【新入社員諸君に捧げる】ビジネスでの”怒り”はビジネスシーンの解決手段なので気にするな、ということ

新入社員の諸君は新人研修が一段落し、ちょっと一息を入れている時期であろうか(偉そうに)。

社会人、特にサラリーマンはやはり特殊かつ大変なことが多く、気疲れしていると思う。それなりの年齢層があり、固有のルールで動いているので、やはり個人と組織の非対称性が露わになって苦しくなる、我慢する場面はあるのではないかと思う(ワンカップを片手に)。

こればかりは、ある程度は慣れる(不感ともいう)しかない部分もあるし、どうしても苦しかったら転職、退職だってできるので、まあ、とにかく無理しないで頑張ってくれ、としか言いようがない。

私の感覚であるが、サラリーマン、フリーランス関係なく、ビジネスシーンにおいて、”感情”を制御すること、”感情”をうまくツールとして使うこと、がこれまでの日常とは異なるのではないかと思う。

もう少し具体的に言うと、ビジネスシーンにおいては”怒り”などの感情は、その場を進展させるために必要な手段であって、個人的な好き嫌いなどとは本質的には違うものだということである。

もちろん、人間なので誰もが好き嫌いはある。感情の部分もある。

しかし、ビジネスでの”怒り”は、個人の好悪感情には帰属しないで、むしろビジネスの目的達成に帰属する非常に戦略的なツールでしかないのだと思う。

上位者が、”怒り”を表現することで、停滞しているタスクを打開する、と言う場面はよくあり、これを積極的に利用している人もいるはずだ(良い悪いは抜きにして)。

下位組織がフラットな場合、一人の上位者の”怒り”が、その下位組織間の衝突を解消することはよくある。ボトムアップで揉めている内容が、トップダウンですぐさま意思決定することは、良く見られる風景である。

ここで言いたいことは、そうした”怒り”を受けた場合、個人として受けるのは損である、ということだ。

あくまでビジネスシーンの”怒り”は、日常とは離れたビジネス空間で限定された怒りであって、個人的な感情の発露ではないと思うこと(まあ、そうではない場合もあるが、ここでは目をつぶろう)。ある種の、役割を演じている中で、そのシナリオ、ストーリーを進めるためのアドリブのようなものだ。

だから、その”怒り”を受けて思い悩む、自分という個人が否定されたように思う必要はない、と思う(ただ、自分の行動に原因があった場合、それを反省しなくて良いという意味ではないので念のため)。

なぜこんなことをわざわざ書いたか。新入社員、フレッシュパーソンに対する先輩からの、メッセージ?

違う。

まさに、私もいい年をして、先週の会議で登壇中に、満場の前でものすごい叱責、すなわち”怒り”をぶつけられて、まだそのダメージから癒えず凹んでいるからである。周囲からの慰めの言葉も受けたが、それだけでは復活できなそうなので、こうやって自分で自分にフォローしているのである。

あの怒り、あの罵声は、個人的なものでないことを信じたい(ドキドキ)。

ということで、新人諸君、頑張っていただきたい(ワンカップ2杯目に突入しながら)。

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昼飲み居酒屋探訪:神田駅 「神田っ子」

一人で昼呑みのできる居酒屋を探している。

24時間営業の「磯丸水産」はすぐに思い浮かぶし、別に悪くはないが、さすがに出店しすぎで、あまり目新しさがなくなってしまった。

先日、神田駅で昼呑みができる店を探していた。神田駅はJRガード下が結構いい感じの飲み屋が連なっているのだが、少し駅から離れたところで「神田っ子」という店を見つけた。

居酒屋風であるが、テーブルが大きく、一人で入りやすい。例えて言えば、競馬場などのギャンプル場の食堂のような感じである。席が基本的に一人単位になっている。

13:30入店。ホッピーとつまみを頼む。

14:15 食事のラストオーダーが来た。15:00でランチを閉めるらしい。

誤算である。

なかなかいい感じの店なので、今度はもっと早めに来ることにする、と誓ったのであった。

 

