緊急事態宣言解除したら、さっそく関西出張に。新幹線の乗車率はまだ3割くらい

 緊急事態宣言が解除され、在宅勤務も終了。そして早くも待ち構えていたように関西方面への出張が入った。

 人使いが荒いが、ただアフターコロナで、出張判定も結構シビアになっており、”そこへ行く”必要性を求められている(つまり、この時期にあえて行く理由が必要)。そうした面倒な手順を踏んでおり、やむを得ない。テレビ会議だけではできない「現地」で「現物」が必要な業務もやはりあるのである。

 朝6時の新横浜ホーム。ガラガラである。下りの”のぞみ博多行き”の車内はこんな感じ。

 隣どうしで座る状況は生まれない。各シート(3人がけ、2人がけ)に1名座っている感じの乗車率である。ただ、これも徐々に上がってくるのであろう。

 朝8時台の京都駅構内。これまた人がいない。売店も閉店である。

 前回来たのが、確か3月下旬だったので、2ヶ月ぶりの関西方面出張である。

 電車からふと見える電気系大企業の工場の駐車場にも、普段は車で一杯だが、明らかに駐車数が少ない感じで、まだまだ本調子ではないようだ。

 出張荷物にも除菌シートやマスクを装備するという、アフターコロナ状況における新しい出張の行動様式を考える必要が出てきている。

 もともと飲み食いでは、会食するのは好きではない。これまで散々訴えてきたように、ひとりで飲み食いするのが大好きなのである。むしろ時代の方が追いついてきた感がある(嘘)。

 関連記事:【ぼっち飯こそ正義】食事は一人ですることが、人類にとっての正解である(断言)

 関連記事:立ち飲み屋の自由と、立ち飲みあるある

 出張しても、このように夜の会食を断る良い理由ができたというメリットもあるのである。先方は「一人で食事なんて寂しいでしょう」という思いやりから発しているので断るのに苦労していた(こちらは申し訳ないが、ありがた迷惑)。

 これからソロ活動に社会がカスタマイズされることは歓迎すべきことであろう。

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1ヶ月強続いた在宅勤務の終了を唐突に告げられた際の私の精神的・肉体的反応について–人間は変化に弱い

 5月25日に、残る首都圏、北海道の緊急事態宣言が解除された。

 そして私も4月から約1ヶ月続いた在宅勤務(テレワーク)の終了を告げられたのであった。

 元々は6月以降に、在宅から出勤率を順次上げていく、と聞いていた。しかし、それがどうやら一気に出勤率を上げたくなった?のか、「明日から出勤でお願いします」という通告になった。

 それを受けた私の心理的第一反応は、意外であるが「嫌だなあ」であった。要するに在宅勤務を継続したい、と言う自分がいたのである。しかし、在宅勤務中は、早く元の状態に戻りたい、と言う心情があったはずではなかったか。

 要するにようやく在宅勤務に慣れてきたのに、また急激に勤務環境が変化させられることに対する抵抗があったのである。

 やはり人間、急ブレーキ、急発進はできないようになっているのか、順応力というより、急激な変化に対する抵抗、が存在するのであろう。

 これはこれで環境の変化に対する順応性がない、要するに「変化を受容する力が薄れている」というダーウィニズムの敗者のような総括になってしまいそうで嫌なのである。

 ここまでの時点で、精神的・肉体的な負荷に関して「公共機関を使った通勤勤務」と「在宅勤務」とを比較すると、「公共機関を使った通勤勤務」に軍配が上がる。

 やはり1時間かけてゆっくりと精神的・肉体的に会社モードへ仕上げる、そして退勤時は寄り道をしつつ、ゆっくりとプライベートモードへ戻る、という方が良いのである。

 また運動不足や肩こりの存在も捨てがたい。肩こりなんて、生涯味わったことがなかったのであるが、この在宅勤務では、肩こりが常に発生したのである(これは勤務環境の違いであろうか)。

