立ち飲み屋探訪:鶴見駅「立ち飲み屋 久」2間間口の立ち飲み屋でホッピーのダブルをいただく

鶴見駅西口徒歩3分くらいの位置にある、「立ち飲み屋 久」は間口の狭い店である。何度か行ったり来たりして、ようやくわかるような感じのこじんまりとした店である。

入店するとカウンターと2人テーブルが3つ。狭い。

まずはポテサラ(300円)。

ホッピーセットは焼酎がダブルサイズ(550円)。店主いわく「1人でやってるから、こういう多めにしてんの。はじめに言っとかないとね」とのこと。これに関しては異論なし。

マグロ刺(400円)。なかなかのボリューム。

ハイボールにチェンジ。なかなかの濃さである。

こんなメニューがあった。立ち飲み屋でチャーハン……ナポリタン……なかなかそそるが今回は断念。特にナポリタンはなんかうまそうである。

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立ち飲み屋探訪:鶴見小野駅「伊勢屋」駅前角打ちで時刻表を眺めながら激安ホッピーで気絶寸前

鶴見線の鶴見小野駅は無人駅であり、その踏切の近くに角打「伊勢屋」がある。

暖簾がかかっており、中も広い。

こんな感じでカウンターの向こうにつまみが並ぶ。

キャッシュオンデリバリー式で、現金と引き換えで清算である。

駅から近いだけあって時刻表が貼ってあり、誰もが時々気にしながら飲んでいた。

 

テーブル席でホッピーセットをいただく。

なんと!セットで250円!という破格の安さである。ただ、中の焼酎は若干少なめ(追加の中は100円)で、氷もない。でも、これは驚きの安さで感心した。

ホッピー指数は2。中を追加した直後の状態である。

これは安い、と見て次はハイボールを注文。

したらば、なんと420円!まあ普通よりチョイ高めであるが、ホッピーとのギャップがちょっと。

少し時間がかかって到着したハイボール。結構な濃さと量で、420円は確かに納得(缶の2杯分くらいあるのではなかろうか)。

缶詰200円を追加し、すでにベロベロである。鶴見線の時刻を気にしながら飲みを済ませ、少し小走りに無人駅の改札を抜け、鶴見線の鶴見行き電車に乗ると、車内はなかなかの”鶴見線”感があった。

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【書評】ヨッピー『明日クビになっても大丈夫!』に見る”まともな”感覚に安心する

発売されたばかりのヨッピー『明日クビになっても大丈夫!』(幻冬舎)を読んだ。

Webで見る面白い横書き記事とは異なり、若干の自己啓発系、ビジネス系風味の縦書き本である。やはり”紙の本”というのはお互い勝手が違うのか、読み進む際に、「正直ちょっと著者とのお互いの関係が掴みにくい」という感覚を受けた。

やはりオモシロ記事は読者と(基本)同じ目線で、ビジネス本はどうしても上から目線(仕方ないことだけど)だからであろうか。

そんな意識で、同じ目線のまま読み進めようとすると、最初はちょっと戸惑う。でも最後まで読み進めていくと、慣れてきて気にならなくなってくるのだが。

本書では、悩めるサラリーマンに対する生存戦略を、わかりやすく解説している。

特に注目すべきは、プロブロガー界隈の”とりあえず会社を辞めてみろ”のような無責任極まる風潮に対して、これを”信者ビジネス”だとして明確に否定していることである。

細かいところで内容に下ネタが満載ではあるが、このあたりの主張は筋が通っていて、すごくマトモで好ましいのである。

またサラリーマンからフリーランスへの段階的な移行戦略を、具体的に述べている。

ここで書かれていることの一部は、実は先ほど否定されたプロブロガー界隈の主張とも同一なのであるが、その先に彼らが語ってくるマルチビジネスにありがちな非対称性(親子関係にも似たマウンティング)が一切なく、むしろ、その道を明確に否定してくれる。

この主張は、ブロガー界隈の言説の上位互換であって、彼ら自身のロジックを内包し乗り越えてしまっている高い戦略性が見えていて、ようやくマトモなことを言ってくれる人が出て来たなあと、少し安心するのであった。

