時代は繰り返す:SF作家のPR誌とアフィリエーター

 日本SF作家第一世代が世に出始めた頃-昭和40年代であろうか-企業が”PR誌”なる小冊子を発行するのがブームになった。

 要するに宣伝用の無料配布ミニコミ雑誌なのだが、そこに載せる小さめの記事として、企業にとっての明るい未来イメージをもった掌編が求められ、ちょうどショートショートが手法として開拓されていた若手SF作家の活躍の場になっていた。

 その頃若手だった小松左京や筒井康隆も、そんな注文を受けていた。しかしPR誌はその性格上、スポンサーの意向が強い場合が多く、あれはダメこれはダメ、この商品の未来をこう書けといった制約がキツく、作者たちはSFの持つ自由に反するとして悩んでいた時代がある。

 いつの時代も宣伝は必要で、作家やライターなどの文筆業者は、どうしてもそのビジネスの中に巻き込まれる運命にある。そこに宣伝費があり、ライターへの注文があるのだから、両者の思惑さえ合致すれば、何ら問題ない。

 ただ、そうした製品に対するスポンサーの意向は、SF小説の持つ発想の自由とは大きく相反する要素であったことは間違いなく、作家自身割り切れなさを吐露している回想を読んだことがある。

 初めから宣伝文と割り切っていれば、そんな心中の葛藤は起こらないのだろう。作家としての自己表現と、スポンサーの要求という他者の制約に、どう折り合いをつけるかという問題である。

 現代であると航空機や新幹線内にある雑誌のようなイメージであろうか。これらは、”旅”という商品を売ってい流ので、そうした生々しさは薄れている。

 むしろ類似しているケースとしては、ブロガーのブログ記事に、アフィリエイト記事を紛れ込ませてくることを多々見かける。

 アフィリエイターは間口からそれと分かるので良いのだが、日常系ブロガーの記事にアフィリ記事が混じると、ちょっと心配になる。

 アフィリについて否定するつもりは全くない。

 ブロガーの場合、その真理として、前述のようなSF作家がそうであったような内的葛藤ってないんだろうか、メンタル大丈夫なんだろうか、という心配である(余計なお世話だと思うが)。

 例えばブロガーが日常記事でノマドワークやフリーランスを礼賛しつつ、アフィリ記事で転職サイトを勧めてる場合、私は首尾一貫のしなさを感じてしまう。うまく、統合してる記事もあるけど、やっぱりどこかに著者の心理折り合いのついてなさ、苦しさが透けて見えてしまう(主観です)。

 やはり、論旨が明快で首尾一貫している記事は、意見はどうあれ素直に読める。しかし、著者自身のジレンマがそこに透けて見えていると、その苦しさは読者にも伝わってしまい、本来の目的を達し得ないのではないか。

 この二律背反をどう解決していくかが、これからのブロガーの悩みどころではないか。

さて。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。さて、そうした心配がある方に朗報!私の大先輩の方から、こんなお得な情報を貰いました。皆さんにこっそりお分けしたいと思います。

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【ぼっち飯こそ正義】食事は一人ですることが、人類にとっての正解である(断言)

昼食などは基本的に一人で食べることが多い。

その方が好きだ。

むしろ、食事は是非一人でしたいタイプで、複数で行くとその人数だけのテーブルがあるか気にしたり、周りが頼むものに気兼ねしたり、食事中の話題を考えたりと気を使って嫌なのだ。

普段から気を使うタイプなので(笑)、食事くらいは一人で静かに自分のペースで好きなものを食べたい。

しかし、タイミングによっては誰かと食べることになってしまう場合も多い。

最もありがた迷惑なのが、一人で食べている時に、向こうも一人でちょうどいいから一緒に食べませんか、で相席になるパターンである。

向こうも「そちらも一人で食べるのは嫌でしょう、ラッキーですね」みたいな態度なので(考えすぎか?)、更にタチが悪い。

私にとっては迷惑なのである。ただ、それを伝えるのは角が立つと思うので表現していないだけなのだ。

その上、私自身の悪い癖で、そうなると自分の食事をさておき、サービス精神が出てしまい、色々と場を盛り上げてしまうのだ。結果、食事の味もわからず、ストレスフルなまま食べ終わる羽目になる。

ひょっとすると、1人メシかわいそう、と思われているのかもしれない。

そんなことはない!とここで断言したい(演台を両手でバンバン叩きながら)。

食事なんて本来極めてプライベートな行為なのだから、1人が原則なのである。え?例えばランチミーティングってのがある?…それは自由にすれば良い。あくまで、メインはミーティングであって、その手段として食事があるだけだ。まあ、食事を手段に使うことも言いたいことがあるが、ここでは口を噤む。

私が問題にしているのは、本来食事というものは、プライベートなものなのだから、その前提は尊重して欲しいということだ(独裁者ばりに腕を振り回しながら)!

ヒトは昔文化が無い頃、厳しい自然と強力な敵の間でギリギリの生存競争を生き抜いてきたはずだ(そこまで遡る)。

その時の食事は、別のケモノが捕らえた死体を、その目を盗んで奪い取り、洞窟の中に隠れて腐った肉をせせり、骨髄をすすって生きてきた(参考)に違いない。

そこに、ランチミーティングなどという甘甘なものが入り込む余地なんかないのだ。

我々はDNA的にそうした祖先の後ろ暗い食事風景を抱えており、その原風景が1人メシを希求する気持ちの起源になっているはずだ(目ん玉がナルトのように渦巻きながら)。

やれ、ぼっち飯だのランチのグループだの、そんなもの…(軽蔑しきった眼差しで冷笑アンド冷笑)、ね。なんか、世の中でそんなことを悩むこと自体、バカバカしい。

個人的に、食事中に「Don’t Disturb」札を掲げたい。私は単騎行動が好きなのである。

久住昌之、谷口ジロー『孤独のグルメ』のゴローちゃんのようにあまりアレコレとは考えていないが、メシを食うときくらいはストレスを感じたくない、とは常に思う。

だからとにかく食事中の私に話掛けないでほしいのである。

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