町田市立自由民権資料館「町田の民権家たち」を見て、明治初期の日本人の、同調圧力に負けないエネルギーに感服する

 マイナーな(失礼)地元の資料館「町田市立自由民権資料館」の企画展「町田の民権家たち」展示を見てきた。

 入場無料で、あまり期待はしていなかったが、なかなか面白い展示であった。

 三多摩地区出身でもあり、小学校の授業などで地元の歴史学習として自由民権運動の情報はそこそこあったのだが、改めて明治初期の日本人の「熱気」を感じることができたのである。

 明治維新後の、政治体制としての近代国家に変化、それと同期して経済システムとしては資本主義への変化が行われていく状況下で、社会変革のために当時の日本人は極めて熱い情熱で議論を闘わしている。

 この展示でもあったように、建白書を作り、同志を集め結社・政党・メディアを作り、演説会を開き意見を表明する。そして、過激な場合によっては社会騒乱事件なども起こす。

 時代の大きな構造変化に対する民衆のエネルギーの発現といえば、それまでなのだが、一応豊かになった現代の我々の中に存在する集団同調圧力とは異なり、一人一人が明確に「意見」を述べている。むしろこの時代の日本人の方がシャイではないように思える。

 もちろんこうした人物たちが資本力のあった一部の比較的高い階層を中心としていたことも事実であろうが、それでもなお、現代の我々が実名で明示的に、同調圧力に屈せず意見を表明することに大きな抵抗があることを考えると、複雑な思いをもつ。

(おまけ)関連人物として北村透谷の展示もあり、古本界隈での掘出もの事件の代表例として有名な「楚囚之詩」の複製が展示されていた。

 「楚囚之詩」は日本に4冊しかない、と言われていた希覯本(紀田順一郎「古書街を歩く」p.58)である。紀田によれば、1967年の古書即売会で80万円という値がついたという高価本でもある。

 複製といってもこの提示物は、北村透谷が町田市の友人(八木虎之助)に謹呈したもので、表紙に北村透谷の自筆の「呈進」が記載されているというもの。展示は複製であろうが、自筆の追記があるのはまさしく原本が存在するのであろう。

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【ブックセンターいとう】30年前の多摩ニュータウンにあった超大型古書店の思い出【博蝶堂】

 あれは1980年代前半から1990年代前半。

 まだバブルが弾けていない、古き良き時代のことであったと記憶している。

  多摩ニュータウン近郊に出現した「超大型古書店」の思い出について語ってみたい。

 これはBOOKOFFのようないわゆる「新古書店」とは異なる。

 既存の町の古本屋の倉庫を、そのまま深夜営業の大型店舗にしたようなカオス感というかアナーキー感が漂う非常に面白い店であったのである。

 特徴としては、

 ・郊外にプレハブ倉庫のような超大型店舗(場合によっては2階建てもあり)

 ・深夜営業(おそらく大学生向け)

 ・本棚が異常に多い

 ・同じ本を多数置くことも許容

 ・大学の指定教科書の販売が多い(多摩ニュータウンの特徴)

 ・雑誌もバックナンバー含めとにかく多数置く

 ・今でこそ「あり」だが、立ち読み自由

 といった形で、とにかく物量が異常に多かったのである。

 おそらく多摩ニュータウンの立地(土地があり、大学生が多い)に適していた形態だったのであろう。

 また、BOOKOFFのような、本にスーパーのようなシール値札をつけるようなことはせず、 古書店らしく裏に鉛筆で値段を記載していた(当時のこと。現在は不明)。

 しかし、その後BOOKOFFなどの新古書店の台頭により、この店舗形態は駆逐され、それと同質化していった。

 そして現在のBOOKOFF的な新古書店ビジネスの停滞とともに、いっしょに駆逐されようとしている。

 代表的な店舗としては

 ・ブックセンターいとう

  ・ブックスーパーいとう(上記の”センター”と兄弟店舗らしく、のちに統合)

 ・博蝶堂

 などがあった。

 特に「ブックセンターいとう」の本店(東中野本店)は野猿街道沿いにあり、その2階建てで極めて巨大な店舗には度肝を抜かれ、圧倒された。まさに今でこそ当たり前の”せどり”の宝庫のような感じであったが、意外にも値付けは正確であったように記憶している。

 周辺の中央大・明星大などの大学指定の教科書などが大量にリサイクルされるようで、結構理工学系の書籍もあり、理工系の学生にとっては助かった。

 学生時代の私は50ccバイクに乗って、深夜の時間潰しもかねて良く寄っていた。いくら時 間があっても見尽くせない物量であり、心ときめいたのである。

 この店は今も同じ場所に店を構えているが、BOOKOFFに近い形態になってしまっており、当時の面影はない。

 博蝶堂も野猿街道沿いにあった店舗であり、既に閉店している。

 形態はさらに”古本屋の倉庫”に近い形態になっており、高い天井まで届く本棚には黄ばんだ年季の入った古い本が大量に並んでいて、カオスに加えエキゾチックな雰囲気があった。誰が買うの?と思われるような本が、多くあったのだ。

 ここで今や完全に忘れられている(?)城戸禮(きどれい)の三四郎シリーズ(春陽堂文庫)を1冊50円で大量に購入したが、その後の扱い(処分)に困ったのも良い思い出である。当時の私のつたない”せどり能力”では、これを掴むには時代が早すぎるのを感知できなかったのである。