あと、一番面白かったエピソードは、フリーランスの孤独についてのシモダテツヤが言い放った「じゃ、僕らこっちなんで!」という話(p.103)である。

あまりの面白さに作り話か、お互い阿吽の呼吸で作り上げた”プロレス”なのかとも思ったが、きっと、なんとなく真実なんだろうなと思う。

そんなことを読者に思わせる”信頼の貯金”を持っているライター像を作り上げた戦略が見事に奏功している。

 

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立ち飲み屋探訪:武蔵小杉駅「人情屋台 一心」まさに人間味溢れる”屋台”

最近の武蔵小杉の再開発はすごい。昔はゴミゴミした街であったのにすっかりタワーマンションが立ち並んでいる。駅前にもそうしたマンションの営業マンが沢山いる。飲食店の感じも少し変わってきたのだろうか。

JR南武線の武蔵中原方向のガードに沿った場所に「人情屋台 一心」がある。

夫婦2人でやっていて非常に賑やかだ。

メニューも豊富で、なんとハイボールが初回100円、その後140円と非常に安い。

お酒のメニューも焼酎や日本酒も多い。

今回は、ホッピーセット(420円)を注文した。ホッピー指数は2.5である。

ここも各テーブルに勘定書きがあり自分で記入するシステムである。

尻手駅の「新川屋酒店」に続く2回目の遭遇である。

おすすめの「カレーがけ」がすごく気になるので、「からあげカレーがけ」を注文してみた。

到着した「からあげカレーがけ」。ちょっとイメージと違い、スープカレーのようなルーに唐揚げがひたひたになっている。そしてこのルーが結構スパイシーな辛さで癖になる。酒飲みにとって非常に合うカレーである。

お酒メニューも充実しており、長居をしそうな感じの立ち飲み屋であった。

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立ち飲み屋探訪:弁天橋駅の角打ち「村田屋酒店」で瓶ビール大瓶でいい感じ

鶴見線の弁天橋駅から北に5分くらい歩くと、商店街がある。

その中に「村田屋酒店」はあった。

一見通りがかるとよくわからないが

良く見ると左側にカウンターが。

手前には謎のゲーム機が1台。電源が入っていなかったが、なんなんだろう。

新聞を読んでいた結構なお年の店主に、「ホッピーありますか?」と聞くと、耳が遠いのか何回かのやり取りの末に「ホッピーはない」とのこと。

では久々にビール大瓶を注文である。つまみは最近角打ちで常備されていることが判って以来注文している6Pチーズである。チーズと合わせて450円なのでチョイ高めか。

カウンターにはこのようにおつまみの駄菓子、その先には缶詰もあり、角打ちの雰囲気満点である。なかなか年季の入った設備感である。

久々の瓶ビール(キリン生麦工場からのものであろうか)は、なかなか気持ちの良いものであった。

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【書評】つげ忠男『成り行き』にみる”現在”の劣化は本当なのだろうか?

つげ忠男『成り行き』(ワイズ出版)を読んだ。

主に3編(実際には4編)の作品(マンガ)が収録されている。2編は書き下ろしであり、残りの2編は過去の名作「懐かしのメロディ」(1969年)の発行当時バージョンとそのリメイクバージョンである。

書き下ろしの2編「夜桜修羅」「成り行き」は、主人公が老年を迎えたいわゆる”老人”であり、その”老人”に対して”現代の若者”が対置されている。

また、現代性の特徴としての具体的なイメージが沢山散りばめられている。アイドルグループや携帯電話などが象徴的な形、イメージそのものとして描かれる(余談であるが、つげ忠男のマンガに”携帯電話”が登場してくる日がやってくるとは夢にも思わなかった)。

気になるのは、こうした”現在”のイメージに対して、著者を投影したと思われる老年の主人公が、直接に否定的なメッセージを込めていることである。例えば「夜桜修羅」では主人公のモノローグとして