 更には酒量の増加も無視できない。

 在宅勤務での酒量は、車通勤も含めて酒量の増加が半端ないのである。1日1本(750ml)以上のワインは当たり前、後半に至っては更に増えて1日2本以上飲むようになってしまった。

 更に在宅勤務による起床時間の遅さや規則正しい運動も加えたので、アルコール耐性や回復力がついているため、結構歯止めや反省が効かず、「毎日普通に大量の酒を飲めてしまうのである」。

 これは恐ろしい。

 肝臓とのガチンコ耐久マッチレースをやっているようなもので、アル中まっしぐらになりそうな予感もあった。「公共機関を使った通勤勤務」の時は週2,3位の飲酒が常時飲酒になってしまっているのである。これも恐ろしい。

 まあ、まだ第二波や近くに感染者が発生したら、逆コースの揺り戻しもあるのであろう。変化に対する耐性はもう少しつけておかないと、次回の巣篭もりで何が起こるかわからないのである。

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地元にある老舗の和菓子屋が、値崩れしつつある1枚70円のマスクのディストリビューターになった日、コンビニでマスクを見かけてしまう

 長く流通が滞っていたマスク。

 自粛期間中、やることがなく、コンビニやドラッグストアに1日1回は買い物に行くが、ついぞ見かけたことは無かった。

 元々花粉症のため少し備蓄用として多めに保有していたこともあると同時に、途中からは家にあったガーゼ肌着を再利用する自作立体布マスクが意外と繰り返し使えることがわかったため、実質新たに購入する必要性は薄れていた。

 そうしたこともあって、マスクが流通しないことによる精神的焦りもなくなった。ただ、当然のことながら本日(5/12)現在アベノマスクは到着していない。

 やはり、繰り返し使える布マスクの安心感は良く、精神的な問題がなくなった。もともと咳(くしゃみ)エチケットのためなので、口の周りを覆えれば良いと認識していれば、多少の見てくれなんぞ気にならないのである。

 そんなこんなの状況で、だんだんとマスクの値崩れ、露天売りのニュースも聞こえてきた。

 そりゃそうだ、本来マスクがその機能として必要となる医療現場やクリーンルームなどにおいては、このような流通的に微妙な品質的保証がないマスクはそもそも購入されないし、一般大衆であっても、私のように布マスクで一度精神的に事足りたら、もともと高価でなかった所詮”使い捨てマスク”をわざわざ有難がって目の色変えて購入する意識は生まれないであろう。

 そんな中、少々切なくなったのは、地元にある老舗和菓子屋の店先に「マスクあります 50枚 3,500円」という張り紙を見たことである。まあ、好意なのか、和菓子の売上をカバーする(マスクだけに)ためなのかはわからない。色々事情はあるのであろう。

 しかし、1枚70円のマスク。

 既に値崩れを起こしつつある状況で、捌ききれない在庫の押し付けあいが始まっているのであろう。そして、個人商店の和菓子屋にまでマスクを卸して売ってしまう、新型コロナが憎らしい。

 遠い昔、「機動戦士ガンダム」のプラモデルが爆発的に流行した際に、普段プラモなんか売らない文房具屋などが、人気のない訳のわからない聞いたこともない銘柄のプラモと抱き合わせで高価販売して、それを買わされていた記憶がよみがえる。ちなみにその後、売った側はそうした記憶を忘れ、”うちはそんなことはしなかった”みたいな言い訳をされて、こちらは子供心にも”嘘つけ、この偽善者”という大人を信じられなくなったほろ苦い経験もセットによみがえってきた。

 この時と同じような、ババ抜きで負けた人を見るような、切なさを感じる。

 そんな思いを持ってコンビニに行くと、初めてマスク(だけでなくアルコールティッシュ)が棚に陳列されて売っているのを発見した。

近所のコンビニで見かけた、小出しにされたマスクとアルコールティッシュ。

 こうして、次第に我々の「日常」に戻っていくのであろう。

 コンビニに並ぶマスクも、今さらがっつく必要もないと思え、別に買わなかった。

 自作の布マスクがあるからである。

 そして、私の花粉症シーズンも、いつの間にか終わっていたからである。

2020.06.06 追記 通りかかると「50枚3,000円」になっていた。悲しみが高まる。

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アフターコロナの世界で起こる業務編成の面的から直線的への変化、その結果起こるバックオフィスの過剰感について考察してみた