 河出書房の<現代の科学>シリーズも、大量にかつ安価(300円均一)で販売されていた。これは今でも入門書としての価値があり、助かっている。

1冊300円で購入した河出書房の<現代の科学>シリーズ

 2019年5月、町田にあった大型古書店「高原書店」の倒産、閉店がちょっとしたニュースとなった。

 ここが今私の生活圏の中で、最後の”超大型古書店”であった。

 予備校を改造した店舗で、4F建てにぎっしりと書籍があり、学術書、児童書、漫画、SFなどジャンルは多岐にわたり、セール本から高価本まで値付けも確かであった。

 四国にあったという倉庫の100万冊とも言われる膨大な書籍の行方はどうなってしまうのだろうか。再び古本市場に流れて、我々の目に留まれば良いが。

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【書評】ヴァン・ヴォークト「武器製造業者」ー70年前の古典でありながら歴史・ファンタジー・恋愛・SF全てが凝縮

 最近新版が出版された、ヴァン・ヴォークト「武器製造業者」(創元推理文庫)の旧版を読んだ。

 原著の出版は1947年ということで、第二次世界大戦終了後2年しか経っていない。既に70年経過しているSF古典であるが、これがなんとも面白くて一気読みである。

 SFとしての科学的ガジェット(様々な武器や恒星間航行エンジン)は、当然それ自体若干の陳腐化(といっても70年前なのだから当たり前)が進んでいたり、ご都合主義の部分も目につくのだが、それを無視してお釣りが来るくらい”現代性”があるのである。

 一つは、主人公に「不死」という設定を与え、その使命と役割に歴史的・政治的なミステリー要素を与えたこと。これは「ポーの一族」のような、”不死という本質的に孤独な宿命”が持つ感傷を生み出す。またそれは小説上のツールとして様々な味付けにも使え、この小説構造に重層的なイメージを与えている(はるか昔に自分が仕掛けた道具によって危機を回避するシーンなど)。

 更には、この物語のラストにピークを迎える、人類が持つ科学的機械論では還元できない特殊な”思い”を、読者は客観的な視点で体験できることになる。まさにこれらはSFの持つ文学性であろう。 

 もう一つの”現代性”は、生存戦略ゲームの側面を指摘しておきたい。2つの相反する組織どちらからも命を狙われる(最後にはもう1つの”組織”からも狙われる)主人公は、様々な論理的・戦略的思考によって、その危機を回避する。まるで「カイジ」などで描かれる戦略的ゲームを見ているかのようである。

 そもそもこの小説の舞台設定、自衛のための武器というアイディアによる2つの独立した組織による均衡という姿自身が、近代文明の持続的成長に対する一つの戦略的回答とも言えるのである。

 こうした意味でSF文学としての「文明批評」、ファンタジー文学としての「不死」、そこから付随する「政治」および「歴史」。更にはミステリー要素があり、なんと実は恋愛要素まであるという、恐ろしく凝縮度の高いSF古典なのである。

 

 古書店で購入した1967年初版、1980年16版の創元推理文庫。装丁はなんと司修である。司修は1936年生まれなので31歳の作品であろうか。

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電通大附属図書館の古本市で理系×古本にときめく

2018年1月25日(木)から27日(土)まで、調布市にある電気通信大学の附属図書館で蔵書の放出、古本市を開催する情報を入手した。平日は厳しいが、土曜日の27日に行ってみることに。

web情報によれば「除籍図書(各分野の参考図書・理工系専門書・一般図書等)、約9,700冊を販売します」「1冊100円」ということで非常に気になる。

エンジニアはおしなべて、あまり技術書、特に古い技術書を活用しない傾向にあるが、私は昔の技術書、ハンドブック、便覧を集めるのが好きなので、まさに絶好の機会なのである。

技術系の古本というものは、情報が時代遅れであると思いがちであるが、実はそうではない。

もちろん例えばコンピュータ関連などは技術のアップデートが激しいのは確かだが、科学革命のような教科書を書き換えるような大事件が頻繁に起こっている訳ではなく、既にある程度の部分が確立されており、基本情報の信頼性にはほとんど問題ないことが多いのだ。

そもそも量子力学への科学革命の後も、古典力学は一定の範囲で有効であり、むしろ機械系エンジニアにとっては現在でも古典力学の範囲で仕事をしているであろう。

更にエンジニア視点から考えてみると、現状のコンピュータシミュレーション前提で、装置のエンジニアリングの基礎である、化工計算や構造計算などについては、実は昔の本の方が記述が優れていることが多いのである。

つまり、一昔前のエンジニアは、現状のように計算資源にモノを言わせて厳密モデル、大規模モデルでゴリゴリ計算することができない代わりに、モデル化、単純化して簡易計算をする工夫が優れている。