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GWに突入できる人は幸いである

今週も終了、そして疲れた。

5/1,2を休むべく色々工作していたがあえなくスケジュールの防護壁は崩れ、予定が雪崩のように押し寄せてきた。おまけに出張まで入れられた。

加えて、GWの期間中2回に分けて(予備日)町内会費の集金も、しなくてはいけない。18軒くらい回らないといけないのである。

しかも額がこれまた中途半端で、年間5,080円である。

お釣りどんだけ用意するのよと、暗い気持ちになっている。私が役員だったら、5,000円にする。収入が多少減るが、その方が絶対にトータル的にはいいはずだ。

……いかん、こんな事を言っていると来期役員へのルートができてしまう。口チャックである。

このままでは今年のゴールデンウィークは何処にも行けなそうだ。

沖堤防に釣りに行きたいんだけどなあ、と立ち飲み屋で酎ハイを飲みながら1人ため息をつくのだった。

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ニッチすぎる業界のみで有効な図解:ライボルトとインフィコンとバルザースの沿革を整理した(追記あり)

 おそらくこの図解は、日本でも5人くらいしか役に立たず、出てくる会社名も日本で20人くらいしか理解できないであろう。

 しかし、個人的には長年もやもやにしていた疑問をようやく図解で整理できたので、ここに公開する次第である。

 半導体製造装置では真空プロセスを使用することが多い。具体的には、真空蒸着、スパッタリング、CVD、ALD、ドライエッチング、プラズマクリーニングなどである。

 真空プロセスでは、真空の度合いを定性定量的に測定することが必要になり、そのための圧力計や分析計が存在する。また、真空(低圧の空間)を空間的に形成するための真空ポンプなどの機器が必要になる。

 そうした機器製造メーカ群が存在し、その業界が形成している(真空工業会という業界団体もある)。

 容易に推察されるように、この業界は結構ニッチであり、かつ、参入障壁が高いのか、そこそこ潤っている。

 その一方で、特に欧米の業界は合従連衡が激しく、メーカ名が結構変わることが多いのである。

 ライボルト(注1)、バルザース、インフィコンと聞いてピンとくる人はほとんどいないだろう。

 圧力を測る真空計、残留ガスの成分分析ができる質量分析計、真空ポンプなどを取り扱う海外メーカーである。

 これらのメーカの名前が、コロコロ変わるので非常に困っていた。

 というか、もうあまりの変化についていけず、わからないまま放置していた。

 業界誌である「真空ジャーナル」に、ちょうど良い記事を見つけたのを機会に、各社のHPも参照しながら整理してみた。また、最新状況を見ると、その記事から更に変化(結局現時点ではそれぞれ別会社になっているようだ。また、これに老舗メーカであるイギリスのエドワーズ社も絡んでくるのでますます複雑。現状はライボルトと同じアトラスコプコグループにいる)。

 私はスッキリしたが、ほとんどの方は何のことやら?だと思うが、ご査収ください。

出典:”わが社のいちおし! インフィコン株式会社” 真空ジャーナル. 2009年11月号(127号)及び各社HPより、tankidesurvival作成

注1:Leyboldなのでライボルドが正しい気もするが(ドイツ読みは違うのかな)。

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『美貌の果実』で男子のココロを鷲掴みした川原泉の今の絵が”硬く”なってしまったような気がする

川原泉も好きだった少女マンガ家である。

学生時代に、古本屋で『美貌の果実』を偶然手にとり、その過剰な文字量、独特のリズム、そして若干の屈折に驚いた。

メインキャラの名前が”日本農園の安楽史郎”……物凄い言語センス。いや、これマジで凄いんですよ、この攻め具合。陳腐化せず、未だにギャグとして成立している。川原先生は、この作品ではその日本語能力を余す所なく発揮している。

 

 

 

……に、日本農園って(25年振りの笑い)

少女マンガでこんなストーリーテリングができるのかと認識が改まったのを未だに衝撃として覚えている。

そして、過去の作品を揃えていき(「食欲魔人」シリーズなど)、また「花とゆめ」で同時並行で連載、出版されていた『笑う大天使』シリーズも追いかけ、リアルタイムで感動した。

『笑う大天使』の「夢だっていいじゃない」が1988年、今から29年前だ。あの話は良かった。

・・・・・もう、そんなになるの?