 それにしても、老若男女 この国はなんでこんなにカッコ悪い人間が増えてきてしまったんだろう

 何もかも私利私欲ムキ出しで・・・・・

 人間はもとより、自然も何もかも劣化しているようだ

「夜桜修羅」p.41

引用終わり

とあるが、つげ忠男は、なぜこうした感想に行き着いてしまったのだろうか、疑問に思っている。

未完に終わっている「けもの記」では、明示的には決して描かれなかった直接的な”現在”への否定的な感想である。

 関連記事:【書評】つげ忠男『けもの記』の続きが読みたい

なぜなら、つげ忠男が描いてきた、「懐かしのメロディ」の終戦直後の風景や、『無頼平野』(ワイズ出版)所収の「旅の終わりに」(1971年)、「風来」(1974年)などのヤクザ者による暴力や売血銀行に集まる人々だって、”私利私欲ムキ出し”の醜悪な姿を描いているではないか。

1970年代から、過去に向かって照射してみた風景と対比して、現在は劣化しカッコ悪くなってきているのだろうか。おそらく創作者であるつげ忠男自身の感想として、そうした感想を有しているのだと思う。

しかしながら、私自身の感想としては、終戦直後の風景も現在の風景も、等しくカッコ悪いのではないかと思う。

終戦直後、あるいは、高度成長期の中で、我々あるいは我々の同胞と同じく地べたを這いずりまわり、時には他人を出しぬき、密告し、少しでも自分の取り分を多くする。

そうした人間感情の本質部分に今も昔も変化はないのだと思う。そして創作者として、その”現在”を差異化した上で過去からの劣化として表現する必要はないと私は思う。

終戦直後も現在も、失業者はいるし、その失業者の思いは、もしも醜悪なものがあるとするならば、同じくらい醜悪であるし、もしも尊いものがあるとしたら、同じくらい尊いのである。

では、現在の地点は、過去と比較して、何が「異なる」とつげ忠男は表現したいのであろうか。

物質的な豊かさの差異であろうか。

生存のための止むを得ない盗みと、そうでないものに差をつけるべきだというのであろうか。

そして、つげ忠男のガロ的(あるいは夜行的)なサブカルチャーの視座では、その差が明らかな有意差として観測できるというのであろうか。

しかし、そうしたガロ的視座に、ある程度共感していると自負する私には、既に述べたように、その差異は見えないのである。

そして、その差異表現をつくりだす創作上の努力、所作自体に何か特別な価値があるという意味すら見出すこともできない。

こうした現在への感想に対し、作者の価値観から、その現在を否定しないこと自体が堕落であるという反論も予想できるであろう。

しかしながら、その反論自体が、むしろ過去に固定された視座からのものであり、その固定された視座からは、現在の人々が直面している「苦しみ」を決して正しく認識できないであろうと私は思う。

戦後、そして戦後を照射した70年代の視座から遠く離れて、ガロ的視座はそのスペクトラムが大きく分裂してしまったようである。

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立ち飲み屋探訪:鶴見市場駅の角打ち「仙田屋酒店」のジェントルマンシップに姿勢を正す

鶴見市場駅から南へ。第一京浜を渡り、鶴見駅方向に向かうと一気に街並みが”川崎っぽくなる”。

私も15年くらい前に、川崎大師付近に住んでいたことがあり、あのあたりの下町というか、”川崎っぽい”雰囲気を強く感じるようになってくる風景である。

住宅街と混在した小さい店が多くなり、パチンコ屋も平屋のようなこじんまりとしたものになる。そのくせ道は比較的広い、という感じである(うまく説明できた自信がないが)。

そんな中に突然、角打ちをやっている「仙田屋酒店」はある。

立ち飲み空間は結構広く、”ワンショットバー”とある。

店の中は完全に”立ち飲み屋”である。

ホッピーセット(中:半合)(330円)と6Pチーズ(70円)を注文。焼酎は半合か1合か選択できるが、以前の失敗(立ち飲み屋探訪:子安駅の角打ち「美加登屋酒店」で1合ホッピーに撃沈)に懲りて控えめに。

ホッピー指数は2.5であり、焼酎中をお代わり(120円)。

店主は非常に紳士的で優しい。ちょうど敬老の日の近辺だったからか、常連さんとの話題は、敬老の日の銭湯パスとか、高齢者の運転免許証更新の是非についてなどであった。店主は優しく対応しており、非常に平和な雰囲気の角打ちであった。

