【琵琶湖畔の道の駅巡り⑦】「道の駅 琵琶湖大橋米プラザ」で”飛び出し坊や”グッズをゲット

 琵琶湖大橋の湖北側にある「道の駅 琵琶湖大橋米プラザ」にやってきた。ここは湖畔にも出れるし、なかなかのレイクビューである。

 米プラザとあるように、近江は近江米という米どころでもある。琵琶湖の幸もあり、やはり「豊かな」土地なのであろう。

 そしてここで購入したのは、これも滋賀県の名物「飛び出し坊や」グッズである。この通学路でお馴染みのキャラはどうやら滋賀県発祥らしい。実際に、滋賀県の町を歩くと、かなりの確率で「飛び出し坊や」がいる。

 しかもさまざまなバリエーションがあったり、老朽化した怖い坊やもいたりする。

 クリアファイルと車内に設置する「エアフレッシュナー」を買ってみた。本名は「とび太」というの?

 いくつか滋賀県で見かけた「飛び出し坊や」。やはり年季が入っている。

とにかく滋賀県には「飛び出し坊や」進出率と、アレンジ率が多い。

 こんなメロンパンバージョンの女の子もあった。

 さらには膳所駅周辺では

こんな「滋賀レイクス」バージョンの坊やも。

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【琵琶湖畔の道の駅巡り⑥】「道の駅 藤樹の里あどがわ」で1食サイズ鮒寿司

 高島市にある「藤樹の里あどがわ」へ。安曇川=あどがわである。読めない。

 江戸時代の陽明学者、中江藤樹にちなんだネーミング。不勉強だが、陽明学は大塩の乱を起こした大塩平八郎が影響を受けた思想でもあり、ちょっとした窮民救済思想というか社会主義的な部分があるように思っている。近江商人の三方よし、も現代的にいうと、富を一部の資本家に集中させるような一人勝ちを否定して、社会に分配するSDGs的な考え方に近い。

 やはり琵琶湖周辺にはそうした文化があるのだろうか。

 という妄想はさておき、ここで購入したのは、鮒寿司のお茶漬けセットである。1食分の量で、ティーバッグも付いている。

 まさにこれをそのままご飯にかけても良いし、このままお吸い物にしても良い。なかなか良いコンセプトである。

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【琵琶湖畔の道の駅巡り⑤】「道の駅 浅井三姉妹の里」で、ジャンクな雰囲気の激ウマ「サラダパン」(つるやパン)

 北近江の戦国大名、織田信長と敵対して滅ぼされた浅井長政の三姉妹(長女は豊臣秀吉の側室、茶々)の銅像がある「道の駅 浅井三姉妹の里」(長浜市)にやってきた。

 やはり琵琶湖の幸が大量にある。

 ここで購入したのは「サラダパン」。山盛りであった。単なるコッペパンのようにも見えるが、これはタクアン+マヨネーズが挟まれているご当地グルメなのである。長浜市の「つるやパン」が発明したソウルフードであるが、特に関東ではあまり知られていない。

 早速1つ食べてみた。マヨネーズとタクアンがパンとあい、ハイボールのつまみにもなる。なかなかジャンクな感じで、気に入ったのであった。

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【琵琶湖畔の道の駅巡り④】「道の駅伊吹の里 旬彩の森」で”ねばり芋”と日本蕎麦

 以前も琵琶湖畔の道の駅巡りをしてみたが、今回別の機会に再度「道の駅」を巡ってみた。”湖畔”とタイトルにあるが、湖畔からは離れている場所もあるがご容赦いただきたい。

 早速向かったのは伊吹山近くの「道の駅伊吹の里 旬彩の森」。もはや山あいの田舎っぽさが漂う風景である。

 道の駅では「ねばり芋」を購入してみた。

 そして道の駅の隣にある日本蕎麦屋さん「伊吹野そば」に。ここは人気店のようで行列もできているし、さらに本格的なのかオーダーから出てくるリードタイムもそこそこある。11時の開店直後ですぐ入れたが次々と行列が形成されていく。

 「日本そば発祥の地」と謳っており、本格派の匂いが漂う。ざるそば800円を注文。

 つゆが非常に甘めで特徴的。蕎麦の香りもよく、非常に旨い。これは人気店になるはずである。

 【琵琶湖畔の道の駅めぐり③】「マキノ追坂峠」(高島市)「しんあさひ風車村」(高島市)「妹子の郷」(大津市)で、”バタナツスープ”・”干し柿”・”渋皮栗甘露煮”・”しじみ”をゲット