 次第にゆっくりと社会活動が復元されてきたようだ。しかし、新型コロナ感染防止という新たな社会的観点が追加されたことにより、元どおりの状態に復帰することはおそらく長期的にはなさそうである。

 ビジネスの世界でもテレワークなどの手段によって業務形態が大きく変化し、この動きは変わることはないであろう。

 その際に、単純に「ノートパソコンを手配して、Zoomをインストールすれば良い」という訳ではない。業務そのものが新型コロナ以前/以後で大きく相違している。そして、その場合、ビジネスパーソンそれぞれの意識自体も変える必要があるのではないかと思っている。

 今一番危惧するのは、”非常事態”がある程度終わりアフターコロナとしての定常活動に移行してくる経過において、ビジネスに対する意識を変化させないままノートPCなどの「新しい手段」のみを与えられ「後は前と同じようにお願い」程度の言い含めのみで、業務の最前線に復帰する人々が出てくることである。

 そこで起こる”悲劇”があるのではないかと思っている。

 テレワークという手段だけが変化した訳ではなく、業務そのものが変化しているという意識がないまま、最前線にノートPCを持って現れる。

 そして以前と同じような感覚で業務を開始しようとすると、おそらく植木等的に言えば「お呼びでない」状態になるし、戦争的な言い方をすると「即死」して「トリアージ黒タグ」になってしまいそうなのである。「今、それ必要な作業だっけ?」みたいな。

 関連記事:新型コロナ拡大に伴う緊急事態宣言から、終末、じゃなかった週末を迎えた現時点までで起こった私的出来事とその感想:安全確保と最低限の事業継続との相反、そしてポスト・コロナで起こる業務トリアージの予感

 以下に図示化してみた。

 コロナ以前であれば、戦線が拡大すれば人海戦術も通用し、教育的な意味合いもありフロントライン寄りに人材を配置できる。補給線も短いので直ぐに補充もできる。いわゆるバックオフフィス業務に人を配置する意味(根拠)が、相当程度あったのである。

 しかし、アフターコロナにおいて、新たなルール「フロントラインの密度制限」が付加された結果、最前線に存在できる人数が限られることになる。

 そうすると、補給線は長くなり、編成(人員配置)は直線的にならざるを得ない。そうすると、従来の総数を維持したまま配置しようとすると、必然的にバックオフィス要員の過剰が顕在化してしまうのである。

 したがって、アフターコロナの環境下においては、いわゆる「帯域」(通信速度)の太さが一つのポイントになるであろう。そこに新しいバックオフィス業務の可能性はある。しかし、これがITツールなどの手段によって代替されてしまえば、やはり人間の過剰感は残り通づけるであろう。

 ただし、むしろ過剰となること自体は正常のようにも思え、我々はこうした認識の中で”新しいやり方”を模索していく運命に直面していることを正当に認める必要があるのではないかと考えている。

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”家のちょっとだけ外の”「チェアリング」において、快適に過ごすためのガジェットについての検討【Wi-Fi中継器など】

