安田大サーカス クロちゃんへのドッキリが囚人のジレンマ的様相になってきた

TBSテレビ「水曜日のダウンダウン」で安田大サーカスのクロちゃんへドッキリを再三再四仕掛けている。

この番組のドッキリレベルは非常に高度で、ヤラセとかそういった演出(実際はあるだろうけど)とは別の心理戦のような状態に突入している。

例えば、「逆ドッキリを繰り返すと両者が疑心暗鬼の状態に突入する」「1週間予告ドッキリをする(何をするかは伝えない)」「グダグダなドッキリに対して芸人はどのレベルまで乗っかるか」など、裏の裏やメタレベルの領域に達している。

先日放送の「素人風(ヤンキー風)の人間に”水曜日のダウンタウンです”と言われたら、クロちゃんは目隠しに応じるか」という企画があった。結果は、乗っかる訳もなく、絡まれて逃げる状態であった。とはいえ、実際には素人風の仕掛け人も含めてTV番組スタッフであることは間違いなかったのだが。

ネタバラシ後に本人に聞いたところ「既に素人から同様に絡まれている」という回答もあった。

余計なお世話だが、今後のことも考えると困るのではないか。つまり、今回の事例で本当に番組企画の場合があることを提示したことで、下手すりゃ犯罪被害に遭うんじゃないの、と思ったのである(TV演出だから、というのはここでは置いておいて)。

本人にとって、何が企画による危害(これはビジネスなので乗るべき)で、何がリアルの危害(これは本当の危険で避けるべき)なのかがわからなくなってしまうのは、ちょっとタレントの安全上危険な心理状態にしてしまっているのではないか。

では、別途、ボディガードでもつけて、企画の場合以外には、ちゃんと第三者的に強制的に保護されるような仕組みを作れば良いかもしれない。でも、それを本人に知らせて良いか。

本人が「本当に危険な場合には助けが入るはずなので、基本乗っかろう」という戦略を持っていた場合、これが本当の事件であった場合でも、リアル危機なら誰かが止めに入るはずだ→現在、誰も助けに来ていない→これはリアルでなく企画だ、というように判断してしまう。結果、事件だけど、ボディガードが見過ごしてしまったような場合、重大な危険に遭遇する場合もある。

かといって、保護されていることを本人に知らせないということは、本人が常にこれが企画なのか、事件なのか自分で判断しなくてはいけない。企画の方は段々と現実に近づいているのに、である。これは、より安全側、即ち企画であってもノリにくい態度になり、タレント的には美味しくない状態になる。これもタレントにとっては、一種の機会損失であり、自分の価値を下げる行動である。

これは主にタレントを保護する会社(松竹芸能)の戦略上のトレードオフにもなる。タレント性としては、乗っかってもらった方がビジネス的には良い。しかし実際に犯罪に巻き込まれることは避けなくてはいけない。

この均衡をどこに置くかという問題である。均衡状態が、最適解にならない囚人のジレンマ状態のようにも思える(厳密な用語の使い方ではなく、比喩として捉えてください)。

「水曜日のダウンダウン」のドッキリが、メタレベル領域に入ったことで、タレント自身の現実はますます複雑になってくる。ある意味目の肥えた視聴者にとっては新鮮さに繋がる訳であるが、一種の囚人のジレンマのような様相を呈して来ていることに、少しだけ不安を覚える。

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「バナナはおやつに入りますか?」の戦略的検討の恐るべき帰結

昔からのお約束のやりとり、というものがあって、

「バナナはおやつに入りますか?」

というものがある。私が子供の頃からあり、今でもネット上でベタなやりとりとして流布されている。

つまり遠足で持って行くおやつについて金額(例えば500円以内とか)が決まっており、そのためバナナはどちらに入るのか、先生に尋ねるというシチュエーションである。

このやりとりについて、最近違和感を覚えたので、整理する意味を込めて記載してみたい。

<前提条件は何か?>

まず共通前提として質問者は「自分はバナナを持って行きたい」という前提に立つ。

その上で、質問者の発声前の認識として

(1A)バナナがおやつの範疇に入り、おやつとしてのバナナを持って行くつもりである

(1B)バナナがおやつの範疇に入らず、お弁当の範疇に入ると思っているので、弁当としてのバナナを持って行くつもりである

(1C)バナナがおやつの範疇にも、お弁当の範疇に入ることも、
わからないので、どちらに入るか知った上で持って行きたい

このケースについて、以下で検討してみる(論理的には他の選択肢もあるだろうが、本書ではこの3ケースを検討する)。

<(1A)の場合:バナナはおやつに含まれる>

(1A)の場合には、バナナはおやつに含まれるという前提なのだから、

回答「Yes」の場合:

