緊急事態宣言の繰り返しは「茹でガエル」との戦いの様相になってきた:互酬性と囚人のジレンマ

 いや〜まいった。

 前回の2回目の緊急事態宣言があり、テレワークだなんだとへとへとになり、解除でまたドタバタした挙句に、そして今回の3回目。

 ただし、防疫観点で感染者増加数の勾配を見ると、確かにそのトリガーがかかっているのは非常に理解できる。

 その反面、結局人間社会というのは多数の個人の集合であって、1対1の関係における命令と実行の関係とは、その「時定数」が異なる。

 だからこそ、”自粛”の効果は、数日遅れてやってくるし、”コロナ疲れ”の効果も、同様に数日遅れてやってくる。この時定数に対して、ニュースなどが報じる感染者数の速報値の情報伝達自体はリアルタイム性を持っている。時定数を持った”遅れてきた過去の行為に対する結果”に対する速報性だけがあるという状況になっているのである。

 文化人類学的にいう”互酬性”というか、結局人間心理として、我慢したならその結果が報酬として得られれば頑張れる。さらに報酬とはリアルタイムに欲しい。後から褒められても、忘れてしまうので効果は薄れるのである。そして、その報酬が遅れてやってくれば来るほど、その耐えた我慢に対して個人レベルでは納得がいかなくなる。やはり無形有形に報酬を返してほしい。でも、報酬を返す当事者も誰かわからない。みんな当事者で、誰から報酬を貰えば良いかわからない。でも、誰もが報酬を貰いたい立場と思っている。ただ過去の結果に対する悪い情報だけが問われるという負のループ。

 このあたりが、今の社会的ジレンマになっているように思える。

 その結果として、個人の行動にも”ブレ”が生じるわけで、どうして良いのかわからない、あるいは、ストレスをムダに貯めることになるのであろう。

 おそらく社会的に思いを一つにできれば良いのだが、今のままだとまさに「茹でガエル」の世界で、単純な我慢比べというか、囚人のジレンマ的に「自分だけ良ければ良い」戦略側に利得の雪崩を打つ方向になりそうで、少々不安である。

 そんなことを考えつつ、私も今まさに色々環境が変わりつつあり、非常に悩ましい状況にあるのである。 

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立ち飲み屋探訪:御徒町駅「上野萬屋酒舗」オフィス街にある酒屋の角打ちスタイルの立ち飲みは下町感がある

 御徒町付近で仕事が終わり、もう帰宅しようとしていると、角打ちのような酒屋を発見。「上野萬屋酒舗」である。

 キャッシュオンシステムで、ビール赤星の中瓶400円をもらう。

 店内はこんな感じで酒屋の倉庫みたいな感じ。冷蔵庫と乾き物の棚がある。まさに酒屋の倉庫で飲む角打ちスタイルである。

 ベビースターラーメンをつまみにする。

 まだ5時前なので客は私一人。外はオフィス街っぽいので、ボケっと眺めていると、店番の女性が「ちょっと出かけてきます」と言って、どこかに出て行ってしまった。

 店内に私一人で、ある意味下町の信頼関係のような(でも初のお客なんだけど)感じなのか。結局15分くらい一人。なかなか面白い店である。

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立ち飲み屋探訪:銀座1丁目駅「銀座君嶋屋」日本酒・焼酎・ワインの棚を巡りつつ、スタンディングバーのあるスタイリッシュな酒屋

 先日有楽町方面から東京駅方面を歩いていると、おしゃれな酒屋を発見。酒屋に併設された、スタンディングバーがある「銀座君嶋屋」に入店してみた。

 バーは11:00開店であり、日本酒、ビール、ワインなどが飲める。日本酒メニューが充実しているので注文してみた。つまみもある。

 レジでその都度事前精算方式で、セルフサービスになる。

 「会津娘 純米吟醸 花さくら」90mlで500円。つまみは「チーズ味噌漬け」300円。

 ちゃんと1人用の空間を確保する形で、こんな窓側から外を眺めつつお酒を飲むことができる。

 また日本酒やワインなどの販売もしているので、グラスをそのままに、店内のお酒をみても良いらしい。

 上記はワインの売り場。

 おしゃれな店内で思わず酒を購入したくなったが、帰宅までの荷物となるので今回は断念。有楽町駅からも十分徒歩で来ることができる明るい空間であった。

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立ち飲み屋探訪:東急池上線池上駅「立ち呑み 半ライス」大画面でスポーツが鑑賞できる立ち飲み屋の”継ぎ足しカレー”が激ウマで”半ライス”が欲しくなる