 【琵琶湖畔の道の駅めぐり②】「塩津海道あぢかまの里」(長浜市)で、川魚のお惣菜を発見!ー”コイの天ぷら”をゲット

 【琵琶湖畔の道の駅めぐり①】「近江母の郷」(米原市)と「湖北みずどりステーション」(長浜市)で”ビワマス丼”・”えび豆”・”小鮎の天ぷら”をいただき、”赤こんにゃく”と”近江米バームクーヘン”をゲット

 道の駅草津「グリーンプラザからすま」で「近江米おにぎり」、川魚(鮎、ワカサギ)、「あおばなソフトクリーム」をゲット

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2023年スタート!変化に無意識に抵抗する人々を解放することが最後まで残る課題っぽい

 2023年も始まった。昨年大晦日にほとんど問題意識は書いてしまったが、「組織の中で新しいことをゼロから開始する」ということは非常に難しい。

 確かに理想的には、トップが意思決定し、そこに向けて下部組織にその実行を落とす。全体最適というポリシーの中で、各部門にとっても何も異論はないはずである。個別最適よりも全体最適の方が良いし、全体の方針に個々が従う、というのは組織論の大原則であって、誰も反対のしようがないド正論であるからだ。

 では、トップの一声で、組織内の個々の場面で、シームレスかつスムーズに適用されるものなのか?と問われた場合、現実的には「全くそんなことはない」のである。水飴の中で泳ぐような巨大な粘性抵抗があるのだ。

 人間が持つ無意識的な「現状維持バイアス」=変化に対する抵抗力というものは、非常に厄介なものである。口では「そうそう、君のいう通り」と言っても、実際にとる行動は全く異なり、なおかつ実行している本人もその矛盾に気づいていない、ということすら多々ある。

 皆が全体の方針に従うことで、調和のある形で進むのが理想であるし、美しい。言語として表現するだけであれば、単純であり、むしろ論理的な正しさを用いて全て記述できてしまう。

 そして実際にはそのように運ばない。

 いざ実行という局面になると、その動的な場面場面における複雑な「計算(打算)」が働き、やはり基本的には「様子見戦略」が最も個々の行動決定で最適になるようなのだ。つまり「当初は何もしない」そして「動きを見て後発で追従」そして「多数派が形成されたら全力で走る」という行動をとるものが多くなっていくのである。

 そこに加えて、人間としての「感情」の問題も考慮されるので、非常に厄介なのである。

 昨日の記事で書いたように、攻撃力だけがあったとしても、組織力が伴っていない場合、やはり孤立し消耗して結果としては敗北に終わる。兵站線を作るためには団体戦に移行しなくてはいけない。だが、団体戦に移行するためには、上記のような、組織論において単純ではない問題を孕むのである。

 とはいえ、この問題の解決は非常に難しい。おそらく汎用的な方法論もないであろう。

 日本電産の永守会長が、昨年の後継者問題のドタバタで「親分子分」という言い方をして世間ではアナクロだと批判されているが、やはりこの問題を最初に突破する手段としては「自分のいうことを基本的に無条件に信奉する子分」を作るという方法論が効果的だとは思う。そして、それは全くもって現代的でないことも事実である。

 現代組織の中で親分子分関係を作ることは非常に難しい(反社は除く)。かつて親分が子分にその忠誠と引き換えに提供できるとしていた「価値」も、今やコンプライアンスにほとんど引っかかってしまう。

 従ってこの「フォロワーを作る」ということが非常に難しい。

 親分子分であれば”この人についていく”であるが、これは使えないので、個人が人ではなく”何か”についていくようにするしかないであろう。自らの意思と思考で”これについていく”と強く決断しなくてはいけない(あるいはさせなくてはならない)。

 そしてその決断には、上位からの誘導や圧力があってはいけないのである。なかなかの無理ゲーであるが、今年はこんなことを考えつつトライして、サバイバルしていこうと思っているのである。

 昨日の大晦日に読んだナダル「いい人でいる必要なんてない」。コロチキのYouTubeはチャンネル登録して時々見ており、ナダルのエピソードは結構知識はある。ナダルという芸人の人格の中には、人間としての成熟さとサイコパスが混在しており、共感できそうでできない、という不思議な人格なのだ。この本を読んでもやはりその印象は変わらず。ただ、現代のサラリーマンには「刺さる」部分は確かにありそうである。

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