川原先生に関しては、その後も追いかけ続けている。先生が遅筆のおかげで〔?〕、なんだかんだでフォローできてしまうのである。

私の認識では、『笑う大天使』の後の『メイプル戦記』の前後で少し方向性が変わってきたと思われる。

今までは男性にも訴求力のあった川原先生の超絶ストーリーテリングに、”振り落とされそうになった”のである。

なんか違和感を感じ始めたのである。

その後『ブレーメンⅡ』は出るたびに購入して読んだが、ダメだった。

特に絵柄が。

『ブレーメンⅡ』の絵は技術的には非常にうまい。登場人物のほとんどを占める動物の描写なんか、これまでの川原先生の技術から一段上がっている。

しかし、そこに我々としては逆に感情移入できなくなっているのであった。私自身がオッさんになって少女マンガを読む感性が鈍磨してきているのも大きな原因の1つだろうとは思う。

ただ、言わせていただけると、絵が硬質になっているのが気になるのである。

昔の川原先生の絵は、例えるなら”サインペンでえいやっと描いたマル”を”これが顔でいいや”とマンガにしていた印象を持っている(完全な私見である)。

ところが『ブレーメンⅡ』以降の絵には、”コンパスで描いたきちっとしたマル、顔は少女マンガの技法に則って影を入れたり”というような教条主義が見え隠れするのである(完全な私見である)。

川原先生の持ち味とは、なんちゃってな感じの自由なお気楽なゆるゆる絵から、とんでもない人生の真理が飛び出てくるという点にある。そこに大きなギャップがあり、読者である我々に大きな自由を感じさせてくれたのだ(少なくとも昔の私はそうだった)。

ところが絵が硬質になり、いわば”絵とはかくあるべし”という教条主義が顕在化して来るにつれて、豊穣性を持つ物語自体すらも絵柄に引きずられ硬質化して”枯れて”しまい、そうしたギャップは見えなくなってしまう。

非常に惜しいと思う。

最近の作品である『レナード現象には理由がある』『コメットさんにも華がある』は、物語的には久々に昔の川原先生の路線に戻ってきた気がする。

しかし、やはり絵には硬質さが残っており、その教条主義が昔からのオッさん読者としては何より気になるところである。

続報: 【書評】川原泉の新刊『バーナム効果であるあるがある』を読んだ

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”奥”とか”裏”がつく地名に潜む辺境感に興奮する

辺境という感じにそそられる。

今まで一番それを感じたのは、北海道の道東、野付半島である。

社会人になって苦しい日々を過ごし、土日も深夜も関係なく頭脳労働(今にして思うとそうではなかったが)で消耗し、ゴールデンウィーク初日に突然やることがないことに気づき、何故か羽田空港へ行った。

当然GW開始なので、ほぼ全ての便が満席であったが、なぜか唯一空席があった「羽田ー中標津」便をその場で購入、着の身着のままで機上の人となった。

中標津空港で、レンタカーをゲット、中標津市内のビジネスホテルをその場で予約した。

数日かけて、知床、斜里、羅臼、釧路、別海、根室を軽自動車で回った。長い長い国道にほとんど他にクルマはなく、非常に気持ちが良かった。

一番良くて、今でも思い出すのが、野付半島である。このどん詰まり感、辺境の極致に痺れた。

だって、誰もいないのだから。定住している感じがまるでない。

でも人類はここまでやってきた訳で。

このどん詰まり感は何故か知らないが非常に私の感性を刺激する。宮本常一の論文でも同じような気持ちになる。

何故ヒトは移動するのか。その動機は何なのか。定住することは非常に楽だ。ポテンシャルエネルギーの底のようなものだ。でも、そこを飛び出して移動する人々がいる。移動した人々の一部はそこで定着する、でも、そこでもまた移動する人々がいる。単純には”食い詰め者の夜逃げ”と言えるものかもしれないが、それだけではこの拡散のダイナミズムを説明できないであろう。

