2023年も始まった。昨年大晦日にほとんど問題意識は書いてしまったが、「組織の中で新しいことをゼロから開始する」ということは非常に難しい。
確かに理想的には、トップが意思決定し、そこに向けて下部組織にその実行を落とす。全体最適というポリシーの中で、各部門にとっても何も異論はないはずである。個別最適よりも全体最適の方が良いし、全体の方針に個々が従う、というのは組織論の大原則であって、誰も反対のしようがないド正論であるからだ。
では、トップの一声で、組織内の個々の場面で、シームレスかつスムーズに適用されるものなのか?と問われた場合、現実的には「全くそんなことはない」のである。水飴の中で泳ぐような巨大な粘性抵抗があるのだ。
人間が持つ無意識的な「現状維持バイアス」=変化に対する抵抗力というものは、非常に厄介なものである。口では「そうそう、君のいう通り」と言っても、実際にとる行動は全く異なり、なおかつ実行している本人もその矛盾に気づいていない、ということすら多々ある。
皆が全体の方針に従うことで、調和のある形で進むのが理想であるし、美しい。言語として表現するだけであれば、単純であり、むしろ論理的な正しさを用いて全て記述できてしまう。
そして実際にはそのように運ばない。
いざ実行という局面になると、その動的な場面場面における複雑な「計算(打算)」が働き、やはり基本的には「様子見戦略」が最も個々の行動決定で最適になるようなのだ。つまり「当初は何もしない」そして「動きを見て後発で追従」そして「多数派が形成されたら全力で走る」という行動をとるものが多くなっていくのである。
そこに加えて、人間としての「感情」の問題も考慮されるので、非常に厄介なのである。
昨日の記事で書いたように、攻撃力だけがあったとしても、組織力が伴っていない場合、やはり孤立し消耗して結果としては敗北に終わる。兵站線を作るためには団体戦に移行しなくてはいけない。だが、団体戦に移行するためには、上記のような、組織論において単純ではない問題を孕むのである。
とはいえ、この問題の解決は非常に難しい。おそらく汎用的な方法論もないであろう。
日本電産の永守会長が、昨年の後継者問題のドタバタで「親分子分」という言い方をして世間ではアナクロだと批判されているが、やはりこの問題を最初に突破する手段としては「自分のいうことを基本的に無条件に信奉する子分」を作るという方法論が効果的だとは思う。そして、それは全くもって現代的でないことも事実である。
現代組織の中で親分子分関係を作ることは非常に難しい(反社は除く)。かつて親分が子分にその忠誠と引き換えに提供できるとしていた「価値」も、今やコンプライアンスにほとんど引っかかってしまう。
従ってこの「フォロワーを作る」ということが非常に難しい。
親分子分であれば”この人についていく”であるが、これは使えないので、個人が人ではなく”何か”についていくようにするしかないであろう。自らの意思と思考で”これについていく”と強く決断しなくてはいけない(あるいはさせなくてはならない)。
そしてその決断には、上位からの誘導や圧力があってはいけないのである。なかなかの無理ゲーであるが、今年はこんなことを考えつつトライして、サバイバルしていこうと思っているのである。
昨日の大晦日に読んだナダル「いい人でいる必要なんてない」。コロチキのYouTubeはチャンネル登録して時々見ており、ナダルのエピソードは結構知識はある。ナダルという芸人の人格の中には、人間としての成熟さとサイコパスが混在しており、共感できそうでできない、という不思議な人格なのだ。この本を読んでもやはりその印象は変わらず。ただ、現代のサラリーマンには「刺さる」部分は確かにありそうである。