これは実はエンジニアリングの基礎部分の実力形成にものすごい差を生み出すと思う。

現在であればFOAの考え方のように、設計にあたり物理現象を短時間に、第一次近似的に早期に捉える手法が実は求められているし、計算工学の落とし穴になっていると思う。

まあ、そんな個人的な思いもあり、科学技術系古本には魅力があるのである。

電通大は、調布駅から徒歩10分くらいの好立地にある。大学構内には特にチェックもなく入れる。場所を尋ねると、警備員さんが親切に地図で教えてくれた。

この世知辛い世の中に、まだ大学の自治があるようで、何かリラックスできる。

建物の一角に古本市が開催されている。

会場の風景。古本市のセオリーは主催者側が守っているらしく、最終日の3日目昼であるが、順次図書が並べられているようで、在庫はまだ充分あるようだ。

古本市の独特な、他人を出し抜いてお宝ゲットを狙う感じの雰囲気が参加者からビンビン感じる。私も久々のハンター気分で物色である。

さすが電通大、工学系の図書は洋書を中心に多めである。それ以外にも哲学、文学系の図書もあった。

1冊100円とはいえ、ハンドブック系はとにかく1冊が大きく、重いため非常に荷物がかさばる。5冊も買うとリュックが行商人並みの膨れ具合になり、肩にズッシリと重みがかかる。

今回の戦利品の一部である「無線工学ハンドブック」。公式集や回路図、更には巻末にレトロな広告まで沢山あって良い。

またハンドブック系は技術の上位概念や体系を理解するのに非常に有用なのである。

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【炭鉱労働】あまりにも過酷な労働と記憶の遺産【書評】

   以前の記事:【炭鉱労働】上野英信と山本作兵衛を読んでブラック労働を考える【書評】

   に引き続き、

・真尾悦子『地底の青春 女あと山の記』(ちくまブックス)

・鎌田慧『去るも地獄残るも地獄 三池炭鉱労働者の20年』(ちくまブックス)

   を読んだ。

   日本の近代化を進めるにあたり、明治から昭和30年代まで、当時のエネルギー戦略によって振り回されつつも、炭鉱という産業が存在し、その現場に過酷な労働が存在したことは歴史的事実として確かなことである。

   そしてその過酷な労働自体は、自動化や機械化などの手段で解消されることなく、全く別の論理である”石油への転換”という「エネルギー政策」の帰結によって産業自体が消滅することで労働自体が消滅するという皮肉な運命を辿った。

   炭鉱には大企業が経営する大ヤマ、そして中小企業が経営する中ヤマ、小ヤマ、そして個人経営レベルの”ムジナ掘り””狸掘り”と呼ばれる半ば非合法な零細規模のものまで、広く存在した。

   過酷であったその炭鉱労働の法的規制とその運用はどうなっていたのだろうか。

   「鉱夫労役扶助規則」の昭和3年の改正で、原則として女子の坑内労働を禁止している。

   しかし実態は中小ヤマではそうではなかったようだ。更に戦争に入るとなし崩しになっていく。

本規則(「鉱夫労役扶助規則」引用者注)の改正が1928(昭和3)年になされ、原則として女子の坑内労働を禁止したが、実施が迫って、中小炭坑の鉱業権者から坑内労働禁止が実施されれば経営不可能に陥ると泣き言が入り、結局は省令で女子の坑内労働禁止の特例を認めた。さらに 1939(昭和14)年の戦時下には、労働力不足を補うため25歳以上の女子(妊娠中の女性除く)の坑内就業を解禁し、1943(昭和18)年にはさらにそれを20歳以上の女子にまで拡大した 。

奥貫 妃文「近現代日本の鉱山労働と労働法制 ~三重・紀州鉱山の足跡~」相模女子大学紀要. C, 社会系 77, 107-121, 2013

引用終わり

   昭和22年に制定された労働基準法で、改めて女性の坑内労働は禁止される。

   しかしながら、中小ヤマそして狸掘りのような規制から外れたところでは、依然として女性の炭鉱労働は存在したという。

   真尾の著書には炭鉱労働に仕事を求めて、戦後も昭和32年まで「あと山(掘られた石炭を坑外へ運び出す役割)」で働いた女性の証言がある。

 これ以外にも、同様の証言(【書評】田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」(築地書店)–明治、大正生まれの女性たちが生きた過酷な炭坑労働の聞き書き)もいくつか見かける。

   坑内は高温、高湿度の暗黒閉鎖空間であり、そこに居るだけでも過酷な労働環境である。その状況を、真尾の著書は、マキさんという女性の思い出話として記述する。少し長くなるが引用する。

先山が切り出した石炭を、女あと山が、合砂(かつつあ)という、草けずりに似た道具で搔き寄せ、スコップでタンガラに入れる。

それは、直径五、六〇センチ、高さ七、八〇センチ、くち回りと縦骨にほそい木の枝を用い、針金で荒く編んだ背負いカゴである。

あと山たちは、豊満な乳房を丸出しにして、三〇センチ幅くらいの腰巻きと、その下に黒いパンツをつけている。稀に、一糸まとわぬ裸形の女もいた。

タンガラに石炭がいっぱいになると、素早く背負ってトロッコへ運ぶ。ダァーッと石炭を開けるが早いか、脇目も振らずにタ、タ、タ、と切羽へ戻っていく。

マキさんは、その女たちと目を合わせるのがこわかった。何ものをも寄せ付けない、憎悪とも憤怒ともつかぬ表情なのである。きッ、と目尻を吊り上げ、犬のように舌を出して、ハア、ハア、と荒く喘いでいる。やや前かがみに通り過ぎる彼女らは全身汗にまみれていた。

