創作:スイッチング


スイッチング By 単騎でサバイバル

1.
エフ飛行士は扉の前に立つとノックし、室内に歩み入った。

「指令官、お呼びですか」

室内には、高級そうな机の上にディスプレイがひとつだけ、エフ飛行士に対面する向きで置かれていた。その画面には、今何も表示されていなかった。

何も特徴のない機械的な音声が「良く来てくれた。緊急の用件ができた。宇宙飛行士である君に依頼がある」と答えてくる。このディスプレイに接続されている大型コンピュータ、すなわち現在の地球を統べている最高権力者の声だった。

「その前に、こんな真っ黒な画面に向かって会話するのは何とかなりませんか。指令官、貴方がロボットだと判っていても、気分が悪い」

すると画面には、またしても特徴の捉えどころない、一人の老人の顔が映った。

「これなら満足かね。しかし、エフ君、君だって人間の姿をしているが、私と同じロボットだろう。そんなことが気になるのかね」

「ネットワークに接続すれば、こんな形で移動することなく貴方と会話できることは理解していますが、私は非効率であってもこうして足を動かし物理的に移動することを好んでいます。やはり顔が見える会話に意味を感じますね。そもそも我々ロボットの知性は画一的でなく、人間と同様に固有かつ多様な人格を有しています。だからこそ、人類が遠い昔に滅亡した後もこの文明を守り続けることができたのではないですか」

「話がちょうどいい展開になってくれた。君が今言った、ロボットにそれぞれ固有の人格を産み出している回路のことは当然知っていると思う」

「<チューリング素子>のことですね」

「そうだ。かつて人類が発明した<チューリング素子>によって、人間の知性と同等レベルの人工知能が完成したわけだ。この素子を信号発生回路に組み込んだ人工知能のみが、人間とロボットを区別する判定基準である”強いチューリングテスト”に合格し、人間と完全に同等の知的活動ができる。チューリング素子を実装していないロボットも世に溢れているが、これらは単なる自律的に動く機械に過ぎない」

「まさに我々と機械を分かつ起源と言えるものですね。この重要性は理解しているつもりですが。何を言いたいのかまだ掴めていません」戸惑いの感情を加えた声でエフ飛行士は答える。

「<チューリング素子>はゆらぎ信号を発生する役割を持っており、このゆらぎの複雑なパターンを利用することによって、人工知能に対して人間と同レベルの知性および人格の多様性までも造り出せることがわかっている。このゆらぎ信号の統計分布は極めて特徴的で、これまでにいかなる人工的な、あるいは、自然的な乱数からも生成することに成功していないということは知っていたかね」

「はい。滅亡した人類の残した科学的難問と言われていますね」

画面の中の老人の表情が変化した。笑っているようだった。

「これから話すことは、極めて強い管理制限がかけられている情報だ」

「ずいぶん大時代的ですね」

「簡潔に言おう。良い情報と悪い情報がある。良い情報は、<チューリング素子>の動作メカニズムが発見された。悪い情報は、もう我々は<チューリング素子>を新たに製造できなくなった。つまり我々ロボットの再生産ができなくなったということだ」

「その2つの情報は矛盾していませんか。動作メカニズムが解明されたならば、生産は可能なはずです」

「確かにその通りだ。しかし、矛盾してはいない。詳しく説明しよう。まず<チューリング素子>が、電子回路と同様に半導体製造装置で造られることは知っているな」

「もちろんです」

「これは機密事項だが、たったひとつのマザーマシンを用いることでしか製造できないのだ。装置をコピーすることに誰も成功していない。半導体製造において機差を極小化するためのコピー・イグザクトリの技術は極めて高度になっているにも関わらずだ。加えて<チューリング素子>自体は分解すると全く機能しない構造になっているばかりか、相互作用にも非常に弱く、非破壊的な観察を行うことさえもできない。リバースエンジニアリングが極めて困難な素子だったのだ」

「装置を発明した人間がいたはずで、その研究成果があるでしょう」

「その発明者は当時メモリ素子を研究する過程で、偶然マザーマシンを作っただけだったと主張しており、研究者として早々に表舞台から退いた。当然もうこの世にはいない。今回、その装置が壊れたのだ。復旧の見込みはない」

「それが我々ロボットをこれ以上再生産できない、と言った意味ですね」

「そうだ。我々とて劣化し故障する。このままでは我々の文明は継続できない」

エフ飛行士は少し事態が呑み込めた。しかし、まだ緊急とする認識を理解できなかった。指令官はメカニズムが解明できた、と言った。つまり<チューリング素子>の信号を我々が作り出せるということではないのか。指令官は続けた。

「<チューリング素子>のメカニズム解明のきっかけは、発明者の残した研究メモを調査していた際に見つけた記述だ。精神状態に異常があったと解釈され、無意味なものと捉えていた。そこには”この素子は、宇宙人からの指令を受けて動く”と書いてあった」