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立ち飲み屋探訪:町田駅「まる助」炭酸系が少なくて久々の芋焼酎ロック(閉店しました)

町田駅の立ち飲み屋「まる助」である。お勘定は先払い方式。

 

メニューはあまり多くないが、もっと特徴があるのがお酒のメニューで炭酸系が少ないことである。ビール以外はレモンサワーしかない。なかなかのナローレンジである。

本日はビールからスタート。

飲み物400円、おつまみ300円という共通価格。

マカロニサラダである。

その後思考の末に、芋焼酎のロックを2杯飲んで退店となった。

硬派な飲み物メニュー。ハイボールもチューハイもない。炭酸系が少ないのは、何かこだわりがあるのだろうか。温厚そうなマスターではあったが・・・。

不思議である。

 

 

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【書評】新刊『福島第一原発1号機冷却「失敗の本質」』に見る連鎖複合事故におけるマネジメントの困難さ

NHKスペシャル『メルトダウン』取材班による『福島第一原発1号機冷却「失敗の本質」』(講談社現代新書)を読んだ。

福島第一原発の1号機が、2号機、3号機と比較して、損壊の規模の大きいことは既に解析や観測により明らかになりつつある。

原発は放射線を出す核燃料を中心とする多重の放射能閉じ込め機能を有しているが、1号機は特にこの機能の損壊度合いが大きい。

具体的には、核燃料がほぼ全量溶解(メルトダウン)し、鋼鉄製の圧力容器を溶かし落下(メルトスルー)し、格納容器の床を抜け、更には基礎であるコンクリートを約2m深さまで溶かしているという実態がある。

核燃料が内部の構造体をその崩壊熱で溶かし、更にはコンクリートまでも溶かしたことによりMCCI(溶融炉心コンクリート相互作用)が発生し、279トンという大量に増大した放射性デブリ(ゴミ)が1号機の内部にあると推定されている。

そして、このことが廃炉に向けての作業を阻害し、8兆円とも言われるコストを増大させている要因となっている。

その結果として、廃炉のプログラムとしてチェルノブイリ原発のような「石棺」と呼ばれる”取り出さず、その場で閉じ込める”ような悲劇的とも言えるアイディアが出され、地元などの反対により撤回されるような騒動にも発展している(前掲書p.35)。

ただし、これは政治的な側面であって、現実的にデブリに直面する技術者の構想からは無視できない選択肢になっているのであろうと推察する(その政治的な側面自身の重要性や、そもそも石棺方式が技術的に成立するのかという議論は別にして)。

つまり、279トンという大規模な物量(元々のウラン核燃料は69トンに過ぎなかった)、そしてコンクリートと相互作用し化学的な特性が複雑かつ多様になってしまった放射性ゴミ(デブリ)という除去対象に対して、その技術的解決手段があまりにも少ないという現時点の状況が背景にあると思われる。

何故、1号機の損壊状況はこれほどまでに大きくなってしまったのだろうか。

そうした疑問を受けて、本書では2016年9月に日本原子力学会において発表されたひとつの解析結果を示す。それは

「3月23日まで1号機の原子炉に対して冷却に寄与する注水は、ほぼゼロだった」(前掲書p.162)

という内容である。

衝撃的な事実で、TV会議であれほど冷却に拘っていた努力の裏で、原子炉は非情にもいわゆる”空焚き状態”という最悪の状態を続けていたというのである。

これが1号機の損壊状況が大きくなった原因である。

ではなぜ1号機においてこのような実態が発生したのか。

良く知られているように吉田所長(当時)は、官邸の意を忖度した武黒フェロー(当時)からの「海水注入中止命令」に対し、会議ではこれを了解する姿勢を見せ、現場ではこれを強行したという”英断”があったはずである。現場では、確かに原子炉の冷却を第一優先として、あらゆる手段を考慮し実行していたはずなのである。