ある種の好奇心というか、敢えて未知の土地にチャレンジするフロンティア精神が我々の本能に含まれているのであろうか。

その結果として、地球の辺境=どん詰まりがあり、そこに何かが吹き溜まる。それに非常に興味が湧くのである。

どん詰まりというのは、いわば交通工学的には閉塞路である。人間の流れが、通過する場合には、閉塞路でなく、開放路になる。これは箱根など、山道で地形的には閉塞となりそうだが、実際には交通の流路、すなわち開放路であり、そこには、新鮮な人モノ情報の流入が常にあり、様々に発展していった。

私が気になるのは、そちらではなく、閉塞路である。どん詰まりにおいて、人間の生存に何が起こるか。

そんなこだわりもあって、地名に”奥”とあると非常にそそられる。

奥相模、奥多摩、奥高尾、奥湯河原、など。

“奥”とついた時点で、何かその先端を見届けたい気持ちがあるのだ。

野付半島の最先端で見た、干潟にある自然、強風に煽られ続けて矯正された形状の自然、こうしたイメージとリンクするのである。

なので、”奥”***とか、”裏”***などとつく地名があると、車のハンドルを切って、その境界線まで行きたい自分を抑えることができない。

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才能は枯渇する。エンジニアもまた然り。でもまだ現役にこだわりたい

昔、週刊文春の連載「糸井重里の萬流コピー塾」においてだったと思う。大意として、このように語っていたと記憶する(なお、手持ちの単行本を探しているが、原典が見つからない。もし、違っていた場合、容赦していただきたい)。

・才能は枯渇する

・人脈は枯渇しない

・だから、歳を取るごとに、才能に対して人脈の必要性の比率が高まる

・いわば、才能は動産で、人脈は不動産

なかなか面白い例えで、ビジネス本などでも人脈とか繋がりへの”投資”をちょっと過剰に勧めるのは、不動産投資の勧誘の言説と似た構造があるのかと面白く思った。

また、あまり大っぴらに言われないことだが、どんな仕事でも、加齢による精神的・肉体的な衰弱化に伴い、パフォーマンスは低下するものである。これは間違いない。

どんな才能がある人間でも言えることで、スポーツの世界などでも例を挙げるにはいとまがない。

才能によって初期状態が他者より高くとも、いつかは凡人のレベルまで低下する時がやってくる。

ただ、その下降の傾きは、トレーニングなどにより、緩やかにすることはできるだろうとは思う。

また、活動するジャンルによっても、その変化は見えにくいはずで、インサイドワーク・経験の蓄積がアウトプットに反映されるような場合では、更に上乗せがあるだろう。

例えは適当でないかもしれないが、ボクシングとプロレスみたいなものである。

さて、エンジニアはどうか。

当然技術というのは性能が全てで、エンジニアのアウトプットは数値化されやすい。

例えば同一の性能を出す機能を実現する手段としては、より低コストな方法が優れているし、同一の投資に対して、より高い付加価値を生み出す装置の方が優れている。それを一定のリソースの制限で考案できるエンジニアは優れている、と判断される。

また、常に技術は進化しているので、保有技術の時間による陳腐化も早い。より自分自身をアップデートする必要もある。常にルールが変わる世界に身を置いているようなものだとも思う。

しかし、幸いなことには、技術には自然科学を基礎としたベース部分があり、このベース部分は決して古びることはない。

また、経験に基づく知見というのも確かに存在し、ベテランの方が過去の経験から製図に潜む設計ミスやトラブル原因を未然に素早く見つけることもできるという事実もある。

更に、泥臭い話だが、エンジニアはチーム作業なので、人間関係などインサイドワークの部分もある。

つまり、エンジニアはかなりプロレス的インサイドワークが使え、現役である時間が長いということが言える。プロレスや競輪に近いジャンルと思われる(両者を例えることに異議もあるだろうが、ここでは純粋に
現役である期間が長いという点について論じている)。

従って私としては、アントニオ猪木がそうであったように、天龍源一郎がそうであったように、リック・フレアーがそうだったように、萩原操がそうであったように、現役にこだわりたい。