 新型コロナ感染影響拡大に伴う緊急事態宣言およびその延長を受け、テレワーク(在宅勤務)へ転換し、はや2週間。

 ゴールデンウィークも自宅待機で、結局のところ息抜きというか、業務とプライベートのメリハリをつけることが、なかなか難しいのが実態なのである。

 仕事と休み、オンとオフが明確に区切られないこの状況は、結構きつい。

 仕事が在宅で、休みの日にも在宅で、となると両方の日常も結構類似してきて、どっちがどっちかわからなくなってくる。

 唯一の休日の愉しみは、裏庭での「チェアリング」であった(関連記事:自粛期間中の酒飲みは、家の裏庭でひっそりと「チェアリング」)。

 家の中で飲食するのであれば、いつもの日常(酒はないが)と対して風景が変わらない。

 だから、無理やり風景を変えることにより、何とか休日らしくしてみるという悲しい努力でもある。

 壁一枚隔てただけでも屋外は、やはり異なる風景でもあり、リラックスはできているようだ。しかし、だんだんと酒量が増えてきているのが難点であるが・・・。

 以下はゴールデンウィークの晴れの日の昼下がりに、家の裏、どん詰まりエリアで実施したチェアリング映像である。

 酒は、コンビニまたはスーパーで購入した500円/720mL程度の安めワインであるが、これでも結構いける(断言)。

4/29 お盆にはチーズとサラダである。
5/2 チーズとナッツというカロリーを気にした感じ
5/2 海藻サラダに、ワインが1.5Lサイズにクラスチェンジ(笑)
5/4 自家製三五八漬け大根と卯の花がツマミ。

 家のちょっと外で「チェアリング」する際の「道具」も色々試してみている。

 当然のことながらチェアリングにおいて「椅子」は必須アイテムであるが、それ以外のガジェットについての試行錯誤の結果を記載しておく。既に紹介済みのものもあるが、ご容赦いただきたい。

 ①テーブル(足が高めのものが良い)

 ②お盆(家の中との往復がある際に便利)

 ③蚊取り線香とライター(虫が結構出るので必須アイテム)

 ④S字フックとコンビニ袋(テーブルにセットしてゴミ箱にする)

 ⑤Wi-Fi中継器(家の外壁があると親機ルーターだけでは電波が弱いのだ)

アマゾンのポイントで購入した中継器(3,000円くらい)

 などを揃えてみた。

 家の台所とはドア1枚なので、そちらの補給線は完璧であり、あとはいかに快適に過ごすかを念頭においている。

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【書評】都筑道夫「三重露出」無国籍スパイ活劇と本格推理が同時並行で進み、解決できない謎があと1層残る問題作

 都筑道夫「三重露出」(講談社文庫)を読んだ。

 終戦直後を舞台としたアメリカ人作者によるスパイ活劇小説である「三重露出」の翻訳(という体裁の文)と、その翻訳者滝口が「三重露出」の登場人物である女性の名前が、かつて本人も関係する殺人事件の被害者の名と同一であることに着目し、迷宮入りとなった過去の事件の真相を探るという本格推理の二つの構造からなる。

 いわゆるスパイ活劇の方は、舞台は終戦後の日本でありながら、忍者軍団やギャングが登場し、まさに無国籍映画そのものの展開を示す。実際にこの箇所だけを原作とした、小林旭主演の日活映画「俺にさわると危ないぜ」が公開されており、黒タイツの女忍者軍団など、なかなかの無国籍ぶりである。YouTubeに予告編があった(海外向けであろうか)。

 上記の予告編を見てわかる通り、スパイ活劇の部分は確かに過剰に面白いのだが、これらを1つの推理小説として読了した感想として、何か釈然としないものが残るのである。

 二つの輻輳するストーリーが、あまり連関していないのだ。

 タイトル「三重露出」とは、いわば三枚の風景を露光し一つのフィルム映像に重ねたものであるが、あえてこの名称にしたとするほど小説が”重ね焼き”になっていないのである。スパイ活劇である「三重露出」の筋において、タイトル「三重露出」を語る場所は、おそらく1箇所、p.169に「今までこの事件は、三重露出ぎみだったがね。どうやら、ピントがあって来たようだぞ」というセリフがあるが、この意味もあえて言えば誤用に近い。

注意:以下ネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください。

注意:独自見解を含みます(読み間違っている可能性もあります)。

 また、重厚な犯人当ての推理を展開してきた本格推理のパートも、論理的な推理の前提となる証言が最後に覆され、いわば犯人が分かったような、分かっていないような状態のまま小説が終わってしまう。犯人のような人間も、仮にそうだと言われても、読者にとって、”なるほど”感も”意外”感もないのである。果ては、その殺人の動機に至っては解明されない。