切羽の近くでは、天磐からしたたり落ちる水滴が、肩に当たると熱かった。湯なのである。

(真尾悦子『地底の青春 女あと山の記』p.61-62)

引用終わり

   女性は坑内から外へ出れば酒を飲み始める男性と違い、外に出ても掃除、洗濯、育児、炊事があった。妊娠、出産を控えても仕事はやめられない。陣痛が来るまで中で仕事をしているのである。「あと山たちは、臨月でも六〇キログラム余の石炭を背負い、トロッコを押した」(真尾p.118)。

   マキさんの娘千恵子さんもまた若くして炭鉱労働を始める。千恵子さんの時代の炭鉱産業は、いわゆるスクラップ・アンド・ビルドの時代であり、もはや産業が崩壊寸前のころである。彼女はこんな言葉を語っている。

「何度も言うようだけンど、俺は仕事つらいなンと思わねかった。ひもじい思いも、いやっつうほど知ってるし、ラクでカネ取れねえことくらい分かるもん。ほんとうに食えねえ人間は、何仕事でも、カネンなるところさえありゃ、文句なンと言ってらンねんでねえけ。安いとか、仕事きついとかってブツクサ言ってたら糊も舐めらンね。アタマ張っつられたって何したって、おいら、モグリだっぺ。それしか道がねっか、仕様あンめ。まず、食わねか始まんねもんな。スト、なんつうのは、あした食う米ある人でなきゃやってらンねえと思うんだよ。こんな考え、いまどきおかしかっぺか」(真尾 p.204)

引用終わり

   発言自体の問題意識についての是非は別にして、産業の底辺かつ末端であり、法すら及ばないリアルな、そして遠くない過去の日本の生活の中で、こうした「労働者の想い」があったと言うことだけはたしかな事実であると思う。

   その一方で、大ヤマと呼ばれた大企業の炭鉱はこうした状況とは異なっていたのであろうか。恵まれていたのだろうか。

   決してそんなことは無かったのである。

   鎌田の著書では、三井三池三川炭鉱の炭塵爆発事故を中心とした炭鉱労働者の悲劇が語られている。

wikipedia(三井三池三川炭鉱炭塵爆発)より引用する。

三井三池三川炭鉱炭塵爆発(みついみいけみかわたんこうたんじんばくはつ)は、1963年(昭和38年)11月9日に、福岡県大牟田市三川町の三井三池炭鉱三川坑で発生した炭塵による粉塵爆発事故である。

死者458名、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839名を出したこの事故は、戦後最悪の炭鉱事故・労災事故と言われている

引用終わり

   三井財閥では、不足する炭鉱労働者を集めるために、離島などから集団移住者を大規模に行ってきた。三池炭鉱には与論島からの移住者が多かった。彼らもまた運命に翻弄されていく。ここでも与論島移住者の差別があったという(鎌田 p.73)。また明治の頃は囚人を炭鉱労働に使役していたという(鎌田 p.89)。

   こうした労務政策はやはり徹底しており、大企業であるがゆえに、その手段は過酷かつシステマチックであったと言える。組合の分裂による人々の人間関係をも引き裂くような例や、こうした事故の対応を巡る会社との裁判なども、労働者の生活に重くのしかかった。

   この炭塵爆発事故では、仲間を救出に入った労働者が、内部で発生した一酸化炭素による中毒にかかり、重い後遺症を受けて長く補償も受けられず苦しむ姿が描かれる。その裁判の行方も、極めて長い時間をかけて行われている(1998年に最高裁で確定。実に35年かかっている)。

   こうした規模こそ違え、国家のエネルギー政策から産まれる産業、そして産業に伴う経済の流れ、それらに多く依存する生活環境のもとで、炭鉱労働者(だけではないが)は翻弄され、繰り返すが、最終的には産業自体が消滅してしまうのである。

  こうしたあまりにも過酷な「労働」とその運命の中で、彼らが何を考え、何を想っていたかということは、確実に我々が留めて置くべき「記憶の遺産」といえるものだと思う。

   そして「労働」という行為そのものについても、どうあるべきかを再度問い直す必要があろう。

関連記事:シベリア抑留と強制労働

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【ブックガイド】説教臭くない稀有な酒飲み本・マンガを探せ!

酒と読書(マンガ含む)はあまり相性が良くない気がする。

飲酒は酩酊的であり、思考を分裂される方向に作用するが、読書は理性的であり、思考を統制・集中する方向に作用するからであろうか。

読書はどちらかというとコーヒーなどが合うと思う。

古本屋とコーヒーは相性が良い。そうした本も出ているくらいだ。

・『東京古本とコーヒー巡り(散歩の達人ブックス)』

私自身も、古本屋帰りの喫茶店というと、神田神保町の「さぼうる」であるとか、新宿の「談話室滝沢」(閉店)などが思い出される。

要するに、コーヒーすなわちカフェインであって、思考を集中させる方向に作用するので、読書にとって相乗効果があるということであろうか。

しかし、いわゆるアッパーとダウナーというドラッグ用語で言えば(なんでそっちの方向に行くのかな)、アルコールはダウナーであり、カフェインはアッパーである。

読書にはアッパー系が良いということになる。

しかしながら(まだ語る)、敢えてアッパーとダウナーをブレンドし、効果を拮抗させる”スピードボール”という方向性もある。

最近問題になっているチューハイのエナジードリンク割などはその例だ。

とは言え、個人的にはアルコールを飲みながらの読書は、あまり”面白くない”、と思う。

アルコールに合うのはYouTubeのような映像鑑賞である。同じ視覚情報であっても、読書のそれと映像鑑賞のそれは、脳みその中で、情報の処理方法が異なるのであろう。能動的と受動的といった違いであるとか。

