映画「オデッセイ」の原作となり、話題のSFサバイバル小説であるアンディ・ウィアー「火星の人」(早川SF文庫)を読んだ。
古くはジョン・W・キャンベル「月は地獄だ!」チャールズ・E・メイン「大真空」など、地球外天体という究極の極限環境におけるサバイバルを描いた作品は少なくないが、本書は特異的な雰囲気を持つ。
キャンベル「月は地獄だ!」などでも、硫酸カルシウム(CaSO4)いわゆる「石膏」から水と酸素を取り出し、銀とセレンを掘り出し太陽電池を製作し、更に人工のタンパク質を合成し食料化するなどの「科学的」アイディアを盛り込んでおり、サバイバルに関する小説構造自体は同一で、違いは科学的知識に帰着できる。
この作品がそれらの古典作品と大きく違う点は、ある意味ステレオタイプな楽天的性格の人物造形と筋立てであり、主人公には、良く言えばポジティブ、悪く言えば軽薄なアメリカ人気質が与えられているところに特色がある。
これが仮に日本人の作品であれば、真保裕一「ホワイトアウト」の感動的な脱出シーンのように、静謐かつ真剣な雰囲気で一貫して描かれるべきシーンが、この作品では終始ポジティブな主人公視点のギャグだらけの楽天的な雰囲気で描かれる(もちろん、主人公の生存を火星衛星軌道上のカメラ映像により地球側で初めて発見するシーンで、さらりと涙が描かれるという例外もあるが)。
これは作品に対する否定的な指摘ではなく、むしろ宇宙空間という制約を除けば、サバイバルに対するある意味正しい作法であると思う。その結果として映像的(視覚的)なエンターテイメントとして成功を収めている。
一方、SF的な視点からすると当然の事ながらセンスオプワンダー的な味を求めたくなり、確かにこうした”奇妙な風味”の混入は皆無であるが、この小説をまず第一にサバイバルが主題なのだと捉えれば、これは欠点というは当たらず、むしろこの形式を最後まで維持して長編を完成させた著者の力量を称えるべきであろう。