 池上本門寺がある東急線池上線。五反田と蒲田を結ぶこの線路で、路線名をもつ駅「池上」。そこに立ち飲み「半ライス」があったので入店してみた。

 綺麗な店内には大型ディスプレイがあり、スポーツ中継をしている。支払いは後で一括システムである。

 まずはホッピーセットの白。450円。中は200円である。

 鳥のお造り盛り合わせがあり、2品で800円。たたきとささみ昆布〆をチョイス。うーん美味い。

 そして厨房に客席から見えるところでコトコトに続けている「つぎたしカレー」450円が我慢できず注文である。店名の由来なのか、”半ライスを1人1杯サービス!!”とあったが、今回は我慢。

 このカレーが非常に美味い。ツマミとしても肉が多めで、さらにルーにはコクがすごい。ライスが欲しくなってしまう、だが、これはある意味ライスを食べたらその日は終わってしまう中毒性のある一品である。

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立ち飲み屋探訪:御徒町駅「田楽」コロナ禍でいつもより静かな喧騒のアメ横で”だし割り日本酒”でおでんをつつく

 アメ横を歩いて、例のダミ声の魚屋を通ると、かつての”大トロ”7,000円を1,000円に負けてもらって帰って食べようとしたところ、スジがすごくてとても食べられたものではなかった苦い(”アメ横あるある”であろう)思い出が想起されてきた。

 そんな近くのガード下に、おでんの立ち飲み「田楽」を発見。早速入店(と言っても半分オープンスペースである)。

 ワンカップ500円を熱燗にして、だし割50円。寒い日には、これである。

 おでんをお任せでもらう。680円。こんな感じ。コンパクトであるが、飲みにはこれくらいがバラエティがあって良いかと。大根は味が良く染みていて美味い。

 出し割り日本酒とおでんの相性は当然良いので、酒も進む。おでんも追加。

 玉子150円とちくわぶ180円(大好物なのである)。

 アメ横の喧騒も、コロナのせいでやはりこれまでより静かな気がする。まあ、当たり前だが。

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立ち飲み屋探訪:辻堂駅「藁焼きれもん」ゴージャスな”ネギトロたくあん”が絶品!

 辻堂駅南口にある「藁焼きれもん」に入店。細長いカウンターを囲む形の奥行きがある店である。

 少々仕事で疲れており、飲みたい気分で入り、キンミヤハイボール500円を奮発である。到着したグラスには、なんともすごいメッセージが。間に受けたらアル中一直線である。

 カンパチ刺500円。肉厚でエッジが立っていて、旨味も十分である。

 そして、「ネギトロたくあん」550円。本日大盛りサービスらしく、「どうします?」と聞かれたが「普通で」と日和ってしまう。とびっこも乗ったゴージャスなネギトロ。

 非常に美味い。普通なのにボリューム多いので、これはお得。海苔と一緒に食べるとマッチしていい。

 店構えはこんな感じ。ネギトロたくあんのために再訪したい誘惑にかられる。

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立ち飲み屋探訪:大井町駅「OP’s Bar」平和小路にあるスタンディングバーで、ドライフルーツとワインでお酒が進む

 ある雨の大井町。飲み屋街の一角にある「平和小路」に迷い込むと、ちょっとしたバーがあった。

 「OP’s Bar」である。

 カウンターがあり2Fにも席がある模様。グラスワインの白600円をチョイス。支払いは後で一括方式。

 ツマミは「お肉のパテ 秋ver 」をもらう。パテにナッツなどが練り込まれ美味い。

 カウンターには大きなガラス瓶が並び、様々なドライフルーツも並んでいた。バナナ、イチジク、ミカン、レーズンがあり、1種類300円、2種類400円、3種類500円、4種類600円となっている。

 ここはイチジクをチョイス。

 やはり歯応えと甘さがワインと合うのである。このイチジクをツマミにワインを3杯お代わりし、ベロベロで退店である。

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たまには、うなぎを食べたい。「宇奈とと 神田店」でうなぎで一杯

 うなぎは「ハレ」の食べ物だと思う。時々ムラムラっと食べたくなる衝動もあり、実際食べるとテンションが上がる感じがする。不思議だ。

 そんなとき私が良く利用するのが、この「名代 宇奈とと」である。

 ”うなぎが食べたい!”という衝動が高まると、会社帰りなどに良く行っていた。ここはリーズナブルな値段でうなぎを食べることができると同時に、1人飲みとしても居心地が良い(敷居が高くない)ので重宝している。

