が多く、うまくいきそう。葉っぱや皮も入れて自然酵母に期待する。すぐにブクブクと泡が出て発酵が進行。放置1週間で完全に発酵終了。ちなみに右側のビンは内容物を入れすぎて粕帽現象により、液が溢れてしまった。

 果肉から果汁を絞るのは比較的やりやすく、ブドウに続く作りやすさであった。

 パイン2個で約1Lの液体が採取できた。収率も良い。

 味はというと、キウイと同様酸味があり美味い。やはり南国系のフルーツは発酵に向いているのだろうか。

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