 実際に、この作品をめぐる読者の評価も、パンチの効いた(効きすぎて露悪的な表現が多い)スパイ活劇パートと、本格推理の割りに尻切れトンボのようなパートとの関連が見出せないとするものが多い。

 実際にそう読める。

 しかし、どうもこの読後感は”奇妙な味”の小説にも通じる雰囲気もあるのだ。

 深読みかもしれないが、作者によって、もう一つ謎が仕掛けられているような気がするのである。「三重露出」でありながら、まだ二重、二つの絵しか投影されていない。つまり、実際にはもう一つの”絵”が重ねられていると解釈するのが正しいのではなかろうか。

 ポイントの一つは、「誰がワトソンで、誰がホームズなのか」である。

 本格パートは、箕浦と滝口という二人が、過去の事件の関係者に聞き取りなどを行って進行していく。滝口は「三重露光」の翻訳者であり、主人公というべき存在である。箕浦はその協力者である。どちらも過去の殺人事件の容疑者から自身が除外されていることを宣言している。

 探偵役=ホームズ=滝口、善意の進行役=ワトソン=滝口という構図が自然の理解であり、最終盤に、箕浦自身が滝口に宛てた手紙の中で「ワトソンに欺かれたホームズ」と理解できる表現も使っている。

 しかし、その一方で、この構図自身に”座りが悪い”表現もある。冒頭に箕浦はパイプを出すシーンが描かれる(p.28)。これはどう見てもステレオタイプなホームズのイメージを模したシーンではなかろうか。つまり、実際には逆で、滝口こそが善意の進行役=ワトソンであり、彼自身が”アンフェア”な嘘を読者に向かってついているということを意味しているのではないか。

 滝口の「嘘」とは何か。

 本格パートの”謎”である、電話をめぐる問題で、容疑者の一人小森と会った後に、同じく巻原と会った箕浦と会話するシーンがある。ここで問題となる”第二の電話”の話を箕浦がするのであるが、その前に事実として滝口自身が殺人事件の当日にかけたとする”第一の電話”も合わせた”電話について”、滝口は虚偽の発言をしているのである。小森とあった際に滝口は、電話の話はしていない。しかし、箕浦の”嘘”に合わせて「小森もそんな意見だった」(p.156)とするのである。

 つまり滝口自身がワトソンであり、そして、推理小説の前提である善意の語り手であるとするフェアプレイをしていない。悪意のある語り手であることを示唆しているのではないだろうか。

 そうすると、この小説自体もまだもう一つ重層的な構造を持っているように思える。早々に言及されて、犯人から除外され、読者の前から消えてしまった滝口、箕浦のアリバイすらも、確証があるのかどうか危ういこととなる。

 だがこのレイヤーの構図は、滝口の下宿がそう描写されているように薄暗く、光度が不足している。

 箕浦が小声でいって、立ちあがった。蛍光灯がついてみると、その顔は屈託なげに笑っていた。さっきから、話に険があるように感じていたのは、滝口の思い過ごしだったのだろう。やはり人間の生活には、つねに光が必要らしい。

都筑道夫「三重露出」(講談社文庫)p.163

 単純明快なスパイ活劇と、それを巡るもう一つの事件の二重構造の上に、もう一つ、三層目の映像が見えるような気がするが、そのためにはまだ光が足りない。

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【書評】岡崎守恭「自民党秘史 過ぎ去りし政治家の面影」”調整型”政治家の裏の一面にある”凄み”

 岡崎守恭「自民党秘史 過ぎ去りし政治家の面影」(講談社現代新書)を読んだ。著者は元日経の政治部長を勤めた政治記者であり、55年体制の頃の自民党の政治家たちの”エグい”エピソードを収録している(文中敬称略)。