当初から持って行きたかったので、あまり問題ない。ただし、その結果としてバナナ分だけおやつの買える範囲が縮小する。

  回答「No」の場合:

自分の前提条件が崩れた結果、「バナナはおやつではないので、持っていけない」という期待値ゼロの結果をもたらす。ただし、追撃として前提条件を(1B)か(1C)に変更し、再度質問することはできる。ただし同じ質問をくりかえした場合、教師からしたら反抗か日本語の理解力がない生徒と見做される可能性もあるので、質問の表現を変える必要があるだろう。

まとめると(1A)の場合には、期待値的には「質問をしない」方が良いことがわかる。どう転んでも、現状維持または悪い結果しか出ない。つまり(1A)の場合には、黙ってバナナを持って行く行為が、最も効用を最大化させるのだ。

この問題は、グレーゾーンのアイテムを既存のカテゴリに位置付ける際に、それを積極的に確定させることの効用を最大化させる戦略について(例えば法律論など)の問題としても考えることができるであろう。

<(1B)の場合:バナナはおやつに含まれない>

(1B)の場合には、バナナはお弁当の範疇に入るという前提なのだから、

回答「Yes」の場合:

何も問題ない。そもそもその認識の場合、この質問をする意味がない。

回答「No」の場合:

何も問題ない。自分の推測(バナナ≠おやつ)が確定しただけの意味がある。

まとめると(1B)の場合には、質問自体によって期待値的に変化がない。なので、黙って持っていけば良い。つまり、この前提を持っている人だと、ハナからこの質問をしない、そもそもこの質問自体を想起しないのではないか。

ただし、質問者と回答者だけでなく、それを聞いている他者を前提した場合(つまり、他者の前提が異なる場合)、様相は異なるであろう。

つまり自分以外が(1A)認識だった場合には、意図して周囲の足を引っ張る効果がある。

<(1c)の場合:どちらかわからない>

(1c)の場合には、どちらかわかっていないのだから、

回答「Yes」の場合:

バナナ=おやつという新たな情報を得ることができた。
それに従って、おやつの予算内でバナナを購入になる。

回答「No」の場合:

バナナ≠おやつという新たな情報を得ることができた。
新たなルールに従って、弁当の範疇でバナナを持って行くので、おやつの予算は別に使える

まとめると、ほぼ結果は(1A)と同じであるが、そもそも質問者はルールがわかっていなかったので、自分はルールが確認できたという意味で、当初の状態からの進化がある。

ただし、同様に自分以外の周囲が(1A)認識だった場合には、確認により、彼らの足を引っ張る効果がある。

これは質問者がそれを意図していない場合と、意図していた場合に分けられる。

意図していない場合は、空気を読めない発言となる。また、同時に他者が戦略的に沈黙していることに思い至らない鈍感さもある。

意図している場合には、(1B)と同様、他者の戦略的沈黙を妨害するという意図がある。

<結論>

整理する。

(1A)質問しない方が良い。するだけ逆効果。

(1B)そもそも質問する意味がない。ただし他者が(1A)の場合、妨害工作になる。

(1C)バナナの定義を知るため質問する意味はあった。しかし、他者の沈黙についてその意味を理解している場合、妨害工作になり、理解していない場合のみ、意図しない妨害工作となる。

つまりこの発言は基本的には他者への「妨害工作」で、他者の戦略に対して無知である場合のみ「空気が読めない」発言となる。

しかし、(1A)(1B)までの推論により、自分以外の他者が沈黙している際に、質問者は、他者の認識状況をどう推定するであろうか。他者が(1A)でも(1B)でも沈黙する戦略をとった結果による沈黙という理解ではなく、自分以外の全てが(1C)であるという理解のみが、質問者にとって、意図しない発言となる。

つまり、自分以外の他者を同質的に自分と同じ無知であるとみなしている場合、この発言が意図しなかったことになる。このような理由では、他者の利益を意図せず妨害してよいとする免罪理由とはならないと考えられる。

結局のところ、バナナ予算を外だしにして、他のおやつを予算一杯に買って、事前確認しないで持って行く、行動が一番効率的な行動になる。

そしてそれは囚人のジレンマと類似した構造となり、この確認をしない方が皆にとって最大の効果を得るのであるから、全員黙っていることが最も集団にとっての最大効果を得ることになる。

<導かれる言説>

個人の行動に、その意図に関わらず相手の足を引っ張ることで全体最適を貶める悪意がないと仮定するのであれば、「バナナはおやつに入りますか」という問い自体が、実は存在しないことがわかる。

しかし実態として世の中には、「バナナはおやつに入りますか」という問いが存在する

故に、世の中には相手の足を引っ張ることで全体最適を貶める悪意というものが存在する。

・・・・恐ろしいものを証明してしまった。

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