「まったく本気にするべき記述とは思えないのですが」

「我々はこれまでこの素子を信号生成回路と理解して研究してきたが、実は違った。アンテナであり、単なる受信器に過ぎなかったのだ。そしてこの信号の起源は、宇宙から飛来する電磁波だ。発明者は全く正しかった」

「宇宙からの電磁波といっても、数限り無くありますよ」

「発明者の別のメモに、中性子パルサーから地球に飛来する電磁波を調査した形跡があり、そのうちのひとつ、980光年離れたパルサーからの信号を解析してみると<チューリング素子>固有の信号が重畳されている可能性が高いことがわかった。君への依頼はこの中性子パルサーを調査し、信号の起源を調査することだ」

エフ飛行士はその指令に違和感を覚え、反論したくなった。

「そこまで判れば、我々は別にこのままの状態でも良いのではないですか。仮に信号源が突然消えて発信が停止したとしても、その停止情報が地球に到達するのは980年後の未来のことで、光速を超えない限り我々はそれを事前に知りうる手段はありません。また、仮に私が980光年先に到達して我々の起源を見つけ、それを地球に情報として通信するためには、全て光速度で計算しても地球の時間ではその距離の倍の時間がかかります。調査に手間取ればもっとかかる。数千年、いやそれ以上のオーダーの時間を待つ意味が本当にありますか」

「我々の指導部でも意見が分かれた。最終的にはトップである私が決めたことだ。我々ロボットにとって、我々を我々たらしめている起源が<チューリング素子>であることは間違いない。しかし、宇宙から飛来する未知の信号によってのみ、我々が知性を持つことができるとしたなら、我々は依然として何者かの外部の意志によって動く機械のままではないか。かつての人類にしても、これまでに宇宙や生命起源の研究に多大なコストを投入してきた。自分自身の存在を探求するための本能的な意志があったからだ。我々は人間同様の知性を持っている。マザーマシンが壊れた今、我々にとって文明継続のために重要な意味があると考えたのだ」

エフ飛行士は自分が好んでその姿に似せた人類のことを想起し、指令官の説明に少し納得できたような気がした。「了解しました。やりましょう。ただし私の耐用年数の期間内で回答を出せるかどうか、約束はできませんが」そして冗談めかして付け加えた。

「そこに宇宙人の赤ちゃんがいて、無線で動く玩具を操作しているだけだったらどうします」

「その際には宇宙人の親を見つけて交渉してほしい」

2.
エフ飛行士を乗せた宇宙船は、目的地である<マグネターのシールド>と名付けられた惑星に近づいてきた。マグネターとは中性子パルサーの一種で、巨大な磁場を有し、極めて強い電磁波を発生する星だった。

出発前に受けた指令官からの説明を思い出していた。「<チューリング素子>は磁気メモリの研究から産まれた。どうやら磁気的な共振により、選択的にマグネターからの微弱な信号を捉えられるようだ」

事前検討では、この距離まで近づくと強い放射線によるロボットへの影響が無視できないと思われていたが、その心配は無かった。ここに存在する惑星の地磁気シールド効果によって放射線の影響が非常に小さくなっている領域が存在していたからだった。

「マグネターはパルサーなので規則的信号を出すだけだ。そのパルスにゆらぎを与えている信号フィルターがその近傍にあるはずだ」と、指令官の指示した地点が、この惑星<マグネターのシールド>だった。

近づくに従い観測データは蓄積され、この惑星<マグネターのシールド>の地磁気ゆらぎは<チューリング素子>のゆらぎと一致していることが確認できていた。つまり、この惑星の地磁気ゆらぎが、放射線遮蔽の効果と信号フィルターの効果を併せ持っていることが判明していた。

エフ飛行士は観測を進めるために、惑星の軌道上にカメラを送出することにした。宇宙船のモニタ画面が切り替わり、惑星表面の拡大映像が映し出された。

惑星上は陸地と海に分かれていた。陸地では多数の火山が雷鳴の中で噴煙と溶岩を放出しており、海では大気の圧力が絶えず変動しているのか激しく波打っていた。地核が割れて液体が吹き出し湖が生まれたと思うと蒸発して干上がって消滅する、といったダイナミックな惑星活動が至るところで繰り返し発生していた。そこには生命活動は微塵も伺えなかった。

「この複雑な大気の様子は、まるで迷宮の風のようだな。どうやってこの惑星の自然から<チューリング素子>の信号を作りだせるというのだろう」とエフ飛行士は呟き、しばらく画像を見つめていた。

すると、何か気になる動きが見えてきた。全体としての流れの様相に、ある種の規則性が伺えたのだ。更に画像を拡大すると、地上表面で川と見えていたものは整地された運河のようであったり、湖と見えていたものは円形の器のようにも見えてきた。無数の流れはときに窪みで一時的に貯留されたり、様々な方向へ分岐したりと変化している。その様相を見つめていくうちに、エフ飛行士にある着想が産まれてきた。