 田中角栄は別格として、ここで描かれる政治家たちは、私見であるが、3種類に分類できるように思える。

 リーダーシップ型、孤高型、調整型である。

 リーダーシップ型は、アクが強く自己主張が強いタイプであり、中曽根康弘、そしてその”ライバル”山中貞則、橋本龍太郎、原健三郎、宮澤喜一など。

 孤高型とは、高い教養や苦労経験などをバックボーンに自己抑制が強いタイプであるが、えてして政治の世界ではスケープゴートとして”泥を被らされる”役割が多い。自己抑制が強いので、その場合でもことさらに自己弁護をしない、あるいは他人を道連れにしないため、結果的に失意で沈黙するようなケースが多そうである。宇野宗佑、藤波孝雄、加藤紘一など。

 そして調整型とは、いわゆる寝技師でありフィクサーである。いわゆる党人派的な派閥のドンのようなタイプ。やはりここが長期に政権を維持してきた自民党の中でも人材が豊富に思える。田中六助、金丸信、小渕恵三、森喜朗、そして竹下登である。

 調整型タイプは竹下がそう言っていたように”汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう”といった人に尽くすような、低姿勢な人格であるような印象がある。しかし、実際は必ずしもそうでないような印象もあった(関連記事:竹下登のズンドコ節は何かリズムがおかしい)。

 本書でも、こうした調整型の政治家の代表格である竹下登と小渕恵三の”恨み”が述べられており、こうした政治家の「実力」というか”凄み”を感じさせる。

 ”怒らない政治家”として有名な竹下登、小渕恵三であるが、必ずしもそうではなく、心の奥底で深く”恨み”を蓄積するタイプであるとする。以下に引用してみる。

「人柄の小渕」は人口に膾炙している。

 その気配りは師匠の竹下登氏譲りだと言われる。が、竹下氏も小渕恵三氏も何でも水に流し、すぐに人を許すという意味では「人柄」は必ずしもよくなかった。

 むしろ深い恨みをずっと胸に秘めるタイプだった。

 ただ怒りを決して表には出さない。声を荒げたり、人を面罵したりはしない。

 竹下氏の場合、最大の怒りの表現はおしぼりを絞る格好をして、「あいつはキュッだな」とやることだった。(中略)、「一生、あいつは許さない」「生涯かけて成敗する」という意味なのである。

岡崎守恭「自民党秘史 過ぎ去りし政治家の面影」(講談社現代新書)p.73

 軽い口調、ジェスチャーであるが、あの竹下から繰り出される「キュッ」は、逆に恐怖がある。どこまでも許さないような凄み、そして、怖さを感じるのである。

 その竹下登が「キュッ」とした人物とは、具体的には誰か。

 著者は、竹下内閣時代のリクルート事件に襲われていた際の平成元年予算案採決に自民党から欠席した河野洋平であるとする。

 河野洋平は、自民党下野時代の自民党総裁は許されたが、政権に復帰した際に村山富市から総理を禅譲されることはできなかった。竹下登の意を汲んだ経世会の意向が河野総理を阻止したとされている。

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【書評】池田晧「漂民の記録 極限下の人間ドラマ」鎖国体制での過酷な漂流のエピソード

 池田晧「漂民の記録 極限下の人間ドラマ」(講談社現代新書)を読んだ。1969年出版であり、現在の講談社現代新書とは装丁がかなり異なっている。カバーもない。また現在はついていない「スピン」(栞紐)がついている。

 サバイバルものの王道(?)、日本の海上遭難=漂流に関して整理されたもので、吉村昭「漂流」で知られている鳥島で20年間暮らして生還した”無人島長平”のエピソードや、1年5ヶ月かけて太平洋を横断してしまった”史上最長”とも言える「督乗丸」のエピソード、アリューシャン列島に漂流しロシア皇帝に謁見した大黒屋光太夫のエピソードなど、読み応えがある。

 更に通常の漂流ものではあまりない、東南アジアへの漂着も描かれる。このケースでは、遭難船を現地民が略奪し、奴隷として使役され、場合によっては奴隷貿易の対象で売られてしまうといった過激なエピソードもある。そうした中でも、様々な工夫を凝らし鎖国中の日本に戻るエピソードもある(このあたりは当時の文献に引き摺られているのか、著者の目線が少々ポリティカル・コレクトネス的にまずい表現もある。これが再販できない理由であろうか)。