……今回はそんなことを言いたかったわけではないのであった。

気を取り直して、アルコール、飲酒に関するマンガや本を紹介してみたい。

▪️酒飲みガイド編

・中島らも『せんべろ探偵が行く』(集英社文庫)

・さくらいよしえ+せんべろ委員会『東京★千円で酔える店』(メディアファクトリー)

・カツヤマケイコ、さくらいよしえ『女2人の東京ワイルド酒場ツアー』(メデイアファクトリー)

せんべろ=1,000円でベロベロに酔える、という意味であるが、味のある酒場、角打ちを紹介している。

中島らも先生の著書は、まさに元祖として他2書でも引用されている、一種の基本文献、原典である。この3冊は非常にオススメであり、繰り返して読める。

▪️酒飲み編

・二ノ宮知子『平成よっぱらい研究所 完全版』(祥伝社)

「のだめカンタービレ」の二ノ宮先生の若い頃の傑作。 ほとんど自分とその周りの酒飲み経験で作られている。ある意味、鋼鉄の肝臓(いわゆる肝臓エリートというやつですな)を持っているが故の大量飲酒エピソードが満載の”良書”(?)である。

・あっきう『あっきうのどこまで呑むの?』(ぶんか社)

女性が描くと普通はオシャレな酒飲みマンガを連想するが、このマンガは一気飲みは出てくるわ、リバースも出てくるわ、訳のわからないストロー飲みは出てくるわ、とにかく良い意味で”下品”な酒飲みマンガである。 そして、以下で紹介する、酒飲みマンガ特有の説教臭さゼロの良書(?)である(ただ近年のアルコールハラスメント的には、完全な焚書レベルであろう)。

・画:叶精作 原作:岡戸隆一『天龍源一郎 酒羅の如く』(白夜書房)

プロレスラー天龍源一郎のインタビューに基づく、プロレスラーの豪快酒エピソードが満載。 面白い。第一話の第一コマがいきなりリバースそのものの絵からスタートだが、叶精作の画力で全く下品さが無くなっている(笑)。第5話のジャイアント馬場のエピソードが良い(ちなみに馬場は飲めるが、全く酔わないので酒は好きではない、というエピソードが残っている)。 天龍の人間力が伝わってくる良作である。

・ラズウェル細木『酒のほそ道』(日本文芸社)

酒をテーマにしただけで既に単行本は45巻(2019年現在)。近年急にヒットしてきて手塚治虫マンガ賞を受賞した。

短編なのでこれは酒を飲みながら読める。個人的には主人公のマナーがあまり良くなく、サラリーマンマンガ的には完全にファンタジーな感じになってきた。

一番気になるのは、この主人公はいい年(30台後半と思われる)をして、上司(といっても課長)と飲むときには”この場は上司が奢るのが当たり前”というスタンスを持っているところである。 そして作品世界の秩序としても、それが正解になっている雰囲気がある。そんな毎回何人もの部下の勘定を奢れるような小遣いもらっているサラリーマンなんて日本に何人もいないと思うんだけど。

主人公は天龍源一郎に一度ビール瓶で頭を殴られると良いのではないか。その意味で、このマンガは完全にちょっと非常識なファンタジーなのである。

・原作:久住昌之、画:魚乃目三太『昼のセント酒』(幻冬社)

名作『孤独のグルメ』の主人公ゴローちゃんは下戸なので、酒を飲むシーンはない。しかし赤羽の名店「まるます家」はある(第4話)。 この店はリアルで行ったことがあり、朝から飲めるとんでもない名店であった。 その久住先生原作の酒+銭湯マンガであるが、内容はイマイチ。これも勤務中にサボって酒を飲むシーンが、リアリティに欠けるのである。 なお、主人公が下戸である『孤独のグルメ』は名作なので、何か酒飲み要素がグルメマンガに含まれると、おかしなノイズが入るのであろうか。

・原作:加藤ジャンプ、画:土山しげる『今夜はコの字で』(集英社)

グルメマンガ界の雄、土山先生の居酒屋マンガである。 実在の酒場をモデルにしている(やはり「まるます屋」は紹介されている)。 酒場紹介としては良いが、これまたマンガ上の解説者=酒飲みグルメの女性の先輩に、若い現代っ子が酒飲み指南されるというファンタジック+説教臭さが入っており、イマイチであった。

・古谷三敏『BARレモンハート』(双葉社)