その理由の分析が、本書のメインテーマであり、技術的、組織的側面から整理されている。

技術的ポイントは2点あった。

  1. 生き残っていたはずの冷却装置”イソコン(非常用復水器)”が停止している認識が共有されていなかったことにより、イソコンの初動が遅れたこと。
    津波で全交流電源が喪失し、イソコンの弁がフェイルセーフ設計によりクローズし、その後、現場で再起動するために検討していた約3時間の停止の間に、核燃料は既にメルトダウンを始め、事態は決定してしまった。
  2. 消防車による注水ラインにはバイパスフローがあり、投入した水のほとんどが原子炉には届かず、別のラインから漏れてしまっていた。これは3月23日まで続いた。この事実に気づくことが遅れたこと。
    これは本書に先立つ『福島第一原発事故7つの謎』の第5章「消防車が送り込んだ400トンの水はどこに消えたのか?」に詳しいが、本書では更に分析を進め、1号機では他号機よりバイパス経路が多かったことを明らかにしている

技術的側面に加え、組織的には吉田所長(当時)と本店、吉田所長(当時)と現場(中央制御室)との間の情報の壁があったことが指摘されている。これは私も以下の記事で、2重のフロントラインシンドロームに陥っていたのではないかと考察した。

 関連記事:フロントライン・シンドロームと兵站の問題

それに加え本書での指摘として、以下がある。

隣接した複数の原子炉が連続してメルトダウンして事態が加速度的に悪化していく「複数号機同時事故」。これまで世界で起きたスリーマイルアイランド原発やチェルノブイリ原発とは全く異なる福島第一原発事故の特殊性である(p.222)

引用終わり

こうした連鎖的な災害に対するマネジメントはまだ構築されていないが、現状の状況にしても、すでに時間軸が通常の技術的な側面とは様相を異にしている。

この先数十年オーダーで設備が老朽化していった際に何が起こるか?

再び連鎖的な状況に至る可能性は存在する。

そのために今回の教訓は、その重要な検討材料として正確に理解するべきであろうし、完全な情報公開が必要であると思う。

関連記事:福島第一原発事故と安全弁

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立ち飲み屋探訪:大口駅 商店街の角打ち「石川屋酒店」尊さすら感じられる奇跡のような世界(後編)【オススメ】

前編から続く

大口通商店街の中にある「石川屋酒店」の立ち飲みスペースに入店する。

せ、狭い。10人も入れないのではないか。一列のカウンターである。

先客は1名。女将さんが注文を取りに来る。ものすごく優しい。

その場支払いシステムである。

まずはホッピーを注文。

ホッピー指数は2.5である。

ツマミも意外と充実している。ホワイトボードには、激安価格が並ぶ。まさに角打ちの醍醐味である。

厚揚げを注文。味がよく染みていて旨い。

ホッピーの中をお代わりし、ホワイトボードの「うなぎきも」が気になったので注文。

次のお酒は、カウンターのかごに置いてあった見たことのない、ウィスキーの水割りカップを注文。氷を入れたコップを用意してくれた。

「飲みやすいでしょう」と言われ、本当にそうだった。

とにかく店の雰囲気が良く、酒屋の老夫婦がやっている地元の店、という感じでとてもいい。

お客や店番の家族としている会話ひとつひとつの中身が、本当に優しいのである。そしてそれに呼応する形で、お客も酔っ払いながらも優しくなるのである。

この雰囲気の本当の意味は、おそらく来店すればわかるであろう。角打ちの持つ一面である殺伐さの対極にある優しさがある。

昭和の商店街の中にある、狭いカウンターで何やら一つの奇跡をみたような気がする。

閉店時間は19:30なので、ここで退店となり、お土産に先ほどのウィスキー水割りカップを買って帰ることにした。またしても親切に「冷えているのもありますよ」と店主。さすがに帰り道では飲まないので常温を持ち帰った。

そして、ここまでのお勘定合計はなんと

 ホッピーセット:340円

 ホッピー中:110円

 厚揚げ:150円

 うなぎきも:200円

 ウィスキー水割り:200円×2(お土産1含む)

で、ベロベロなのに驚きの1,200円!や、安い。

パラダイスである。

正直感動すら覚えるのであった。

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