 著者が冒頭に記載したように、鎖国前、16世紀から17世紀において日本人は船で世界を駆け巡っていた(朱印船貿易)という。航海技術も、西欧流の天体観測技術を持っていたという。しかし、鎖国体制が確立すると、最先端だった造船技術や航海技術は失われてしまう。

 その一方で、江戸・大坂に物資が各地から集中するため、水運体制が必要になり、外洋を使う廻船が必要になる。しかし日本は黒潮と偏西風によって、容易に遠くへ流されてしまうという、漂流の宿命を持っているのであった。

 大阪と江戸、松前から江戸の航路は波も風もともにきびしい外洋航路であり、そこには熊野灘、遠州灘、鹿島灘といったなうての難所があった。しかもこの外洋航路の海運が、内海航路向きの大和船で行われた。

池田晧「漂民の記録 極限下の人間ドラマ」(講談社現代新書) p.15

 こうした遅れた技術(山見航法)の元で運悪く漂流をしてしまった場合、多くのケースで遭難者たちは「おみくじ」を頼りに”どちらへ向かうべきか”、”今どこにいるか”を頼る他がないという状況に陥る。

 見えるものは四方海しかなく、今どこにいるかが全くわからない中で、「おみくじ」を頼りにデータを集め、戦略を練るという状況(そして生還した状態での漂流体験記では、意外に辻褄があってしまう)は、現代の我々にとって後進性とは言い切れない何かがあるように思える。

 

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【書評】斎藤邦雄「シベリア抑留兵よもやま話 極寒凍土を生きぬいた日本兵」–ユーモラスなマンガ風イラストで綴る強制労働の記録

 斎藤邦雄「シベリア抑留兵よもやま話 極寒凍土を生きぬいた日本兵」(光人社NF文庫)を読んだ。以前、シベリア抑留の文章を書いた際にも読んでいたが、やはり人によって経験が異なるのか、この体験記からの引用はできなかった。

 著者は元々絵の才能があり、終戦後は漫画家やテレビアニメの制作などをしている。本書は、この著者が陸軍に赤紙召集され、シベリアのラーゲリ(収容所)で約3年強制労働を強いられた記録である。

 マンガタッチのイラストが添えられており、ユーモラスな雰囲気もあるが、実際の経験談は他のシベリア抑留体験と同様に過酷で、厳しい。

 昭和20年10月にイルクーツク近くの「第12ラーゲリ」で、製塩工場に約1年8ヶ月従事し、その後、昭和22年5月にセルジャンカの「第13ラーゲリ」で石切り作業に1ヶ月従事、その後「第9ラーゲリ」で道路工事などに従事し、昭和23年8月に帰国となった。

 著者が言うように、「ラーゲリ」によって環境が異なっており、「第12ラーゲリ」「第9ラーゲリ」では”比較的”労働環境が良く、「第13ラーゲリ」は過酷だったようだ(「第12ラーゲリ」の死者は2%に過ぎない)。こうした「運」の要素も、シベリア抑留者の運命を分ける結果となっている。

 また絵を描くという「能力」が著者の身を助けている場面もある。上記のイラストにあるように、著者の「絵」の才能が、こうした環境下でも色々な面で生かされ、単なる労働力から区別され、環境を好転させる要因の一つとなっている。

 本書でも、他の体験と同様、騙し討ちのようなシベリア移送、日本軍隊組織の温存、その後の崩壊、民主化運動と言った時系列エピソードがある。

 そして、以下のような「シベリア病」と呼ばれる、人格の崩壊も語られる。

 敗戦によって、シベリアあたりへ連行され、境遇が激変したラーゲリ暮らしがつづけば、どんな人でも人間が変わる。惚け老人のように、ラーゲリ内をうろつく人。考えこんでウツ病のような人。ロシヤ人を見れば、乞食のようにものをねだる人。生死をともにした戦友のパンを盗む者など……。変わりかたもいろいろであったが、これらの症状を称して私たちは「シベリア病」といった。