日々若い衆はやってくる。そして戦いを挑んでくる。そこでやはり勝ちたい。6勝4敗ペースで行きたい(低い目標だが)。やはりキャリアを積むと、インサイドワークはあるのである。若い衆が他部門との折衝で消耗しているのを横目に、これまでの信頼の積立額を取り崩すことを使って軽くクリアすることくらいできるのである。

しかし、どんなジャンルでも、いつかは現役を退く時期はやってくる。そのときを自分で判断することができるだろうか。

若者が、申し訳なさそうな引導を渡してくれる状況にならないように、ハードランディングを防止すべく、日々ビクビクしている。

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立ち飲み屋探訪:東神奈川駅「龍馬」–将棋の羽生世代と前川製作所の話

本日は気分が悪い。

仕事ではなく、将棋で羽生永世6冠現3冠名誉NHK杯選手権者が中学生の藤井4段に負けたニュースをテレビやネットニュースで何度も見せられたからだ。

これまで、台頭する若手をちぎっては投げと、しばき倒してきた羽生先生の時代がとうとう終わったかのような感じなのである。

私は羽生ファンであるが、先生も既にアラフィフの領域に入りはじめた。大丈夫なのか。いくら将棋が頭脳ゲームとはいえ、体力の問題もある。いつまで現役第一線でいけるのか。

大山康晴先生のような、人間力によるど迫力(いわゆる盤外戦という奴である)の路線は、羽生先生は初めから狙っていないのだと思う。そうなると、今回の敗北は、ひとつのエポックメイキングとして、ついに羽生先生の時代が終わるのか、ということになってしまう。

私自身も、エンジニアとして現役にこだわるアラフィフなので、羽生先生の動向は気になる。まだまだ第一線で活躍する姿を見て、勇気づけられてきた。

衰えが見えてくると、加藤一二三先生のように、どこまでも勝負にこだわる生き方もあるし、今年A級降格でフリークラスに転出された森内俊之先生のような”引く”美学もある。

羽生先生は身の処し方をどうするのか。むりやり同世代として、非常に気になるのである。

そんなことを、ひとり、立ち呑み屋で考えていた。

何故か、立ち寄ったJR東神奈川駅、あるいは、京急仲木戸駅の立ち呑み屋 「龍馬」において、である。

この店は、串焼きがメインである。今のシーズン、春の山菜として、たらの芽などもある。

写真は激辛の”地獄豆腐”である。うまい。

立ち呑み屋で必要な、スピード感も充分、常連は1,000円以下の会計で、お客がクルクル回転していく。

串焼き10本を食べたのちに、羽生先生の勝負論はさておき、我々エンジニアが、どうして現役にこだわるのかを考えてみた。

私は、個人的に『野球狂の詩』の岩田鉄五郎(93歳!)のような生き方に憧れるのだ。

エンジニアには、そうした生き方ができると思っている。

茨城県の冷凍機、圧縮機メーカーである前川製作所の井上和平氏は95歳まで現役を続けた。

NHKの番組で、特集を組まれたこともあるはずで、私は見て感銘を受けた。

このとき、井上氏は冷凍機のトラブル事例を聞いて、すぐさま過去の経験から真の原因を推定していた。

与えられた研究室には予算は無くてバラックな感じだが、エンジニアとしての長い経験に基づく皮膚感覚が研ぎ澄まされているのだな、と感じたのを覚えている。

エンジニアは装置と日々対話し、その性能を出すために、せめぎ合ってきた。経済性や生産性など、様々な多変量のトレードオフを無意識のうちに最適化しながら。

顧客からの要求に応えるべく、ギリギリの限界までその性能を高めようとする。

それらは特定の”モノ”にまつわる話なのかもしれない。しかし、”モノ”に対して働きかけるのは人間の英知であって、そこには単なるマテリアル以上の付加価値が生じているはずだ。