その意味では、元祖とも言える酒マンガ 古谷三敏『BARレモンハート』(双葉社)は初期は面白かった。 1巻から4巻あたりの、謎のハードボイルドでファンタジーでウンチクでハートウォーミングな内容は、当時革命的であった。長期化するにつれ、古谷三敏の得意のウンチク趣味が出てきてしまい、陳腐化されてきたが、30年前に初めて読んだ時は、非常に衝撃的だったことを思い出す。ちなみにこの本でスピリタス(96度の酒)の存在を知った。

▪️酒飲みの向こう側編

酒飲みマンガが、どうしても上下関係のような説教臭さを物語構成のスタンダードとして持たざるを得ず、そこから逃れることが難しいとすると、酒飲みをさらに拗らせてしまった場合はどうか。

例えば、アル中など。

・吾妻ひでお『失踪日記』『失踪日記2アル中日記』(イースト・プレス)

言わずと知れた名作である。 アル中になる過程、治療のための入院の話が含まれ、ものすごく暗いが、吾妻ひでおのマンガ名人芸の力で全体として明るい名作に仕上がっている。

(帯の位置を戻しておけば良かったがリアリティ追求のためこのままとする)

・まんしゅうきつこ『アル中ワンダーランド』(扶桑社)

絵がメンヘル風味が加わり、結構厳しい内容であるが、全体としては面白い。

・卯月妙子『人間仮免中』『人間仮免中つづき』(イースト・プレス)

アル中ではないが、大量飲酒する場面が結構出てくる。内容は、これまで紹介したどの本よりもとんでもなく深刻(人格障害寸前の重度の精神障害)な中で、恋人ボビーと酒を飲むシーンが、”いい酒を飲んでいる感”が伝わってきて良い。 卯月先生には、これからもマンガを描き続けていって欲しいと思う。

■まとめ

総じて、ブックガイド的なもの、および、酒飲みのその先に行ったものには、説教臭さが皆無であった。 しかし、いわゆる酒飲みグルメマンガには、特有の”説教臭さ”、”上下関係”、”面白くないウンチク”、”世間常識から逸脱した倫理観、それを解決するための非常識なファンタジー感”があり、成功例が極めて少ないことがわかったのであった。

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【書評】倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』ーメディアとしての芸能「講談」の隆盛と衰退の背景(追記あり;再販されました)

倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』(岩波新書)を読んだ。

明治、大正の様々な–既に廃れたものや、今なお形を変えて続いているものもある–芸能が解説されている。時代背景も含め、興味深く読んだ。

例えば「娘義太夫」という三味線の演奏で女性芸人が浄瑠璃を歌う芸能がある(ビートたけしの祖母が娘義太夫の演者だったことでも知られている)。

この娘義太夫は、今でいうアイドルそのもので、人気の出た女義太夫に当時の学生たちが”追っかけ”をするなどして社会問題になったという。

また川上音二郎が流行させたと言われている”オッペケペー節”は今でも音源が残っており、YouTubeでも聴くことができるが、まさしくラップである。

時代は繰り返す、ということで片付けるつもりはない。社会の風景は、その時代の産業および経済環境などによって当然異なっているであろうが、我々の感性の根幹はそれほど変化していないのではないか、ということを言いたいのである。

さて、気になったのはもう一つある。

「講談」という、現代でも残っている芸能がある。

講談は講談師と呼ばれる演者が、壇上で”清水次郎長伝”や”赤穂浪士”などの歴史ものを、わかりやすく読み上げる形式である。

明治時代に文明開化が起こり、講談が急激に伸びた。

この背景として、倉田の著書では、

・文明開化によって急激な情報量の増加と民衆の知識欲が起こった

・新聞が発売されはじめたが、当時の識字率は低く大衆には浸透しなかった

・講談師が今起こっているニュースを口頭で紹介することでそれに応えた

という時代背景があったとする。

つまり、当時の大衆のニーズに講談師はマッチしたのだ。

しかし、倉田の著書では、1875年に185人だった講談師は、1887年に429人でピークを迎え、そこから減少が始まる。これは、義務教育などの教化政策により、大衆の識字率が上がってきたこととリンクするとしている。

1887年には半数以上の割合でいた不就学児童が、1899年には28%にまで低下している。

それに伴って、講談師の必要性(人気)は薄れていくことになる。講談の寄席は少なくなり、新聞、小説にそのニーズを奪われていったのである。

わずか50年、人気のピーク的には20年程度であったことになる。世代で言えば1世代がギリギリだ。

つまり、講談師に憧れてその世界に入って、講談で飯を食い、贅沢に生活できた人間は少なかったであろう。

大衆の知識欲(ニーズ)によって生まれた講談というメディアの隆盛が、識字率の増加により、他のメディアに奪われていったことを示している。それも約50年で。

明治、大正ですらこうした早いサイクルでメディアや芸能が消費されていった(注1)。

翻って現代はどうか。

まさに現代も同様に、IT化の流れの中で様々なニーズが現れ、また消えていこうとしている。例えば、YouTuberやブロガー、SNS、キュレーションメディアなども、後にこうした民衆の歴史の中で振り返ることが行われるであろう。

講談師がそうであったように、芸能だけでなく、人間の生活基盤がそこに依存している場合、こうした隆盛と消費のサイクルを歴史的に見ておくことは、サバイバルの観点からも意味があると思う。