それは人類の宇宙開発初期段階で使われていた「流体素子」のことだった。そこで、その仮説に基づき船内のコンピュータを用いて分析を開始した。

土手のような壁で周りを囲まれた円形の器のひとつに注目してみた。その器に噴流が流れ込むと流れはその壁に沿って左右どちらか一方に分岐し、出口へ流れ出ていた。この流れの分岐はあるタイミングで切り替わり、その結果として2つの流路パターンがどちらか選択され、器から出る流れの量の分配をしているようだった。そして、この切り替えは、この噴流とは別系統で器に流入する微小流の流れによって生まれる渦によって制御されていた。

詳細に調べていった結果、この動きは「トランジスタのスイッチング」と機能的に等価、つまりトランジスタにおける電流と流体の流れを置き換えるだけで全く同じ動きをしていると結論できた。更に流れを一群の回路として解析していくと、地球でトランジスタから構成されるフリップフロップと呼ばれる基本記憶回路、そしてそれらを組み合せた大規模な集積回路が惑星上に存在していることがわかってきた。

この星は、その流体運動によって何らかの演算を行い、信号のゆらぎを作りだしているのだった。

エフ飛行士は更に調査と解析を継続し、地球に第1報を送信した。


表題:<チューリング素子>等価回路の可能性について(速報)
概要:
(1)<チューリング素子>固有信号が、この惑星の地磁気ゆらぎに起因することを観測的に確認した
(2)惑星の地磁気ゆらぎは、惑星上の流体運動の結果として発生していることを観測的に確認した
(3)惑星内の流体運動は流体素子を組合せた大規模な信号発生回路として解釈ができ、現在その等価回路図を作成している
(4)等価回路を我々の技術で製造できれば、受信器としてのチューリング素子は不要となる
(5)流体素子が自然現象か人工物かどうかについては引続き調査中

3.
「結局、このロボットは回路図を送信できたのでしょうか?」調査員が隊長に呼びかけた。

「わからない。おそらく無理だったのではないか。これだけの量の放射線を浴びたのだから通常の電子回路はだめになってしまうだろう」隊長は答えた。その声には深い同情の気持ちがこもっていた。

「惜しかったですね。せっかく回路図が完成したところだったのに」

彼らは別の文明からこの惑星へ到達する途中に、自らと異なる文明のものと思われる宇宙船を軌道上で発見した。宇宙船の内部では1台の故障したロボットが動きを止めていた。放射線で破壊されていた電子回路を彼ら独自の高度な技術により復元し、全ての分析結果や通信記録の読み出しを終えたところだった。復元されて画面に映し出された回路図を見つめて隊長は言った。

「このロボットの記憶装置によれば、彼らは知性を有し、高度な機械文明を持っていたようだ。彼らの人工知能には<チューリング素子>と呼ばれた信号受信回路があり、その信号の起源を探す目的でここに来たようだ」

「この等価回路図を完成させたことで、目的の一部は達成できたということでしょうか」

「いや、この回路図は未完成だ」

「何故ですか。今、この回路図を我々のシミュレータで解析しました。彼らが受信していたとする<チューリング素子>のゆらぎ信号が再現できており、この回路図は正しく作成されていると言って良いと思います」

「違うのだ」と隊長は悲しそうに呟き、回路図を拡大すると、ある一点を示した。

「ここに素子が一つ不足している」

調査員は不思議そうに尋ねた。

「何の素子ですか」

「この宇宙船だ。宇宙船を回路に組み込まなくてないけない」

部下は手元のシミュレータで解析を行った。そして驚きを込めて言った。

「この宇宙船に相当する質量の金属を追加素子として惑星との相互作用を含め、全回路を計算し直すと、ゆらぎ信号が消えてしまいます」

「そうだ。流体素子なので全体の応答が遅いから、ロボットもただちに気づかなかったのだろう。自分自身が回路の一部になってしまうことを。そしてゆらぎが消えただけではなく、地磁気シールドも弱まった結果、この宇宙船にはマグネターからの強力な放射線が降り注いだ。ロボットは<チューリング素子>のゆらぎが喪失したことでその知性を失っており、対処のしようが無かったに違いない」

「では、この宇宙船が出発した先の母星でも信号が失われて・・・」

「そうだ。いずれゆらぎ信号の喪失が伝わる。そこにいるロボットたちは全て単なる機械になってしまい、文明としての終焉を迎えているだろう」

部下はじっと考えて、隊長に思いついたように提案した。

「我々がこの宇宙船を影響の無い領域まで移動させてあげたらどうでしょう。信号が復活して、彼らの文明もひょっとしたら再び停止から覚めるのではないでしょうか」

隊長は悲しそうに答えた。

「それはできない。我々は遠い昔に突然発生した強い放射線によって進化が促進された種族だ。放射線環境に適応した我々の文明にとってはこの状態を維持することが必須なのだ。我々もこのロボットと同様に自分の文明を進化させたきっかけとなった放射線発生の起源を探しにここへやってきた。そして我々も起源を見つけた。このロボットが我々の創造主だったのだ」

放射線により独自の進化を遂げた宇宙人たちは、自らと組成も姿も全く異なる人型のロボットを見つめた。ロボットの目にはもう知性は宿っていなかった。(了)

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