それこそが、エンジニアの本領なのである。

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釣りにおける一発台:ブラクリ釣りのススメ

 私は釣りも趣味である。でも、最近はなかなか時間が取れない。

 先日、湯河原温泉へ移動する際に、途中の真鶴福浦港へ立ち寄り、少し釣りをすることにした。

 釣りが目的でないので、最小限のタックルで行くことにした。

 私の釣り嗜好は、海釣り+陸っぱり+エサ・ルアー許容という節操のないジャンルである。

 釣りマニアは結構このジャンルにこだわる。

 特に、エサ許容と非許容(要するにルアー)は結構相容れない対立構造を持っていると思う。

 私はどっちでも良い派なのだが、エサ許容派は確かに調子にのると、アミコマセを無制限利用する。

 アミコマセは動物性プランクトンの塊で、通常冷凍して購入する。それを海水で溶かし、柄杓で投じて寄せ餌にするとか、仕掛けにつけたカゴの中に入れて、これまた寄せ餌にする、などの使い方がある。

 魚が寄ってくるということで、その餌としての能力は非常に高いのだが、欠点としてはものすごく臭い。正直排泄物そのものの臭いと表現する人もいる。

 よって車で移動する場合にはコマセの臭い問題が大きな問題で、しかも車の場合、密閉空間で高熱になるので、夏場にコマセをほんの僅か車中に残しただけで、車中はとんでもない異臭になる。ほとんど事件だと思う。

 だから、ルアー派の車には、餌派の釣り師は匂いが移るので、乗れないということが起こる。逆は問題ないけど。

 そんな狭量な釣りマニアであるが、私は餌・ルアーどちらも許容する立場である。

 本日は、横浜発祥のブラクリ釣りをやってきた。

 ブラクリはオモリに直結した大きな針という単純な仕掛けで、基本的に落とし込みを狙う釣りである。

 テトラポットの隙間、ゴロタ(岩場)の隙間などを狙って、仕掛けを落とす。穴釣りとも呼ばれる。

 そうすると、そうした狭隘空間に定着して餌を待っているカサゴ、ムラソイなどの根魚が食いついてくるのを狙うのである。

 応用編では、メバル、アイナメ、クジメ、ドンコなども狙える、結構面白い釣りなのである。

 おまけにこれらおん魚は結構うまい。煮魚で絶品な食材であり、あまり魚屋にも並ばないのでプレミアム感もある。

 ただ問題は、足を使う釣りで、その穴に魚がいないと、いくら待っても釣れることはない。

 従って、足場の悪い中、移動しながら釣ることになる。

 ある意味体力を使う釣りである。

 その一方で、釣りとしては非常にシンプルで、仕掛けを落とす→アタリがある→リールを巻く、これだけである。アタリがない場合には、場所を移動しなくてはいけない。

 要するに勝負が非常に短時間につく。

 落としてアタリがあるか無いか、ただそれだけなのである。

 このシンプルさが気に入って、ずっとブラクリ釣りをしている。

 パチンコで言えば、一発台のようなものである。大当たりの「穴」(入賞穴)に入れば、それだけでフィーバーという構造が、魚のいる「穴」(テトラやゴロタ石の割れ目)に餌を投入されれば、それでヒットという類似性がある。

 本日のタックル。超短竿(90cmくらい)+ワカサギ用両軸リール+ブラクリ仕掛け+ルアー(カサゴ職人)。

 完成した仕掛け・・・といっても糸にブラクリ仕掛けを接続し、ルアーをつけただけである。

 餌は本物(例えばアオイソメとかイカの切り身とか)でも良いが、本日は手に匂いがつくのが嫌でやめた。餌の場合には匂いが強烈で、餌もちが良いという意味で、市販の(食用の)イカの塩辛がこれまでで効果があった。ただ最大の問題は、手に強烈な生臭い匂いがついてしまうことである。

 こんなテトラポットの隙間を狙う。

 激闘30分。何も反応なしである。反応なし、即ち、待ってもダメなので、撤収。

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湯河原温泉の帰りに真鶴半島(三ツ石)へ行ってきた

湯河原温泉で朝食をたらふく食べ(おひつを空にして)、帰宅中である。

折角なので、真鶴半島先端まで行ってみた。天気もよく、穏やかな海。

真ん中の岩が三ツ石で、干潮の際には歩いて行ける。

ゴロタ場で少しブラクリ釣りをしてみるが、反応なし。まだ時期が早いのか?

昔メバル夜釣り狙いの際には、西湘から真鶴まで足を伸ばしていた。

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