注1 昭和時代では、水木しげるが自伝で触れていた、紙芝居、貸本屋などが同様であろう。

2019.06追記:再販されたらしく、記事が出ていた。

 講談人気受け39年ぶり再版 岩波新書「明治大正の民衆娯楽」

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【炭鉱労働】上野英信と山本作兵衛を読んでブラック労働を考える【書評】

   この記事は、過重労働問題、特に現在日本で直面している労働の課題について相対化する意図はないことを冒頭で記しておきたい。

・上野英信『追われゆく坑夫たち』(岩波新書)
・山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』(講談社+α文庫)

   を読んだ。

   肉体労働の極北とも言える「炭鉱労働」の実態を記録したもので、これが戦後、昭和の時代に日本で起こった現実であることに衝撃を受けた。

◆背景:

・近代化により、エネルギー源として石炭の需要が増加し、明治以降から日本の炭鉱産業の大規模化が始まった。九州や北海道などの800程度の炭鉱が存在し、そこに労働力が集まり始めた

・太平洋戦争後、朝鮮戦争(1950-1953)を背景に日本の炭鉱産業は最後のピークを迎える

・第3次エネルギー革命により石炭から石油への転換が起こった。これは日本では1960年代に当たる。ここから日本の石炭産業は衰退に向かう

参考記事:第三次エネルギー革命 wikipedia

   ここで描かれている”事実”(山本作兵衛は自身が8歳から炭坑労働をしている)は、わずか50年前の日本でありながら、ブラック労働に対する批判的視座のある現代から見ると信じられないようなものばかりである。

◆記載されている炭鉱労働の記録:

・炭鉱労働では労働者が生活全面を資本家に拘束される。前受金のように借金を抱えているケースが多く、経済的に支配されている。日用品なども炭鉱会社経営の店から、そこでしか使えない金券で購入するため、搾取が日常的に行われていた。また生産に必要な、ツルハシ、カンテラ、ダイナマイトなどの経費も全て労働者の負担だった。

・大手炭鉱から中小炭鉱まで階層的となっており、大手炭鉱より中小炭鉱の方が、労働環境も悪い。大手炭鉱では労働組合も(遅まきながら)組織されていたが、中小の炭鉱の組織化は遅れた。労働者は高齢になったり、病気になったり、自身の生産性が落ちていくと、より規模の小さく過酷な労働環境へ流れていく傾向にあった。

・炭鉱労働は、2人組で地中にある石炭の良質層をツルハシで崩し(前山)、それを地上まで運んでいく(後山)。1日1トン程度石炭を産出するノルマがある。狭く(腰を屈めなければダメな場所もある)、暑く(半裸で作業する)、危険な(落盤事故、ガス中毒、水没事故が起こる)労働環境だった。

・女性労働もあった(終戦後に女性の坑内労働は労働基準法の改正で禁止されたが)。夫婦や娘と父親で作業する場合もある。また女性はそれに加えて家庭の仕事もあった。

それにしても一番ひどかったのは、女坑夫であります。坑内に下がれば後山として、短い腰巻き一つになってスラ(掘った石炭を入れる台車;引用者注)を曳いたり、セナを担うたり、命がけの重労働です。まっくろになって家に帰れば、炊事、洗濯、乳飲み子の世話など主婦としての仕事が山ほど待ち構えています。男は昇坑するとすぐに汗と炭塵を洗いおとし、女房のいそがしさをよそに刺青をむきだして上がり酒。昔のヤマの人は誰もそれを当然のこととして怪しまず(略)山本. p.134

・炭鉱の休みは月 1日で、拘束時間は休憩なしで12時間以上になる。上記のノルマを達成するために早朝4時にダイナマイトを持って炭鉱に潜り、爆破している間に地上で食事をとり、再び潜って石炭掘りの作業を行うといった壮絶なエピソードがある(上野. p.118)。

・男性は刺青をしていることが多かったらしい。山本の著書でも多くそのような男性が描かれている。ただし、上野の著書では逆に大手の炭鉱では刺青をしていると採用不可だったらしく、それを隠すエピソードがある(上野.p.116)

・炭鉱労働者には、他の仕事ができないような物理的、心理的バイアスが存在する。上野の著書にも

おれたちのごと、何十年もアナのなかばっかりで働いてきたもんにゃ、地のうえの仕事はでけん。お天道さまがきつくてなあ。もぐらもちとおんなじで、やっぱり地の底がよか上野. p.33

   という聞き取りが収録されている。また、炭鉱労働者に対して、その他職業(農民)からの差別意識もあったようだ(上野. p.168)。

   まさに『カイジ』帝愛地下そのものである。

   こうした悲惨な労働環境にもかかわらず産業としての状況は好転せず、むしろ悪化の一途を辿る。石炭産業は最終的に崩壊し日本の炭鉱はほぼ全て閉山する。一つの産業が消滅に至る全面退潮の中で、彼ら炭鉱労働者は追われていく。

   確かに我々の親の世代、すなわち手の届く記憶の範囲に存在したはずのこれらの事実が、歴史の中で断絶と変転を繰り返した結果として、現実性そのものが希薄化されてしまっているようだ。何かフィクションのような感じすら受けてしまう。