斎藤邦雄「シベリア抑留兵よもやま話 極寒凍土を生きぬいた日本兵」 p.104

 こうした拘禁反応的な変化に耐えられなかったのは、インテリや将校たちであったようだ。むしろ生活者に近い、赤紙で召集された著者たちのような軍隊制度に馴染んでいないものの方が、その能力、生活力を生かしてたくましく生き残っており、むしろ人間としての「節度」を維持しているようである。

 この差異は何なのであろうか。

 著者が言うように、困難な局面では、学歴のあるインテリほど無節操に振る舞うということが、この事例のようにある種の「普遍性」を持つとすると、まさに教養や知識の存在価値さえが揺らいでくる。

 ユーモラスな絵柄であるが、非常に重要な問題を提起しているのである。

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【書評】土門周平ほか「本土決戦 幻の防衛作戦と米軍侵攻計画」–最終防衛としての総力戦による水際作戦

 土門周平ほか「本土決戦 幻の防衛作戦と米軍侵攻計画」(光人社NF文庫)を読んだ。

 昭和20年4月に沖縄に上陸を許し、太平洋戦争の敗戦が濃厚になってきた段階に、米軍が本州、九州に直接上陸することを想定した防衛作戦「決号作戦」を中心に描いたものである。

 資源のない日本で食料、鉄鉱石、燃料などの補給線は絶たれ、またこれまでの戦闘の経過により戦力も喪失した状態の中で、最後の後退戦とも言える作戦である。

 その作戦自体も、九州および関東に上陸すると想定(これは米軍の実際の計画と一致していた)し、特攻兵器を用い水際で上陸を防ぐことを主眼としたものであった(それにより背後で動いていた終戦工作を少しでも有利にするという意図もあった)。

 上記の戦力としての差異だけでなく、日本列島自体が、長大な海岸線(防衛正面として5,000kmに及ぶ)も持っており、兵力の分散を招き防衛側に不利であることも困難な要素があった。つまり攻撃側は戦力を一点に集中しやすく、防御側は可能性のある場所に兵力を分散せざるを得ない、という非対称性が強い局面であった。

 アメリカ軍も、1945年6月18日には日本本土上陸作戦をトルーマン大統領が承認していた。この作戦は「オリンピック作戦」(南九州上陸作戦)および「コロネット作戦」(関東上陸作戦)の2つからなり、約220万人の兵力を準備していた。

 日本軍も敗北が続いていたとはいえ、いわゆる”根こそぎ動員”により、兵力自体は2,800万人が動員されていたと言われている。

 従って、まさに生活圏を含む日本”本土”を舞台とした総力戦が予定されていたのであった。

 日米ともに1945年秋と想定していたこの作戦は、ソ連参戦や原爆投下などによる8月15日のポツダム宣言受諾によって実行されることはなかった。

 総力戦であり「勝つ」ことしか戦争終了条件がなかった当時の日本にとって、この作戦は最後の手段であったことは難くない。

 仮に関東に米軍の上陸を許した場合、国家としての存続が危うくなる。

 それは内陸での戦闘になった沖縄戦のような非戦闘員を巻き込んだ混乱が生まれることでもあり、精神的支柱であった国体護持に必須の「神器」が奪われる、あるいは、喪失する可能性も秘めていた(昭和天皇も木戸内大臣との会話や「昭和天皇独白録」で、神器を守ることを気にかけており、「講和」の判断根拠の一つになっていた)。

 本土決戦が行われていた際の仮想(if)としては、小松左京のデビュー作「地には平和を」で描かれたように、焦土戦、ゲリラ戦になっていたであろう。その場合の未来はどうなっていたのであろうか、ということを考えてしまう。

 関連記事:【書評】小松左京「召集令状」(角川文庫)小松SFの原点としての戦争体験

 また、新型コロナ感染拡大に伴って、我々が今実感している”息苦しさ”、物流の停滞や長大な防衛線を水際で食い止めることの困難さなどは、見えない敵であるという違いはあれど、局面としては相似しているような気がする。

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