 名店に行って腰を落ち着けて飲みたいが、一人で行くのも怖いし、おしんこだの日本酒だのといった名店ぽい縛りがありそうで、財布的にも精神的にも使い勝手の良い店なのである。

 先日の休みの日に、神田駅周辺に用事があり、帰りに寄ってみた。

 店外の食券を買うシステム。鰻丼などもあるが、蒲焼や串もあり、飲みにも対応している。また追加注文の際には、店員さんが代行してくれるので楽ちんである。

 この周辺にはもう少し高級な店もあるが、この店内はカウンターのみなので、1人飲みには非常に良いのである。

 まずはハイボール400円。

 そして蒲焼ダブル950円。申し分ないのである。

 あとは「くりから」と「肝串」各270円。これはタレと塩が選べる。タレをチョイスした。

 更に飲みには嬉しいのが、柴漬けが食べ放題なので、これもツマミの一つになる(まあ、あまり食べ過ぎはマナー違反であろうが)。

 そんなこんなでいつの間にか蒲焼をおかわりしたりして、ハイボールが進み、元気が出てきたのであった。

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川崎の老舗居酒屋、朝8:30から酒が飲める「丸大ホール」で、しみじみと一人飲み

 川崎駅にある「丸大ホール」。ここは老舗居酒屋として知られており、定食屋風であるが、”朝から酒が飲める”パラダイスのような店である。

 先日平日の昼間に午後休暇も取ったこともあり、酒でも飲んで帰ろうと思い、久々に立ち寄った。

 昼休みの時間帯でもあり定食を食べるサラリーマンもいるが、ここの醍醐味は、基本1人で結構なご老人が文庫本を読みながら、TVを見ながら飲んでいるというなかなかの雰囲気・客層なのである。皆、夜勤明けのような、ギャンブル中(失礼)のような、なんとも川崎らしさがある。

 まさに元祖・一人飲みの聖地。

 コロナ対応もあり、そこそこの間隔は空いているが、定食屋のテーブルで1人で酒が飲める店もなかなかない。

 入店するとアルコール消毒。そして指を1本立てて1人客であることをアピール。女性店員さんが、指示してくれた私の席は、6人席を4人席に減少させたテーブル。すでに先客3名がおり、それぞれご老人の1人飲み客で、いい感じに出来上がっている。

 私は午前普通に仕事していたので、スーツ姿である。普通は定食ユーザーとみなされる外見だったのだが、さすがこの店の店員さんはベテラン揃いだけあって、私が酒飲みだと直ぐに見抜いた模様。

 早速酎ハイ350円をいただく。とにかく店内は非常に賑やか(コロナ前はもっと密度が高かった)だが、店員の女性陣が非常にしっかりしているので、あとはなんとかなるのである。

 まずはツマミで「ニラ玉」350円。出汁がたっぷりで椎茸も沢山ある。ボリュームもある。

 続いて「カツ皿」650円。いわゆるカツ煮であり、こうした定食のアタマ系メニューも充実しているのがここの素晴らしいところである。こうしたツマミに定食セットも追加できる。

 そして他のお客さんの注文で良さげだった「湯豆腐」450円である。薬味もバッチリでホッコリ。

 やはりご老人の一人呑みは、見ているだけで味があって良いのである。

 二度目の緊急事態宣言もあり、更に不透明を増してきた昨今であるが、こうした名店は存続してほしいものだ。

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相手の注文に正確に応えることの難しさ:上司に「ラーメン」を注文されて「寿司」を提供し続ける部下

 企画系の業務をしていて、噛み合っていないやりとりを良く見かける。

 「戦略シナリオ」案や、もう少し単純に「改善」案を、上司が部下に求めた場合に発生する収束しないキャッチボールのことである。

 回答に納得できない上司は、執拗に意図と違うことを説明し、提案を受領しない。

 部下は、否定された案を、上司の意向を考え、何度も修正・変更して提案する。
 
 お互い意図が伝わっていないのか、このキャッチボールが繰り返され、自然に”千本ノック”、あるいはちょっとした”マウントパンチ”の様相になってくる。要するに公開リンチのようになってしまうこともある。

 上司からすると”指導”なのだが、何度言っても一向に修正されない部下の態度にイラつきを覚え言葉も強くなる。部下にしてみると、出口のないただの言葉の暴力を受け続けるだけの単なるパワハラ的な印象を与えることになる。