   実際には、形を変えているものの本質として全く同様の労働問題として顕在化し、解決する視座を探しあぐねている混乱状態が、現時点の我々を取り巻く状況であるともいえる。

   これらの著書で大量に記録されている(上野の著書では、当時の岩波書店でもフィクションと思われたほどの)壮絶なエピソードを読んだ率直な第一印象は、”どうしてそんなに過酷な労働をやるのだろうか?他の仕事に変われば良いのに。逃げればいいのに”であった。

   しかし、それは肉体的・精神的全て、全生活そのものを頸木(くびき)に繋がれている労働者にとっては、その問いの意味自体に意味がないことが、次第に理解されてくる。

   単純に、逃げれば良いことはわかっているのである。

肉体的には限界がきている。生活も限界がきている。それでも逃げられないのである。むしろ逃げた結果が、このどん詰まりなのである。生存のどん詰まりで、もはや逃げることもできない、究極の境界がそこにある。我々はそうした状況を他者に対して作り出すことができ、今も作り出している。

   そうした息遣いまで理解できる生活感、リアリティが、これらの著書には詰まっている。

   この労働者の頸木(くびき)は、労働の形は変えても、炭鉱労働の頃から現代でも変わってはいないと思っている。上部構造の部分だからだ。その解放をいかにして達成すべきか、答えは出ていない。

   地の底からの視線はまだ我々を見つめ続けている。

関連記事:【炭鉱労働】あまりにも過酷な労働と記憶の遺産【書評】

参考:山本作兵衛 炭坑記録画 ユネスコ世界遺産登録

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メタ読書、ブッキッシュからビブリオマニアへ至る道

例えば水泳を趣味にしていると、泳ぐことそのものの楽しみに加え、次第に泳ぎ方について興味が湧いてくる。

これは水泳に限らず、趣味一般に言える、方向性なのではないかと思う。

翻って、読書についてはどうか。

面白い本を読むことから、読書それ自体について語ることについても興味が出てくる。いわゆる読書論というジャンルなどがそれに該当する。

ただ流石に、”どうやって読むか”自体は対象になっていない(遠くない過去には、音読から黙読への移行があったし、識字率の問題もあったので、そうしたものもあった。現代であれば、さしずめ速読法とかがそれに該当するのかもしれない)。

私自身は、こうした「本について語る本」「読書について語る本」のジャンルがあまり好きではない。好きではない、というのは嘘なのだが、どうしても好きでない、と言いたくなってしまう。

本は所詮情報であって、と脳みそでは割り切って考えている。つまり、本というのは中身であって、本それ自体について語ることって実は少ないんじゃないのと言いたいのだが、ものすごく気になる。

英語の学習をしている際に、気分転換で”英語の学び方”とか”体験談”の方に夢中になって、本来やるべきことが全然できてない、みたいな後ろめたさがあるのかもしれない。

でも、こうしたジャンルの本については、時々どうしても読みたくなって何回も繰り返して読んでしまう。気持ちは嫌いなのだが、どうしても離れられない、やめられない、だめ、絶対という状態である。この状態は何か他にも例えられそうだが、不穏なので掘り下げるのはやめておく。

こうしたジャンルは小説のように筋があるわけでもなく、要するに単なるエッセイなのだが、時々反復して読みたくなってしまう誘惑に逃れられない。

本棚の手の届くエリアに置かれているものをざっと挙げると、こんな感じ。

・紀田順一郎『古書街を歩く』(新潮選書)
・紀田順一郎『書物との出会い』(玉川選書)
・紀田順一郎『現代読書の技術』(柏選書)
・荒俣宏『稀書自慢 紙の極楽』(中公文庫)
・呉智英『読書家の新技術』(朝日文庫)
・西牟田靖『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)
・井上ひさし『本の枕草紙』(文春文庫)

・・・要するに好きなんですな。

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古本屋巡りは念力とともに(オカルト注意)

週1回”行きつけの”古本屋を巡回することを続けている。

いわゆるブックオフのような大型古書店ではなく、昔ながらのタイプの古本屋で、店の前には「100円均一」の文庫や”茶色くなった”全集本などがワゴンで出されている。

最近はこうした古本屋が減少してきたような気がする。

ブックオフにも100円棚などもあるが、最近は”現代型せどり”(私の造語)というのか、携帯型バーコードリーダーを持ったシステマティックな半分業者みたいな人間が多く、そうした人々はどうしても変な(うまく表現できない)オーラを発しているのか雰囲気が殺伐としてしまうので、好きになれない。

ただこうした古本屋にしても、老人を中心とした唯我独尊タイプの人々が生息しているが、これはもう店と一体化しているような感じで、店の雰囲気としては不調和にはなっていないように思える。

私の古本探索は若干オカルト的で、”念じれば叶う”というもので、常に探書しているリストを頭で強く念じながら、本棚の背表紙を目でスキャンしていく。そうしていくと何かありそうな一角には、”ありそう”な感覚を覚えるようになる。そして”ありそう”な一角を今度はじっくり凝視していると、そこに目指す本が並んでいる・・・

書いていて我ながら気持ち悪くなってきたので、あまり掘り下げないが、先日探していたフィールディング『トム・ジョウンズ』(岩波文庫)1から4巻の美本が一冊100円棚にあったのには痺れた(ただ、この手の本が出るのは別の兆候(新刊が出るとか)もあるのであくまで個人的に嬉しいだけだが)。

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