 こうしてお互いが噛み合っていないまま、互いがひたすら不幸になっていくような風景が見られることがある。

 この「噛み合わなさ」は何なのか。もう少し掘り下げてみたい。

 第三者から見ると、以下のような単純化したやりとりになっているように思える。

 上司「ラーメンを作って欲しい。具はこうで、スープはこうで」
 部下「了解しました。作業にかかります」
 部下「できました。どうですか?」
 上司「いや、これ寿司でしょ。私はラーメンを注文したんだから」
 部下「・・・すいません。ちょっと誤解があったようです」
 部下「できました。ラーメンです」
 上司「いや、だから、これ寿司でしょ」
 部下「・・・・」

 この構図では、実際に第三者がみて、部下が作ったのが寿司なのかラーメンなのかは問題の本質ではなく、お互いにある料理の実体に対する認識が異なっており、その違うことを理解しないまま一応会話だけは進んでしまっている。

 では、最初にお互いにラーメンと称するものはこれだ、と、前提条件と定義をきちんと合意した上で業務を進めれば、この問題は解決するのであろうか。

 実際の現場では更に、もう一段複雑なすれ違いも起こっている。

 それは、上司が求めているのは「結論を導き出したロジック(論理)」であるにもかかわらず、部下が提出するのは「上司の心の中にある結論」となった場合のすれ違いである。

 これは更に根が深く、上記の事例のような前提条件を定義すれば解決できる問題ではなく、業務に対する基本的姿勢の違いに相当する本質的な問題である。

 上司の頭の中には想定された結論は確かに存在する。

 だが、それを部下に当てて欲しい訳ではない。

 もう少し大胆にいうと、その”結論”は直感で導き出されたものかもしれない。自分の経験や勘で導き出されたものかもしれない。

 いわば帰納的でも演繹的でもなく、先験的かつ超越論的に導出されたものなのである。

 繰り返しになるが、その正解を部下に当てて欲しい訳ではなく、むしろその正しさの論理的検証をして欲しい、あるいはより論理的にリーズナブルな解があるならその指摘をした上で、乗り換えるかどうかを判断したい、というのがこの「注文」の本質なのである。

 むしろ結論を考えるのは自分であって、それは部下には求めていない。それを当ててもらっても、むしろ心理的には反感も生まれる。

 だが、地位などのバイアスがかかった部下は、上司の心の中にある「結論の正解」を当てようとしがちである。その結果、論理ではなく、相手の感情に支配されることになる。

 最終的には「上司の結論と私の結論が一致しているんだから、それ以上何が問題があるのか?」という怒りすら部下は覚える。結論当てゲームに既に正解しているのに、まだしつこくグチグチと言っている上司に不信感を覚えるのである。

 結局、上司は「論理」を注文しているのに、部下は「結論」を提供するという、先程と同様の噛み合っていない構図が現れている。

 ここで更にバイアスを生んでいるのは、特に部下のもつ「絶対的正しさへの過剰な欲求」であろう。

 誰しも上司の前で間違いたくはない。

 だが、正しさとは相対的なものであり、固定されたものではない、という認識をなかなか持ちにくいものだ。特に会社組織のような、政治的、権力的なバイアスが常にかかっている場合には尚更であろう。
 
 それでも論理に必要なのは「首尾一貫していること」「論理的に整合して矛盾のないこと」である。従って、その要件を満たしていれば、複数の解(結論)がありうるし、その解(結論)同士が対立することも許容される。

 そして論理自体は玉ねぎのような階層的構造になっており、更に上位の論理が下位の論理を包含して乗り越える構造になっている。下位の階層の論理は、上位の階層の論理によって優越される。

 論理を注文する人は、ある意味「論理に殉じる」覚悟を決めているのであって、より論理的に正しければ、自分の感情とは無関係にそちらに乗り換える(意見を変える)ことも躊躇なく行う用意があるのである。そのための判断材料が欲しいのだ。

 そして、論理的な正しさこそが、組織において他者を動かす根拠(の一つ)になりうる。より論理的に正しい、より上位階層の論理である方が、他者を動かす説得力になるのである。それが故に、より論理的に正しい結論を組織においては欲するのである。

 もちろん、それらが最終的に感情や政治の力によって全く異なる別の答えになる(いわゆる”神の声”)こともあるが、それはまた別次元の話である。この神の声が全てであれば、トップ以外はただのロボットで済んでしまう。

 その意味で、納品すべきは「論理」なのであるが、納品されるのが「結論」となってしまい、終わりないマウントポジションからのパンチ連打の光景になるのは、見ていて辛いものがある。

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